死の花が咲いた日
第09話 不条理
ちょうど、その時だった。
窓が割れたような音が聞こえた。
その音は、リビングのある方。正確には、エレンが眠っている部屋の方から聞こえた。
「……ちょっと、ここにいてもらえますか」
僕は素早く起き上がり、アルナに告げる。アルナも素直に頷いたので、僕は彼女をその部屋に置いて、部屋の外へ出た。
部屋の外に出ると、そこには何かがいた。
正確には何かがいて、何かがいなかった。
人の姿をしているが、それが何であるかは解らない。魔獣が蔓延る世界ではあるが、そんなものは今まで見たことがなかった。
それは、笑みを浮かべて口を開いた。
「……祈祷師は無防備と聞いていたが、まさか騎士が守っているとは。まあ、防護障壁に守られているとはいえ……。このような深夜なら何とかなるとは思っていたが」
「お前、何者だ……?」
「未来の可能性、その一つと言えばいいかな」
それはそう言って、僕の前に立った。
動けない。
何か見えない力にさえぎられているような、そんな感覚。
でもどうすればいいのか解らなかった。武器はある。防具はある。攻撃をする手段はある。けれど身体が動かない。
「世界の未来は幾重にも可能性が備わっている。けれど、未来は一つの世界に一つしか選択できない。それの意味が理解できるかい? その意味は簡単かつ単純明快だ。世界の可能性が失われた瞬間、選ばれるはずだった未来は消滅する。それにより、不条理が発生する。それが僕だよ」
「不条理……失われた、未来……? 何を言っているのか、さっぱり解らないぞ……!」
溜息を吐いて、不条理は言った。
「だーかーら、言ったじゃないか。僕は不条理。潰された未来の可能性であり、その終焉。僕はこの選ばれた未来を選択した、その根源である祈祷師を殺すために生まれた」
祈祷師を、殺す。
その言葉の意味を理解していない僕では無かった。
「祈祷師を殺す……そう聞いて、簡単に引き下がれる僕では無いよ」
「じゃあ、僕を殺すか? 騎士」
不条理はただそれだけを言った。
不条理は戦闘態勢には入っていなかった。はっきり言って、どこでも狙うことが出来た。
でも、出来なかった。先ほどの障壁のこともあったが、それよりも、どうやって倒せばいいのか――簡単に結論づけることができなかったからだ。
「どうした、騎士。いかないのなら……こちらから行くよ?」
そうして、不条理は一歩足を踏み出した。
その時だった。不条理の右足に矢が突き刺さったのは。
そちらを見ると、エレンがベッドの上からボウガンを構えていた。
「……寝ているはずではなかったのかね?」
不条理がエレンに告げる。
エレンは小さく舌打ちしつつ、ベッドから立ち上がった。
「……何だ。結局このボウガンでも致命傷どころかかすり傷程度ですか。ほんとうはもっと眠っていたかったのですが、想像以上にそちらの騎士さんが使い物にならなかったことと、人が眠っているところで戦闘が始まって煩くて仕方がなかったのですよ。だから、それを食い止めに来ました、って話です。人の安眠を阻害しておいて、ただで帰ることが出来るとでも?」
「……フン。ほんとうに人間は面白い。けれど、つまらない。こんな世界から、生まれた可能性は星の数ほどある。けれど、潰された世界の可能性もまた無限大に広がっている。それを理解したまえ。今日は戻る。また、いつかやってくるよ。そう遠くない時間にね」
そう言って、不条理は姿を消した。
狐につままれたような、そんな感覚だった。
◇◇◇
結局、アルナも起きていたらしい。正確には僕がベッドから起き上がった段階で嫌な予感がしていたらしく、部屋の中にとじこもって様子を伺っていたようだった。
こちらとしてはアルナの安全が確保されたということなので別に問題はなかったのだが、
「大丈夫、アルファス? まさかああも簡単に『不条理』が姿を見せるとは思わなかった。一応こちらも簡単にやってこないように対策は練っていたのだけれど……、祈祷師がたくさん集まってくると違うのかもしれない」
「そう言うってことは、アレが何者か知っている、ということか?」
こくり、とアルナは頷いた。
