終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第五章91 終幕の試練

「これでッ」
「終わりッ!」

 闇夜の砂漠を舞台にした壮絶なる試練の数々も、今この瞬間に終幕を迎えようとしていた。

 氷獄と暴風の女神がもつ力が真正面から衝突し、夜の砂漠に眩い輝きを放つ。
 その光が収束した時、最後に立っている者が試練の勝者となるのだ。

「…………」

 戦いが終わり、砂漠はいつもの静寂を取り戻していた。

 航大とカガリ。

 どちらが勝利してもおかしくない戦いの結末、それは砂を踏みしめる音と共に姿を現した。

「……ギリギリだったな」

『そうですね、まさかカガリが本気を出してくるなんて……』

 そんな声音とともに姿を見せるのは、全身を土埃で汚した異界の少年・神谷 航大であった。彼は身体のあちこちに裂傷を刻みながらも、しっかりと前を見据えて大地を踏みしめていた。

 氷獄の女神・シュナの力は霧散していて、今の航大にはこれ以上の継戦は不可能である。これ以上の戦いには航大の身体が耐えることが出来ず、もしカガリが継戦の意思を見せるようなことがあれば、間違いなく絶望的な状況へと追いやられてしまう。

「……シュナはどう見る?」

『カガリの出方について、ですか?』

「……あぁ」

『……正直なところ、全盛期な彼女ならばこの程度では終わらないかもしれませんね』

「マジかよ……女神ってやつは、全員が規格外なのか……」

『まぁ、そうじゃなかったら女神になんてなれませんからね。みんながどこか異常なんですよ』

 げんなりとした様子で呟く航大に対して、シュナはどこか笑みを含んだ声音で言葉を紡ぐ。

「今のカガリは全盛期ではない……ということか?」

『私の推測が正しければ、彼女には何か制約があったはずです。この戦いにおいて、彼女から魔竜と戦った時のような魔力を感じることは出来ませんでした』

「……制約、か」

 航大が視線を向ける先、そこにはまだ戦いの残滓である光球が残されている。まだ、カガリの姿を見ることはできない。航大の推測が正しければ、カガリはまだあの中にいる。

「てか、あいつ出てこないな……」

『……そうですね』

 最後の衝突をした直後、航大は女神・シュナの力が喪失するのと同時に大地へと降り立った。しかし、カガリはまだ光球の中に姿を隠したままである。

「……ん?」

 これからどうしたものか……それを悩んでいる航大は、虚空に滞在する光球が見せる変化に反応する。

『……あれは、』
「…………雪?」

 空中で浮遊する光球が弾ける。
 弾けた光球は小さな光の粒となって砂漠に降り注ぐ。

『……すごい綺麗ですね』
「あぁ……すごく……」

 ふわふわと揺れながら落ちてくる光の粒。

 手の平に落ちてきた光の粒はしばらくの間、その姿を保った後に消えていく。儚い光の連鎖が砂漠を包み込み、壮絶なる戦いの残滓を見せる砂漠は一瞬にして幻想的な光景を見せてくれる。

「おっ……これは、どうなってるんだ?」

「それは儂の台詞じゃ」

「うおぉッ!? リエルじゃねぇか!」

「はぁ……ライガよ、あまり大きな声を出すんではない」

「怪我が消えてる……もしかしてここは、天国ってやつか?」

「ライガ、目を閉じろ。そのアホ面に魔法を叩き込んで、ここが天国か地獄か……はたまた現実かどうかを確かめさせてやろう」

「って、マジで魔法の準備をするんじゃねぇ!?」

 静寂が包んでいた砂漠に突如として、そんな賑やかな声音が響き渡った。

「いてて……もう、なにがどうなってるのか……」

「……大丈夫、シルヴィア?」

「……ユイッ!? アンタこそ大丈夫なの!?」

「……うん、私は大丈夫。怪我もない」

「そういえば、結局試練はどうなって――」

「……シルヴィア?」

 ライガとリエルに続いて、シルヴィアとユイの二人もまた目を覚ます。

 彼女たちもライガたちと同じように身体に負っていた傷が綺麗さっぱり姿を消していた。それに驚きつつ、シルヴィアは自らが向けた視線の先にあるものに、驚きを隠せないでいた。

