召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ③ー②

***

 既に戦場になりつつある料理場。皿が飛び、罵声が飛び交っていた。気の立った料理人たちがすべての宮の料理を作り始めている。

「急げぇ! 宮さまたちの料理が優先だ! どけどけ、どけーっ」
「ほらね。僕がいることにも気づかないだろう? 皿が飛んで来るぞ、ほら」

 びゅん、と大きな皿が飛んできた。ばしん!と芭蕉扇でその皿を叩き落として、遥媛公主は文字通り、妖艶に微笑んだ。

 明琳は腕を捲って1人の料理人に話しかけ始めた。元々根性はある。

「あたしも手伝います! だから、コンロを貸してもらえませんか?!」
「その皿洗え! は? 何だって?」
「あたしも手伝います! 火、貸してくれませんかっ?」

「誰だよ、こんな杜撰な盛り付け! また白龍公主芙君に料理燃やされちまうだろォ?!おい、お前! そこから野菜持って来い!」
「はい! コンロ借ります!!」
「皿を洗え!」

 明琳は抱えていた餡の入った包みを置くと、手早く山になっていた皿を洗剤に突っ込み、開いているコンロ前で素早く餡を練り、ついでに薄力粉を失敬して、たった一個の饅頭を作り始めたところで、話し声に思わず耳を澄ませた。

「蝶華妃、美人だよなあ」
「ああ、だが、新しい貴妃が決まったそうじゃねえか」

(どき)

「俺は皇帝がいよいよ狂って間違えて小羊を処刑しそうになったって聞いたけどな?」
「違います! 羊じゃないです!」

 ――今、何か声しなかったか?
 ――んな事考えてねえで、手元を見ろよ。コゲコゲ…お前の夫婦仲も焦げついてんじゃね?

(もーっ! 聞こえてないし!)

 明琳は男が多い料理場の隅っこでしゃがんで、邪魔だと蹴られないように背中を丸めた。
 茹でた餡を伸ばした皮に包んで、蒸かし饅頭は諦めた。笹を失敬して、さらに干瓢を戴いて、笹の饅頭を作り、額の汗を拭った。
しっかりと手には二個の饅頭が乗せられている。


 一つは遥媛公主さまに差し上げるつもりだった。
 だが、宮を尋ねたところで、貴妃だという言葉は信用されなかった。

 女官たちは明琳を哀れがり、焦げた衣装の代わりにと笑いながら外布をくれた。饅頭は出来たが、衣装は確かにみすぼらしい。美しかった二重になっていた着物の裾は踏まれて伸びているし、火にあたったせいで顔は汚れ、手先は薄力粉塗れ。

「すいません、これをお渡しくださいね」と笹饅頭を置いて、お辞儀して宮を出て、情けなくなったところで、黄鶯殿に向かって歩いて来た蝶華が正反対の方向から現れた。

 湯殿に浸かったらしい頬はほんのりと内側から色づいている。夜を際立たせる真紅の衣装に綺麗に金粉をまき散らされた髪に、やんわりと刺された簪は光蘭帝の髪を思い立たせる栗色に蒼玉、色は紅を主とし高貴な身分を象徴する鳳凰や牡丹の刺繍の袖は様々な色を何層も重ねている皇極の衣装。下半身部分は三層になり、色とりどりの垂れ帯で彩られ…
 美しい出で立ちだ。貴賓の頂点の貴妃に相応しい。

 明琳はそそっと柱に隠れた。

 ふと、蝶華は今夜、光蘭帝が自分に逢いたいと言った事を知っているのか気になった。

 蝶華は気づかず通り過ぎ、ほ、と胸を撫で下ろして、自分のボロ布状態を見下ろす。

 ―何をしてるんだろ。

 泣けてきた。思わず洩れた嗚咽に足を止めた蝶華がまたやって来た。

「泣いているの、どなた?」

 ぽかんと口を半開きにしていた蝶華は「嫌ですわ」と言う女官を扇子で押しのけ、明琳を睨んだ。
「あ、あたしの着物に何て扱いをなさるの?! ふん、それはね、光蘭帝さまが「大嫌い」って言った衣装だけどね!高いのよ! あんた、ヒツジじゃなくって野ザルだったの?」

