終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第六章6 業炎に揺れる炎髪
「――全てを破壊、崩壊、滅亡させる。それこそ、私が果たすべき使命なり」
バルベット大陸の南方、そこにある小さな田舎街・レント。
普段は南方を旅する者たちが休息のために立ち寄り、規模は小さいながらも絶え間なく旅人が訪れる活気ある街であった。
争いとは無縁の日々を送ってきた田舎街・レントに、突如として悲劇が訪れる。
密かに南方地域を包んでいた噂。
それは炎髪を揺らす少女が街を襲い、壊滅させるというものだった。
事実、この噂が出回る頃には街を出た人間が謎の行方不明になる事態が多くなり、その噂は少しずつ南方全土を覆うようになっていた。南方地域へ旅立つ者が謎の失踪を遂げる、その頻度が高くなってくるのと同時に、人々は恐怖に震えるよぅになった。
王国への報告を行おうにも、噂が真実である証拠が存在しなかった。それを確認しようとした人間は一人の例外もなく姿をくらましたからである。
『まさか、本当に君だとはね……信じたくはなかったよ』
『炎獄の女神・アスカ。何故、貴方がこのようなことを……』
今、航大たち一行は南方地域を恐怖のどん底に叩き落とした噂の『元凶』と対面している。静かな田舎街・レントを一瞬にして業炎に包んだのは、たった一人の少女が持つ力だったのである。
街を覆う業炎は民家を燃やし、大地を焦がす。その影響は街に住まう人間にも容赦なく向けられることとなり、逃げ場のない業炎によって数多の人間が命を落とした。
周囲に目を向ければ崩壊する民家や、全身を包む炎に身を焦がす人々の姿が飛び込んでくる。民家は声を上げることなく強制的にその役目を終え、人々は断末魔の叫びと共に命を落とす。つい数十分前には平穏な日々が流れていたはずの街は、少女が手を振るったその一瞬にしてこの世の『地獄』へと姿を変えてしまったのだ。
「…………」
勝ち気な印象を受けるつり目と、燃えるような赤髪が印象的な少女は、朽ち果てる命を目の当たりにしても、その表情を変えることなく健在している。
「貴様たちは私の邪魔をする者か? そうであるならば、排除、破壊、崩壊させるだけ」
業炎が街を支配し、絶え間なく火の粉が散る空間において、かつて女神と呼ばれた少女はただ無表情に、ただ無感情に機械的な声音を漏らす。彼女の言葉にはおおよそ感情というものが存在しないのだが、その口から漏れる言葉には異様な威圧感が存在している。
『……気をつけて、航大くん。あの子に何があったのかは知らないけど、あの目……本気だよ』
『……航大さん、私たちの力を遠慮なく使ってください。そうじゃないと、この戦い……とても厳しいものになります』
「……分かってるよ。やばい気配は感じてる」
我を失った炎獄の女神・アスカと対峙する航大は、今までに感じたことのない殺気と濃厚な魔力をその身に浴び続けている。女神が放つ魔力が肌を突き刺し、ただそこに立っているだけで冷や汗が背中を伝う。
「リエル、ユイ……いけるか?」
「儂は大丈夫じゃ」
「……うん、私も大丈夫。航大、私に力をちょうだい」
航大の問いかけにリエルとユイが首を縦に振った。
彼女たちの表情にも緊張が走っているが、その瞳は威圧感を全面に押し出す女神を前にしても怖気づく様子は見せない。誰もが敗北する未来を信じてはおらず、眼前に存在する悪を討つことだけに集中している。
「…………」
ユイの言葉に呼応するように、航大が手に持つ漆黒の装丁をしたグリモワールが淡い光を灯し始めた。航大が持つグリモワールは異界の英霊を呼び寄せる力を持ち、異界に召喚された英霊をユイの身体にシンクロさせることで、白髪を揺らす彼女は絶大な力を得ることができる。
