終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第六章1 南方への旅立ち
「…………」
最悪の夢から目覚めた航大は地竜が引く客車の中で無言を貫いていた。
航大の脳裏に浮かぶのは、夢の中で見た衝撃的な光景だった。どこか見知らぬ朽ち果てた都市の中で、航大は幾度となく『ユイ』に殺される。今まではそんな夢を見ていても忘れていたのに、どうしてかこの時ばかりは色濃く頭のなかに残り続けていた。
「はぁ……」
目を閉じれば夢の内容を思い出すことができる。
黒く姿を変えたユイは、表情ひとつ変えることなくライガたちの命を散らした。
もちろん航大の目の前に座っている白髪を揺らす少女が、仲間を手に掛けるようなことをするはずがない。そう信じてはいるが、それでも航大にとってあの夢の内容がショッキングなものであることに違いはなかった。
「どうしたんじゃ、主様?」
「なんか元気ない?」
夢の光景が頭から離れず、航大は思わず重い溜息を漏らす。
地竜が引く客車の中には、航大とユイ、そしてリエルにシルヴィアの四人が存在しており、航大が漏らしたため息にリエルとシルヴィアが素早い反応を見せる。
「あ、いや……なんでもないよ」
「ふむ……なんでもない、といった雰囲気ではないんじゃがの」
「そうだねー、こっちも同じ感じで」
シルヴィアがちらっと横目で見るのは、いつもの動きの少ない表情を浮かべて一言も言葉を発しないユイだった。彼女をよく知らない人間はいつも通りと勘違いしそうなくらい、一見すると普段と様子は変わらないのだが、付き合いが長い人物であるならば、彼女が見せている微細な変化にも気付きやすい。
「昨日、なにかあったのかの?」
「うーん、この様子を見るに……なにもなかったってことはないんだろうけど……」
航大とユイを交互に見ながら、シルヴィアとリエルが首を傾げる。
これまで二人がここまでギクシャクとした姿を見せることはなかった。だからこそ、より違和感が目立つのだが、その原因をシルヴィアとリエルは知る由もない。このままでは手の打ちようがないのは明白であり、しかしこのままの状況が長引くのは良くないことも理解している。
「あぁーもう、ややこしいなーーッ!」
陰鬱とした空気が客車を包み、その様子に嫌気がさしたシルヴィアが両手を突き上げて大声を上げる。
「ど、どうした……シルヴィア……?」
「どうした……? じゃないッ、アンタたちがうじうじとしてるからこっちはイライラしてるのッ!」
「う、うじうじって……」
「…………」
シルヴィアが指差す先、そこには戸惑いの様子を見せる航大とシルヴィアがいた。
航大とシルヴィアは気まずそうな様子を見せつつも視線を合わせる。
「なにがあったかは知らないし、詮索するつもりもないけど……そのどよーんとした空気を持ち込まないでッ!」
「…………」
「これからの旅は、砂漠の時みたいに戦いがあるかもしれないんだから……そんな気持ちじゃ、自分だけじゃなくて仲間の命も落とすことに繋がるんだからね。ちょっとした喧嘩なら、早く仲直りすること、いいねッ!?」
「別に喧嘩してる訳じゃ……なぁ、ユイ?」
「う、うん……」
「とにかく、これ以上うじうじーっとした感じはなしッ! 分かったッ!?」
「「は、はい……」」
客車の中に響くシルヴィアの怒号。
彼女はなにも本気で怒っている訳ではない。
言葉は荒いが、その本心では仲良くなって欲しいという想いが詰め込まれている。それを理解したからこそ、航大は自分が見せていた態度に後悔の念を禁じ得ない。
「…………」
シルヴィアの言葉を反芻して飲み込んでいく。
頬を思い切り引っ叩き、航大は自分の中にあった迷いを吹き飛ばす。
「よし、もう大丈夫だ」
「うん。航大はその顔が一番かっこいいよ」
「そ、そうか……?」
「なに照れてんのよ……」
頬を叩き気合いを入れ直した航大を見て、シルヴィアは満足げに笑みを浮かべる。
航大が立ち直ったことを確認するなり、シルヴィアは次にユイへと視線を移す。
「アンタは? まだ立ち直れない?」
「……ううん。大丈夫」
問いかけにユイは一つ大きく頷いて、その顔に浮かべていた迷いや後悔の念を消し飛ばす。
「うん、ユイも大丈夫そうだね」
「……シルヴィア、お主も中々やりよるな」
「へへ……四番街で生きてると辛気臭い顔をした奴なんていっぱい居たからね。そういう奴を元気にさせる方法なら心得てるってだけ」
「なるほどのぉ……」
貧民街で生きてきたからこその経験と能力。
それを目の当たりにして、リエルは感心のため息を漏らすのであった。
◆◆◆◆◆
「なんか、すごい声がしたけど大丈夫か……?」
シルヴィアのおかげで客車の中を包む空気がいつもの様子へと変わった。
和やかな空気が支配する中で、そんな声音を漏らすのはライガだった。彼は南方を目指すために地竜を操舵しており、客車の中からは隔離されていた。
