終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第六章22 月下の戦いⅣ

 バルベット大陸の南方地域に存在する名も知らぬ死の街。

 つい最近まで多くの人々が平穏な時間を過ごしていたはずの場所は、かつて魔竜から世界を救った女神の手によって破壊の限りを尽くされた。強大な力を持つ女神を相手に一般の人間がどうにか対抗することもできず、なんら罪もない人々は消えぬ業炎に包まれて命を落とすこととなった。

 航大たち一行はこの先に待ち受ける戦いのために女神を探しており、その矢先の出来事に言葉を失う。これから力を借りようとする存在が何故、人々を襲っているのか、その理由を問おうにも炎獄の女神・アスカは紅蓮の炎と闇の魔力を身に纏って姿を消してしまった。

 女神の凶行を止めるため、彼女が取った行動の意味を問うため、航大たち一行は南方地域の最果てを目指して歩を進めた。

「今度はどうだ……?」

「うむ、今のところ動きは見せてないな……」

 航大たちは今、炎獄の女神・アスカが滅ぼした名も知らぬ街にいる。そこはこれまでの街と違い、命を落とした人間が『アンデット』として徘徊する地獄だった。誰もが自我を無くして徘徊する中で、航大たちの前に立ち塞がったのは異形の存在だった。

「…………」

 紳士服に身を包み、白髪混じりの黒髪と皺が目立つ顔立ち、穏やかながら並々ならぬ殺気を放つのは紅蓮の瞳である。

 街を徘徊するアンデットたちには共通の特徴がある。
 月明かりの中でも妖しく光る紅蓮の瞳。

 アンデットたる存在の証である瞳を携えた初老の男・クロウは、その手に『刀』にも似た刀剣を持って航大たちに襲い掛かってくる。超人的な身のこなしから繰り出される斬撃は、航大はもちろん、異界の英霊であるブリュンヒルデですらも苦しめる。

「……シュナはどう見る?」

『そうですね……残念ながら、これまでの戦いを見れば、この程度で決着が着くとは思えないというのが本音なところですね』

「まぁ、そうだよな……」

『航大くん、もう一つ残念なお知らせがあるよ?』

「なんだよ、カガリ……」

 シュナに見解を聞いていると、もう一人の女神である暴風の女神・カガリもまたいつものおちゃらけた様子で航大たちに悲報を伝える。

『氷漬けになったおじいさん、まだまだ戦う気満々みたいだよ? 氷の中からでも分かる、すごい魔力が漏れ出てるからね』

「…………」

「主よ、相手はまだ氷の中、急いで追撃を行うべきだと思うが?」

 航大が女神と話をしている中で、英霊・ブリュンヒルデもまた氷の中で紅蓮の瞳を光らせる初老の男・クロウが存命であることを察知する。だからこそ、今すぐにでも息の根を止めるべきであると彼女は判断しているのだ。

「…………」

「……主ッ、決断は急ぐべきだ」

「分かってる……分かってるけど、俺は……」

 女神たちの言葉からクロウがまだ生きているのは間違いない。

 そうであるのならば、ブリュンヒルデの言う通り氷漬けの中でも追撃を行って戦いを終わらせるべきであることもその通りだ。しかし、航大は最後の判断を下すことができない。

「あの人を、殺さない形で救うことはできないのか……?」

「何を今更……主、その甘えが後に後悔することとなるのだぞ?」

 航大が漏らす言葉にブリュンヒルデは驚愕の表情を浮かべる。

「クロウだって、今のような姿になりたくてなった訳じゃないんだ。元は普通に暮らしていたはずなんだ……それならば、俺はそんな人を救いたいんだ……」

「…………」

 航大が示した方針に英霊・ブリュンヒルデはやれやれといった様子でため息を漏らす。
 目に映るものの出来る限りを救いたい。

 それは航大が異世界にやってきてから一貫して抱いている想いであり、実際にその想いから多くの人を救ってきたこともあれば、多くの人を失ったこともある。そんな数々の経験がありながらも、航大が持つ想いというのは変わらない。

