召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~
第一章芙蓉国の女官⑨ 最後の晩餐
「皇帝の周りの武官の配置には滞りはないか」
西門でいつも通り夜の警備を敷いていた梨艶の目にささっと走り去る女官が映った。遠目からでも分かる。愛らしい二つのダンゴと解れた髪。後宮でもあの頭をしていれば嫌でも気が付く。
(愛琳? あの熊猫娘……っ。ここが敵国だと分かっているのか。そもそも後宮に潜り込ませるのも大変だったと言うのに)
何をやらかす気だ。
「軍師?!」
「悪いが、残りの指示は後にしてくれ」
彼女が向かう先には武器庫がある。果敢にも敵国の武器庫を突破しようとする心意気は認めるが、無謀過ぎる。配置図を放り投げるようにして、梨艶は愛琳の後を追って行った。
***
一方愛琳は武器庫の前で立ち止まった。全部で十人の猛者が「今日もお勤めガンバルぞ!」とばかりに仁王立ちだ。あの人たち少し寝た方がいいね、と愛琳が微かに指を鳴らす。何とか首を狙えばおねんねしてくれるだろうか。
「御免こうむるね」と飛びかかろうとしたところを引き戻された。首根っこを掴まれた愛琳は宮殿にもんどり打って転がってしまう。
―――ん?何かいたか?
―――こんな月夜に?ハハ、天女でも降りて来たか?おめーのどうしようもねえ頭の中にな――…
そんな野太い声の雑談が聴こえる前で、愛琳は腕をばたつかせていた。後から口と腕を押さえられて声が出せない。
「むぐ、んんん~っ……」
「暴れるな。見つかれば八つ裂きだ。芙蓉国の人間だとバレてみろ。帰れなくなるぞ。そしてあの未開の地に捨てられる」
―――梨艶だった。
「いいな、手を外す」と梨艶が冷や汗を浮かべたまま愛琳を睨んだ。愛琳は急に現れた相手にもじもじと足をすり合わせた。
梨艶は天女のように突然現れる。嬉しいけど……。と顔を上げた瞬間、愛琳の腹がけたたましく鳴った。また野太い声の雑談が聴こえる。
―――ははは、ダイエットだなんだ、無理すっからだ。どうせ振られたんだからよ――
―――俺じゃねえよ。それにまだまだ勝負はこれからだ―――
愛琳は真っ赤になってしゃがみ込んでしまった。それでも腹は反逆するようにぐうぐうと哭き続けている。呆れた梨艶の吐息が生々しく耳に響いた。
「……こっちへ来い」
「梨艶、書状返すね」
梨艶はため息をつくと、愛琳の手をしっかりと握った。
あたたかい。
「ね、あの蓬莱の夜を思い出すね」
かすかに梨艶が微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。この男が微笑むなんてあり得ないのに。
私は嫌われたから…と腹を宥めすかせる愛琳を引いて、梨艶はまたあの部屋に連れて来た。首筋がムズムズする。
「奪うなら……そうしていいよ。嫌われるよりいい」
そう言おうとしても空腹の音の方が軽やかに響き渡ってしまう。そういえば、後宮での食事はとてもではないけれど、辛くてロクに食べられなかった。
芙蓉国の味と、靑蘭の味はまるで違う。スープにしても、白湯味が主流の芙蓉国に対して、靑蘭は真っ赤な香辛料入り。魚も火が通り過ぎているし、野菜に至っては生か油いため。つまりは「蒸す」という習慣がないらしく、好物の点心など一皿も出て来なかった。
梨艶は片手で扉を押し開けると、湯気の立った膳を親指で指した。
「俺の食事だ。毒見代わりで良ければ食え」
――白湯!
