終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第五章96 【幕間】束の間の休息<シルヴィアとの時間1>
「ふむ、楽しい時間はあっという間じゃな……」
「あぁ、そうだな……」
「主様、元気がないぞ? 儂とのデートは楽しくなかったかの?」
朝早くから実施されたリエルとのデート。
その大部分は航大にとって紛れもなく楽しい時間であったのは事実である。しかし、彼の心に影を落とすのは、城下町の裏にある小さい名もない魔導書店での出来事だった。
一番街の裏道を進んだ先にある魔導書店、そこは過去に航大も訪れたことがあった。北方の賢者・リエルと出会うきっかけをくれた場所であり、航大にとっては短い時間では合ったが思い出深い場所なのであった。
「いや……そうじゃ、ないんだけどさ……」
「……んん?」
航大にとって思い出深い魔導書店は、賢者・リエルにとっても大切な場所であったのだ。
百年という時を遡ることでリエルと魔導書店の間に築かれた確かな記憶が存在していた。
「リエルとのデートは楽しかったぜ、本当に……」
「……主様にそんな顔をさせているのは、儂のせいじゃな」
「……え?」
「まぁ、あの人が儂のことを覚えていないという事実……もちろん、儂だってその可能性を考えなかった訳ではないぞ。しっかりと考えて、覚悟を決めて、主様が傍に居てくれると思ったから……儂は今日、あの場所を訪れたのじゃ」
「…………」
「主様が気に病むことはない。人間は万能ではないのじゃ、百年という時はあまりにも長い……人間の記憶が風化してしまうのに十分過ぎる時間だった……それだけじゃ」
「…………」
この時、航大は『でも、お前は覚えてたじゃないか』と、そんな言葉が飛び出そうになっていた。しかしそれは、彼女の心に傷を与えてしまうだけだと寸前で判断し、咄嗟に飲み込んだ。
「主様、今日は本当にありがとう。きっと、こんなに楽しい時間を過ごしたのは、人生でも初めてかもしれぬ。今、こうして儂が笑っていられるのは、神谷 航大という存在があってくれたからじゃ」
リエルとのデートで許された時間は有限である。
今、彼らは残された時間をいっぱいに使って王城へと帰還を果たそうとしていた。
少しずつ大きくなるハイラントの王城を見ながら、航大たちはゆっくりと歩を進めていく。
「まぁ、そう言ってもらえると嬉しいよ」
「さて、儂は部屋に戻って一眠りするとしよう。それでは主様、また後でなッ!」
「あ、おい……リエルッ!」
「ふっ、主様……あまり女を泣かせるでないぞ?」
くるりとその場で回転し、最後に心からの笑みを浮かべてリエルは小走りで航大の前から姿を消す。
「…………」
後に残された航大は、一番街の喧騒が包む中で一人立ち尽くす。
遠ざかる瑠璃色の髪を持った少女の姿が完全に消えるまで、少年はただ一人、立ち尽くすだけなのであった。
◆◆◆◆◆
「えーと……次は確か……シルヴィアだったかな……」
リエルと別れてからしばらくの時間が経過した。
航大は今、ハイラント王国の王城を一人で歩いている。
外の喧騒とは打って変わり、王城の内部は異様な静寂に包まれていた。いつもならば王城は関係者で賑わっているのだが、この瞬間にだけ限ってはそうでもないらしい。
「…………」
最初は迷ってばかりだった王城も、今ではある程度の場所を把握して歩くことができるようになっていた。異世界にやってきて色んなことがあって、自分が生まれ育った世界では考えもしなかった日々を過ごしてきた。
出会い、別れ、戦いと敗北。
その全てが神谷 航大という存在を成長させる要因となり、今では彼を慕って仲間が集うようになっていた。命を預けて共に戦うことができる仲間。それは決して元の世界では得られなかったものである。
自分を必要としてくれる存在がある限り、少年はこの世界で生き続けるのだろう。
剣と魔法が闊歩する異世界での生活。
それもきっと悪くない。
「お、シルヴィア」
「あっ、航大ッ!」
柄にもなく真剣に考え事をしている少年の前に、探していた人物が何ら前触れもなくその姿を現したのであった。
「よう、探したぜ」
「もう、それはこっちの台詞なんだけど?」
王城の廊下にひょこっと姿を見せたシルヴィアは、航大の顔を見るなり安堵の表情を浮かべる。そして小走りに駆け寄ってくると、笑みを浮かべて航大と会話を楽しむ。
「まぁ、待ち合わせ場所を決めてなかったからな、とりあえず見つかって良かったよ」
「それじゃ、これからどうしようか?」
「うーん、行きたいところとかあるのか?」
とりあえず合流は済んだ航大とシルヴィア。二人は静かな王城を歩きながら、これからの予定について話し合う。このデートは航大の意思によって開催されたものではなく、また唐突なことであったので、航大の中には一切のデートプランが存在していないのだった。
「あ、そうだ……私、会いたい人がいるんだけど」
「シルヴィアが会いたい人? 俺の知ってる奴か?」
「さすがに知ってるとは思うよ。多分、私だけの力だと中々会えない人」
「誰だよ、それ」
「この国の、王女様」
◆◆◆◆◆
今日の王城は特別静かだった。
まばらに見える人たちを横目に、航大たちはある場所を目指して歩を進めていた。
「ごめんね、航大。私の我儘に付き合ってもらっちゃって」
「あー、まぁ……我儘に付き合うのは一度や二度じゃないしな。それに、俺のせいで迷惑もかけちまったし、これくらいなんてことないって」
「……ありがと」
静かな王城を歩くシルヴィアは、その顔に笑みを浮かべてスキップしそうな勢いで軽やかに足を踏み出している。さらさらと揺れる金髪と、端正に整った横顔を見て、航大の胸が不意に高鳴ってしまうのだが、それを悟られまいと話題を変えていく。
「そういえば、なんで王女様に会いたいんだ?」
「うーん……それは詳しく説明すると時間が掛かるんだけどねぇ……」
「てか、昨日も会ったじゃないか」
「そうなんだけど……あの時は騎士として会ってた感じだから、今回はちょっと違うんだよね」
「その違いがよく分からんけど……今日はシルヴィアの言うこと、できるだけ聞いてやる」
「えへへ……ありがとうね、航大」
城下町のスラムで育ち、今では王国の騎士として働く少女・シルヴィア。
彼女の願いは自分が生まれ育った国の王女であるシャーリーに会いたいというものだった。その願いを叶えてやるため、航大は王城のある場所を目指す。そこに行けば、シャーリーの動向について何か知ることが出来るかもしれない。
「おや、航大様ではないですか」