そして、ゆっくりとアルナはそれについて説明を始めた。
「あれは……正確に言えば名前はない。けれど、彼自身がそう言っているので、私たちは便宜上『不条理』と呼んでいる。私たち祈祷師が告げる思し召しは確定事項であり、それから生み出される未来というのも多少ズレがあるとはいえ、一つの未来へと収束していく。けれど、それは無限に存在していたはずの選ばれなかった未来を潰した形となってしまうということ。それは我々にとって最善の選択だったから特に問題はないのかもしれないけれど、世界はバグを保持することとなる。バグ、というのは簡単に言えば世界における不条理のことを言う。その不条理が莫大なものとなり、最終的に形となったもの……それがあの、人形」
「不条理が……形に?」
「ええ。そしてそれは祈祷師を狙っている。祈祷師は未来を確定的なものにする存在。だから彼らにとってはそれを憎むべき存在と定めているのでしょう。仕方がないことといえば仕方がないのですが……、そして彼らは圧倒的に強い。だって、祈祷師を殺すために生まれているのですから、当然ですよね。祈祷師よりもレベルが強い」
レベル。簡単に言えば強さの数値化である。祈祷師は威厳を保つためにレベルを高くしているのだという。どのように高くしているのかは、できる限り考えたくないものだが。
アルナの話は続く。
「だから、祈祷師はなるべくやってこないように対処するの。甘い香りが祈祷の部屋に満たされていたのも、それが理由。『不条理』からわが身を守るための工夫。不条理との戦闘を行っても、決して死ぬわけじゃない。だけれど、不意打ちを突かれてしまってはならない。だから、そのための予防策なの」
――結局、その日は眠れなかった。
――不条理がいつやってくるのか解らなかったから、というのもある。だが、一番の問題として挙げるべきことは、自分が弱すぎること。ただそれだけだった。
――次に不条理と出会ったとき、僕はアイツを殺せるだろうか。
――それだけが、僕の頭を埋め尽くしていった。
窓が割れたような音が聞こえた。
その音は、リビングのある方。正確には、エレンが眠っている部屋の方から聞こえた。
「……ちょっと、ここにいてもらえますか」
僕は素早く起き上がり、アルナに告げる。アルナも素直に頷いたので、僕は彼女をその部屋に置いて、部屋の外へ出た。
部屋の外に出ると、そこには何かがいた。
正確には何かがいて、何かがいなかった。
人の姿をしているが、それが何であるかは解らない。魔獣が蔓延る世界ではあるが、そんなものは今まで見たことがなかった。
それは、笑みを浮かべて口を開いた。
「……祈祷師は無防備と聞いていたが、まさか騎士が守っているとは。まあ、防護障壁に守られているとはいえ……。このような深夜なら何とかなるとは思っていたが」
「お前、何者だ……?」
「未来の可能性、その一つと言えばいいかな」
それはそう言って、僕の前に立った。
動けない。
何か見えない力にさえぎられているような、そんな感覚。
でもどうすればいいのか解らなかった。武器はある。防具はある。攻撃をする手段はある。けれど身体が動かない。
「世界の未来は幾重にも可能性が備わっている。けれど、未来は一つの世界に一つしか選択できない。それの意味が理解できるかい? その意味は簡単かつ単純明快だ。世界の可能性が失われた瞬間、選ばれるはずだった未来は消滅する。それにより、不条理が発生する。それが僕だよ」
「不条理……失われた、未来……? 何を言っているのか、さっぱり解らないぞ……!」
溜息を吐いて、不条理は言った。
「だーかーら、言ったじゃないか。僕は不条理。潰された未来の可能性であり、その終焉。僕はこの選ばれた未来を選択した、その根源である祈祷師を殺すために生まれた」
祈祷師を、殺す。
その言葉の意味を理解していない僕では無かった。
「祈祷師を殺す……そう聞いて、簡単に引き下がれる僕では無いよ」
「じゃあ、僕を殺すか? 騎士」
不条理はただそれだけを言った。
不条理は戦闘態勢には入っていなかった。はっきり言って、どこでも狙うことが出来た。