地竜を操舵しているとはいっても、客車とは背中合わせで外にいるため、中から響いてきた声は聞こえていた。そのため、何か修羅場にでも発展しているのではないか……と、ライガはビクビクしながら客車の中を覗きに来たわけである。
「あぁ、大丈夫だぜ」
「本当か……?」
ちらっと様子を伺うライガの問いかけに反応したのは航大であった。
先ほどまでのうじうじとした様子は消え去り、航大はいつものように笑みを浮かべて片手を上げる。
「お、おう……航大……なんか、元気になったみたいだな。よかったぜ」
「何言ってんだよ、俺は最初から元気だって」
「え? あぁ……そうなの……?」
ライガもまた航大とユイの異変に気付いてはいた。
だからこそ、この短い時間で復調した二人の様子に戸惑いを隠せない。
「ライガ、地竜もストップさせて何の用? まさか、その確認をするためだけに止まってるんじゃないでしょうね?」
ライガが客車を覗いている。
つまり、航大たちは南方を目指す足を止めていることになり、そのことについて追求するのはシルヴィアだった。
「そうじゃないんだけどさ……まぁ、南方に着くのはまだ先だし……ちょっと休憩しようかなと」
「休憩?」
「あぁ。すぐそこに綺麗な湖があるんだ。ここならゆっくりできると思ってさ」
ライガが指差す先、客車の窓から見える景色に遠目からでも分かる巨大な湖が存在していた。雲一つない快晴の空と、キラキラ輝く湖のコラボレーションは陰鬱とした空気を払拭したばかりの航大にはとても魅力的に映った。
「いいんじゃないか? みんな、狭いところに閉じ込められて窮屈してただろうし」
「……まぁ、航大がそういうなら」
まだなにか文句を言いたそうなシルヴィアだったが、自分が何かを言う前に航大がライガの提案に乗ってしまったため、それ以上はなにも言わず航大の指示に従うことを決める。
「うむ、儂も休憩するのは賛成じゃ」
「……たまには休憩するのも悪くはない、と思う」
航大に続いてリエルとユイの二人も休憩することに賛成する。
「へへ、それじゃ決まりだな」
全員の意思を確認して、ライガはニッコリと笑みを浮かべると地竜を操舵して湖へと向かうのであった。
◆◆◆◆◆
「いやっほーーーいッ!」
湖に到着するなり、元気いっぱいといった様子の声音を張り上げて湖に飛び込むのは、ハイラント王国の騎士であり、眩しく輝く金髪を風に揺らす少女・シルヴィアだった。
「うわー、すっごい冷たいッ!」
派手な水しぶきをあげて顔を覗かせるシルヴィアは、透き通るように美しいライトブルーの湖に満足げな言葉を漏らす。彼女は今、水着に着替えており胸と下腹部だけを隠すビキニを着ているため傷一つ無い健康的な肌が眩しい。
「はぁ……あんなにはしゃぐとは……あやつもまだまだ子供じゃの」
「いや、リエルも水着もってきてるじゃん……」
「むっ、それは南方の地といえば、年中温暖な気候であり、リゾート地も多いと聞く……そんな噂を聞いていたならば、水着の一着や二着もってくるのが当然じゃろうて」
「……楽しみにしてたんだな」
やれやれといった様子でシルヴィアを見るリエルだが、彼女もまた水着を身に纏っており、更にその手にはビーチボール的なものも握られていて楽しむ気満々といった様子である。
リエルは肌の露出を抑えた水着を着用しており、その形は航大がよく知るスクール水着に近い形をしていた。
まさか異世界でスク水を見る日が来るとは想像もしていなかった航大は、堂々とスク水を着るリエルから視線を外すことが出来ないでいた。
「む、なんじゃ主様? 儂の水着なんて見ても楽しいことはないと思うが?」
「いや、リエルの水着って初めてみるなーって思って……てか、珍しい水着だな?」
「そうかの? これは儂がまだ幼い頃に姉様から譲り受けたものじゃが……」
「幼い頃、ね……」
リエルは北方の地で賢者と呼ばれ、氷獄の女神・シュナを守る者として人間の寿命を捨てた身である。だからこそ、外見こそまだ子供であるのだが、その中身は数百年の時を生きている。
「温暖な地にやってくるのは久しぶりじゃからの……儂も少しは羽根を伸ばしたいんじゃ」
「まぁ、ミノルアで水遊びが出来るとは思えないしな……」
「そういうことじゃ。主様も早く着替えてくるんじゃぞ」
「え、でも……俺は……」
航大の返答を聞く前にリエルはとてとてと走り出してしまう。
そしてシルヴィアと同じように湖に飛び込むと、シルヴィアと共に水遊びに興じ始める。
「……あいつら元気だなぁ」
「……うん。みんな、すごく元気」
「って、ユイッ!?」
シルヴィアとリエルの様子を微笑ましく見守っていた航大の隣に立つのは、清楚で大人っぽい印象を与えるパレオ水着に身を纏ったユイだった。
彼女はいつもはそのまま垂らしている長い白髪をポニーテールの形で結び、そしてシルヴィアと似た形状の水着なのだが、腰部分から下半身を半透明のスカートを身につけている。
「……航大は遊ばないの?」
「いや、俺は……水着とか持ってきてないしな」
「……それなら、私もここでお留守番しようかな」
「ん? 俺に気を使うことはないぞ?」
「でも……」