「お、ルズナ。久しぶりだな」
「そうですね。私はいつもこのお城に居ますが、航大様は大変お忙しそうで……」
「はは、まぁな。ルズナはお城の掃除か?」
「はい。といっても、お城はいつも完璧にお掃除されていますので、改めてやらなくてもいいんですけどね」
「確かに言われてみれば、お城っていつも綺麗だよなー」
シャーリーに会うために歩みを進めていた航大たちの前に姿を現したのは、このお城のメイド長であり、王女・シャーリーの側近である女性・ルズナだった。
過去、ハイラント王国の王城で初めて航大が邂逅を果たした人物でもあり、腰まで伸びる黒髪をポニーテールで結び、頭にはヘッドドレスを身に着けているのが印象的である。
城下町で見た露出が激しいメイド服ではなく、彼女が身につけているのは王城で務めるのに相応しいロングスカートからなる清楚なイメージを与えるメイド服であった。
表情の変化に乏しいが、彼女はとても端正に整った顔立ちをしており、身長も航大より高い、真面目を絵に描いたような人物であり、王城の世話をその手で担う手腕を持っている。
「少しの汚れも許しませんからね。航大様はデートといったところでしょうか?」
「えっ? あぁ、まぁ……そんなところだな」
「……ふむ、そこに立っているのは騎士のアセンコット、ですね?」
「あ、はいッ!」
チラリと航大の隣に立つ少女・シルヴィアを見るルズナ。
その瞳が僅かに鋭さを増し、平坦な声音が相手を威圧させるのか、金髪を揺らすシルヴィアはルズナの言葉に背筋を伸ばして深々と頭を下げる。
「そうですか。先の旅路では、航大様を助けて頂いたようで……私からも感謝します」
「い、いえッ……私は自分がするべきことをやっただけで……褒められるようなことでは……」
ルズナの言葉にシルヴィアは声を上擦らせて返答する。
「おい、シルヴィア? なにそんなにかしこまってんだよ」
「バ、バカッ……航大は知らないかもしれないけど、ルズナさんは王女側近の騎士でもあるのよッ!」
「……へっ?」
「騎士としての位ならば、私やライガみたいな下っ端とは違って、相当に目上の人なんだからッ!」
「そ、そうだったのか……? でも、ルズナだって自分のことをメイド長だって……」
「ふふ、アセンコットの言うことは間違ってはありませんし、航大様の言葉も間違ってはいません。私は王女側近の騎士であり、この王城を取りまとめるメイド長でもあるのですから」
僅かに表情を和らげさせるメイド長・ルズナ。
その顔を見て、シルヴィアの表情がまた固いものへと変わっていく。
「シャーリー様をお探しなのですよね?」
「あ、はい……」
ルズナの問いかけに答えるのはシルヴィア。
再びその背筋はピンと伸び切っていて、彼女がそんな反応を見せる姿を航大は初めて垣間見た。
「貴方がどれほど成長したか、それを見せてもらいましょう。私が認めるような成長を遂げているのなら、シャーリー様への謁見を許可してあげてもいいです」
「え、それって……」
「今から中庭へいらっしゃい。これは騎士としての命令です」
「い、いやああぁ……航大、助けてええええぇぇぇ……」
航大が口を挟む余地もなく、シルヴィアはルズナに引きずられる形で中庭へと連行されていく。
「あ、おい……俺を置いていくなってー」
涙目で助けを訴えてくるシルヴィア。
相変わらずの無表情ながら、どこか楽しげにポニーテールを揺らすメイド長・ルズナ。
そして最後に置いてけぼりになりそうだった航大が、二人を追いかけて小走りで中庭へと向かうのであった。
◆◆◆◆◆
「さぁ、剣を取りなさい、アセンコット」
「ほ、本当にやるんですか……?」
「ここまで来たのです、当たり前じゃないですか。それに、前は毎日のように鍛錬をしたではないですか」
「いや、まぁ……そうなんですけど……でも、今日はちょっと予定がありまして……」
チラッチラッと航大に救いを求める視線を投げかけるシルヴィア。
彼女の救難信号に気付いている航大もルズナを説得しようとするのだが……、
「手出しは無用ですよ、航大様。貴方はシャーリー王女の大事なお客様。騎士であるアセンコットに貴方を守る実力があるのか……彼女の上司として、私はそれを確かめなくてはなりません」
「……だってさ」
いくら航大がルズナに声をかけようとも、メイド服を風に靡かせる彼女は聞く耳を持たない。ルズナの右手には細長い両刃の剣が握られており、それは紛れもなく切られれば命を落としかねない『真剣』である。
「何をそんなに恐れる必要があるのです、しっかりやればすぐに終わるじゃないですか」
「私は一度として貴方に勝ったことはないんですけどね……」
「それも今では昔の話……ガーランドの息子さんも成長を見せているようですし、私は今の貴方がどれほどなのか、それが気になっているだけです」
「はぁ……こうなったらやらないと終わらないか……」
うじうじと文句を垂れていたシルヴィアだが、ルズナがやる気満々な様子を見るなり、これ以上の抵抗を諦めて渡された剣に目を落とす。すると次の瞬間、シルヴィアの表情が一変する。
「…………」
小さく息を吐き、自らの集中力を高めていく。
静かながらその瞳には闘志が漲っている。
「…………」
対するメイド長・ルズナもまた、シルヴィアと同じように静かに呼吸を整え、鋭い眼光を放つ瞳はまっすぐにシルヴィアを捉えて離さない。
両者の間に漂う沈黙が異様に重苦しく、傍で見守っている航大もまたあまりの緊張感に生唾を飲んでしまう。とてもじゃないが、今から始まろうとしているのがただの鍛錬ではなく、命を賭けた戦いである。
「――――ッ!」
まず最初に動きを見せたのはシルヴィアだった。
地面を強く蹴りつけると、金髪を靡かせながら虚空へと飛び出していく。
「愚直なまでに一直線……悪くないッ!」
太陽を背に飛びかかってくるシルヴィアを見ながら、ルズナはその表情を楽しげに歪ませる。瞬く間に接近してくるシルヴィアに対して、ルズナは逃げるという選択をせずに、己が握る剣を持って真っ向からぶつかることを選ぶ。
「はあああああぁぁぁぁーーーーッ!」
シルヴィアの咆哮が周囲に響き渡る。
二人の影が重なり合うのと同時に、中庭を甲高い剣戟の音が響き渡っていく。
「うおぉ、シルヴィアの奴……マジでやりやがったッ!?」
剣戟の音に僅かに遅れて中庭を凄まじい土埃が立ち込める。ルズナが立っていた周囲の地面が抉れて、あっという間に航大の視界が土埃に支配されてしまう。
航大にとって、ルズナが王女の近衛騎士であるという事実がまだ受け入れられていない。だからこそ、シルヴィアが紛れもない本気の一撃を見舞ったことに驚きを隠すことが出来ないでいた。
