終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第六章9 炎獄の激戦Ⅲ

 バルベット大陸の南方に存在する田舎街・レント。

 普段は旅人で賑わう小さな街であるのだが、平和な日々を謳歌する街に突如として悲劇が襲いかかることとなる。南方大陸で大小関係なく街を襲う炎髪の少女が存在するという噂。それはあくまで噂レベルに留まっていたものであり、実際に炎髪を揺らす少女の姿を見た者は存在しなかった。

 しかし、非情なことに南方地域を包んでいた噂は真実であり、業炎と共に炎髪を揺らす少女の襲来によって、平和な時を過ごしていた田舎街・レントは瞬く間の内に崩壊した。

「…………」

 街を取り囲む業炎はそこから逃げることを許さない。
 触れれば燃え移り、生命が完全に沈黙するまで燃やし尽くす。

 かつて世界を混沌に陥れた魔竜を討った女神の一人、炎獄の名を持つ少女が使役する炎魔法は間違いなくこの世界で最も強力である。守るために使われるべき力が、今この瞬間においては破壊することにのみ使役される。その果てに待つのは、残虐非道な破壊の痕なのであった。

「……女神ってのは、さすがにタフだな」

『タフでなければ、女神なんてやってられませんからね』

 四方を業炎に支配され、人々の悲鳴が木霊していた街は今、異様なほどの静寂に包まれていた。火の粉が舞っていた街はその全てを凍てつく氷に覆われていて、全てを燃やし尽くそうとした炎も、崩壊する建物も、苦しみ藻掻く人々も全てが氷の中に閉じ込められていた。

 これは氷獄の女神・シュナとシンクロを果たした航大の力によるものであり、彼が放つ強力な魔法によって業火に包まれた街は一転して絶対零度の氷に支配されることとなった。

「直撃したはずなんだけどな、そう簡単にはやられてくれないってことか……」

『……相手が本当に女神であるのならば、そうでしょうね』

「なんか引っかかる言葉だな?」

 航大の脳裏にはシュナの声音が響いている。

 長い年月が過ぎたことにより、女神としての力を維持することが難しくなってしまった彼女は、航大という人間の中に存在を移すことで生き永らえていた。女神として全盛期の力を行使することは難しく、肉体を失ったとしても彼女という存在が在り続ける限り、この世界の守護は有効である。

『……私は未だに信じることが出来ません。彼女が本当に悪の道に染まってしまったということを』

「…………」

『実際に悪行を働く彼女を見たとしても、私は胸に残る違和感を拭い去ることが出来ないのです』

「……まぁ、俺も信じたくはないけどな。女神ってのは、世界を守る存在でなきゃいけねぇと思う」

 航大とシュナが見据える先。そこに立っているのは、業炎をその身に纏う炎獄の女神・アスカである。彼女は航大とシュナが放つ攻撃を受けても尚、精悍とした顔つきを崩すことなくしっかりと大地に足をつけている。


「業火よ猛れ、業炎よ我を包め、手にするは破壊の炎神――武・業火炎舞」


 自身を包んでいた氷を砕き、自由を手にしたアスカは強い敵意と殺意が篭もる瞳で航大たちを睨むと、今度は静かに魔法の詠唱を始める。

「なんだ……?」

 航大の力によって凍結した街だったが、炎獄の女神を中心に炎が集まることで氷が瞬時に融解していく。音もなく炎がアスカに集中していくと、その華奢な身体を包み込んでいく。

「…………」

 美しく光る炎が渦を巻き、あっという間に少女の身体を取り込んでいく。

 全身にビリビリと感じるのは濃厚な火の魔力であり、女神が見せる凄まじい力の奔流を前にして航大は思わず声を失ってしまう。行動を起こさなくてはならない。それを頭で理解していても身体は言うことを聞いてはくれないのだ。

「……悪を断つ。この炎に消せぬものはない」

 天にまで伸びる炎渦の中から聞こえてくるのは、どこまでも冷徹無感情な声音だった。

「……シュナ、もう一度いくぞ」

『分かりました。まだ、航大さんの身体はシンクロに耐えられます』

「――――」

 止まっていた時を動かしたのは、氷獄の女神・シュナの力を身に纏う少年・航大だった。地面を蹴り跳躍すると、未だ炎の中に身を隠すアスカへ向けて攻撃を開始する。

「天地を凍てつかす究極の氷槍よ、あまねく悪を穿て――氷槍龍牙ッ!」

 空中で右手を大きく振りかぶり、流れるような動作で魔法の詠唱を開始する。

 唱えるは超巨大な氷の槍を生成する攻撃魔法であり、航大の右手に集中する魔力を悪を穿つ槍に変換していく。

「くらええええぇぇぇッ!」

 空中で姿勢を変え、全身をバネのように撓らせて右手に持った氷槍を投擲する。風を切って直進する氷の槍は、炎に包まれるアスカの身体を貫こうとする。

「――――」

 航大の目論見では投擲した氷の槍は炎を切り裂き、そしてその中心に存在する炎獄の女神・アスカを貫くはずだった。そこまで完璧に事が進むとは思ってはいなかったが、彼女を包む炎の一部を乱すことはできると踏んでいた。