「俺は大丈夫だって、ライガだっているし」
航大が指差す先、そこには地竜の世話をしているライガの姿があった。
彼もまた航大と同じで水着などを持ってきてはいないため、水遊びをすることなく更なる旅路に向けた準備を黙々と進行している。
「ユイー、早く来なさいよーッ!」
「こっちは楽しいぞーッ!」
笑い声が絶えない湖で遊ぶシルヴィアとリエルがユイを呼ぶ。
「ほら、行ってこいよ」
「……うん」
航大に背中を押され、ユイは一步を踏み出していく。
彼女が歩む先には笑みを浮かべる仲間たちがいる。少し照れくさそうではあるが、そんな仲間たちの笑顔にユイは微笑みを浮かべている。
「…………」
少しずつ遠くなる背中を見つめながら、航大はこの瞬間を大切にしたいと心から思う。
夢で見た光景は何かの間違いだったのだと、そんなことを考えるくらいには平和な姿に思わず航大も笑みを浮かべてしまう。
「ったく、あいつらは……旅行気分じゃ困るぜ」
「お、ライガ。準備の方は大丈夫なのか?」
「あぁ、いつでも出発できるようにはしてあるぜ。それよりも航大、調子は大丈夫か?」
「全然大丈夫だって。ちょっと寝不足だっただけだよ」
「まぁ、それならいいんだけどな」
航大の隣にやってきたのは、先ほどまで地竜の傍で旅の準備を行っていたライガだった。彼もまた航大が見せた違和感に気付いており、心配そうに顔を覗き込んでくるが航大がいつも通りの反応を返すことで安堵の表情を浮かべる。
「よし、航大。こういう時は身体を動かすのがいいんだ。そうすれば嫌なことなんて全部吹っ飛ぶからな」
「……身体を動かす?」
「そういうこと……ほれっ」
「おっとッ!?」
満面の笑みを浮かべてライガが放り投げてくるのは、その手に持っていた木刀だった。
軽い素材で作られているのか、ライガが雑に投げてくるが特にダメージもなく受取ることができた。
「コレを使って、ちょっと身体を動かそうぜ」
「木刀で……?」
「もちろん本気ではやらねぇけどさ、ちょっとした模擬戦的な感じだよ」
ライガもまた木刀を右手に握っており、それを見て航大は彼がしようとしていることを理解する。
「現役の騎士様に勝てる気はしないけどな……」
「何言ってんだよ、最近メキメキと腕を上げてるじゃねぇか」
「それはどうかな?」
「ちょっと試させてくれよ」
互いに木刀を持って精神を集中させていく。
いくら模擬戦であったとしても、そこは男同士の戦いである。命を賭けた戦いでないとしても、同じ男として負けることは許されないのである。
「…………」
「…………」
しばしの静寂が二人の闘争心を極限にまで高めていく。
「いくぜ、航大ッ!」
「受けて立つ、ライガッ!」
二つの影が動き出す。思い切り地面を蹴って前への推進力を手に入れると、航大とライガは互いに退くことなく真正面で激突する。
「――――ッ!」
遠くで少女たちの笑い声が鼓膜を震わせる中で、湖に木刀同士がぶつかり合う乾いた音が響き渡る。自分が持ち得るありったけの力を込めた一撃。
「ぐぬぬッ!」
「こんのッ……」
お互いの木刀を重ね合わせて、航大とライガの身体は前への推進力を失って制止する。力と力のぶつかり合い、正面から激突する視線。完全な膠着状態に陥るかと思われた次の瞬間には、ライガの木刀が航大を押し込み始める。
「力なら負けねぇぜ……」
「馬鹿力め……ッ!」
時間が経過していくごとに二人の動きにも変化が現れる。
少しずつではあるがライガの木刀が航大を押し込むようになり、均衡が崩れようとしている。
「そっちがその気なら――次だッ!」
「おっと、そうはさせねぇぜッ……!」
このままでは押し負ける。
それは分かりきっていたので、航大は木刀の位置をずらして自ら均衡を崩そうとする。ライガの木刀が空を切るように誘導するつもりだった航大、しかしライガも彼の思惑通りに事を進める訳にはいかなかった。
航大の狙いをいち早く察したライガもまた、次なる連撃に移るための体勢を整えていく。
「下からならどうだッ!?」
「甘いぜッ!」
止まっていた時が動き出す。
互いの木刀を弾くようにした後、航大は木刀の切っ先が地面を擦るように下段からの切り上げを行う。対するライガもまた、その顔に笑みを浮かべて右手を大きく振り上げた後に木刀を思い切り振り下ろす。
「――――ッ!?」
再び湖に乾いた音が響き渡る。次の音は先ほどよりも大きいものであり、それが二撃目の攻撃が持つ破壊力の高さを物語っていた。
「ぐッ……」
「俺だって一端の騎士だ……下手な小細工と力なら負けはしないぜッ……!」
そう。ライガはハイラント王国の騎士である。
かつて全世界を巻き込んだ大陸間戦争にて英雄と謳われた騎士を父に持ち、厳しい鍛錬の日々を送っている将来有望な騎士のライガを相手に、航大が持ち得る小細工が通用するはずもなかった。
航大が放つ一閃はライガが振るう力任せの一撃に封殺される。
「相手にすると厄介だな……ッ!」
「そんなことねぇよ。ほら、そっちから来ないならこっちから行くぜッ!」