「…………」
土埃が消失すると、中庭の中心で睨み合う二つの人影が存在していた。
それを見たとき、航大はルズナが持つ戦闘能力の高さを確信することとなった。
「ふふっ、いい一撃でしたね。私を相手に手加減なしの全力……その華奢な身体からは想像も出来ない強力な一太刀……また、腕を上げましたね?」
「ぐ、ぐぬぬ……私は航大とデートしないといけないの……こんなところで時間を使ってる余裕は……ないッ!」
シルヴィアが放つ全力の一撃を、ルズナは右手に持つ剣一本で完全に受け止めてみせた。周囲の地面が抉れるほどの一撃だというのに、ルズナが持つ剣はしっかりとその姿を維持していて、シルヴィアの勢いを殺すことに成功していた。
「マジかよ……」
その様子を見て一番驚いているのは航大だった。
メイド服を風に靡かせ、涼しい顔でシルヴィアの一撃を受け止めるルズナ。その様子はさっきまで王城の掃除をしていたとは思えない変わりっぷりである。
「さすがは王女側近の近衛騎士……これくらいじゃ、やられてはくれないですよね」
「そんなことは当たり前。それよりも、剣にばかり集中していてはダメですよ?」
「……へっ?」
剣と剣が交わり、両者の力が拮抗する。
その中でルズナの表情が僅かに和らぎ、次の瞬間、ルズナの身体がその場で回転する。
「――――ッ!?」
メイド服のロングスカートを靡かせて、ルズナはシルヴィアの脇腹に回し蹴りを見舞う。タイミング、動作、速さ共に完璧であり、瞬きの瞬間に脇腹へめり込むルズナの足を、シルヴィアは躱すことすら出来はしなかった。
「ほら、戦いは何も剣だけで行われる訳ではありませんよ?」
「ぐッ……相変わらず、手加減がないッ……」
「これまで経験してきた戦場で、手加減をしてくる相手が居ましたか?」
「…………」
脇腹を押さえてうずくまるシルヴィア。彼女の瞳は対峙するルズナをこれでもかと睨みつけている。
「さぁ、そっちから来ないのならば……こっちからッ!」
「そうなんども……やられて……たまるかぁッ!」
再び地面を蹴って接近してくるルズナの動きは確かに一般人のそれではない。
体勢を低くして、風を切って直進する。右手に持った剣の切っ先を地面に擦りつけながら、下段からの切り上げでシルヴィアの身体を切り裂こうとしている。
「――――ッ!」
再び剣と剣が衝突する。
ルズナの一閃もまた惚れ惚れするほどに隙がなく、しかし対するシルヴィアの対応もまた素晴らしい。下段からの斬撃に対しても焦ることなく、どこまでも冷静に自らの剣を思い切り振り下ろすことで受け止めていく。
「次ッ!」
互いの剣を弾き、すぐさま次の剣戟へ。
ここからは瞬きすらも出来ない連撃の応酬である。
ルズナが振るう剣は縦横無尽に風を切ってシルヴィアに襲いかかる。今の航大には剣の動きを目で追うことはできないのだが、騎士であるシルヴィアはルズナが振るう剣を完全に目で捉えることに成功していて、攻勢に出ることはないがそれでもしっかりと対応し続けている。
「守ってばかりでは、勝つことなどできませんよ?」
「分かってるってッ!」
右に左と休む暇もなく繰り出される斬撃。
このままでは埒が明かないと判断するシルヴィアは、その顔を僅かに顰めると歯を食いしばって反撃に転じようとする。
「そこッ!」
「甘いッ!」
ほんの僅かに姿を見せた隙を突くシルヴィア。
自らの顔面を貫こうとするシルヴィアの剣が迫る中で、ルズナは超人的な反射神経を見せて上半身を思い切り反らすことでシルヴィアの剣を躱す。
「相手を確実に仕留めるまで、気を抜いてはいけませんよ?」
「――――ッ!?」
上半身を反らして剣を躱すルズナは、そのまま後ろへバク転して、攻撃の体勢から戻るのが遅れたシルヴィアの顎を思い切り蹴り上げる。
「ぐッ!」
「ほら次ッ!」
「きゃああぁーーーッ!?」
顎を蹴り上げられて一瞬、シルヴィアの身体が揺らぐ。
この刹那の隙が致命傷となり、ルズナはシルヴィアが持つ剣を弾き飛ばすことで勝負は決してしまった。
「ふむ、まだまだですね、アセンコット?」
「…………」
宙を舞うシルヴィアの剣が地面に突き刺さり、それを手にとってルズナが一言呟く。剣技の腕で完全にルズナへ敗北を喫してしまったシルヴィアは、つまらなさそうに唇を尖らせて中庭に座り込んでいる。
「剣の腕前は確かです、しかし時に戦いは剣だけではなく、自らの体術を駆使する必要があります」
「…………」
「まぁ、今日はこのくらいにしておきましょう。アセンコットも、旅明けで疲れているでしょうし」
「はぁ……今度は負けませんから」
「その言葉、忘れないでおきましょう。次は、互いに全力を出せるようにしましょうね」
「……そうですね」
本来ならばシルヴィアはルズナを相手にもっと戦うことができたはずである。
砂漠への旅路で剣姫としても著しい成長を遂げた彼女であったが、ルズナとの短い戦いの中で、まだまだ彼女には成長の余地があることが明らかになった。
「さて、航大様たちはシャーリー様にお会いしたいのでしたね?」
「あ、あぁ……」
「本日、王女様は公務がございますので、あまりお時間はありませんが、少しなら謁見することができるでしょう」
ルズナはくるりとその場で回転すると、優雅な動作で王城へ向けて歩き出す。その背中が付いてこいと伝えているのを察して、航大とシルヴィアもメイド長の後を追って歩き出す。
◆◆◆◆◆
「えーと、ルズナさんってかなり強いんですね?」
「そうでしょうか? 現役の頃と比べましたら、腕は落ちてしまいました」
「あれで腕が落ちてるのか……」
静かな王城を歩く航大、シルヴィア、ルズナ。
三人の間に無言の時が流れ、それを打ち破ったのは航大だった。
「ルズナさんはハイラント王国の中でも、トップクラスの実力を持っていた人。ハイラント王国の英雄、グレオさんとも肩を並べていた人なんだから」
それに続くようにして言葉を漏らすのはシルヴィアだった。
彼女はルズナに敗北を喫した後から無言になることが多かったのだが、航大の何気ない言葉には反応を示してみせた。
「え、あのグレオさんと……?」
「ふふ、それも今は昔の話ですよ。今だったら、十回戦ったら八回は負けるでしょうね」
「……二回は勝つことができるのか」
過去の大陸間戦争で活躍した英雄グレオ・ガーランド。
航大たちと共に旅をするライガの父親であり、ハイラント王国の騎士たちの中で間違いなくトップに君臨する人物である。グレオが持つ実力は航大もその目で見ている。だからこそ、メイド服を靡かせる女性が、そんなグレオと対等に戦えるという事実が航大にとっては驚きなのである。