「こ、航大……?」
「……え?」

 信じられないものを見るような様子で呟くシルヴィアの声音に、ユイもまた目を見開いて彼女と同じ方向に目を向ける。

「全員、目を覚ましたのか――」


「「「「航大あああぁぁぁーーーーーッ!」」」」


 ライガ、リエル、シルヴィア、ユイのそれぞれが航大の姿を確認するなり、全員が叫び、そして走り出す。表情はそれぞれで、満面の笑みを浮かべるライガがいれば、嬉し泣きといった表情を浮かべるシルヴィア、あのユイですらその目尻に涙を滲ませている。

「うおおぉぉッ!?」

 近づいてくる仲間たちから逃げる訳にもいかず、航大も待ち構えていたのだが、全員が走ってきた勢いそのままに飛び込んでくるので、航大はそのまま後ろへと倒れてしまう。

「ちょッ……ちょっと、重いってばッ……」

 仰向けに倒れた航大の上に伸し掛かってくるライガたち。

 全員が航大の無事を全身全霊で喜んでおり、その様子を見て航大は改めて自分がどれだけ心配をかけたのかを痛感する。

「馬鹿野郎、お前な……どれだけ俺たちが心配したと思ってんだッ!」

「そうだよ! ずっと眠りっぱなしで……めちゃくちゃ心配したんだからねッ!」

 涙ながらに喚くのはライガとシルヴィア。

「本当に無事でよかった……主様」

「リエル……心配かけてごめんな」

「ふっ……こうして元気に戻ってきたんじゃ……それで良しとしよう」

 ライガとシルヴィアと同じように航大の胸に顔を埋めるリエルは、僅かに目を赤くしながらも航大の帰還を喜ぶ。彼女は自らに航大を守るという誓いを立てていた。だからこそ、帝国ガリアで航大を助けることができなかったことに人一倍の責任を感じていた。

「……ユイ、無事でよかった」

「ごめんね、航大。私が、航大を……」

「いいんだって。俺に力がなかった……あの時、俺がもっと強ければ、みんなを危険な目に遭わせることもなかったんだ」

「……ううん。私が、私が悪いの……大好きな航大を、傷つけて……本当に、ごめんなさい」

 最も航大に近い場所を確保したユイ。

 彼女はその瞳にいっぱいの涙を溜めて、震える声で航大に何度も謝罪の言葉を投げかける。帝国ガリアで航大の身体を貫いたのは彼女自身だった。最も愛する人を、自らの手で殺めようとしてしまった事実は消えてはくれない。

 航大が目を覚まし、こうして元気に戻ってきてくれたからいいものの、もし航大が目覚めることがなければ、彼女は自身を襲う罪悪感に生きていくことを諦めてしまったかもしれない。

 だからこそ、航大がこうして戻ってきてくれた事実に最も喜んでいるのは、白髪の少女・ユイなのかもしれない。

「はぁ……こんなの見せられちゃうと僕がすごい悪役みたいに映っちゃうね」

「――――ッ!?」

 感動の再会を続ける航大たちの鼓膜を震わせたのは、そんな軽い調子の声音だった。

 ライガ、シルヴィア、リエル、ユイ、そして航大の全員が砂漠に響く声音に驚きを隠せず、そしてすぐさま立ち上がると臨戦態勢を整えていく。

「やっぱり、倒れてはなかったか」

「まぁ、そういうことになるね。でも、さすがにこれ以上の戦いは勘弁だよ」

 航大たちが見る先、そこに立つのは暴風の女神・カガリ。

 ライガたちと同じように、彼女もまたその身体に負っていた傷が消え去っており、傍から見る分には継戦になんら不備はないように感じられた。

 しかし、カガリはやれやれといった様子で首を振ると、自分にこれ以上の戦闘意思がないことを航大たちにアピールする。

「気をつけるんじゃ、主様。何をしてくるか分からんぞ」

「そうだぜ、航大。いざとなったら、俺たちが戦う」

 カガリのアピールを聞いても、ライガとリエルは警戒の様子を崩そうともしない。

「……航大、下がって」
「次は負けないよ」

 ライガとリエルの希薄にも負けず、シルヴィアとユイの二人もメラメラと闘志を全面に押し出しながら、カガリから航大を守ろうとしている。

「お、おい……お前ら……」

「あはは、これは手厳しいねぇ……まぁ、しょうがないかもしれないけど」

「暴風の女神・カガリ……本当に戦う気はないんだな?」

「そう言ってるじゃないか。最近の若者は血気盛んなんだから」

 相変わらず、軽い調子で言葉を紡ぐカガリ。
 確かに、彼女からは敵意や殺意といったものは一切感じることは出来ない。

「……分かった。俺はアンタを信じる」

「お、おい……航大。本当にいいのかよ?」

「此奴は自分の仲間ですら犠牲にするような輩じゃぞ。いくらなんでも甘すぎる」

 航大の判断にライガとリエルが驚きの反応を見せる。

 二人の脳裏には、自分を慕ってくれる少女・アリーシャを盾にした映像が消えてはいない。へらへらとした様子も相まって、彼らは中々カガリの言葉を信じることが出来ていないのであった。