これまでの戦いにおいても、異界で名を馳せた英霊をその身に宿すことでユイは超常的な力を得てきた。その力のおかげで航大は何度も助けられたことは事実であり、今この瞬間にも新たな英霊が召喚されようとしていた。
「……久しぶりの召喚だな……いくぞ、ユイッ!」
「……うん」
グリモワールの輝きが強くなる。
航大とユイにとっては久しぶりの英霊召喚であり、しかしこの手段を経なければ白髪の少女は戦う力を持つことができない。導かれるようにして航大の手がグリモワールの表紙を掴む。後はページをめくるだけであり、そうすればこの世界に英霊が召喚される。
「――英霊召喚」
漆黒の装丁をした本を開く。
ゆっくりと開かれていくグリモワールから、レントの街を包み込む眩い光が迸っていく。それと共に航大の身体を得体の知れない力が包み、そして解き放たれていく。
「異界より舞い降りろ、英霊・ブリュンヒルデッ!」
航大が開くグリモワールの中には一切の文字が存在していなかった。おおよそ、本としての役割を果たしていないのだが、英霊を召喚するこの瞬間にだけグリモワールはページに英霊の物語を刻む。純白のページに焼き付けられる文字の一つ一つが力を持ち、それを指でなぞることで力が具現化し、白髪の少女へと吸い込まれていく。
「…………」
文字が力となり少女に吸収される。
この瞬間、なんの力も持たない白髪の少女はその身に英霊を宿し、そして絶大なる力を得ることができる。
『ブリュンヒルデ』
その英霊は航大が住まう世界において、北欧神話に登場する戦乙女ワルキューレの一人であった。神話における最終戦争『ラグナロク』を終結させるため、戦士の魂を選定し、天上の宮殿ヴァルハラへと導くことを使命とし、そのために戦った英霊である。
白髪を揺らす少女・ユイはその身に甲冑の鎧を身に纏い、その手には白銀に輝く巨大な槍を持っていた。長く垂れ落ちていた白髪をポニーテールの形に結び、その表情は精悍なものへと変わっていた。
「ふむ……何度見ても不思議な力じゃな……」
『この前とは全然違う力を感じるね、君たちは本当に面白い戦いを見せてくれるね』
一瞬にして姿を変えたユイを見て、リエルとカガリがそれぞれ声音を漏らす。
「貴方が私の主か?」
「あ、あぁ……そうだ……」
ユイはいつも無表情であるのだが、英霊とシンクロした際にはその限りではない。
英霊とシンクロを果たすことでユイとしての人格は深層へと潜り、その代わりに『英霊自身』が彼女の身体を支配するために表へ出てくる。そのため、普段は無表情であるユイだが、その身に宿す英霊によっては表情が豊かにもなる。
英霊・ブリュンヒルデ。神話の登場人物としてその名を轟かせる彼女は、鋭い眼光を走らせる精悍な顔つきをしているのが特徴的であり、その瞳が航大を見つめている。
「……貴方が命じるのであれば、私はどんなことでもしよう。主、貴方は私に何を望む?」
「…………」
ふざけているのではない。
今、ユイの身体は英霊・ブリュンヒルデが支配しているのであり、英霊である彼女は自らが持つ信念によってのみ行動する。そんな彼女は航大を自分の主であると認め、行動の指示を待っているのだ。
「……俺たちと共に戦ってくれ」
航大の言葉を聞き、ブリュンヒルデはゆっくりとその身体を翻す。
英霊の瞳が捉えるのは、紅蓮の炎を自在に操る炎獄の女神・アスカ。
怨嗟が木霊する地獄の街に舞い降りた救世の英霊は、自分が倒すべき『敵』をしっかりと認識した。
「……主様、来るぞッ!」
戦場に鋭い声音が響く。
それは航大たちと共に最前線に立つ北方の賢者・リエルのものであり、その声を皮切りに炎獄の女神が動き出す。右手に業炎を纏い、一切の無駄が存在しない動作で地面を蹴る。
「――――ッ」
音もなく、風もなく、気付いた時には炎髪を揺らす女神は空中を滑空しており、瞬きの瞬間には小さかった人影がすぐそこにまで迫っていた。
「美しき氷の華、凍てつく世界に咲き誇れ――氷雪結果ッ!」