「ルズナさんってすごいんですね……」
「いえいえ、昔の話ですから」
航大の言葉にニッコリと笑みを浮かべるルズナ。
彼女の底知れない実力に慄きながらも、航大たちはシャーリーの部屋を目指して歩みを進めるのであった。
「それでは、少々お待ち下さい」
やってきたのは王城の中に存在する王女・シャーリーの部屋だった。
「…………」
王女の部屋を前にして、シルヴィアは少し緊張した様子を見せている。彼女がシャーリーに会いたがる理由を航大はまだ知らされておらず、しかし彼女がこれほどまでに緊張した様子を見せるのだから、何かしらの強い想いがあるのは窺い知れる。
「シャーリー様より許可を得ることができました。どうぞ、中へ」
しばしの沈黙が流れた後、部屋からルズナが出て来る。
そして甲斐甲斐しく一礼をすると、航大たちを部屋の中へと案内する。
「こんにちは、航大さん。何かお話があるとのことでしたが、どうしましたか?」
部屋に入ると、シャーリーは窓際に備えられた丸テーブルと椅子に座って、穏やかな笑みを共に航大たちを出迎えてくれた。豪勢とまではいかないが、純白のドレスを身に纏っており、王女としての気品に溢れた様子である。
「えーと、シャーリーと話したいのは俺じゃなくて……ほら、シルヴィア……」
「うっ……わ、分かってるけど……緊張しちゃって……」
「そちらに居るのは……シルヴィア・アセンコットさん……ですね?」
「えっ、あっ……はい……」
「……立ち話は辛いでしょう、どうぞ、おすわりになってください」
「あ、ああ、ありがとう……ございますッ!」
ガチガチに緊張したシルヴィアを見て、シャーリーはくすっと笑みを浮かべると丸テーブルに備え付けられた椅子に座るように勧めてくれる。王女としての貫禄をこんな場面でもいかんなく発揮するシャーリーの提案を受けて、航大たちは椅子に腰をかける。
「シルヴィア、何か話したいことがあったんじゃないのか?」
「うぅ……それは、そうなんだけど……緊張しちゃって……」
「……お前って、そんなキャラだったっけ――いてッ!?」
もじもじとハッキリしない様子のシルヴィアが持つ緊張を少しでも和らげてやろうとした航大だったが、どうやら言葉選びを間違えたようで思い切り足を踏まれてしまう。
「ふふふ……やっぱり仲が良いんですね。ちょっぴり羨ましいです」
「そ、そそそそんなんじゃ……あり、ません……」
「そうですか? 阿吽の呼吸って感じがして、見ていて微笑ましいです」
「だってさ、シルヴィア」
「王女様は、その……げ、元気ですか……?」
「ふふ、こういった時は王女様と呼ばなくても大丈夫です。気軽にシャーリーとでも呼んでください」
「え、いやッ……でも……王女様は王女様ですし……一端の騎士である私が、そんな風に呼ぶことは……」
「私、あまり堅苦しいのは好きではなくて、航大さんみたいにそう呼んでもらえると嬉しいです」
「……分かりました、シャーリー様」
「それで良しとしましょう。それで、元気かって質問でしたね。えぇ、私は元気です」
上品で気品に満ち溢れる、まさしく一国の王女たる様子をまざまざと見せつけるシャーリーは、緊張しっぱなしのシルヴィアとは違って言葉遣いにも余裕が滲み出ていた。
笑みを崩すことなく、シルヴィアの目を見てしっかりと受け答えをする。
「そう、ですか。それなら良かった……」
「シルヴィアさんも、航大さんを救うための旅路……本当にお疲れ様でした。貴方たちが無事で戻ってきてくれて良かったです」
「まぁ、私はあまり力になれてなくて……」
「いえ、そんなことはありませんよ。貴方たち全員が航大さんを助けたい……そう強く願ったからこそ、目的を果たすことができた……私はそう考えています」
「…………」
シャーリーの言葉にシルヴィアの表情が僅かに和らいだ。
王女が奏でる声色は人を癒やす力でもあるのか、航大もまた彼女の声を聞く度に心が癒やされていく。
「……シャーリー様は、ご両親のこと……覚えて、いますか?」
和やかな雰囲気になったところで、次に口を開いたのはシルヴィアだった。
彼女はこの場で初めてまともに話すことができ、しかし彼女が投げかけた質問に航大は驚いていた。シルヴィアが紡いだ声色から、この質問こそシルヴィアがシャーリーと話したいといった目的なのであると判断することができたからである。
「両親、ですか……正直なことを申し上げれば、まだ私が幼い頃に命を落としてしまいましたので、詳しくは何も覚えていません」
シルヴィアの問いかけにシャーリーは少し淋しげな表情を浮かべて返答する。ここまで笑みを崩さなかったからこそ、彼女が浮かべた表情の変化に航大もシルヴィアも敏感に気付くことができた。
「シルヴィアさんはどうですか? ご自分の両親について、何か覚えていることはありますか?」
「……いえ、私も同じような感じで……両親については何も覚えていません。物心ついた時にはスラムで育っていましたので」
シャーリーの問いかけにシルヴィアもまた淋しげな表情を浮かべて返答する。身分の差は違えど、二人の間には似たような境遇が確かに存在していた。
「そういう意味では、私たちは似た者同士ですね」
「あ、はい……似ていると、思います」
重苦しい雰囲気になりかけた場も、シャーリーの笑みと声音で違う色をみせる。これが一国のトップに立つ人間が持つ力なのかと、航大はその凄さをまざまざと見せつけられている。
「えーと、それじゃ私たちはこれくらいで……」
「え、いいのかよ?」
「うん。それに、私たちと違ってシャーリー様は忙しいの。今日だって、なにかあるんでしょう?」
シルヴィアが向ける視線の先、そこにはメイド長であるルズナが立っている。
「はい。シャーリー様はこの後、他国からのご来客の対応がございます。そのため、王城には人が少なかったのです」
「あ、あぁ……そうだったのか……」
「お気遣い、ありがとうございます。また、お時間があったらお話をしてくれますか?」
「あ、はい……私なんかでよければ……」
椅子から立ち上がり、シャーリーの言葉にシルヴィアは笑みを浮かべて一礼をする。
「それでは、失礼します」
踵を返して部屋を出て行くシルヴィア。
彼女の表情には晴れやかな笑みがあって、それを見て航大は何も言えなかった。
この会談で彼女が伝えたかったことは何なのか、今、彼女の中にある感情や考えは何なのか、今の航大にはそれを窺い知ることはできないのだが、彼女が満足そうな笑みを浮かべている。