航大の体勢が崩れたことを確認するなり、ライガはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて目にも留まらない連撃を見舞ってくる。
「くっそッ!」
「おらおらぁッ!」
一閃。
また一閃。
縦横無尽に繰り出される木刀からの連撃。
その全てが当たれば一撃でダウンすること間違い無しの本気であり、あっという間に航大は防戦一方な状況へと追いやられてしまう。ただ、攻撃を受けるのに必死で反撃の余地すら残されていない。この状況が長引けば、その先に待ち受けているのは確実な敗北である。
『くっくっく、苦戦してるねー航大くん?』
「るっせぇッ……」
『僕たちの力を使えばいいのに。そうすれば、こんな若造くんに遅れを取ることもないよ?』
ライガとの模擬戦を最も近くで見守っていたのは、航大の中で息づく女神・カガリだった。暴風の女神と呼ばれた女神は、楽しげな笑みを漏らしながら航大に自分の力を使うように勧めてくる。
『勝ちたいのなら、僕たちの力を使うんだね』
「…………」
『ほらほらー、可愛い女の子たちの前でかっこ悪いところは見せられないでしょ?』
航大とライガが戦っているその少し離れたところでは、ユイ、シルヴィア、リエルの三人が楽しそうに水辺で羽根を伸ばしている。水辺で遊ぶ三人の少女たちは、航大とライガの模擬戦に気付いたのか、興味津々といった様子で戦いを観戦している。
「……使わねぇ」
『えー、なんでー?』
カガリの言うとおり、ここまで航大が戦って来れたのも、氷獄の女神・シュナの力があったからだった。女神の力がなければ航大はただの少年であることに間違いはなく、騎士として実戦経験のあるライガを相手に苦戦するのは当然である。
「この戦いは俺だけの力でやる……そうじゃなきゃ、意味がねぇ……ッ!」
脳内で響く誘惑を振り切り、航大は歯を食いしばってライガの攻撃を耐え忍ぶ。
「誰と話してるのか分かんねぇけど、このままなら俺の勝ちだぜ」
「そう簡単に終わらせるかよッ!」
ライガが繰り出す連撃の合間を潜り抜けて、航大はなんとか反撃の糸口を探そうとする。一瞬でもチャンスがあれば木刀を繰り出す航大だが、しかしライガも航大の動きを察して万全の対策を整える。
隙がない。
ライガと対峙して、そこで初めて彼が騎士として完成されていることに気付かされる。女神の力を持たない航大がこの時間まで耐えていることが奇跡的であり、航大は目の前の男から一本取ることの難しさを痛感する。
「そろそろ終わりにするか、航大?」
「舐めんなよ――ッ!?」
剣を振るう技術も、基礎的な体力も、全てがライガよりも劣っている航大。余裕な素振りも見せ始めたライガに一矢を報いようとするも、疲労から守りが甘くなった箇所を的確に突かれてしまう。
「……くっそッ」
ライガが振るう木刀が航大の脇腹へヒットする。
その瞬間、航大の体勢は大きく崩れてしまい、そのまま地面に倒れ伏してしまう。
『あらあら、やられちゃったね?』
「はぁ、はあぁ……」
脳内に響くカガリの言葉に反応することもできない。
見せつけられた実力差に愕然するのと共に、航大はまだ自分に実力が足りないことを痛感する。女神の力を使えば容易に勝つこともできたかもしれない、しかし航大は自分自身が強くなる必要があることも理解している。
自分が守りたいものを全て守る。
そのためにはもっと強くなる必要があるのだ。
「ありがとな、ライガ」
「ん? なんで礼なんて言うんだよ?」
「いや、もっと強くならないとな……って、改めて認識してさ」
「俺も同じだよ。きっと航大が魔法を使えば、俺はもっと苦戦してただろうし、勝てたかも分からねぇ」
「…………」
「俺だって強くならないとな」
「……一緒だな、俺たち」
「そんなとこだな」
ライガが手を伸ばす。
その手を強く握りしめて航大は立ち上がる。
的確に力を抜いてくれたのか、ライガの一撃をもらった航大だったが、その身体にダメージは残っていない。
「あれ、ライガと航大なにしてるのー?」
「木刀なんぞ持って、穏やかではないのー」
「……航大、背中が汚れてる。大丈夫?」
航大とライガが強く握手をする中で、男たちの戦いがあったことなども知らず、水辺で遊んでいた少女たちがやってくる。シルヴィア、リエル、ユイの三人はそれぞれ小首を傾げている。
「大丈夫だって、ちょっと転んだだけだよ」
「まぁ、そういうことだな」
「んー、なんか怪しい……」
「主様、その木刀はなんなのじゃ? 一体、なにがあったんじゃ?」
「……気になる」
詳細を語ろうとしない航大とライガに疑惑を深めるユイたち。
「ほら、いつまでも遊んでる暇はないぜ。そろそろ出発だ」
「そうだな。目的地を急ごう」
強引に話を切り上げるライガと航大。二人はリエルたちの追求をひらりと躱して地竜と客車が待つ場所へ歩き出す。
「もぉー、何してたのか教えてってばー」
「隠し事は無しじゃぞ、主様ッ!」
「……待って、航大」
雲一つない快晴の空が広がる何気ない一時。
穏やかな時間はこの後に待ち受ける激動の前の静けさなのであった。