ほんの一瞬、航大たちの反応が遅れるがそれでも一番最初に動きを見せたのは瑠璃色の髪を揺らす賢者・リエルだった。俊敏な動きで航大たちの前に飛び出すと、地面に手を置いて魔法の詠唱を完了させる。
「逃げろッ、主様ッ! アスカ様の攻撃を受けてはならないッ!」
「――爆散、四散、砕け散れ」
アスカの右手を覆う業炎が勢いを増す。
小さく輝く太陽が接近してくるような錯覚に陥りながらも、そこでようやく航大たちは我を取り戻して行動を開始する。
「全員ッ、一旦引くんだッ!」
「――遅い」
航大の声音が響き全員が引くよりも早く、女神・アスカの右腕が振り下ろされる。
「地上に生まれし氷の波よ、全てを飲み込み、万物を破壊せよ――氷波絶海ッ!」
直進してくるアスカに対して、リエルもまた真っ向からぶつかっていく。
ドーム状に広がる氷の結果、その内部は賢者・リエルの領域である。立ち入る者を氷結させ、更に結界内は一時的ではあるものの氷の魔力が飛躍的に上昇する。賢者・リエルは結界内限定で強大な魔法を使役することができる。
「――――ッ!」
しかし、炎獄の女神・アスカはリエルが展開した結界魔法に臆する様子は見せない。それどころか表情一つ変えぬまま結界内に侵入を果たすと、攻撃行動を続行していく。
「はあああぁぁぁーーーーッ!」
女神を相手に力を温存する余裕はない。
瞬時にそう判断したリエルは、集められるだけの魔力を注ぎ込んで巨大な氷の津波を発生させる。氷雪結界の効果があるからこそ行使できる強大な氷魔法。見上げるほどに大きな氷の津波は、無言で突き進むアスカを飲み込もうとする――。
「――――ッ」
刹那の静寂が場を包み込んだ次の瞬間、凄まじい轟音と爆風が結界を破壊した。
「ぐうぅッ!?」
氷の津波とアスカの業拳が衝突すると、そのポイントを中心に大地を揺るがす衝撃が周囲に駆け巡っていく。退避行動を開始した航大とブリュンヒルデは、その想像を絶する衝撃を受けて身体を地面に転がせていく。
「すげぇ、衝撃……ブリュンヒルデ、大丈夫か……ッ!?」
「……私は問題ない」
「くッ……リエルッ!」
「…………」
氷と炎の衝突。
それは強烈な爆発を生み出して氷雪結界の内部に水蒸気を発生させた。
「クソッ、なにも見えねぇッ……」
「主よ、落ち着くのだ」
「これが落ち着いていられるか……リエルッ、無事なのか……ッ!」
氷雪結界はまだ健在である。
航大の視界に映る結界が存在しているということは、まだ賢者・リエルが健在であることを示しており、しかし彼女の姿を見つけることは出来ない。
「……来るぞ、主」
「来るって……何が……」
「炎髪の女神……構えろッ!」
ブリュンヒルデの鋭い眼光が水蒸気の中で動く何かを発見する。表情を険しく歪ませた戦乙女ワルキューレ・ブリュンヒルデは、その手に持った白銀の槍を構えて迎撃の体制を整えていく。
「――――ッ!」
異界の英霊が放つ言葉が航大の鼓膜を震わせた次の瞬間、水蒸気を切り裂くようにして飛び出してくる影があった。
「次はお前たちか?」
「――――ッ!?」
水蒸気が消失し、それと同時にリエルが展開した氷雪結界もまた音を立てて崩壊する。そして飛び出してきた女神・アスカは標的を航大たちに固定すると、姿勢を低くして突進してくる。
「マジかよ、リエルがやられたのか……ッ!?」
「それは分からない。しかし、今は迎撃することだけを考えるんだ」
炎獄の女神・アスカ。
かつて世界を混沌に陥れた魔竜をその手で封印した女神は、その力を余す所なく披露することで戦場を手中に収めていく。
暴風の女神・カガリと戦った時、航大たちは本気を出していない彼女を相手にして苦戦を強いられた。どれだけ全力でぶつかったとしても越えられない壁というのを痛感した。しかし今回対峙する女神・アスカは大陸西方でカガリと戦った時とは状況が違う。