ただ、それだけでこの時間は有意義なものであったのだと、航大はそう思いたいのであった。
「あぁ、そうだな……」
「主様、元気がないぞ? 儂とのデートは楽しくなかったかの?」
朝早くから実施されたリエルとのデート。
その大部分は航大にとって紛れもなく楽しい時間であったのは事実である。しかし、彼の心に影を落とすのは、城下町の裏にある小さい名もない魔導書店での出来事だった。
一番街の裏道を進んだ先にある魔導書店、そこは過去に航大も訪れたことがあった。北方の賢者・リエルと出会うきっかけをくれた場所であり、航大にとっては短い時間では合ったが思い出深い場所なのであった。
「いや……そうじゃ、ないんだけどさ……」
「……んん?」
航大にとって思い出深い魔導書店は、賢者・リエルにとっても大切な場所であったのだ。
百年という時を遡ることでリエルと魔導書店の間に築かれた確かな記憶が存在していた。
「リエルとのデートは楽しかったぜ、本当に……」
「……主様にそんな顔をさせているのは、儂のせいじゃな」
「……え?」
「まぁ、あの人が儂のことを覚えていないという事実……もちろん、儂だってその可能性を考えなかった訳ではないぞ。しっかりと考えて、覚悟を決めて、主様が傍に居てくれると思ったから……儂は今日、あの場所を訪れたのじゃ」
「…………」
「主様が気に病むことはない。人間は万能ではないのじゃ、百年という時はあまりにも長い……人間の記憶が風化してしまうのに十分過ぎる時間だった……それだけじゃ」
「…………」
この時、航大は『でも、お前は覚えてたじゃないか』と、そんな言葉が飛び出そうになっていた。しかしそれは、彼女の心に傷を与えてしまうだけだと寸前で判断し、咄嗟に飲み込んだ。
「主様、今日は本当にありがとう。きっと、こんなに楽しい時間を過ごしたのは、人生でも初めてかもしれぬ。今、こうして儂が笑っていられるのは、神谷 航大という存在があってくれたからじゃ」
リエルとのデートで許された時間は有限である。
今、彼らは残された時間をいっぱいに使って王城へと帰還を果たそうとしていた。
少しずつ大きくなるハイラントの王城を見ながら、航大たちはゆっくりと歩を進めていく。
「まぁ、そう言ってもらえると嬉しいよ」
「さて、儂は部屋に戻って一眠りするとしよう。それでは主様、また後でなッ!」
「あ、おい……リエルッ!」
「ふっ、主様……あまり女を泣かせるでないぞ?」
くるりとその場で回転し、最後に心からの笑みを浮かべてリエルは小走りで航大の前から姿を消す。
「…………」
後に残された航大は、一番街の喧騒が包む中で一人立ち尽くす。
遠ざかる瑠璃色の髪を持った少女の姿が完全に消えるまで、少年はただ一人、立ち尽くすだけなのであった。
◆◆◆◆◆
「えーと……次は確か……シルヴィアだったかな……」
リエルと別れてからしばらくの時間が経過した。
航大は今、ハイラント王国の王城を一人で歩いている。
外の喧騒とは打って変わり、王城の内部は異様な静寂に包まれていた。いつもならば王城は関係者で賑わっているのだが、この瞬間にだけ限ってはそうでもないらしい。
「…………」
最初は迷ってばかりだった王城も、今ではある程度の場所を把握して歩くことができるようになっていた。異世界にやってきて色んなことがあって、自分が生まれ育った世界では考えもしなかった日々を過ごしてきた。
出会い、別れ、戦いと敗北。
その全てが神谷 航大という存在を成長させる要因となり、今では彼を慕って仲間が集うようになっていた。命を預けて共に戦うことができる仲間。それは決して元の世界では得られなかったものである。
自分を必要としてくれる存在がある限り、少年はこの世界で生き続けるのだろう。
剣と魔法が闊歩する異世界での生活。
それもきっと悪くない。
「お、シルヴィア」
「あっ、航大ッ!」
柄にもなく真剣に考え事をしている少年の前に、探していた人物が何ら前触れもなくその姿を現したのであった。
「よう、探したぜ」
「もう、それはこっちの台詞なんだけど?」
王城の廊下にひょこっと姿を見せたシルヴィアは、航大の顔を見るなり安堵の表情を浮かべる。そして小走りに駆け寄ってくると、笑みを浮かべて航大と会話を楽しむ。
「まぁ、待ち合わせ場所を決めてなかったからな、とりあえず見つかって良かったよ」
「それじゃ、これからどうしようか?」
「うーん、行きたいところとかあるのか?」
とりあえず合流は済んだ航大とシルヴィア。二人は静かな王城を歩きながら、これからの予定について話し合う。このデートは航大の意思によって開催されたものではなく、また唐突なことであったので、航大の中には一切のデートプランが存在していないのだった。
「あ、そうだ……私、会いたい人がいるんだけど」
「シルヴィアが会いたい人? 俺の知ってる奴か?」
「さすがに知ってるとは思うよ。多分、私だけの力だと中々会えない人」
「誰だよ、それ」
「この国の、王女様」
◆◆◆◆◆
今日の王城は特別静かだった。
まばらに見える人たちを横目に、航大たちはある場所を目指して歩を進めていた。
「ごめんね、航大。私の我儘に付き合ってもらっちゃって」
「あー、まぁ……我儘に付き合うのは一度や二度じゃないしな。それに、俺のせいで迷惑もかけちまったし、これくらいなんてことないって」
「……ありがと」
静かな王城を歩くシルヴィアは、その顔に笑みを浮かべてスキップしそうな勢いで軽やかに足を踏み出している。さらさらと揺れる金髪と、端正に整った横顔を見て、航大の胸が不意に高鳴ってしまうのだが、それを悟られまいと話題を変えていく。
「そういえば、なんで王女様に会いたいんだ?」
「うーん……それは詳しく説明すると時間が掛かるんだけどねぇ……」
「てか、昨日も会ったじゃないか」
「そうなんだけど……あの時は騎士として会ってた感じだから、今回はちょっと違うんだよね」
「その違いがよく分からんけど……今日はシルヴィアの言うこと、できるだけ聞いてやる」
「えへへ……ありがとうね、航大」
城下町のスラムで育ち、今では王国の騎士として働く少女・シルヴィア。
彼女の願いは自分が生まれ育った国の王女であるシャーリーに会いたいというものだった。その願いを叶えてやるため、航大は王城のある場所を目指す。そこに行けば、シャーリーの動向について何か知ることが出来るかもしれない。
「おや、航大様ではないですか」
「お、ルズナ。久しぶりだな」
「そうですね。私はいつもこのお城に居ますが、航大様は大変お忙しそうで……」
「はは、まぁな。ルズナはお城の掃除か?」