「これは御饅頭を作ってて」

「何を言っているの? 皇帝さまが倒れた原因じゃないの! 頭までサルなの?」

 おおいやだ、と蝶華は呟き、見下げるような侮蔑の視線と、冷たい口調で続けた。

「あんた、やっぱり場違いよ。そんなボロボロで宮殿に入ってごらん。盗賊として処刑するように白龍公主芙君に言いつけてやるから」

(蝶華の兄のモノマネを思い出しちゃった)

 明琳はこんな時だと言うのに、笑ってしまう。勿論蝶華は激昂の叫びを上げて見せた。

「何が可笑しいのよ!」
「すみません」

 蝶華は気が治まらない様子で、きゅっと靴を鳴らして背中を向けた。

「――急いでいるの。おサルなら、山に撃ち捨てられてしまいなさいよ。あたし、動物とはお話できませんもの。間違えても、そんな身なりで「貴妃」なんて言わない事ね。せっかく衣装をあげたのに! あたしだって気遣いくらいはするわ! もうあんたは知らないっ」

 貴妃らしい怒り方で蝶華は言い、ふと視線を上げた。

「貴妃としての勝負になりませんわね。准麗。そちらの淑妃の素行が疑われてよ。遥媛公主の女狐の忠犬さん。犬は深夜の見回りしてればいいのよ」
「では白龍公主芙君の飼い猫は口が悪すぎますね」
「何ですって? ――あたしにそんな物言いを許しませんことよ!」
「そんなだから、光蘭帝にうんざりされるんだよ! お前は」

 二人は笑顔のまま、睨みあって火花を散らした。それぞれの後ろにいる華仙人の姿をついつい見出してしまって、明琳は慌てて間に割り入るが、まるで役に立たない。准麗は明琳の倍近く身長が高く、蝶華妃も見上げてようやく目線が合うほど、女性にしては背が高い。

(なんか、見上げたら疲れて来ちゃった)

 羊の足が喧々囂々やっている二人から少しずつ、少しずつ遠ざかった。


 背後で2人の言い争いは続いている。

「う、うんざりですってっ! あたしは光蘭帝の子を産むのよ! 種を戴いて…っ!」
「醜悪さここに極まれりだ。悪いが明琳は遥媛公主さまがお気に召したのでね。こちらで預かることにし」
「あ、あら? 羊がいないわ」
「何だと? あの恰好で何処へ?」

 饅頭を作っていたのよ…と蝶華は頭を抱えて、准麗を睨んだ。

「あまりに不憫だから教えてやるわよ! 今夜、東屋に光蘭帝はいないわ。光蘭帝がいるわけないじゃない。光蘭帝はあたしを邪険にしないもの。いるのは女好きの馬鹿仙人だけよ。あの人、あの子を気に入ったらしいわ」

 蝶華は寂しそうに笑うと、どうするの? と言うように准麗を見た。だが、その目は嘲っているというよりは、悲しんでいるように見える。何故悲しむのか? 理由は一つしかない。

 うすうす感じてはいた。蝶華妃の心の内。准麗は顔を隠した蝶華の肩を揺する。

「蝶華。おまえまさか」
「確かに伝えたわよ。どいて頂戴」

 そう言うと蝶華は着物を裁いて、またゆっくりと光蘭帝の元に歩み始める。准麗が再度気が付いて蝶華の肩を掴んで振り向かせようとしたが、蝶華は涙目で恨みを込めて睨んで、二度と振り返らずに消えた。

 指先に残った僅かに滲んだ涙に准麗はしばらく動きを止めていたが、すぐに足を東屋に向ける。

 いるのは女好きの馬鹿仙人だけよ。


 華仙人たちの横暴は日に日に酷くなっている。彼らが人を認めるのはただ一人、光蘭帝だけだ。


「何と無謀な。明琳……!」


 准麗は呟いたが、自己を顧みて、口を噤んだ。

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