 しかし、そんな航大の目論見は悪い方向に裏切られることとなる。

『危ない、航大さんッ!』

「……えっ?」

 炎獄の女神を包む炎渦に氷槍が衝突しようとした次の瞬間、突如として女神・アスカを包む炎に変化が現れた。接近する脅威に対して主を守るかのように、炎渦の一部が蛇のような形に姿を変えて接近を続ける氷槍を飲み込み砕いていく。

「なんだあれ、こっちに来るぞッ」

 氷槍を破壊した炎蛇はそのままターゲットを航大に変えると、凄まじい速度で突進を始める。

『航大さん、迎撃しましょう』

「やるしかねぇか……ッ!」

 氷獄の女神・シュナとシンクロしている航大ではあるが、空中を自在に滑空できる力は有していない。だからこそ、迫る炎蛇に対してはそのままの姿勢で迎撃を行わなくてはならない。

「万物を砕け、大地を切り裂け、氷牙の前に敵はなし――氷牙業剣ッ!」

 空中に滞在したまま、航大は両手を高く振り上げて次なる魔法を詠唱する。

 彼の両手に集中する氷の魔力は空中で巨大な氷の剣を生成する。航大の身体を遥かに上回る巨大な剣を、航大はありったけの力で振り下ろしていく。

「――――」

 田舎街・レントの上空を閃光が駆け巡る。
 一瞬の静寂が訪れた後、氷の剣と炎蛇が衝突した場所を中心に轟音が走り抜ける。

「うおおおぉぉッ!?」

 轟音と共に襲い掛かってくる爆風に吹き飛ばされる航大。しかし、すぐさま姿勢を立て直すと一面の氷が張り巡らされる大地にしっかりと着地する。

『大丈夫ですか、航大さん?』

「まぁ、なんとか……」

『ちょっとまずいことになったかもしれません……』

「おいおい、これ以上にまずいことなんてあるのかよ……?」

 ふぅ、と一息ついて脳内で反芻する声音に反応を返す航大。

『シュナちゃんの言う通りだね、このままだと結構不利になるよ』

「なんだよ、カガリまで……」

『アスカ、本気で僕たちを殺そうとしてるみたいだね。あの魔法がその証さ』

『そうですね。あれは武装魔法の準備をしている状態です』

「武装魔法の準備……?」

 航大が視線を向ける先、そこには未だ炎渦が存在しており、動きを見せることもなく異様な静寂と共に存在し続けている。確かに女神たちが言うように、一秒と時間が経過するごとに炎渦から漏れ出る魔力はその濃度を増している。

『うん。あれはねー、アスカの最終奥義的な奴でね、あの武装魔法を纏ったアスカは……正直、どの女神よりも強かった』

「……はっ?」

『私たちが苦戦していた魔竜の一匹も、彼女は圧倒していましたね』

『あー、あれはすごかったねー』

「のんびり話してる場合なのかよ……」

 脳内で繰り広げられるシュナとカガリの会話があまりにも場にふさわしくない空気を纏っており、思わず航大はため息を漏らすのと同時に焦燥感を覚える。これまでの戦いにおいて、航大は様々な『敵』と対峙してきた。そのどれもが異世界特有の魔力を帯びていたのだが、今回の相手は『格』が違う。

 全身を突き刺してくる禍々しい魔力の濃度は、帝国で邂逅を果たした総統・ガリアが放っていたものに近いと言えた。感じるだけでやばいということが伝わってくる負の力。

 少しずつ勢いを増している炎渦の中心から漏れ出るのは、間違うことない負の力である。

「まずいじゃねぇかよ、それ……」

『あれに欠点があるとすれば、準備に時間が掛かるってところかな』

「なるほどな……」

『でも、既に体感したように準備に時間は掛かるといっても、ああして防御の手段がない訳じゃないんだ。準備中は自ら攻撃はできないけど、絶対の守護が働いてるって訳』

「どうすればいいんだよ、それ……」

『あの守護魔法を打ち破るくらいの魔法をぶち当てる』

「……それが出来たら苦労しないわな」

 どんな攻撃も迎撃するアスカの武装魔法。
 女神とシンクロした攻撃魔法を持ってしても、その防御を崩すことはできない。

『……これは腹をくくるしかないかもね』
『……きます』

 これからどんな手段を取ろうか……そんなことを航大が考え始めた瞬間だった。
 ここまで静寂を保っていた炎渦に致命的な変化が現れる。

「渦が……消える……?」

 天高く舞い上がっていた炎の渦が規則性を失い、勢いの消失と共に瓦解していく。

「――――」

 炎渦が消えた末に、そこに立ち尽くすのは全身に業炎を纏った女神・アスカだった。

 赤く燃え滾る炎は彼女の身体を包み込んでいた。身体の至る箇所を炎が鎧のように纏わりつき、更にその背中には自身の身体ならば容易に包むことができる炎の翼が生えている。これまでとは比較にならない膨大な魔力と共に、炎獄の女神・アスカは大地に再臨するのであった。

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