「はい。といっても、お城はいつも完璧にお掃除されていますので、改めてやらなくてもいいんですけどね」
「確かに言われてみれば、お城っていつも綺麗だよなー」
シャーリーに会うために歩みを進めていた航大たちの前に姿を現したのは、このお城のメイド長であり、王女・シャーリーの側近である女性・ルズナだった。
過去、ハイラント王国の王城で初めて航大が邂逅を果たした人物でもあり、腰まで伸びる黒髪をポニーテールで結び、頭にはヘッドドレスを身に着けているのが印象的である。
城下町で見た露出が激しいメイド服ではなく、彼女が身につけているのは王城で務めるのに相応しいロングスカートからなる清楚なイメージを与えるメイド服であった。
表情の変化に乏しいが、彼女はとても端正に整った顔立ちをしており、身長も航大より高い、真面目を絵に描いたような人物であり、王城の世話をその手で担う手腕を持っている。
「少しの汚れも許しませんからね。航大様はデートといったところでしょうか?」
「えっ? あぁ、まぁ……そんなところだな」
「……ふむ、そこに立っているのは騎士のアセンコット、ですね?」
「あ、はいッ!」
チラリと航大の隣に立つ少女・シルヴィアを見るルズナ。
その瞳が僅かに鋭さを増し、平坦な声音が相手を威圧させるのか、金髪を揺らすシルヴィアはルズナの言葉に背筋を伸ばして深々と頭を下げる。
「そうですか。先の旅路では、航大様を助けて頂いたようで……私からも感謝します」
「い、いえッ……私は自分がするべきことをやっただけで……褒められるようなことでは……」
ルズナの言葉にシルヴィアは声を上擦らせて返答する。
「おい、シルヴィア? なにそんなにかしこまってんだよ」
「バ、バカッ……航大は知らないかもしれないけど、ルズナさんは王女側近の騎士でもあるのよッ!」
「……へっ?」
「騎士としての位ならば、私やライガみたいな下っ端とは違って、相当に目上の人なんだからッ!」
「そ、そうだったのか……? でも、ルズナだって自分のことをメイド長だって……」
「ふふ、アセンコットの言うことは間違ってはありませんし、航大様の言葉も間違ってはいません。私は王女側近の騎士であり、この王城を取りまとめるメイド長でもあるのですから」
僅かに表情を和らげさせるメイド長・ルズナ。
その顔を見て、シルヴィアの表情がまた固いものへと変わっていく。
「シャーリー様をお探しなのですよね?」
「あ、はい……」
ルズナの問いかけに答えるのはシルヴィア。
再びその背筋はピンと伸び切っていて、彼女がそんな反応を見せる姿を航大は初めて垣間見た。
「貴方がどれほど成長したか、それを見せてもらいましょう。私が認めるような成長を遂げているのなら、シャーリー様への謁見を許可してあげてもいいです」
「え、それって……」
「今から中庭へいらっしゃい。これは騎士としての命令です」
「い、いやああぁ……航大、助けてええええぇぇぇ……」
航大が口を挟む余地もなく、シルヴィアはルズナに引きずられる形で中庭へと連行されていく。
「あ、おい……俺を置いていくなってー」
涙目で助けを訴えてくるシルヴィア。
相変わらずの無表情ながら、どこか楽しげにポニーテールを揺らすメイド長・ルズナ。
そして最後に置いてけぼりになりそうだった航大が、二人を追いかけて小走りで中庭へと向かうのであった。
◆◆◆◆◆
「さぁ、剣を取りなさい、アセンコット」
「ほ、本当にやるんですか……?」
「ここまで来たのです、当たり前じゃないですか。それに、前は毎日のように鍛錬をしたではないですか」
「いや、まぁ……そうなんですけど……でも、今日はちょっと予定がありまして……」
チラッチラッと航大に救いを求める視線を投げかけるシルヴィア。
彼女の救難信号に気付いている航大もルズナを説得しようとするのだが……、
「手出しは無用ですよ、航大様。貴方はシャーリー王女の大事なお客様。騎士であるアセンコットに貴方を守る実力があるのか……彼女の上司として、私はそれを確かめなくてはなりません」
「……だってさ」
いくら航大がルズナに声をかけようとも、メイド服を風に靡かせる彼女は聞く耳を持たない。ルズナの右手には細長い両刃の剣が握られており、それは紛れもなく切られれば命を落としかねない『真剣』である。
「何をそんなに恐れる必要があるのです、しっかりやればすぐに終わるじゃないですか」
「私は一度として貴方に勝ったことはないんですけどね……」
「それも今では昔の話……ガーランドの息子さんも成長を見せているようですし、私は今の貴方がどれほどなのか、それが気になっているだけです」
「はぁ……こうなったらやらないと終わらないか……」
うじうじと文句を垂れていたシルヴィアだが、ルズナがやる気満々な様子を見るなり、これ以上の抵抗を諦めて渡された剣に目を落とす。すると次の瞬間、シルヴィアの表情が一変する。
「…………」
小さく息を吐き、自らの集中力を高めていく。
静かながらその瞳には闘志が漲っている。
「…………」
対するメイド長・ルズナもまた、シルヴィアと同じように静かに呼吸を整え、鋭い眼光を放つ瞳はまっすぐにシルヴィアを捉えて離さない。
両者の間に漂う沈黙が異様に重苦しく、傍で見守っている航大もまたあまりの緊張感に生唾を飲んでしまう。とてもじゃないが、今から始まろうとしているのがただの鍛錬ではなく、命を賭けた戦いである。
「――――ッ!」
まず最初に動きを見せたのはシルヴィアだった。
地面を強く蹴りつけると、金髪を靡かせながら虚空へと飛び出していく。
「愚直なまでに一直線……悪くないッ!」
太陽を背に飛びかかってくるシルヴィアを見ながら、ルズナはその表情を楽しげに歪ませる。瞬く間に接近してくるシルヴィアに対して、ルズナは逃げるという選択をせずに、己が握る剣を持って真っ向からぶつかることを選ぶ。
「はあああああぁぁぁぁーーーーッ!」
シルヴィアの咆哮が周囲に響き渡る。
二人の影が重なり合うのと同時に、中庭を甲高い剣戟の音が響き渡っていく。
「うおぉ、シルヴィアの奴……マジでやりやがったッ!?」
剣戟の音に僅かに遅れて中庭を凄まじい土埃が立ち込める。ルズナが立っていた周囲の地面が抉れて、あっという間に航大の視界が土埃に支配されてしまう。
航大にとって、ルズナが王女の近衛騎士であるという事実がまだ受け入れられていない。だからこそ、シルヴィアが紛れもない本気の一撃を見舞ったことに驚きを隠すことが出来ないでいた。
「…………」
土埃が消失すると、中庭の中心で睨み合う二つの人影が存在していた。