梨艶は膳の前の窓に腰をかけると、瞳を冷やかに瞬かせた。
「一時間ほど経っているからな、誰かに毒を入れられたかも知れんが」
「……芙蓉国の味付けだ……!」
これなら食べられる。喜ぶ愛琳の前で、ふん、と梨艶は顔を背けた。
「――俺は芙蓉の女も嫌いだし、泣く女も、腹を減らす女も嫌いだ。どれか一つでも解決しろ。不愉快だ」
「うん! …美味しい…」
「そうか」と梨艶の目元が僅かに下がった。
でもどこで芙蓉国の味付けを?…と梨艶の指に小さな包帯を発見した。まさか、梨艶が作ったのだろうか?……祖国となんら変わりない味付け。梨艶はどうして芙蓉国の味を知っているのだろう? と思った愛琳はきょろきょろと膳を見回した。
「どうした」
「点心ないね。芙蓉国は必ず点心つける。点心は芙蓉国の源。ちなみに桃饅頭が好」
梨艶の鋭い視線に苛まれた愛琳は静かに戴くことにした。一口一口を噛みしめるごとに、芙蓉国が思い出される。梨艶はいつもこんな風にご飯を食べているのだろうか。
芙蓉国はテーブルに円卓を置くスタイルだ。取り合いしながらもわいわいと食べる。あまりにもこの食事は寂し過ぎるのだ。誰もいなくなって、一人で夕食を取った日を思い出してしまい、愛琳は箸をおいた。
「もう要らないのか」
「寂しい夕食は嫌いなの。ひとりぼっちを思い出すよ」
梨艶がため息をついて夜の空を見つめた。
「何を世迷言。人など独りの方がいいだろう。問題もない。愛情絡みもない。まあ、しいて言えば――」
夜の空がキラリと光った。
「愛琳、避けろ」
梨艶がそれに気が付いて愛琳を庇おうとするが、愛琳は立ち上がって窓に手をかけると、足を振り回した。愛琳の足に蹴られた火矢は火を消されて、床に落ちた。トントン、と爪先を打ち付けると、愛琳はにっこり笑った。
「芙蓉国の女官、みんな強いよ。さ、ごはん、ごはん」
「俺の立場がないだろうが。これでも強いほうなのに」
「自分の身は自分で、んぐ、護る。これが……んぐんぐ。芙蓉国の」
「あー解ったから、まずは食え。残したらタダじゃ済まさないぞ。貴重な時間を割いたんだからな。それから点心は作れない、以上だ」
耳まで赤くした梨艶が目線を外している。目逸らししている目元まで赤い。愛琳はスープをかっ込むと、梨艶の大きな背中に抱きついた。ぶにゃんと双丘が背中で揺れている。
「謝謝ね。とっても嬉しいよ。でも一緒に食べたかった」
梨艶は肩を竦めた。
「生憎味見で腹一杯だ。蓮花夫人に礼は言え。お前の食器の残飯を見抜いたのは蓮花だ。そしてお前は俺を奪わせるまでに動かすことは出来なかった。タイムリミットまで四八時間。荷物をまとめておけ。これは最後の晩餐だ」
「梨艶!」
「約束は約束だ。この書状は燃やしてやる。それで仕舞だ。芙蓉国との和解など皇帝が許しても、この俺が許さない」
天国から地獄。アメと鞭を交互に振り回す梨艶は愛琳に残酷な言葉を突き付ける。
「……っ」
悔しくて、どうにもならない憤りが頬で破裂した。
「気が済んだなら、出て行け。それとも、衛兵で囲んで強制帰国させてやるか?」
叩かれた頬を晒して、梨艶は辛そうに顔を背けた。何度も何度も横顔を見せてくる。それが悔しくて、胸は締め付けられて、愛琳は拳を震わせた。思い通りに出来ない憤り。
――思い通りになる香があるわ。
悪魔の囁きが愛琳を襲った。ぶるぶると頭を振って、愛琳は心の遠い梨艶を見つめる。心を操作するなんて駄目だ。でも、本当に梨艶が好きなのだ。
