終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第六章26 月下の戦いⅧ

 青年にとって、父の存在は憧れでもあり嫉妬の対象でもあった。

 生まれながらにして父の背中を見てきた青年は、歳を重ねるごとに父と自分の間にある決定的な『壁』を感じるようになっていた。若くして王国騎士となり、更に様々な戦場にて功績を上げる。そして街に戻ってきたかと思えば、人々の期待を背負って長の立場に上り詰めると、その類まれなる才能から小さな田舎街を中規模の街まで成長させてきた。

 紳士服に身を包み、『刀』にも似た片刃の刀剣を持つ父・クロウの息子であるオリバーもまた、将来を期待された存在の一人であった。しかし、その期待はオリバーの背中には重すぎるものであり、何かと父に比べられる人生を彼は心底嫌っていた。

「お父さんッ、早く早くッ!」

「あぁ、分かってるよ」

 周囲からの期待。
 父が残した功績。

 その全てがオリバーに重圧としてのしかかってきていたのは事実である。

 しかし、彼はそんな重圧に屈することなく、むしろ重圧を力に変えて自分が出来る範囲で精一杯の努力を積み重ねてきた。その結果、彼は王国騎士になることは出来なくとも、地道な努力が評価され、生まれ故郷である街の『長』としての立場を手に入れることが出来たのである。

 父の後を継ぐといった形となり、変わらず重圧に耐え続ける毎日ではあるものの、命よりも大切な娘の存在が彼の心を支えていた。

「今日はおじいちゃんとおばあちゃんも居るんでしょ?」

「そうだよ。お小遣いでももらってきな」

「わーいッ、楽しみーーーッ!」

 家から出ると見慣れた街並みが視界いっぱいに広がる。

 オリバーが長となってまだ日は浅いが、これからの人生を街の発展に捧げるという強い決意から見る街並みは、これまで見てきたものとは何かが違っていた。

「あ、おい……先に行くなって」

「お父さんが遅いんだよー」

 オリバーの先を小走りで進んでいる活発な印象を与える少女は、彼の一人娘であった。母であり、妻である女性は娘がまだ物心つくまえに病に倒れてしまった。今ではオリバーが男手一つで娘を育てている。

 彼が重圧の中でも頑張っていけるのは、愛する人との間に生まれた娘の存在があるからといっても過言ではなく、若くして地位を手に入れた青年の生きる糧なのである。

「全く、誰に似たんだか……」

 こちらの話を聞くこともなく、自由自在に周辺を走り回る娘の姿を見て、オリバーはやれやれといった様子でため息を漏らす。しかし、その表情は慈愛に満ちており、娘を愛する父といった姿をこれでもかと醸し出している。

「噴水の場所、分かるか?」

「うん、大丈夫―」

「それじゃ、先に行っててもいいぞ。父さんはちょっと買い物をしていくから」

「はーーいッ!」

 オリバーの言葉に元気いっぱいな様子で返事をする娘は、飛び跳ねるような勢いで街の中を疾走していく。彼女にとってこの街は既に庭も同然な場所であるので、道に迷うようなことはないだろう。

 この日は街の中心部に存在する噴水広場に、綺麗な花が一面に広がる花壇が設置されたとのことで、オリバーの父であるクロウと母、そしてオリバーと娘の四人で花の鑑賞をしようという予定になっていた。

 同じ街に暮らしていながらオリバーが最近激務だったこともあり、父母と邂逅を果たすのが久しぶりになってしまったので、何か手土産でも買っていこうとオリバーは寄り道をすることにしていた。

 しかし、この時のオリバーはこの直後に街を襲う悲劇のことを、知る由もなかった。

 刻一刻と最悪の存在は街に近づいており、そんなこととは露知らず束の間の平穏な時は無情にも流れていくのであった。

◆◆◆◆◆

「……なんだ、あれ?」

 思いの外長くなってしまった買い物を終え、オリバーは小走り気味で噴水広場へと向かっていた。その道中、彼は上空に存在する謎の人物をその視界に捉えていた。

 どうして上空に人が居るのか?
 何が目的でその場所に留まっているのか?