それを見たとき、航大はルズナが持つ戦闘能力の高さを確信することとなった。
「ふふっ、いい一撃でしたね。私を相手に手加減なしの全力……その華奢な身体からは想像も出来ない強力な一太刀……また、腕を上げましたね?」
「ぐ、ぐぬぬ……私は航大とデートしないといけないの……こんなところで時間を使ってる余裕は……ないッ!」
シルヴィアが放つ全力の一撃を、ルズナは右手に持つ剣一本で完全に受け止めてみせた。周囲の地面が抉れるほどの一撃だというのに、ルズナが持つ剣はしっかりとその姿を維持していて、シルヴィアの勢いを殺すことに成功していた。
「マジかよ……」
その様子を見て一番驚いているのは航大だった。
メイド服を風に靡かせ、涼しい顔でシルヴィアの一撃を受け止めるルズナ。その様子はさっきまで王城の掃除をしていたとは思えない変わりっぷりである。
「さすがは王女側近の近衛騎士……これくらいじゃ、やられてはくれないですよね」
「そんなことは当たり前。それよりも、剣にばかり集中していてはダメですよ?」
「……へっ?」
剣と剣が交わり、両者の力が拮抗する。
その中でルズナの表情が僅かに和らぎ、次の瞬間、ルズナの身体がその場で回転する。
「――――ッ!?」
メイド服のロングスカートを靡かせて、ルズナはシルヴィアの脇腹に回し蹴りを見舞う。タイミング、動作、速さ共に完璧であり、瞬きの瞬間に脇腹へめり込むルズナの足を、シルヴィアは躱すことすら出来はしなかった。
「ほら、戦いは何も剣だけで行われる訳ではありませんよ?」
「ぐッ……相変わらず、手加減がないッ……」
「これまで経験してきた戦場で、手加減をしてくる相手が居ましたか?」
「…………」
脇腹を押さえてうずくまるシルヴィア。彼女の瞳は対峙するルズナをこれでもかと睨みつけている。
「さぁ、そっちから来ないのならば……こっちからッ!」
「そうなんども……やられて……たまるかぁッ!」
再び地面を蹴って接近してくるルズナの動きは確かに一般人のそれではない。
体勢を低くして、風を切って直進する。右手に持った剣の切っ先を地面に擦りつけながら、下段からの切り上げでシルヴィアの身体を切り裂こうとしている。
「――――ッ!」
再び剣と剣が衝突する。
ルズナの一閃もまた惚れ惚れするほどに隙がなく、しかし対するシルヴィアの対応もまた素晴らしい。下段からの斬撃に対しても焦ることなく、どこまでも冷静に自らの剣を思い切り振り下ろすことで受け止めていく。
「次ッ!」
互いの剣を弾き、すぐさま次の剣戟へ。
ここからは瞬きすらも出来ない連撃の応酬である。
ルズナが振るう剣は縦横無尽に風を切ってシルヴィアに襲いかかる。今の航大には剣の動きを目で追うことはできないのだが、騎士であるシルヴィアはルズナが振るう剣を完全に目で捉えることに成功していて、攻勢に出ることはないがそれでもしっかりと対応し続けている。
「守ってばかりでは、勝つことなどできませんよ?」
「分かってるってッ!」
右に左と休む暇もなく繰り出される斬撃。
このままでは埒が明かないと判断するシルヴィアは、その顔を僅かに顰めると歯を食いしばって反撃に転じようとする。
「そこッ!」
「甘いッ!」
ほんの僅かに姿を見せた隙を突くシルヴィア。
自らの顔面を貫こうとするシルヴィアの剣が迫る中で、ルズナは超人的な反射神経を見せて上半身を思い切り反らすことでシルヴィアの剣を躱す。
「相手を確実に仕留めるまで、気を抜いてはいけませんよ?」
「――――ッ!?」
上半身を反らして剣を躱すルズナは、そのまま後ろへバク転して、攻撃の体勢から戻るのが遅れたシルヴィアの顎を思い切り蹴り上げる。
「ぐッ!」
「ほら次ッ!」
「きゃああぁーーーッ!?」
顎を蹴り上げられて一瞬、シルヴィアの身体が揺らぐ。
この刹那の隙が致命傷となり、ルズナはシルヴィアが持つ剣を弾き飛ばすことで勝負は決してしまった。
「ふむ、まだまだですね、アセンコット?」
「…………」
宙を舞うシルヴィアの剣が地面に突き刺さり、それを手にとってルズナが一言呟く。剣技の腕で完全にルズナへ敗北を喫してしまったシルヴィアは、つまらなさそうに唇を尖らせて中庭に座り込んでいる。
「剣の腕前は確かです、しかし時に戦いは剣だけではなく、自らの体術を駆使する必要があります」
「…………」
「まぁ、今日はこのくらいにしておきましょう。アセンコットも、旅明けで疲れているでしょうし」
「はぁ……今度は負けませんから」
「その言葉、忘れないでおきましょう。次は、互いに全力を出せるようにしましょうね」
「……そうですね」
本来ならばシルヴィアはルズナを相手にもっと戦うことができたはずである。
砂漠への旅路で剣姫としても著しい成長を遂げた彼女であったが、ルズナとの短い戦いの中で、まだまだ彼女には成長の余地があることが明らかになった。
「さて、航大様たちはシャーリー様にお会いしたいのでしたね?」
「あ、あぁ……」
「本日、王女様は公務がございますので、あまりお時間はありませんが、少しなら謁見することができるでしょう」
ルズナはくるりとその場で回転すると、優雅な動作で王城へ向けて歩き出す。その背中が付いてこいと伝えているのを察して、航大とシルヴィアもメイド長の後を追って歩き出す。
◆◆◆◆◆
「えーと、ルズナさんってかなり強いんですね?」
「そうでしょうか? 現役の頃と比べましたら、腕は落ちてしまいました」
「あれで腕が落ちてるのか……」
静かな王城を歩く航大、シルヴィア、ルズナ。
三人の間に無言の時が流れ、それを打ち破ったのは航大だった。
「ルズナさんはハイラント王国の中でも、トップクラスの実力を持っていた人。ハイラント王国の英雄、グレオさんとも肩を並べていた人なんだから」
それに続くようにして言葉を漏らすのはシルヴィアだった。
彼女はルズナに敗北を喫した後から無言になることが多かったのだが、航大の何気ない言葉には反応を示してみせた。
「え、あのグレオさんと……?」
「ふふ、それも今は昔の話ですよ。今だったら、十回戦ったら八回は負けるでしょうね」
「……二回は勝つことができるのか」
過去の大陸間戦争で活躍した英雄グレオ・ガーランド。
航大たちと共に旅をするライガの父親であり、ハイラント王国の騎士たちの中で間違いなくトップに君臨する人物である。グレオが持つ実力は航大もその目で見ている。だからこそ、メイド服を靡かせる女性が、そんなグレオと対等に戦えるという事実が航大にとっては驚きなのである。
「ルズナさんってすごいんですね……」
「いえいえ、昔の話ですから」
航大の言葉にニッコリと笑みを浮かべるルズナ。
