召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ②ー④初夜⑤



 廊下は、貴妃たちの色とりどりの衣装で、咲き乱れる花園のように艶やかだ。明琳と星翔は幾度となく妃たちにすれ違った。

「朝の拝謁が終わったようです。僕は光蘭帝に『拝謁までに華羊妃を離れに連れゆけ』と命令を受けていたのですがね。まあ、白龍公主に見つからないだけ良かったやも知れません。噂をすれば何とやらです」
 星翅は悪態をつき、すぐに頭を深々と下げた。

「白龍公主芙君さま」
「まあ、小羊貴妃」

 後ろをしずしずと歩いていた蝶華がふふんと髪をかき上げる仕草をする。

「残念ね。幽玄になるのですって?。んっふ、短い間でしたがお元気で。あたしは夜の準備をして、光蘭帝をお迎えするのよ、どきなさい」

「では、今宵は蝶華妃がご指名のお相手でしたか」

「当然でしょ。貴妃が徳妃や賢妃に負けてたまりますか。ああ、貴方は気にしなくて結構。貴妃としてなんて誰も歓迎してないもの」

 忙しいわと蝶華は心なしか軽い足取りで磨かれた回廊を纏足のすり足で歩いて行く。ただ、寂しそうに明琳は見送るしかない。

(あんな風に自信に溢れていたら、光蘭帝はわたしを幽霊になどしなかった)

 蝶華が羨ましかった。

「明琳だったか」

白龍公主がふいに名前を呼び、「こんな事をする義理はないが」と明琳の手を掴みあげた。

「白龍公主、ここは皇帝のお宮でございますよ」と牽制しかける星翅の足を眼力で止めた公主は袖に手を突っ込み、明琳に屈みこんで手渡した。

 ――書状だ。

「光蘭帝からの書状、確かに渡したぞ」

 え? 2人は顔を見あわせる。前で白龍は冷淡な口調になった。

「俺は頼まれただけだ。幽玄に行く前の惜しむらく書状だろう。なあに、大人しくしてりゃ、こっちの女官が尽きたら俺が迎えに行ってやる」

 間近になった白龍公主の瞳は白く濁っていた。ぞ…と明琳は肩を震わせ、それでも瞳を反らせずにいた。その耳元に口元を寄せると、白龍公主は囁いた。

「無碍に牢屋に放り込んだ俺からの詫びだ。受け取って貰えるな? 光蘭帝には伝えておく。内密にとの事」
「これを、光蘭帝さまが?」
「いいな、確かに伝えたぞ。光蘭帝はおまえが気に入ったのだろう」

(わたしを皇帝さまが気に入った?)

 信じられない話にこくこく、と胸に手紙を当て、何度も頷く明琳に僅かに微笑んで、白龍公主は去って行った。

「ではもういいですね。おや、公主からの手紙ですか」

 明琳は赤くなってばっと隠したが、星翅はその手を押さえてしまう。

「お願い。それは破かないで」

「念のために開けさせてもらったが、確かに主君の字。良かったですね。間違いなく光蘭帝さまからですよ」

 元通りに手紙が小さな手に戻って来た。ああ、良かった。明琳はにっこりと笑った。

「それでは僕の用は消えました。やれやれ。あいびきなんて一国の皇帝がすることですか。大概にするようお伝えしなければ」

「だめ。ナイショにしてって言われましたから。お願い、星翅さま」

 さま?と星翅が目を瞠る。だが、目の前の小娘は両手をすり合わせ、懸命に願いを口にした。

「それで、光蘭帝さまが目を覚ますならな。蝶華の解放もしてやらないと」

「解放?」

「蝶華は好きで貴妃になったわけではありませんから。僕たちは先帝の血筋の呂李家の者。幼かった蝶華は今は亡き光蘭帝の父の慰み者として、僕は奴隷として、命を助けられた。そうして蝶華は幼かった光蘭帝の添い伏しの大役を戴き、光蘭帝の元服と同時に貴妃になったのです。兄の僕もそのまま奴隷から、武官へと成り上がりましたが」