好きだから、悲しくなるし、嬉しくなる。梨艶という名前だけで、人生がハッピィ見つけたように光付いてゆくから。それなのに。手には入らない。
「わかったよ……」
「お前に恨みはないが芙蓉国というのが本当に残念だ」
もういい。もう聞きたくないね。
愛琳の髪が夜風に揺れた。
西門でいつも通り夜の警備を敷いていた梨艶の目にささっと走り去る女官が映った。遠目からでも分かる。愛らしい二つのダンゴと解れた髪。後宮でもあの頭をしていれば嫌でも気が付く。
(愛琳? あの熊猫娘……っ。ここが敵国だと分かっているのか。そもそも後宮に潜り込ませるのも大変だったと言うのに)
何をやらかす気だ。
「軍師?!」
「悪いが、残りの指示は後にしてくれ」
彼女が向かう先には武器庫がある。果敢にも敵国の武器庫を突破しようとする心意気は認めるが、無謀過ぎる。配置図を放り投げるようにして、梨艶は愛琳の後を追って行った。
***
一方愛琳は武器庫の前で立ち止まった。全部で十人の猛者が「今日もお勤めガンバルぞ!」とばかりに仁王立ちだ。あの人たち少し寝た方がいいね、と愛琳が微かに指を鳴らす。何とか首を狙えばおねんねしてくれるだろうか。
「御免こうむるね」と飛びかかろうとしたところを引き戻された。首根っこを掴まれた愛琳は宮殿にもんどり打って転がってしまう。
―――ん?何かいたか?
―――こんな月夜に?ハハ、天女でも降りて来たか?おめーのどうしようもねえ頭の中にな――…
そんな野太い声の雑談が聴こえる前で、愛琳は腕をばたつかせていた。後から口と腕を押さえられて声が出せない。
「むぐ、んんん~っ……」
「暴れるな。見つかれば八つ裂きだ。芙蓉国の人間だとバレてみろ。帰れなくなるぞ。そしてあの未開の地に捨てられる」
―――梨艶だった。
「いいな、手を外す」と梨艶が冷や汗を浮かべたまま愛琳を睨んだ。愛琳は急に現れた相手にもじもじと足をすり合わせた。
梨艶は天女のように突然現れる。嬉しいけど……。と顔を上げた瞬間、愛琳の腹がけたたましく鳴った。また野太い声の雑談が聴こえる。
―――ははは、ダイエットだなんだ、無理すっからだ。どうせ振られたんだからよ――
―――俺じゃねえよ。それにまだまだ勝負はこれからだ―――
愛琳は真っ赤になってしゃがみ込んでしまった。それでも腹は反逆するようにぐうぐうと哭き続けている。呆れた梨艶の吐息が生々しく耳に響いた。
「……こっちへ来い」
「梨艶、書状返すね」
梨艶はため息をつくと、愛琳の手をしっかりと握った。
あたたかい。
「ね、あの蓬莱の夜を思い出すね」
かすかに梨艶が微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。この男が微笑むなんてあり得ないのに。
私は嫌われたから…と腹を宥めすかせる愛琳を引いて、梨艶はまたあの部屋に連れて来た。首筋がムズムズする。
「奪うなら……そうしていいよ。嫌われるよりいい」
そう言おうとしても空腹の音の方が軽やかに響き渡ってしまう。そういえば、後宮での食事はとてもではないけれど、辛くてロクに食べられなかった。
芙蓉国の味と、靑蘭の味はまるで違う。スープにしても、白湯味が主流の芙蓉国に対して、靑蘭は真っ赤な香辛料入り。魚も火が通り過ぎているし、野菜に至っては生か油いため。つまりは「蒸す」という習慣がないらしく、好物の点心など一皿も出て来なかった。
梨艶は片手で扉を押し開けると、湯気の立った膳を親指で指した。
「俺の食事だ。毒見代わりで良ければ食え」
――白湯!
