召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ⑧ー④


「准麗」
「光蘭帝をお連れしました」

「いつもながら、この陰の気は叶わないな。もうこの姿も飽きた。銀月季に戻る」

祥明殿の陰の気を振り払い、天空で赤い髪に赤い目の仙人に戻った遥媛公主が舞い降りた。

未だに人の殺意と憎悪が充満する中に、ぽつんと置かれた棺があるのに気が付く。

「蝶華の柩」
「…また酔狂な……白龍公主らしくもないな」

かつての麗しき貴妃が眠る手にはいまだに羽衣があった。

「遥媛公主さま、どうして蝶華は光蘭帝の子を孕まなかったのか…貴方はそれを知っていたのですか?どうあっても、蝶華妃が子を持つことはないと」

「知っていたよ」

 遥媛公主は事もなげに言うと、その氷の棺に腰を掛け、長い足をすらりと延ばして見せる。今は目を閉じている貴妃の頬を触るかのように氷を撫で、顔を近づけた。

「面白いよね。人間て。おまえは知っていたろうにな、蘇芳蓮華…いや、白龍公主。准麗、女はね、尊いものさ。愛する人以外の子供なんて持ちたくない。白龍公主は男であるが故に、その蝶華の心までは受け取るどころか、読めなかったのさ。してもう一つ、誤算がある。種をすでに預かっている人間が、もう一つの種を抱える事は出来ない。女好きも大概にしときゃ良かったのにな…そして、仔猫ちゃんは愛されてることにも気づかなかったお馬鹿さんと来た。相手にする価値もなかった。光蘭帝をさっさと天に運ぶとしよう。そして僕は天帝となり、この地上をすべて消し去る」


 准麗は自分が抱き上げたままの光蘭帝を再び見下ろした。いつしか固く目を閉じ、皇帝衣装のまま、光蘭帝はそこに横たわっていた。

「強く殴り過ぎじゃない? 別に種を飲ませるだけなんだから正気でも良かったのに」

「元々心が弱い方です。その上、明琳の饅頭を喰っている。…もしも拒まれたら面倒。僕は光蘭帝を斬りたくありませんから…東后妃さまが悲しみます」

「主従ここに極まれり。…まあ、気が付いた時にはもう戻れやしないけれどね。光蘭帝の体躯は素晴らしいから…きっと天帝もお喜びになるだろうさ、行くよ」

 そうだ。ついでにこの氷の貴妃を溶かして羽衣を奪い取って塵に返してやろうかと血も涙もないことを思いついた遥媛公主が掌に業火を生み出した。

 白龍公主の氷はこの世の物ではない。だから、この地上の太陽には溶けない。だが、また自分の操る業火も地上の物ではない。ともすれば、この氷は自分の業火で溶けるだろう。

 ぽ、と音がして、蝶華の眠る氷の角に小さく火が灯る。ゆっくりゆっくりと氷が解け始めた。そして蝶華の持つ白龍公主の羽衣を燃やしてしまえば、白龍公主は二度と天には戻れず、この地上で寿命を全うするしかない。

 そんな憐れに地上で蠢く人豚に等しく天を見上げる華仙人を、自分は天上から栄華の天帝の椅子から見下ろしてゆく――――身震いがするほど、素敵な話だった。笑いが零れる。
 溶けてゆく棺を満足そうに見つめながら、遥媛公主が長身を伸ばして、宙に浮いた。

「後は明琳か」
「光蘭帝が片付いたらで宜しいかと」

 遥媛公主の眼が愉悦の色になった。むしろ、明琳の饅頭は想定外だった。だからこそ、面白かった…と振り返る。

 蝶華を殺すのは簡単だった。だがそれでは面白くない。光蘭帝が手を下す…なんてシナリオも良かったが、それでは自責の念で、自害する恐れもある。

 あの身体が死したら終わりだ。だから仙人への誘導は慎重に行った。眠りを奪い、悲しみを奪い、愛しさを奪い……結果は成功。もうあの明琳の言葉すら、彼には届かない。

 そして光蘭帝の中で、東后妃の魂魄はゆっくりと憎悪を育て、明琳の中に潜り込んだ。
 明琳が子を産めば、それは再びあの麗しい女帝が誕生する。「何としても助けてやる」そう誓った誓いは成就されるのだ。

 至極爽快だった。

「光蘭帝を起こして。旅立ちの時間だ、准麗」

 頷いた准麗が喝を入れる。光蘭帝の双眸がゆっくりと開き、遥媛…とだけ呟いた。遥媛はその綺麗な唇を撫でてやりながら、聖母のように笑う。

「随分抗っていたようだけど、光蘭帝。結局僕の種を受け取って貰うよ。まあ、勝利は見えていた。女と男でなら、駆け引きは女の勝ちだ。もう少し手応えがあるかと思ったけれどね」

「…………」

********



 ―――――わたしは、貴方が好きです!だから、行かないで。


 明琳の泣き叫ぶ声が鼓膜に残り続けている。光蘭帝は首を傾げた。何やら靄のようなものが晴れてゆく感じがする。こんなことは初めてだった…。

 いつでも世界は黒か灰色。母が血まみれで仙人に殺されるのも、父が祖父と共に母を恨み死ぬのも、すべて見てきた自分にとって、この世界は無くなって欲しいと願い続けた地獄だった。それなのに。目を開けた瞬間、その忌み嫌った世界が初めて眩しく見える。この耀の下、人は生き、また自分も生きたのだと、胸を張れるような。

遥媛公主は明らかに不快な顔をして見せたが、准麗に抱き上げられたまま、光蘭帝は外から洩れる光に目を細める。
「公主、こんなにも世界は眩しかった?」

「最期だと思えば、眩しくも見えるよ。…この後宮は間もなく焼け落ちる。貴方の存在と一緒に、紅鷹承后殿は消え失せるんだ。僕の業火は水では消せない。こうして僕を縛り付けた後宮は無くなり、貴方の母は明琳の腹に宿る。もう一度生まれ出ることが出来る。その為に一度僕が殺したんだから」
 光蘭帝の眼が見開かれた。

「そなた、今、何と言ったか」

「だから、明琳の」
 ―――――明琳の中に、私の子供がいる……そうだ、私は彼女が寂しくないようにと…

「母を甦らせるとはそういう意味か!…だから蝶華は拒んだのか!」

「蝶華妃にはすでに種があった。華仙人が人間のような野蛮な交尾をしないといけないわけじゃない。白龍公主のお馬鹿さんは、どっかで蝶華に種を撒いてしまったんだ。既に仙人の種を持ってれば、それはあなたの種を受け取ることは出来ない。…本人たちはどっちも気づいてなかったから、気づいた僕は勝ったんだ。そして蝶華妃を准麗に始末させただけだよ」

 ―――――蝶華。


「蝶華を殺したのは……おまえか、准麗…おまえは私に仕えていたのだろう!武大師として」

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