「破壊、崩壊、絶望……私は全てを無に帰す」
炎髪を揺らす女神・アスカ。彼女は己が持つ力の全てを持ってして、航大たちを殺そうとしているのであった。
バルベット大陸の南方、そこにある小さな田舎街・レント。
普段は南方を旅する者たちが休息のために立ち寄り、規模は小さいながらも絶え間なく旅人が訪れる活気ある街であった。
争いとは無縁の日々を送ってきた田舎街・レントに、突如として悲劇が訪れる。
密かに南方地域を包んでいた噂。
それは炎髪を揺らす少女が街を襲い、壊滅させるというものだった。
事実、この噂が出回る頃には街を出た人間が謎の行方不明になる事態が多くなり、その噂は少しずつ南方全土を覆うようになっていた。南方地域へ旅立つ者が謎の失踪を遂げる、その頻度が高くなってくるのと同時に、人々は恐怖に震えるよぅになった。
王国への報告を行おうにも、噂が真実である証拠が存在しなかった。それを確認しようとした人間は一人の例外もなく姿をくらましたからである。
『まさか、本当に君だとはね……信じたくはなかったよ』
『炎獄の女神・アスカ。何故、貴方がこのようなことを……』
今、航大たち一行は南方地域を恐怖のどん底に叩き落とした噂の『元凶』と対面している。静かな田舎街・レントを一瞬にして業炎に包んだのは、たった一人の少女が持つ力だったのである。
街を覆う業炎は民家を燃やし、大地を焦がす。その影響は街に住まう人間にも容赦なく向けられることとなり、逃げ場のない業炎によって数多の人間が命を落とした。
周囲に目を向ければ崩壊する民家や、全身を包む炎に身を焦がす人々の姿が飛び込んでくる。民家は声を上げることなく強制的にその役目を終え、人々は断末魔の叫びと共に命を落とす。つい数十分前には平穏な日々が流れていたはずの街は、少女が手を振るったその一瞬にしてこの世の『地獄』へと姿を変えてしまったのだ。
「…………」
勝ち気な印象を受けるつり目と、燃えるような赤髪が印象的な少女は、朽ち果てる命を目の当たりにしても、その表情を変えることなく健在している。
「貴様たちは私の邪魔をする者か? そうであるならば、排除、破壊、崩壊させるだけ」
業炎が街を支配し、絶え間なく火の粉が散る空間において、かつて女神と呼ばれた少女はただ無表情に、ただ無感情に機械的な声音を漏らす。彼女の言葉にはおおよそ感情というものが存在しないのだが、その口から漏れる言葉には異様な威圧感が存在している。
『……気をつけて、航大くん。あの子に何があったのかは知らないけど、あの目……本気だよ』
『……航大さん、私たちの力を遠慮なく使ってください。そうじゃないと、この戦い……とても厳しいものになります』
「……分かってるよ。やばい気配は感じてる」
我を失った炎獄の女神・アスカと対峙する航大は、今までに感じたことのない殺気と濃厚な魔力をその身に浴び続けている。女神が放つ魔力が肌を突き刺し、ただそこに立っているだけで冷や汗が背中を伝う。
「リエル、ユイ……いけるか?」
「儂は大丈夫じゃ」
「……うん、私も大丈夫。航大、私に力をちょうだい」
航大の問いかけにリエルとユイが首を縦に振った。
彼女たちの表情にも緊張が走っているが、その瞳は威圧感を全面に押し出す女神を前にしても怖気づく様子は見せない。誰もが敗北する未来を信じてはおらず、眼前に存在する悪を討つことだけに集中している。
「…………」
ユイの言葉に呼応するように、航大が手に持つ漆黒の装丁をしたグリモワールが淡い光を灯し始めた。航大が持つグリモワールは異界の英霊を呼び寄せる力を持ち、異界に召喚された英霊をユイの身体にシンクロさせることで、白髪を揺らす彼女は絶大な力を得ることができる。
これまでの戦いにおいても、異界で名を馳せた英霊をその身に宿すことでユイは超常的な力を得てきた。その力のおかげで航大は何度も助けられたことは事実であり、今この瞬間にも新たな英霊が召喚されようとしていた。