最悪の夢から目覚めた航大は地竜が引く客車の中で無言を貫いていた。
航大の脳裏に浮かぶのは、夢の中で見た衝撃的な光景だった。どこか見知らぬ朽ち果てた都市の中で、航大は幾度となく『ユイ』に殺される。今まではそんな夢を見ていても忘れていたのに、どうしてかこの時ばかりは色濃く頭のなかに残り続けていた。
「はぁ……」
目を閉じれば夢の内容を思い出すことができる。
黒く姿を変えたユイは、表情ひとつ変えることなくライガたちの命を散らした。
もちろん航大の目の前に座っている白髪を揺らす少女が、仲間を手に掛けるようなことをするはずがない。そう信じてはいるが、それでも航大にとってあの夢の内容がショッキングなものであることに違いはなかった。
「どうしたんじゃ、主様?」
「なんか元気ない?」
夢の光景が頭から離れず、航大は思わず重い溜息を漏らす。
地竜が引く客車の中には、航大とユイ、そしてリエルにシルヴィアの四人が存在しており、航大が漏らしたため息にリエルとシルヴィアが素早い反応を見せる。
「あ、いや……なんでもないよ」
「ふむ……なんでもない、といった雰囲気ではないんじゃがの」
「そうだねー、こっちも同じ感じで」
シルヴィアがちらっと横目で見るのは、いつもの動きの少ない表情を浮かべて一言も言葉を発しないユイだった。彼女をよく知らない人間はいつも通りと勘違いしそうなくらい、一見すると普段と様子は変わらないのだが、付き合いが長い人物であるならば、彼女が見せている微細な変化にも気付きやすい。
「昨日、なにかあったのかの?」
「うーん、この様子を見るに……なにもなかったってことはないんだろうけど……」
航大とユイを交互に見ながら、シルヴィアとリエルが首を傾げる。
これまで二人がここまでギクシャクとした姿を見せることはなかった。だからこそ、より違和感が目立つのだが、その原因をシルヴィアとリエルは知る由もない。このままでは手の打ちようがないのは明白であり、しかしこのままの状況が長引くのは良くないことも理解している。
「あぁーもう、ややこしいなーーッ!」
陰鬱とした空気が客車を包み、その様子に嫌気がさしたシルヴィアが両手を突き上げて大声を上げる。
「ど、どうした……シルヴィア……?」
「どうした……? じゃないッ、アンタたちがうじうじとしてるからこっちはイライラしてるのッ!」
「う、うじうじって……」
「…………」
シルヴィアが指差す先、そこには戸惑いの様子を見せる航大とシルヴィアがいた。
航大とシルヴィアは気まずそうな様子を見せつつも視線を合わせる。
「なにがあったかは知らないし、詮索するつもりもないけど……そのどよーんとした空気を持ち込まないでッ!」
「…………」
「これからの旅は、砂漠の時みたいに戦いがあるかもしれないんだから……そんな気持ちじゃ、自分だけじゃなくて仲間の命も落とすことに繋がるんだからね。ちょっとした喧嘩なら、早く仲直りすること、いいねッ!?」
「別に喧嘩してる訳じゃ……なぁ、ユイ?」
「う、うん……」
「とにかく、これ以上うじうじーっとした感じはなしッ! 分かったッ!?」
「「は、はい……」」
客車の中に響くシルヴィアの怒号。
彼女はなにも本気で怒っている訳ではない。
言葉は荒いが、その本心では仲良くなって欲しいという想いが詰め込まれている。それを理解したからこそ、航大は自分が見せていた態度に後悔の念を禁じ得ない。
「…………」
シルヴィアの言葉を反芻して飲み込んでいく。
頬を思い切り引っ叩き、航大は自分の中にあった迷いを吹き飛ばす。
「よし、もう大丈夫だ」
「うん。航大はその顔が一番かっこいいよ」
「そ、そうか……?」
「なに照れてんのよ……」
頬を叩き気合いを入れ直した航大を見て、シルヴィアは満足げに笑みを浮かべる。
航大が立ち直ったことを確認するなり、シルヴィアは次にユイへと視線を移す。
「アンタは? まだ立ち直れない?」
「……ううん。大丈夫」
問いかけにユイは一つ大きく頷いて、その顔に浮かべていた迷いや後悔の念を消し飛ばす。
「うん、ユイも大丈夫そうだね」
「……シルヴィア、お主も中々やりよるな」
「へへ……四番街で生きてると辛気臭い顔をした奴なんていっぱい居たからね。そういう奴を元気にさせる方法なら心得てるってだけ」
「なるほどのぉ……」
貧民街で生きてきたからこその経験と能力。
それを目の当たりにして、リエルは感心のため息を漏らすのであった。
◆◆◆◆◆
「なんか、すごい声がしたけど大丈夫か……?」
シルヴィアのおかげで客車の中を包む空気がいつもの様子へと変わった。
和やかな空気が支配する中で、そんな声音を漏らすのはライガだった。彼は南方を目指すために地竜を操舵しており、客車の中からは隔離されていた。
地竜を操舵しているとはいっても、客車とは背中合わせで外にいるため、中から響いてきた声は聞こえていた。そのため、何か修羅場にでも発展しているのではないか……と、ライガはビクビクしながら客車の中を覗きに来たわけである。