「そいぶし?」

「皇帝の元服時に夜のお相手をする女の事ですよ。蝶華は光蘭帝の男としての能力を開花させたのです。わかりますか?」

「わかりません」

 明琳は短く答えると、胸を押さえた。

 理由は分からなくとも、これだけは分かる。蝶華さまと光蘭帝さまは並大抵の仲ではないという事だ。それだけで、もやもやとしたものが胸に渦巻いた。相手は皇帝と、貴妃。明琳は小さな手で手紙をそっと開いた。

『宵の刻、そなたに逢いに行く。場所は黄鶯殿の中庭にある東屋。見張りは置かないで置く。良いな?』それに走り書きの署名。これは間違いなく、光蘭帝が自分に当てて書いたものだ。何度も流暢に書かれた「光蘭帝」の名前部分を磨かれた爪でなぞる。

 皇帝さまが、書いた。ご自分のおなまえ……

「場所は黄鶯殿ですか。は、宵の刻に僕を訪ねなさい。それとも、今から行きますか? 後宮の夜は暗く、危険ですよ」

***


 では…と男について、ちょこまかと歩く羊の姿を天空から天女が見つめていた。遥媛公主山君。真下には准麗が控えている。大きな羽衣と芭蕉扇をゆったりと構えた遥媛公主は告げた。

「あの小娘。蝶華と真逆の気を持ってるな。物凄い陽の気だ。蝶華の陰の気すらを凌駕するような勢いだ」

 准麗が大剣を一振りし、霞を薙ぎ払った。

「ふん? 白龍公主が皇帝からの文を預かった? 馬鹿も茶番もここまで来ると驚きだ」

遥媛公主は薄い赤髪を束で揺らして、音もなく地上に降り立った。

「准麗、あの子を護ってやりな」
「御意」

「さあて、いよいよ動くか、馬鹿華仙人が」忌々しげに呟くと、遥媛公主は久方ぶりに白龍公主の天界での名を口にした。

「思い通りにはさせぬ。蘇芳蓮華。おまえの種の算段など、とっくにつけているさ」

 天帝の素質を持つ、光蘭帝に自らの種を受け入れさせた方が、勝つ。公主の位の上の席は一つしかない。天帝候補だ。
厳しい道士の修行を得て、ようやく公主の位まで上り詰めた。さあ、いよいよと言うところで、あろうことか、地上の呪詛にかかり、天界に戻るための羽衣を奪われた。それが遥媛公主山君と白龍公主芙君。二人の華仙人の争いは余年50年も続いたままだ。

(光蘭帝……僕はおまえが欲しい…いいや、すべての仙人は飛翔を欲しがる)

 もう少しだ。もう少しで……天に還れる。そのためには、明琳が必要だ。遥媛公主は空を見上げた。美しい光蘭帝を華仙に連れ帰るには、華仙にするしかない。

 ――眠らず、喜ばず、愛情を捨て、愛欲を操作さえする、人非ざる存在に。そのために腹に入れた怨念は置いていって貰わねば。

「陰気な蝶が飛んでいるようだぞ」遥媛公主山君の目は建立物に潜む蝶華を映していた。


***


 ――見てしまった。白龍公主の明琳を見る目。あれは、いつもの病気だ。白龍公主はまた貴妃を消す前に、彼のやり方で愉しむつもりなのだろう。

 だが、明琳に関しては少し違う。

「相手ならあたしがするのに。どうしてみんな、明琳なのよ!」

 白龍公主芙君に触れたのは一度だけだ。それも幼少で、光蘭帝もまた皇太子で、東后妃さまが急逝した夜。二匹の悪魔が宮殿に舞い降りた夜。

「ああ、おまえは……まだ生娘か」吸血一族のような底光りする眼に魂を抜かれたのかも知れない。

(明琳、許さない)

不安が貴妃・蝶華の胸を埋め尽くす。靑蘭殿の回廊。遠くから蝶華は憎しみの赤眼で、対岸の明琳を涙目で見つめていた――。

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ② 了

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