「……久しぶりの召喚だな……いくぞ、ユイッ!」
「……うん」
グリモワールの輝きが強くなる。
航大とユイにとっては久しぶりの英霊召喚であり、しかしこの手段を経なければ白髪の少女は戦う力を持つことができない。導かれるようにして航大の手がグリモワールの表紙を掴む。後はページをめくるだけであり、そうすればこの世界に英霊が召喚される。
「――英霊召喚」
漆黒の装丁をした本を開く。
ゆっくりと開かれていくグリモワールから、レントの街を包み込む眩い光が迸っていく。それと共に航大の身体を得体の知れない力が包み、そして解き放たれていく。
「異界より舞い降りろ、英霊・ブリュンヒルデッ!」
航大が開くグリモワールの中には一切の文字が存在していなかった。おおよそ、本としての役割を果たしていないのだが、英霊を召喚するこの瞬間にだけグリモワールはページに英霊の物語を刻む。純白のページに焼き付けられる文字の一つ一つが力を持ち、それを指でなぞることで力が具現化し、白髪の少女へと吸い込まれていく。
「…………」
文字が力となり少女に吸収される。
この瞬間、なんの力も持たない白髪の少女はその身に英霊を宿し、そして絶大なる力を得ることができる。
『ブリュンヒルデ』
その英霊は航大が住まう世界において、北欧神話に登場する戦乙女ワルキューレの一人であった。神話における最終戦争『ラグナロク』を終結させるため、戦士の魂を選定し、天上の宮殿ヴァルハラへと導くことを使命とし、そのために戦った英霊である。
白髪を揺らす少女・ユイはその身に甲冑の鎧を身に纏い、その手には白銀に輝く巨大な槍を持っていた。長く垂れ落ちていた白髪をポニーテールの形に結び、その表情は精悍なものへと変わっていた。
「ふむ……何度見ても不思議な力じゃな……」
『この前とは全然違う力を感じるね、君たちは本当に面白い戦いを見せてくれるね』
一瞬にして姿を変えたユイを見て、リエルとカガリがそれぞれ声音を漏らす。
「貴方が私の主か?」
「あ、あぁ……そうだ……」
ユイはいつも無表情であるのだが、英霊とシンクロした際にはその限りではない。
英霊とシンクロを果たすことでユイとしての人格は深層へと潜り、その代わりに『英霊自身』が彼女の身体を支配するために表へ出てくる。そのため、普段は無表情であるユイだが、その身に宿す英霊によっては表情が豊かにもなる。
英霊・ブリュンヒルデ。神話の登場人物としてその名を轟かせる彼女は、鋭い眼光を走らせる精悍な顔つきをしているのが特徴的であり、その瞳が航大を見つめている。
「……貴方が命じるのであれば、私はどんなことでもしよう。主、貴方は私に何を望む?」
「…………」
ふざけているのではない。
今、ユイの身体は英霊・ブリュンヒルデが支配しているのであり、英霊である彼女は自らが持つ信念によってのみ行動する。そんな彼女は航大を自分の主であると認め、行動の指示を待っているのだ。
「……俺たちと共に戦ってくれ」
航大の言葉を聞き、ブリュンヒルデはゆっくりとその身体を翻す。
英霊の瞳が捉えるのは、紅蓮の炎を自在に操る炎獄の女神・アスカ。
怨嗟が木霊する地獄の街に舞い降りた救世の英霊は、自分が倒すべき『敵』をしっかりと認識した。
「……主様、来るぞッ!」
戦場に鋭い声音が響く。
それは航大たちと共に最前線に立つ北方の賢者・リエルのものであり、その声を皮切りに炎獄の女神が動き出す。右手に業炎を纏い、一切の無駄が存在しない動作で地面を蹴る。
「――――ッ」
音もなく、風もなく、気付いた時には炎髪を揺らす女神は空中を滑空しており、瞬きの瞬間には小さかった人影がすぐそこにまで迫っていた。
「美しき氷の華、凍てつく世界に咲き誇れ――氷雪結果ッ!」