「仲間を犠牲に……あぁ、アリーシャちゃんのことか」

「アリーシャって誰?」

 アリーシャ。

 砂塵に挑戦する前、ライガたちを案内してくれた少女のことである。
 試練の中でカガリに迫る凶刃を前に姿を現し、主である彼女を救ったのだった。

「そうかそうか。航大くんは眠ってたから知らないのか」

「犠牲にってことは……何かしたのか、カガリ?」

「うーん、あの子にはあの子なりに使命を果たしただけなんだけど……それに、仇みたいな感じで言われるのは心外だなぁ…………ね、アリーシャちゃん?」

「……この雰囲気、すごく出辛いんですが」

 カガリの言葉に反応して出てきたのは、気まずそうに身体を小さくしたアリーシャだった。

「お、お前ッ!? そんな馬鹿なッ……だって、あの時……確かに死んだはずじゃ……」

「……し、信じられん」

 ひょこっと姿を現したアリーシャを見て、ライガたち全員が驚きを隠すことが出来ない。航大だけは、展開についていくことが出来ずに首を傾げる。

「うーんとねー、細かく説明すると長くなっちゃうんだけど……アリーシャちゃんは人間の姿をしてるけど、人間じゃない……みたいな感じ?」

「人間の姿をしてるけど、人間じゃない……?」

「そう。僕の魔力によって生まれた……うーんと……精霊みたいな感じかな。だから、あれくらいの攻撃を受けたとしても、機能不全には陥るけど、死ぬってことはないの」

「そんな馬鹿な……そこまで精巧な精霊を召喚するなど……人間業じゃない」

 カガリの説明を受けて、驚きに言葉を震わせるのはリエルだった。

 ライガたちの中で最も魔法に知見のある彼女だからこそ、カガリが口にしたことの実現がどれだけ難しいのかを理解していた。

「まぁ、僕は女神だし。なんかこう、メイドさん的なやつが欲しいなーって研究をしてついに実現させたんだよ」

「……女神ってやつは、どこまで規格外なんじゃ」

 女神。

 この世界に存在する魔力の源ともいえる存在が口にするのだから、目の前に存在するアリーシャという存在が精霊ということも信じてしまいそうになる。

「えっと……カガリ様がいうことは全て正しいです。私はこの方に作られ、この方を守るために戦う。あの場面において、主を救うために身を乗り出すことは、決してカガリ様に命令された訳ではなく、完全に私の意思によるもの」

「なーんか、よく分からねぇが……まぁ、そういうことらしいぜ?」

「ふん……敵意がないことは確かじゃ。全員、気を抜いてもよさそうじゃぞ」

 リエルの言葉でシルヴィアもユイも鋭い眼光はそのままに手を下ろす。
 臨戦態勢を解いたライガたちを見て、カガリもその顔に満面の笑みを浮かべる。

「誤解は解けたみたいだね。これでゆっくりとお話ができるよ」

「お話って、俺たちになにかあるのか?」

「さっきまでの戦いで、僕は君たちに言ったよね? これは試練であると」

「試練ってのはなんだ……?」

 カガリの言葉に航大が首を傾げる。

 暴風の女神・カガリとの戦い、それ以前の砂塵での戦い……その全てに『試練』という名目が存在していた。しかし、ライガたちは何故自分たちが試練を受けるのか、その根本を理解できていないのだ。

「今、この世界には危機が迫っている」

「……危機?」

「僕たちが作り上げた世界の安寧……それを崩そうとする動きが存在する」

「安寧を崩す……」

 その言葉を聞いて、真っ先に脳裏へ浮かび上がってきた存在があった。

 それは航大だけではなく、この場にいるライガ、リエル、シルヴィア、ユイもまたその脳裏には同じ存在が浮かび上がっている。

「帝国ガリア……忌々しいあの国が動き出している」

「ガリア……やっぱり、アイツらが何かをしようとしているんだな?」

「僕たち女神は、この世界に存在する魔力の源たる存在だ。それはすなわち世界の全てを見通すことができるということでもある訳だ。その僕が感じるに、帝国ガリアは今……この世界を集中に収めるための動きを本格化させている」