でも、出来なかった。先ほどの障壁のこともあったが、それよりも、どうやって倒せばいいのか――簡単に結論づけることができなかったからだ。
「どうした、騎士。いかないのなら……こちらから行くよ?」
そうして、不条理は一歩足を踏み出した。
その時だった。不条理の右足に矢が突き刺さったのは。
そちらを見ると、エレンがベッドの上からボウガンを構えていた。
「……寝ているはずではなかったのかね?」
不条理がエレンに告げる。
エレンは小さく舌打ちしつつ、ベッドから立ち上がった。
「……何だ。結局このボウガンでも致命傷どころかかすり傷程度ですか。ほんとうはもっと眠っていたかったのですが、想像以上にそちらの騎士さんが使い物にならなかったことと、人が眠っているところで戦闘が始まって煩くて仕方がなかったのですよ。だから、それを食い止めに来ました、って話です。人の安眠を阻害しておいて、ただで帰ることが出来るとでも?」
「……フン。ほんとうに人間は面白い。けれど、つまらない。こんな世界から、生まれた可能性は星の数ほどある。けれど、潰された世界の可能性もまた無限大に広がっている。それを理解したまえ。今日は戻る。また、いつかやってくるよ。そう遠くない時間にね」
そう言って、不条理は姿を消した。
狐につままれたような、そんな感覚だった。
◇◇◇
結局、アルナも起きていたらしい。正確には僕がベッドから起き上がった段階で嫌な予感がしていたらしく、部屋の中にとじこもって様子を伺っていたようだった。
こちらとしてはアルナの安全が確保されたということなので別に問題はなかったのだが、
「大丈夫、アルファス? まさかああも簡単に『不条理』が姿を見せるとは思わなかった。一応こちらも簡単にやってこないように対策は練っていたのだけれど……、祈祷師がたくさん集まってくると違うのかもしれない」
「そう言うってことは、アレが何者か知っている、ということか?」
こくり、とアルナは頷いた。
そして、ゆっくりとアルナはそれについて説明を始めた。
「あれは……正確に言えば名前はない。けれど、彼自身がそう言っているので、私たちは便宜上『不条理』と呼んでいる。私たち祈祷師が告げる思し召しは確定事項であり、それから生み出される未来というのも多少ズレがあるとはいえ、一つの未来へと収束していく。けれど、それは無限に存在していたはずの選ばれなかった未来を潰した形となってしまうということ。それは我々にとって最善の選択だったから特に問題はないのかもしれないけれど、世界はバグを保持することとなる。バグ、というのは簡単に言えば世界における不条理のことを言う。その不条理が莫大なものとなり、最終的に形となったもの……それがあの、人形」
「不条理が……形に?」
「ええ。そしてそれは祈祷師を狙っている。祈祷師は未来を確定的なものにする存在。だから彼らにとってはそれを憎むべき存在と定めているのでしょう。仕方がないことといえば仕方がないのですが……、そして彼らは圧倒的に強い。だって、祈祷師を殺すために生まれているのですから、当然ですよね。祈祷師よりもレベルが強い」
レベル。簡単に言えば強さの数値化である。祈祷師は威厳を保つためにレベルを高くしているのだという。どのように高くしているのかは、できる限り考えたくないものだが。
アルナの話は続く。
「だから、祈祷師はなるべくやってこないように対処するの。甘い香りが祈祷の部屋に満たされていたのも、それが理由。『不条理』からわが身を守るための工夫。不条理との戦闘を行っても、決して死ぬわけじゃない。だけれど、不意打ちを突かれてしまってはならない。だから、そのための予防策なの」
――結局、その日は眠れなかった。
――不条理がいつやってくるのか解らなかったから、というのもある。だが、一番の問題として挙げるべきことは、自分が弱すぎること。ただそれだけだった。
――次に不条理と出会ったとき、僕はアイツを殺せるだろうか。
――それだけが、僕の頭を埋め尽くしていった。
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