召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

第一章芙蓉国の女官

*1*
 芙蓉国には銀龍楼閣と呼ばれる場所がある。前王朝の遥か昔から存在する宇宙の中心。柱には天体の他、天に上る龍が彫られ、そのすべては赤と銀で覆われている。

国事での呼び名を天壇。何かと国事に使われる場所だ。しかし、その天壇の舞台に続く階段は長く、警護を仰せつかった女官たちは立ち位置につくのだけでも一苦労だ。そして若い女官たちはどうしてもお喋りをしながら位置につくので、女官長はまずそれを窘めなければならない。階段は女官と武官が護り、その横に後宮の珠玉の貴妃たちとその護衛の百翫がそれぞれ皇帝に拝謁しようと並び始める。

 色とりどりの絹と刺繍のされた衣装をここぞとばかりに召される貴妃と女武官の差は誠白々しい。武官は最低限のお洒落しか許されず、貴妃たちの可愛らしい衣装や髪飾り、そして小さな纏足は尚更羨ましく映る。
 中央を走り抜いた宦官が額の汗を拭った。

「芙蓉国のすべての女官・宦官・武官は下級に至るまで、天壇に集合せよなんて珍しいことです。王愛琳っ!」

 んぐ?と点心を咥えた女官が天壇を見下ろせる高台から顔をのぞかせた。

―――やば、見つかった!

熊猫頭を引っ込める。この宦官は苦手だ。特に乳兄弟の陸冴は口うるさい母親みたいで。今も彼は喧々囂々とお説教モードに移行した。

「愛琳!貴方はもう姐女官! 見ろ、あなたがそんなだから、あなたのグループはおしゃべりをやめず、まだ位置についていない女官もいる。国后付き女官が呆れたものだ」

 宦官がひとり、省陵冴。一物を切り、宦官になったのは十の頃で共に富貴后に育てられた愛琳の乳兄弟だ。愛琳はぺろりと点心を胃に収めると、やれやれと立ち上がった。
「あの娘々たち、静めて欲しいという事ね。任せるね。片っ端から並ばせるよ」
「あ、愛琳!」

 愛琳は高台から飛び降りると、愛刀を振り回した。

「こらあ!静かにするね! さっさと担当場所付くね!」
「でも、愛琳姐さま、貴妃さまたちのおみ足が本当に可愛らしゅうございますわ」

 どうやら貴妃たちの大切な纏足が気になるらしい。これだから入りたての女官は。纏足は貴妃の嗜みだ。足を小さくするため、幼少から布で成長を押さえ、余計な肉をそぎ落とす。ペットのように自分の足を可愛がり、その小さな足に飾られた靴は確かに美しい。芙蓉国の貴妃は足で勝負する。

「貴妃は貴妃! 女官は女官ね! 早くしないと富貴后さまがお見えになるよ。怒られて廊下拭くのは御免でしょ。少なくとも私は御免ね、ほら、さっさと位置に行くね!」

「まあ何と可愛らしいお叱り」
「さすが愛琳ね。うふふ、みんなちゃんと並んだわね。お見事ですわね」

 元気な女官をくすくす見ながら頬をほころばせるのは妃たちだ。富貴后は後宮が明るくなるよう、心が晴れた朗らかな娘を選別し、後宮に住まわせていた。その妃たちの前で薙刀を振り回す愛琳はちょっとした余興でもある。また逆に愛琳に憧れを抱く女官や貴妃も多いが、本人知らず。宮殿を駆け回る熊猫娘はそうして交通整理宜しく、列を整えさせた。女官たちは一糸乱れぬ配置ぶりで、静かに皇帝のご一行を待つことになる。

 やがて皇帝来訪の鐘楼が厳かな音を響かせると、一気に場は緊張の糸を張り巡らせるように静寂を迎えた。

「平身低頭! 皇帝・皇后さまが御台に上がるまでご拝顔は許されぬ!」

号令に従い、全員膝をついて、出迎えると大抵富貴后は艶やかに微笑んで、自席につく。勿論それまで全員平身低頭の姿勢を保たねばならない。皇族の皆様が通り過ぎる時に顔を上げるのは処罰の対象であるからだ。

「腰痛いね、毎回ながら」
「し」
「見て見て。皇后さま、また新しい衣装! 相変わらず白牡丹の刺繍が素敵」
「素敵ね。白牡丹の柄に肩に羽織った絹の美しい事。月光の色ですわ」

 そこかしこで噂話が始まるが、皇帝の発言を知らせる鐘が再び響くと、可愛らしいおしゃべりはピタリと止んだ。

 芙蓉国を治めるは、芙蓉国第八代皇帝、王柳祥である。両手を掲げると、そこかしこから吐息が漏れた。さあ、皇帝さまの長~いお話の始まりである。

「芙蓉国の全女官・武官よ。ご苦労である。…ー朕は富貴后とも仲睦まじく、よい国民に恵まれて日々を謳歌しておる。我が国にも天女の慈愛の導きがあらんことを。女官は気高く、宦官は規律正しく、貴妃は優雅で清廉に。そうであるからこそ、この宮殿は今日も輝き、その麗しい姿は世界の中心となるだろう。
さて、件の靑蘭から、またしても亡命者が我が国に流れ込んだ。存知の者もおるだろう。彼らの行き先は盗賊か、乞食かしかない。市井の片隅に住居を与えた亡命者が今朝方死んでいるのも発見された。朕は非情に哀しい想いをしている。富貴后」

 シンと静まり返った。代わりに富貴后がすっくと立ち上がり、朗々と声を響かせる。

「このような死者を二度と出すべきではない。我ら皇族は、こうして天壇の上にはいるが、我々は同じ人間。懲罰や処刑など、靑蘭はこれ以上支配体制で戦いを続ける理由はないのだ。我が国の不穏や不幸はかの国から流れて来ている。先日も皇太子の一人が暗殺されたというではないか。従って、我が国は靑蘭に和解を申し出ようと思うた」

「靑蘭国と和解?」

 富貴后は纏った絹で口元を隠すと、続けた。

「私が育てた女官たちよ。その中で信頼のおけるものにこの大役を命ず」

 ――それって平和の使者になれって事でしょう?
 ――冗談じゃないわよね。

 こそりと自分の目の前で女官たちが震えながらひそひそ話を繰り広げている。

「それを頼み込む女官は既に決定している。隣国の騒乱が治まれば、この芙蓉国の泰平は約束される。勿論、一層の警護と、民の援護を。働きが芳しいものには褒賞も出るだろう」

 その場が沸き返った。ごほうび、の言葉にみなの顔が明るくなる。無理もない、この芙蓉国の天壇に集まったものの大半は貧しい地域から出稼ぎ、生活の為に親に売られた子供だ。勿論、王愛琳もその一人だった。

――書状を届ける女官ですって……誰が行くのかしら。

――怖いわね。富貴后さまは。殺されてしまうわ…そんなことになったら女官辞めるわよ――。


 そんな会話を耳に流しながら、愛琳は薙刀をぎゅっと握りしめて静かに聞いていた。


――ついに来た、この日が。手が武者震いを起こして小刻みに震えていた。

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