ほんの一瞬、航大たちの反応が遅れるがそれでも一番最初に動きを見せたのは瑠璃色の髪を揺らす賢者・リエルだった。俊敏な動きで航大たちの前に飛び出すと、地面に手を置いて魔法の詠唱を完了させる。
「逃げろッ、主様ッ! アスカ様の攻撃を受けてはならないッ!」
「――爆散、四散、砕け散れ」
アスカの右手を覆う業炎が勢いを増す。
小さく輝く太陽が接近してくるような錯覚に陥りながらも、そこでようやく航大たちは我を取り戻して行動を開始する。
「全員ッ、一旦引くんだッ!」
「――遅い」
航大の声音が響き全員が引くよりも早く、女神・アスカの右腕が振り下ろされる。
「地上に生まれし氷の波よ、全てを飲み込み、万物を破壊せよ――氷波絶海ッ!」
直進してくるアスカに対して、リエルもまた真っ向からぶつかっていく。
ドーム状に広がる氷の結果、その内部は賢者・リエルの領域である。立ち入る者を氷結させ、更に結界内は一時的ではあるものの氷の魔力が飛躍的に上昇する。賢者・リエルは結界内限定で強大な魔法を使役することができる。
「――――ッ!」
しかし、炎獄の女神・アスカはリエルが展開した結界魔法に臆する様子は見せない。それどころか表情一つ変えぬまま結界内に侵入を果たすと、攻撃行動を続行していく。
「はあああぁぁぁーーーーッ!」
女神を相手に力を温存する余裕はない。
瞬時にそう判断したリエルは、集められるだけの魔力を注ぎ込んで巨大な氷の津波を発生させる。氷雪結界の効果があるからこそ行使できる強大な氷魔法。見上げるほどに大きな氷の津波は、無言で突き進むアスカを飲み込もうとする――。
「――――ッ」
刹那の静寂が場を包み込んだ次の瞬間、凄まじい轟音と爆風が結界を破壊した。
「ぐうぅッ!?」
氷の津波とアスカの業拳が衝突すると、そのポイントを中心に大地を揺るがす衝撃が周囲に駆け巡っていく。退避行動を開始した航大とブリュンヒルデは、その想像を絶する衝撃を受けて身体を地面に転がせていく。
「すげぇ、衝撃……ブリュンヒルデ、大丈夫か……ッ!?」
「……私は問題ない」
「くッ……リエルッ!」
「…………」
氷と炎の衝突。
それは強烈な爆発を生み出して氷雪結界の内部に水蒸気を発生させた。
「クソッ、なにも見えねぇッ……」
「主よ、落ち着くのだ」
「これが落ち着いていられるか……リエルッ、無事なのか……ッ!」
氷雪結界はまだ健在である。
航大の視界に映る結界が存在しているということは、まだ賢者・リエルが健在であることを示しており、しかし彼女の姿を見つけることは出来ない。
「……来るぞ、主」
「来るって……何が……」
「炎髪の女神……構えろッ!」
ブリュンヒルデの鋭い眼光が水蒸気の中で動く何かを発見する。表情を険しく歪ませた戦乙女ワルキューレ・ブリュンヒルデは、その手に持った白銀の槍を構えて迎撃の体制を整えていく。
「――――ッ!」
異界の英霊が放つ言葉が航大の鼓膜を震わせた次の瞬間、水蒸気を切り裂くようにして飛び出してくる影があった。
「次はお前たちか?」
「――――ッ!?」
水蒸気が消失し、それと同時にリエルが展開した氷雪結界もまた音を立てて崩壊する。そして飛び出してきた女神・アスカは標的を航大たちに固定すると、姿勢を低くして突進してくる。
「マジかよ、リエルがやられたのか……ッ!?」
「それは分からない。しかし、今は迎撃することだけを考えるんだ」
炎獄の女神・アスカ。
かつて世界を混沌に陥れた魔竜をその手で封印した女神は、その力を余す所なく披露することで戦場を手中に収めていく。
暴風の女神・カガリと戦った時、航大たちは本気を出していない彼女を相手にして苦戦を強いられた。どれだけ全力でぶつかったとしても越えられない壁というのを痛感した。しかし今回対峙する女神・アスカは大陸西方でカガリと戦った時とは状況が違う。
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