「あぁ、大丈夫だぜ」
「本当か……?」
ちらっと様子を伺うライガの問いかけに反応したのは航大であった。
先ほどまでのうじうじとした様子は消え去り、航大はいつものように笑みを浮かべて片手を上げる。
「お、おう……航大……なんか、元気になったみたいだな。よかったぜ」
「何言ってんだよ、俺は最初から元気だって」
「え? あぁ……そうなの……?」
ライガもまた航大とユイの異変に気付いてはいた。
だからこそ、この短い時間で復調した二人の様子に戸惑いを隠せない。
「ライガ、地竜もストップさせて何の用? まさか、その確認をするためだけに止まってるんじゃないでしょうね?」
ライガが客車を覗いている。
つまり、航大たちは南方を目指す足を止めていることになり、そのことについて追求するのはシルヴィアだった。
「そうじゃないんだけどさ……まぁ、南方に着くのはまだ先だし……ちょっと休憩しようかなと」
「休憩?」
「あぁ。すぐそこに綺麗な湖があるんだ。ここならゆっくりできると思ってさ」
ライガが指差す先、客車の窓から見える景色に遠目からでも分かる巨大な湖が存在していた。雲一つない快晴の空と、キラキラ輝く湖のコラボレーションは陰鬱とした空気を払拭したばかりの航大にはとても魅力的に映った。
「いいんじゃないか? みんな、狭いところに閉じ込められて窮屈してただろうし」
「……まぁ、航大がそういうなら」
まだなにか文句を言いたそうなシルヴィアだったが、自分が何かを言う前に航大がライガの提案に乗ってしまったため、それ以上はなにも言わず航大の指示に従うことを決める。
「うむ、儂も休憩するのは賛成じゃ」
「……たまには休憩するのも悪くはない、と思う」
航大に続いてリエルとユイの二人も休憩することに賛成する。
「へへ、それじゃ決まりだな」
全員の意思を確認して、ライガはニッコリと笑みを浮かべると地竜を操舵して湖へと向かうのであった。
◆◆◆◆◆
「いやっほーーーいッ!」
湖に到着するなり、元気いっぱいといった様子の声音を張り上げて湖に飛び込むのは、ハイラント王国の騎士であり、眩しく輝く金髪を風に揺らす少女・シルヴィアだった。
「うわー、すっごい冷たいッ!」
派手な水しぶきをあげて顔を覗かせるシルヴィアは、透き通るように美しいライトブルーの湖に満足げな言葉を漏らす。彼女は今、水着に着替えており胸と下腹部だけを隠すビキニを着ているため傷一つ無い健康的な肌が眩しい。
「はぁ……あんなにはしゃぐとは……あやつもまだまだ子供じゃの」
「いや、リエルも水着もってきてるじゃん……」
「むっ、それは南方の地といえば、年中温暖な気候であり、リゾート地も多いと聞く……そんな噂を聞いていたならば、水着の一着や二着もってくるのが当然じゃろうて」
「……楽しみにしてたんだな」
やれやれといった様子でシルヴィアを見るリエルだが、彼女もまた水着を身に纏っており、更にその手にはビーチボール的なものも握られていて楽しむ気満々といった様子である。
リエルは肌の露出を抑えた水着を着用しており、その形は航大がよく知るスクール水着に近い形をしていた。
まさか異世界でスク水を見る日が来るとは想像もしていなかった航大は、堂々とスク水を着るリエルから視線を外すことが出来ないでいた。
「む、なんじゃ主様? 儂の水着なんて見ても楽しいことはないと思うが?」
「いや、リエルの水着って初めてみるなーって思って……てか、珍しい水着だな?」
「そうかの? これは儂がまだ幼い頃に姉様から譲り受けたものじゃが……」
「幼い頃、ね……」
リエルは北方の地で賢者と呼ばれ、氷獄の女神・シュナを守る者として人間の寿命を捨てた身である。だからこそ、外見こそまだ子供であるのだが、その中身は数百年の時を生きている。
「温暖な地にやってくるのは久しぶりじゃからの……儂も少しは羽根を伸ばしたいんじゃ」
「まぁ、ミノルアで水遊びが出来るとは思えないしな……」
「そういうことじゃ。主様も早く着替えてくるんじゃぞ」
「え、でも……俺は……」
航大の返答を聞く前にリエルはとてとてと走り出してしまう。
そしてシルヴィアと同じように湖に飛び込むと、シルヴィアと共に水遊びに興じ始める。
「……あいつら元気だなぁ」
「……うん。みんな、すごく元気」
「って、ユイッ!?」
シルヴィアとリエルの様子を微笑ましく見守っていた航大の隣に立つのは、清楚で大人っぽい印象を与えるパレオ水着に身を纏ったユイだった。
彼女はいつもはそのまま垂らしている長い白髪をポニーテールの形で結び、そしてシルヴィアと似た形状の水着なのだが、腰部分から下半身を半透明のスカートを身につけている。
「……航大は遊ばないの?」
「いや、俺は……水着とか持ってきてないしな」
「……それなら、私もここでお留守番しようかな」
「ん? 俺に気を使うことはないぞ?」
「でも……」
「俺は大丈夫だって、ライガだっているし」
航大が指差す先、そこには地竜の世話をしているライガの姿があった。