梨艶は膳の前の窓に腰をかけると、瞳を冷やかに瞬かせた。
「一時間ほど経っているからな、誰かに毒を入れられたかも知れんが」
「……芙蓉国の味付けだ……!」
これなら食べられる。喜ぶ愛琳の前で、ふん、と梨艶は顔を背けた。
「――俺は芙蓉の女も嫌いだし、泣く女も、腹を減らす女も嫌いだ。どれか一つでも解決しろ。不愉快だ」
「うん! …美味しい…」
「そうか」と梨艶の目元が僅かに下がった。
でもどこで芙蓉国の味付けを?…と梨艶の指に小さな包帯を発見した。まさか、梨艶が作ったのだろうか?……祖国となんら変わりない味付け。梨艶はどうして芙蓉国の味を知っているのだろう? と思った愛琳はきょろきょろと膳を見回した。
「どうした」
「点心ないね。芙蓉国は必ず点心つける。点心は芙蓉国の源。ちなみに桃饅頭が好」
梨艶の鋭い視線に苛まれた愛琳は静かに戴くことにした。一口一口を噛みしめるごとに、芙蓉国が思い出される。梨艶はいつもこんな風にご飯を食べているのだろうか。
芙蓉国はテーブルに円卓を置くスタイルだ。取り合いしながらもわいわいと食べる。あまりにもこの食事は寂し過ぎるのだ。誰もいなくなって、一人で夕食を取った日を思い出してしまい、愛琳は箸をおいた。
「もう要らないのか」
「寂しい夕食は嫌いなの。ひとりぼっちを思い出すよ」
梨艶がため息をついて夜の空を見つめた。
「何を世迷言。人など独りの方がいいだろう。問題もない。愛情絡みもない。まあ、しいて言えば――」
夜の空がキラリと光った。
「愛琳、避けろ」
梨艶がそれに気が付いて愛琳を庇おうとするが、愛琳は立ち上がって窓に手をかけると、足を振り回した。愛琳の足に蹴られた火矢は火を消されて、床に落ちた。トントン、と爪先を打ち付けると、愛琳はにっこり笑った。
「芙蓉国の女官、みんな強いよ。さ、ごはん、ごはん」
「俺の立場がないだろうが。これでも強いほうなのに」
「自分の身は自分で、んぐ、護る。これが……んぐんぐ。芙蓉国の」
「あー解ったから、まずは食え。残したらタダじゃ済まさないぞ。貴重な時間を割いたんだからな。それから点心は作れない、以上だ」
耳まで赤くした梨艶が目線を外している。目逸らししている目元まで赤い。愛琳はスープをかっ込むと、梨艶の大きな背中に抱きついた。ぶにゃんと双丘が背中で揺れている。
「謝謝ね。とっても嬉しいよ。でも一緒に食べたかった」
梨艶は肩を竦めた。
「生憎味見で腹一杯だ。蓮花夫人に礼は言え。お前の食器の残飯を見抜いたのは蓮花だ。そしてお前は俺を奪わせるまでに動かすことは出来なかった。タイムリミットまで四八時間。荷物をまとめておけ。これは最後の晩餐だ」
「梨艶!」
「約束は約束だ。この書状は燃やしてやる。それで仕舞だ。芙蓉国との和解など皇帝が許しても、この俺が許さない」
天国から地獄。アメと鞭を交互に振り回す梨艶は愛琳に残酷な言葉を突き付ける。
「……っ」
悔しくて、どうにもならない憤りが頬で破裂した。
「気が済んだなら、出て行け。それとも、衛兵で囲んで強制帰国させてやるか?」
叩かれた頬を晒して、梨艶は辛そうに顔を背けた。何度も何度も横顔を見せてくる。それが悔しくて、胸は締め付けられて、愛琳は拳を震わせた。思い通りに出来ない憤り。
――思い通りになる香があるわ。
悪魔の囁きが愛琳を襲った。ぶるぶると頭を振って、愛琳は心の遠い梨艶を見つめる。心を操作するなんて駄目だ。でも、本当に梨艶が好きなのだ。
好きだから、悲しくなるし、嬉しくなる。梨艶という名前だけで、人生がハッピィ見つけたように光付いてゆくから。それなのに。手には入らない。
「わかったよ……」
「お前に恨みはないが芙蓉国というのが本当に残念だ」
もういい。もう聞きたくないね。
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