『はぁ……航大くんは甘いよね』

『しかし、それが航大さんのいい部分でもありますから』

 脳裏で呟く女神たちの声音を聞きながら、航大は自分の意志を曲げようとはしない。

「……確かに貴方たちの言う通り、その甘さがいつか決定的な結果を生むことになる」

 静かに、そして荘厳な声音と共に氷を砕いて姿を現すのは、紳士服に身を包んだ初老の男・クロウだった。彼は自力で凍てつく氷から脱出して見せると、自身の服に付着する氷の破片を手で払い除けながら、航大たちをしっかりと見据えながらゆっくりと歩いてくる。

「……これで振り出しに戻ったな」

「…………」

 航大が迷った末の結末。
 再び戦いは振り出しへと戻り、場に緊張感が張り詰める。

「貴方の優しさ、私はとても好きです。その優しさは今後の世界において、最も大切にすべきことです」

「そう思うなら、戦いをここで止めてくれると助かるんだがな」

「そうしたいのは山々です。未来ある若者の命を奪うことを、生前の私は良しとしなかったでしょう。しかし、私は既に死した身……己を取り巻く感情を自らでコントロールすることができないのです」

「…………」

 そこで初めてクロウは悲しげな表情を浮かべた。

 街を徘徊するアンデットたちとは違い、クロウだけは死した今でも生前の感情をそのままに残している。しかし、身体は生者の命を強く求めており、その葛藤の中で彼もまた苦しんでいるのだ。

「貴方たちがその優しさ故に、私を殺すことが出来ないというのならば……」

 満月を背に歩くクロウは、その顔に悲しげな色を浮かばせながら静かに言葉を紡ぐ。

「私は貴方に願いましょう。本当に私を救うというのならば、今ここで私を殺してください」

「――――」

 救おうという航大に対して、クロウは自らの死を持ってそれを救いだと言い放つ。

「さぁ、これで何の心置きもなく戦うことができますね?」

 紅蓮の瞳を一段と強く輝かせて、クロウは最後の戦いへと身を投じようとする。
 対する航大とブリュンヒルデもまた、避けられぬ戦いの定めに気を引き締める。

「主、心の準備は大丈夫か?」

「あぁ……大丈夫だ……」

「しっかりと前を向け、主にはここで立ち止まっている暇など、無いのだから」

「…………」

「覚悟は決まりましたか? それでは、私もここからは持てる全力で貴方たちと戦いましょう」

 その言葉と共に紳士服に身を包んだクロウは闇夜の中を疾走する。

「シュナ、ここは一旦退いてくれ。カガリ、行けるかッ!」

『あはッ、航大くんにしては正しい選択をしたみたいだね。僕はいつでも準備できてるよッ!』

 本気のクロウに対して真っ向からぶつかっていくのならば、彼が持つスピードを上回る必要がある。そうなると、ここで使うべき力は氷獄の女神・シュナではなく、暴風の女神・カガリであるのが正しい。

「――英霊憑依・風神ッ!」

 纏う女神の力を変え、航大は瑠璃色の髪を鮮緑へと変化させ、更に纏うローブマントもまた深緑のものへと変える。氷獄の女神・シュナの時とは違い、その身に纏うローブマントもまた軽装である。

 きっちりとしたシュナの時とは違い、カガリの場合はとにかく動きやすさを重視した設計となっている。上半身は腕が露出する半袖タイプであり、下半身は膝から下が露出する半ズボンタイプである。暴風の女神・カガリの名に相応しい格好であり、確かに彼女の力を最大限に引き出すためには最も適した形であることに間違いはない。

「なるほど、まだ力を隠していましたか……」

「ブリュンヒルデ、行くぞッ!」

「承知した、主ッ!」

 言葉と共に飛び出していく。
 闇夜を切り裂き、正面からクロウとぶつかる。

「――――ッ!」

 まず先頭に飛び出した航大が風の剣を生成すると、それを持ってクロウに斬りかかる。しかし、クロウもまた剣術の達人である。航大が振るう目に見えない斬撃もまた、彼は軽々とした動きで受け止め流していく。