彼もまた航大と同じで水着などを持ってきてはいないため、水遊びをすることなく更なる旅路に向けた準備を黙々と進行している。
「ユイー、早く来なさいよーッ!」
「こっちは楽しいぞーッ!」
笑い声が絶えない湖で遊ぶシルヴィアとリエルがユイを呼ぶ。
「ほら、行ってこいよ」
「……うん」
航大に背中を押され、ユイは一步を踏み出していく。
彼女が歩む先には笑みを浮かべる仲間たちがいる。少し照れくさそうではあるが、そんな仲間たちの笑顔にユイは微笑みを浮かべている。
「…………」
少しずつ遠くなる背中を見つめながら、航大はこの瞬間を大切にしたいと心から思う。
夢で見た光景は何かの間違いだったのだと、そんなことを考えるくらいには平和な姿に思わず航大も笑みを浮かべてしまう。
「ったく、あいつらは……旅行気分じゃ困るぜ」
「お、ライガ。準備の方は大丈夫なのか?」
「あぁ、いつでも出発できるようにはしてあるぜ。それよりも航大、調子は大丈夫か?」
「全然大丈夫だって。ちょっと寝不足だっただけだよ」
「まぁ、それならいいんだけどな」
航大の隣にやってきたのは、先ほどまで地竜の傍で旅の準備を行っていたライガだった。彼もまた航大が見せた違和感に気付いており、心配そうに顔を覗き込んでくるが航大がいつも通りの反応を返すことで安堵の表情を浮かべる。
「よし、航大。こういう時は身体を動かすのがいいんだ。そうすれば嫌なことなんて全部吹っ飛ぶからな」
「……身体を動かす?」
「そういうこと……ほれっ」
「おっとッ!?」
満面の笑みを浮かべてライガが放り投げてくるのは、その手に持っていた木刀だった。
軽い素材で作られているのか、ライガが雑に投げてくるが特にダメージもなく受取ることができた。
「コレを使って、ちょっと身体を動かそうぜ」
「木刀で……?」
「もちろん本気ではやらねぇけどさ、ちょっとした模擬戦的な感じだよ」
ライガもまた木刀を右手に握っており、それを見て航大は彼がしようとしていることを理解する。
「現役の騎士様に勝てる気はしないけどな……」
「何言ってんだよ、最近メキメキと腕を上げてるじゃねぇか」
「それはどうかな?」
「ちょっと試させてくれよ」
互いに木刀を持って精神を集中させていく。
いくら模擬戦であったとしても、そこは男同士の戦いである。命を賭けた戦いでないとしても、同じ男として負けることは許されないのである。
「…………」
「…………」
しばしの静寂が二人の闘争心を極限にまで高めていく。
「いくぜ、航大ッ!」
「受けて立つ、ライガッ!」
二つの影が動き出す。思い切り地面を蹴って前への推進力を手に入れると、航大とライガは互いに退くことなく真正面で激突する。
「――――ッ!」
遠くで少女たちの笑い声が鼓膜を震わせる中で、湖に木刀同士がぶつかり合う乾いた音が響き渡る。自分が持ち得るありったけの力を込めた一撃。
「ぐぬぬッ!」
「こんのッ……」
お互いの木刀を重ね合わせて、航大とライガの身体は前への推進力を失って制止する。力と力のぶつかり合い、正面から激突する視線。完全な膠着状態に陥るかと思われた次の瞬間には、ライガの木刀が航大を押し込み始める。
「力なら負けねぇぜ……」
「馬鹿力め……ッ!」
時間が経過していくごとに二人の動きにも変化が現れる。
少しずつではあるがライガの木刀が航大を押し込むようになり、均衡が崩れようとしている。
「そっちがその気なら――次だッ!」
「おっと、そうはさせねぇぜッ……!」
このままでは押し負ける。
それは分かりきっていたので、航大は木刀の位置をずらして自ら均衡を崩そうとする。ライガの木刀が空を切るように誘導するつもりだった航大、しかしライガも彼の思惑通りに事を進める訳にはいかなかった。
航大の狙いをいち早く察したライガもまた、次なる連撃に移るための体勢を整えていく。
「下からならどうだッ!?」
「甘いぜッ!」
止まっていた時が動き出す。
互いの木刀を弾くようにした後、航大は木刀の切っ先が地面を擦るように下段からの切り上げを行う。対するライガもまた、その顔に笑みを浮かべて右手を大きく振り上げた後に木刀を思い切り振り下ろす。
「――――ッ!?」
再び湖に乾いた音が響き渡る。次の音は先ほどよりも大きいものであり、それが二撃目の攻撃が持つ破壊力の高さを物語っていた。
「ぐッ……」
「俺だって一端の騎士だ……下手な小細工と力なら負けはしないぜッ……!」
そう。ライガはハイラント王国の騎士である。
かつて全世界を巻き込んだ大陸間戦争にて英雄と謳われた騎士を父に持ち、厳しい鍛錬の日々を送っている将来有望な騎士のライガを相手に、航大が持ち得る小細工が通用するはずもなかった。
航大が放つ一閃はライガが振るう力任せの一撃に封殺される。
「相手にすると厄介だな……ッ!」
「そんなことねぇよ。ほら、そっちから来ないならこっちから行くぜッ!」
航大の体勢が崩れたことを確認するなり、ライガはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて目にも留まらない連撃を見舞ってくる。