 明らかに目立つ炎髪を揺らす少女を見上げながら、オリバーは自らの胸が異様にざわつくのを感じていた。背中を冷や汗が伝い、心臓の鼓動が早鐘を打ち始める。

 気付けばオリバーの足は駆け出していた。

 上空に現れた炎髪の少女が向ける視線は、街の中心部に存在する噴水広場を見ている。その視線の先には父母が居るはずで、更には最愛の娘までが存在している。

「はぁ、はあぁ……くそッ」

 一秒、また一秒と時間が経過するごとに街を襲う異変に周囲の人々も気づき始める。

 ある夫婦は不安げな表情と共に上空を指差していたり、何も知らない子供は不思議そうに首を傾げるばかり。少しずつといった勢いで街の人々が上空に現れた少女の存在に気付き始めていた。

「――――ッ」

 その時は突如として眼前に現れた。

 炎髪の少女が上空に右手を突き上げたかと思えば、次の瞬間には超巨大な炎球が虚空から姿を見せた。最初からそこに存在していたかのような、あまりにも静かで自然な動作から生み出されし破壊を象徴せし炎の球。

「に、逃げろーーーッ!」

 炎球を見た瞬間、オリバーは全力で叫んだ。
 周囲の人々が上空の炎球に視線を奪われている中、一人でも多くの命を救うために。

 オリバーの悲痛な叫び声もむなしく、炎球を生み出した少女は表情一つ変えることなく腕を振り下ろす。少女の動きと連動し、炎球がゆっくりとした動きで地面を目指して降下を始める。

 この時になって呆然と空を見ていた人々が自らに迫っている『危機』を現実のものとして認識することとなった。誰かが上げた悲鳴を皮切りに誰しもが混乱の中に身を沈めた。

 我先にと一目散に人々が逃げ惑う中、オリバーは必死の形相である場所を目指していた。

「そんな、頼む……逃げててくれ……ッ!」

 祈るような言葉と共にオリバーが目指すのは、街の中心部に存在する噴水広場だった。そこでは久しぶりの休暇を満喫するために父母と待ち合わせをしているだけではなく、最愛の娘もまたその場所へ向かっているはずであったからだった。

 もう間もなく炎球が着弾する。
 着弾のポイントは街の中心部、噴水広場のすぐ近くである。

「頼むッ、頼むッ……頼むッ……!」

 神にも祈る気持ちだった。
 どうか、一人でも多くの人々が助かっていますように。

 そんな青年の祈りが届くことはなく、街全体にまばゆい光が迸った直後、全てを破壊する轟音が響き渡るのであった。

「…………」

 炎球が地面に着弾したその後、今までに経験したことのない破壊の連鎖が続く中でオリバーの身体もまた吹き飛ばされていた。少女が放った炎球の影響は街の中心部だけではなく、おおよそ街全体にまで及んでいた。

 業炎のカーテンが街を包み、あちこちから苦しむ人々のうめき声が聞こえてくる。

 美しい街並みが魅力的だった故郷は一瞬にして灰燼と化してしまい、今では見る影もない。黒煙が立ち込め快晴の空を隠し、周囲に広がっていた家屋もその全てが瓦礫へと姿を変えていた。

「うっ……ぐッ……」

 意識を取り戻したオリバーは自分の視界に映る絶望に足を止めることなく、重い身体を引きずって街の中心部を目指す。右腕の感覚がない。少しでも動かそうとすれば生暖かい鮮血と共に全身に強烈な痛みが走る。