「はぁッ!」
「くぅッ!」

 瞬きを許さない剣戟の連打。
 右に左に絶え間なく繰り出される斬撃も、航大とクロウにとっては決定打にはなりえない。

「そこだッ!」

「――――ッ!?」

 それでも刹那の瞬間に見える隙を突いて航大の斬撃がクロウの右肩を捉える。

 風の剣が持つ刀身が肌に触れ、その皮膜を切り裂いていく。
 鮮血が宙を舞い、クロウの苦しげな声音が漏れる。

『まずい、航大くんッ!』

「主ッ、今すぐそこから離れるんだッ!」

 確かな手応えを感じた次の瞬間、航大に緊急的な避難を求める声音が響いた。

「――――ッ!」

 次の瞬間、航大の周囲に散乱していた鮮血が『爆発』した。
 赤い閃光が周辺を包み、航大の全身を凄まじい衝撃が襲いかかる。

「ぐあああぁぁぁーーーーッ!」

 血液が爆発するなど想像もしていなかった航大は、なんら防御態勢を取ることなく直撃を喰らってしまう。

「鬼神と謳われた力、見せて差し上げましょう」

『ちょっとやばいよ、航大くんッ……はやく立ってッ!』

 航大が地面を転がる様子を見ながら、クロウは地面を蹴って追撃をしようと走りだず。

「いかせんッ!」

「――――ッ!」

 猛進するクロウの前に立ち塞がったのは、異界の英霊・ブリュンヒルデだった。彼女は自らが持つ白銀の槍・エルダでクロウの動きを止める。

「そこをどいてもらえませんかね?」

「そうはいかない」

「今は貴方よりも、あちらの少年を先に倒す必要があります」

「……ふん、私も舐められたものだな」

 今、クロウの中では眼前のブリュンヒルデよりも、女神の力を纏う航大の方が警戒度が高いという認識であった。それは英霊・ブリュンヒルデを脅威として見ていないことを証明しており、その事実に白髪をポニーテールにしている英霊は心底苛立たしげな様子を見せる。

「それならば、貴様の視線を私に釘付けにさせてもらおう」

「…………?」

 ブリュンヒルデは白銀の槍・エルダを巧みに振ると、接近していたクロウの身体を一旦引き剥がす。

「ふぅ、困ったものですね。早くしなければ、あの少年が起き上がってしまう」

「…………」

「どうしても邪魔をするのならば、まずは貴方から……消えてもらいましょう」

 やれやれといった様子でため息を漏らすクロウは、右手に持った『刀』を自らの左腕にあてがうと、一切の迷いもなく自らの肌を斬り裂いた。生々しい音と共に鮮血が腕かあら噴出する。しかしその血液は重力に従って地面に垂れ落ちることはなく、クロウの左手の中に集まってくると、鮮血に輝く『刀』へと姿を変えた。

「実は私、刀は一本ではなく、二本が好きでしてね」

「ふん、力を抜いていた……という訳か?」

「いえいえ、そんなことはありません。ここまでの戦いでも、私は十分に力を発揮していましたよ。しかし、それはまだ全力ではなかった……ただ、それだけのことです」

「それならば、私もまた全力を尽くすとしよう」

「…………」

 ブリュンヒルデもまた、その瞳をゆっくりと閉じると身体に魔力を集中させていく。

「数多の勇敢なる英霊たちよ、我の求めに従い、その武を振るえ――英霊顕現ッ!」

 その言葉と共にブリュンヒルデの身体を眩い輝きが包み込む。
 次の瞬間、光が周囲に分散するとそれぞれが人間の身体を形成する。

「人間を召喚する魔法……なるほど、まさかそんな手を隠していたとは……」

「この兵士たちは、かつての戦いにて命を落とした者たちだ。それぞれの魂が志半ばで命を落とした。しかし、その魂は我の求めに応じて再び顕現したのだ」

「…………」

「さぁ、始めようじゃないか。これが最後の戦いだ」

「……いいでしょう。私の全身全霊を持ってして、貴方を打ち砕くとしましょう」

 名も知らぬ死した街での戦い。
 最後の局面へと向かって戦いは静かに、そして時に激しく動き出していく。

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