「くっそッ!」
「おらおらぁッ!」
一閃。
また一閃。
縦横無尽に繰り出される木刀からの連撃。
その全てが当たれば一撃でダウンすること間違い無しの本気であり、あっという間に航大は防戦一方な状況へと追いやられてしまう。ただ、攻撃を受けるのに必死で反撃の余地すら残されていない。この状況が長引けば、その先に待ち受けているのは確実な敗北である。
『くっくっく、苦戦してるねー航大くん?』
「るっせぇッ……」
『僕たちの力を使えばいいのに。そうすれば、こんな若造くんに遅れを取ることもないよ?』
ライガとの模擬戦を最も近くで見守っていたのは、航大の中で息づく女神・カガリだった。暴風の女神と呼ばれた女神は、楽しげな笑みを漏らしながら航大に自分の力を使うように勧めてくる。
『勝ちたいのなら、僕たちの力を使うんだね』
「…………」
『ほらほらー、可愛い女の子たちの前でかっこ悪いところは見せられないでしょ?』
航大とライガが戦っているその少し離れたところでは、ユイ、シルヴィア、リエルの三人が楽しそうに水辺で羽根を伸ばしている。水辺で遊ぶ三人の少女たちは、航大とライガの模擬戦に気付いたのか、興味津々といった様子で戦いを観戦している。
「……使わねぇ」
『えー、なんでー?』
カガリの言うとおり、ここまで航大が戦って来れたのも、氷獄の女神・シュナの力があったからだった。女神の力がなければ航大はただの少年であることに間違いはなく、騎士として実戦経験のあるライガを相手に苦戦するのは当然である。
「この戦いは俺だけの力でやる……そうじゃなきゃ、意味がねぇ……ッ!」
脳内で響く誘惑を振り切り、航大は歯を食いしばってライガの攻撃を耐え忍ぶ。
「誰と話してるのか分かんねぇけど、このままなら俺の勝ちだぜ」
「そう簡単に終わらせるかよッ!」
ライガが繰り出す連撃の合間を潜り抜けて、航大はなんとか反撃の糸口を探そうとする。一瞬でもチャンスがあれば木刀を繰り出す航大だが、しかしライガも航大の動きを察して万全の対策を整える。
隙がない。
ライガと対峙して、そこで初めて彼が騎士として完成されていることに気付かされる。女神の力を持たない航大がこの時間まで耐えていることが奇跡的であり、航大は目の前の男から一本取ることの難しさを痛感する。
「そろそろ終わりにするか、航大?」
「舐めんなよ――ッ!?」
剣を振るう技術も、基礎的な体力も、全てがライガよりも劣っている航大。余裕な素振りも見せ始めたライガに一矢を報いようとするも、疲労から守りが甘くなった箇所を的確に突かれてしまう。
「……くっそッ」
ライガが振るう木刀が航大の脇腹へヒットする。
その瞬間、航大の体勢は大きく崩れてしまい、そのまま地面に倒れ伏してしまう。
『あらあら、やられちゃったね?』
「はぁ、はあぁ……」
脳内に響くカガリの言葉に反応することもできない。
見せつけられた実力差に愕然するのと共に、航大はまだ自分に実力が足りないことを痛感する。女神の力を使えば容易に勝つこともできたかもしれない、しかし航大は自分自身が強くなる必要があることも理解している。
自分が守りたいものを全て守る。
そのためにはもっと強くなる必要があるのだ。
「ありがとな、ライガ」
「ん? なんで礼なんて言うんだよ?」
「いや、もっと強くならないとな……って、改めて認識してさ」
「俺も同じだよ。きっと航大が魔法を使えば、俺はもっと苦戦してただろうし、勝てたかも分からねぇ」
「…………」
「俺だって強くならないとな」
「……一緒だな、俺たち」
「そんなとこだな」
ライガが手を伸ばす。
その手を強く握りしめて航大は立ち上がる。
的確に力を抜いてくれたのか、ライガの一撃をもらった航大だったが、その身体にダメージは残っていない。
「あれ、ライガと航大なにしてるのー?」
「木刀なんぞ持って、穏やかではないのー」
「……航大、背中が汚れてる。大丈夫?」
航大とライガが強く握手をする中で、男たちの戦いがあったことなども知らず、水辺で遊んでいた少女たちがやってくる。シルヴィア、リエル、ユイの三人はそれぞれ小首を傾げている。
「大丈夫だって、ちょっと転んだだけだよ」
「まぁ、そういうことだな」
「んー、なんか怪しい……」
「主様、その木刀はなんなのじゃ? 一体、なにがあったんじゃ?」
「……気になる」
詳細を語ろうとしない航大とライガに疑惑を深めるユイたち。
「ほら、いつまでも遊んでる暇はないぜ。そろそろ出発だ」
「そうだな。目的地を急ごう」
強引に話を切り上げるライガと航大。二人はリエルたちの追求をひらりと躱して地竜と客車が待つ場所へ歩き出す。
「もぉー、何してたのか教えてってばー」
「隠し事は無しじゃぞ、主様ッ!」
「……待って、航大」
雲一つない快晴の空が広がる何気ない一時。
穏やかな時間はこの後に待ち受ける激動の前の静けさなのであった。
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