 腕と同様に足もまた自由に言うことを聞かない。

 右足の感覚が完全に喪失しており、地面を引きずるようにして歩くことしかできない。歩く度に激痛が走り表情が歪むが、それでもオリバーは進む足を止めることはなかった。

「嘘だ……どうしてこんな……」

 オリバーの口から漏れるのは目の前に広がる凄惨な光景に対する絶望の声であり、あらゆるものが死滅する世界において、彼だけが身動きを取ることが出来る状況だった。

 もうじき、彼が目指す噴水広場があった場所へと到達する。
 その先に広がる光景を目の当たりにして、オリバーの精神は真の意味で崩壊を迎えるのであった。

「あっ、あぁ……」

 炎球が直撃した噴水広場周辺は、特に他と比べて破壊の残滓が大きいものであった。

 大きなクレーターが生まれており、そこに炎球が落下したことが伺える。周囲に目を向ければ、そこに存在していた噴水は跡形もなく消失しており、噴水を囲むようにして存在していた色鮮やかな花畑も消え去っている。

 中心部に存在していたであろう人々の残骸が周囲に散らばっている。

 中には直視することすら難しい有様になっている者も多く、オリバーは絶望的な気持ちである人物を探し出そうとする。

「…………」

 父と母の姿を見つけることが出来なかった。

 炎球が直撃し、その身体すら消し飛んだのかと推測するが、今のオリバーには父母よりも最優先で探したい人物が居た。

 病弱な妻が最期に残した最愛の娘。

 ベッドで衰弱する妻であった彼女は最期の瞬間、必死に笑みを作ってオリバーに愛する娘を託した。彼の生きる希望であり、何があっても守らなければならない存在。それが愛する娘なのである。

「そんなッ……どうして……こんな、酷いことを……」

 オリバーの前で倒れ伏す小さな姿があった。
 鮮血の海に沈むその少女は、オリバーがよく知っている衣服を身に纏っていた。

 白いワンピースが鮮血に濡れて真紅に染まっている。綺麗な顔立ちも土埃によって薄汚れてしまっている。自分の愛娘をオリバーが見間違えるはずがなく、その視界に映るのは既に事切れてしまった娘の亡骸なのである。

「――――」

 オリバーが漏らすのは声にならない咆哮であった。
 あまりにも悲惨な現実を前に、オリバーの心は完全に折れてしまった。
 苦痛を紛らわせるために、喉が潰れようと関係ない咆哮を上げ続ける。

「…………」

 そんなオリバーに近づく存在があった。

 この地獄の中で炎髪を揺らす少女はただひとつの怪我すら負うことなく、ただ無表情にまだ生きているオリバーに視線を固定する。

「お前がッ……どうして、こんなことをッ……!」

「……我ハ世界ヲ破壊セシモノ」

「お前、何言って――ッ!?」

 少女の声音を理解することが出来ず、オリバーは怒りのままに声を荒らげようとした。しかし、その怒号は最後まで紡がれることはなかった。どこからともなく出現した鋭利な物体がオリバーの身体を貫いた。手足、腰部分、そして胸……身体の至る部分を貫くのは、硬い鱗に覆われた『竜』の尻尾にも似た何かだった。

「我ノ復活ハ近イ…………貴様には、我が復活するための生贄となってもらう」

「…………」

 オリバーの身体を貫く尻尾は彼の身体から魔力を吸い出していく。
 そして吸い出した代わりに禍々しい魔力がオリバーの身体へと注ぎ込まれていく。

「うグッ、あぁッ、ガァッ……」

「……忌々しい戦士との邂逅は近い。貴様には少し役立ってもらうぞ?」

 オリバーがかろうじて人間としての意識を持っている中で、そんな少女の声音が鼓膜を震わせた。何か言い返そうにも体内へ流れ込んでくる魔力がオリバーから人間としての自我を奪い去っていく。

「……この街の人間もまた、魔力を持つ者が多い。その力、貰い受けよう」

「…………」

 炎髪を揺らす少女の声音に応える者はいない。

 破壊の中で生き延びた青年は『異形』の存在へと姿を変え、死して尚、安寧を得ることは許されなかった。美しき平穏な街は異形の存在が闊歩する地獄へと姿を変えた。

 絶望の中に沈んだ青年もまた屍へと成り果てて街を彷徨うこととなるのであった。

「…………」

 時は僅かに進み、死した街に航大たち一行が到達する。
 青年は与えられた使命を果たすために望まぬ戦いへとその身を投じることになるのであった。

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