彼女の底知れない実力に慄きながらも、航大たちはシャーリーの部屋を目指して歩みを進めるのであった。
「それでは、少々お待ち下さい」
やってきたのは王城の中に存在する王女・シャーリーの部屋だった。
「…………」
王女の部屋を前にして、シルヴィアは少し緊張した様子を見せている。彼女がシャーリーに会いたがる理由を航大はまだ知らされておらず、しかし彼女がこれほどまでに緊張した様子を見せるのだから、何かしらの強い想いがあるのは窺い知れる。
「シャーリー様より許可を得ることができました。どうぞ、中へ」
しばしの沈黙が流れた後、部屋からルズナが出て来る。
そして甲斐甲斐しく一礼をすると、航大たちを部屋の中へと案内する。
「こんにちは、航大さん。何かお話があるとのことでしたが、どうしましたか?」
部屋に入ると、シャーリーは窓際に備えられた丸テーブルと椅子に座って、穏やかな笑みを共に航大たちを出迎えてくれた。豪勢とまではいかないが、純白のドレスを身に纏っており、王女としての気品に溢れた様子である。
「えーと、シャーリーと話したいのは俺じゃなくて……ほら、シルヴィア……」
「うっ……わ、分かってるけど……緊張しちゃって……」
「そちらに居るのは……シルヴィア・アセンコットさん……ですね?」
「えっ、あっ……はい……」
「……立ち話は辛いでしょう、どうぞ、おすわりになってください」
「あ、ああ、ありがとう……ございますッ!」
ガチガチに緊張したシルヴィアを見て、シャーリーはくすっと笑みを浮かべると丸テーブルに備え付けられた椅子に座るように勧めてくれる。王女としての貫禄をこんな場面でもいかんなく発揮するシャーリーの提案を受けて、航大たちは椅子に腰をかける。
「シルヴィア、何か話したいことがあったんじゃないのか?」
「うぅ……それは、そうなんだけど……緊張しちゃって……」
「……お前って、そんなキャラだったっけ――いてッ!?」
もじもじとハッキリしない様子のシルヴィアが持つ緊張を少しでも和らげてやろうとした航大だったが、どうやら言葉選びを間違えたようで思い切り足を踏まれてしまう。
「ふふふ……やっぱり仲が良いんですね。ちょっぴり羨ましいです」
「そ、そそそそんなんじゃ……あり、ません……」
「そうですか? 阿吽の呼吸って感じがして、見ていて微笑ましいです」
「だってさ、シルヴィア」
「王女様は、その……げ、元気ですか……?」
「ふふ、こういった時は王女様と呼ばなくても大丈夫です。気軽にシャーリーとでも呼んでください」
「え、いやッ……でも……王女様は王女様ですし……一端の騎士である私が、そんな風に呼ぶことは……」
「私、あまり堅苦しいのは好きではなくて、航大さんみたいにそう呼んでもらえると嬉しいです」
「……分かりました、シャーリー様」
「それで良しとしましょう。それで、元気かって質問でしたね。えぇ、私は元気です」
上品で気品に満ち溢れる、まさしく一国の王女たる様子をまざまざと見せつけるシャーリーは、緊張しっぱなしのシルヴィアとは違って言葉遣いにも余裕が滲み出ていた。
笑みを崩すことなく、シルヴィアの目を見てしっかりと受け答えをする。
「そう、ですか。それなら良かった……」
「シルヴィアさんも、航大さんを救うための旅路……本当にお疲れ様でした。貴方たちが無事で戻ってきてくれて良かったです」
「まぁ、私はあまり力になれてなくて……」
「いえ、そんなことはありませんよ。貴方たち全員が航大さんを助けたい……そう強く願ったからこそ、目的を果たすことができた……私はそう考えています」
「…………」
シャーリーの言葉にシルヴィアの表情が僅かに和らいだ。
王女が奏でる声色は人を癒やす力でもあるのか、航大もまた彼女の声を聞く度に心が癒やされていく。
「……シャーリー様は、ご両親のこと……覚えて、いますか?」
和やかな雰囲気になったところで、次に口を開いたのはシルヴィアだった。
彼女はこの場で初めてまともに話すことができ、しかし彼女が投げかけた質問に航大は驚いていた。シルヴィアが紡いだ声色から、この質問こそシルヴィアがシャーリーと話したいといった目的なのであると判断することができたからである。
「両親、ですか……正直なことを申し上げれば、まだ私が幼い頃に命を落としてしまいましたので、詳しくは何も覚えていません」
シルヴィアの問いかけにシャーリーは少し淋しげな表情を浮かべて返答する。ここまで笑みを崩さなかったからこそ、彼女が浮かべた表情の変化に航大もシルヴィアも敏感に気付くことができた。
「シルヴィアさんはどうですか? ご自分の両親について、何か覚えていることはありますか?」
「……いえ、私も同じような感じで……両親については何も覚えていません。物心ついた時にはスラムで育っていましたので」
シャーリーの問いかけにシルヴィアもまた淋しげな表情を浮かべて返答する。身分の差は違えど、二人の間には似たような境遇が確かに存在していた。
「そういう意味では、私たちは似た者同士ですね」
「あ、はい……似ていると、思います」
重苦しい雰囲気になりかけた場も、シャーリーの笑みと声音で違う色をみせる。これが一国のトップに立つ人間が持つ力なのかと、航大はその凄さをまざまざと見せつけられている。
「えーと、それじゃ私たちはこれくらいで……」
「え、いいのかよ?」
「うん。それに、私たちと違ってシャーリー様は忙しいの。今日だって、なにかあるんでしょう?」
シルヴィアが向ける視線の先、そこにはメイド長であるルズナが立っている。
「はい。シャーリー様はこの後、他国からのご来客の対応がございます。そのため、王城には人が少なかったのです」
「あ、あぁ……そうだったのか……」
「お気遣い、ありがとうございます。また、お時間があったらお話をしてくれますか?」
「あ、はい……私なんかでよければ……」
椅子から立ち上がり、シャーリーの言葉にシルヴィアは笑みを浮かべて一礼をする。
「それでは、失礼します」
踵を返して部屋を出て行くシルヴィア。
彼女の表情には晴れやかな笑みがあって、それを見て航大は何も言えなかった。
この会談で彼女が伝えたかったことは何なのか、今、彼女の中にある感情や考えは何なのか、今の航大にはそれを窺い知ることはできないのだが、彼女が満足そうな笑みを浮かべている。
ただ、それだけでこの時間は有意義なものであったのだと、航大はそう思いたいのであった。
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