紫式部公園での出会い

山本正純

紫式部公園での出会い

俺と彼女が出会ったのは、桜の季節だった。
福井県越前市にある紫式部公園を訪れた俺は、十二単姿の紫式部像を見ていた。金箔によって輝いている像は美しい。
紫式部は、平安時代中期に活躍した女流作家。源氏物語の作者と言えば、知らない人はいないだろう。
その紫式部は、今で言う福井県越前市に滞在したことがあるらしい。この地での生活が創作に関する強い影響を与えたそうだ。
紫式部公園は、紫式部を偲んで《しの》造られた、全国で唯一の寝殿造庭園しんでんづくりていえん


一人旅で訪れる直前に調べたことを思い出して、視線を十二単姿の紫式部像から外すと、同じ像を見つめている少女の存在に気が付いた。
そこにいたのは、膝上まで後ろ髪を伸ばした黒い髪の少女。可愛らしいワンピースを着ていて。肩には紫色のストールとショルダーバッグを掛けている。
「もしかして、観光客ですか? 撮影スタッフの中に、あなたと同じ顔の人がいなかったから」
少女が優しく尋ねると、俺は首を縦に動かす。
「一人旅です」
そう答えながら、俺は少女の顔を改めて観察した。見た目は18歳くらい。一瞬で惚れてしまいそうなカワイイ顔。撮影スタッフという発言から、アイドルではないかと推理してしまう。
彼女のことが気になった俺は顔を赤くしながら、尋ねる。
「あなたはアイドルか?」
突然の質問に、少女は声を出して笑った。
「おかしい。初対面のあなたに、そんなことを言われるってことは、横浜に行ったら芸能事務所にスカウトされるってことかな? 撮影スタッフと言っても、観光協会の人達のことね。観光協会の会長さんから、観光PR映像に出演しないかって依頼されたの。予算の都合でプロのタレントさんを呼べないみたいだから」
「なるほど」
「観光PR映像のロケ地は、紫式部公園だって聞いて、それなら断る理由が見つからないって思ったから、承諾したんだよ。だって私の名前は、紫式部に由来するから」
「紫式部に由来?」
どういうことなのか分からず、俺は首を傾げる。それから、数秒の沈黙の後、少女は自分の名前を明かした。
式部香子しきぶかおるこ
「そういうことか。紫色のストールを掛けている式部さん。略して紫式部」
何となく分かった理由を述べると、式部香子は、再び声を出して笑った。
「惜しい。香子は、紫式部の本名とされる藤原香子から拝借したのね。お父さんとお母さんが紫式部のファンだったから、こんな名前にしたらしい。紫色のストールは、ただ気に入っているだけ」
その時、彼女のショルダーバッグの中で携帯電話が鳴った。それに気が付いた少女は、携帯電話を取り出し、耳に当てる。
「観光協会の会長さん。撮影の準備ができたんですか? 分かりました。今から行きます」
式部香子は俺の目の前で電話を切り、会釈してから、その場を去るために足を進めた。
だが、俺には幾つか分からないがある。このまま疑問を抱えたまま、旅行を終えるわけにはいかない。好奇心を抑えることができなくなった俺は、彼女を呼び止める。
「ちょっと待ってくれ。一つだけ聞きたいことがある」
すると、彼女は立ち止まり、俺の顔を見た。
「何?」
「観光PR映像の原稿は覚えなくて良かったのか? どうしてこんな所で油を売っていたんだ?」
この疑問に対して、彼女は意外な答えを明かした。
「原稿なんて一瞬で覚えちゃうから」
「えっ」
「私は完全記憶能力者。ここであなたに会ったことも忘れないと思う。それで暇になったから、ここに来たんだよね。この像の輝きが好きだから」
少しだけ顔を赤くした彼女の顔を見た後で、俺は人差し指を立てる。
「最後にもう一つ。横浜に行くというのは、どういうことだ?」
「この春から横浜の大学に通うことになるって意味ね。もしかして、あなたは横浜に住んでいるのかな?」
「違う」
「そう。こんなことを聞くから、もしかして私に惚れたのかと思ったけど、違うのね。兎に角、話し相手になってくれて、ありがとう」
最後に見せた君の笑顔を、俺は忘れない。



数か月後、俺はコーヒーを飲みながら、福井県の観光PR映像を、スマートフォンで見た。平安時代の貴族の住居を模した池や築山を眺めている式部香子の姿を見た俺の頬が、赤く染まる。

次はいつ会えるのかは分からないが、一つだけ分かることがある。
最後に見せた君の笑顔を、俺は忘れない。

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