「本格化って言うけど、具体的に何をしようとしているんだ?」

「……魔竜の復活」

「――――」

 カガリの口から厳かに呟かれた言葉。
 それは航大たちに少なからずの衝撃を与えるものだった。

「いや、そんな……魔竜は女神の力によって封印されたはず……それを、奴らは解こうとしている……ということか?」

 真っ先に反応したのはリエルだった。

 今、この場に存在する者で女神を除いて魔竜と戦った経験を持っているのはリエルただ一人である。だからこそ、世界を混沌に陥れた魔竜が持つ力の大きさを彼女は理解している。

「魔竜を封印してから、気が遠くなるような時間が流れた。その間、僕たちが守り抜いた世界はとりあえずの安寧を保つことには成功していたよ。だけどね、魔竜は完全には消え去ってはいないんだ」

「…………」

「女神が存在する限り、世界の平和は絶対のはずだ。女神が全盛期の状態で存在し続けることができるのならね……」

「引っかかる言い方だな?」

「君の中にシュナが居るように……この世界に存在する女神たちに変化が現れた。微小な変化であっても、世界というのは繊細であって、僅かな綻びが安寧のバランスを崩す」

「…………」

「ここまで言えば分かるね? 氷獄の女神・シュナが襲撃され、君と共にいることで世界のバランスは歪み始めているんだよ。その結果、魔竜の封印が弱まった」

「…………」

 カガリの言葉に航大は絶句する。
 自分が世界のバランスを崩そうとしている。

「あぁ、航大くんがそこまで気に病むことはないよ。元々、シュナがそうなってしまったのは帝国のせいなんだから。むしろ、君が居たからこそ、僕たちはシュナを失わずに済んだんだ」

「…………」

「正直なところを言うと、僕の力も弱まってきている」

「え、それって……」

 ライガが目を見開いて反応を示す。

 暴風の女神・カガリの力が弱まるような原因になる出来事があるとすれば、ついさっきまで戦ったことが真っ先に思い浮かぶ。

「あはは、あれくらいの戦いで消耗するほど、やわな存在じゃないよ。そこも安心していい」

「な、なんだ……それならいいんだけどよ……」

「まぁ、綻びが出ることで他の女神たちにも負担が掛かっている。早く、今の状況をなんとかしないといけない。しかし、この綻びを突いて行動をする者がいる」

「……帝国、か」

「そう。僕の力も弱まって、帝国は魔竜を復活させようとする動きを、より活性化させるだろう。それを阻むのが……君たちだ」

「なるほど、世界のバランスを保つために戦うことができるか……お前は、それを見ようとしたんだな?」

「そういうこと。そして、君たちは無事に試練を合格した訳だよッ!」

 ここまで説明して、カガリはニッコリと満面の笑みを浮かべる。

「そんなこと言われてもなぁ……」

「儂たちが世界を守る……」

「でも、私たちにしかできないのならば……やるしかないんじゃない?」

「……私は、航大についていく……だけ」

 各々がそれぞれの反応を見せる。
 最終的に全員の視線が集まるのは、異界からやってきた少年なのであった。

「航大くん、君は世界のために戦ってくれるかい?」

「世界の、ために……」

「そう。全ては君たちに委ねられている。もちろん、この問いかけを断ることも可能だ。あくまで決めるのは君たち自身だよ」

 カガリが手を伸ばす。
 その手を掴むならば、それはこの先に待つ戦いに挑むことを了承したということになるのだろう。

「…………」

『……航大さん、カガリが言う通りです。この先に待つ戦いはとても厳しく、過酷です』

「……シュナ?」

『今なら、まだ……引き返すことができます。航大さんが断ったとしても、それで世界が終わる訳ではありません。残された女神たちはあらゆる選択肢が選ばれようとも、最善を尽くすために行動するはずです』

「…………」

『自分の心に問いかけて、貴方の思う答えを聞かせてください』

 即答しない航大に対して、脳裏から女神・シュナも言葉を添えてくれる。
 目を閉じ、これまでの日々を思い返す。

 最初に目が覚めた時、右も左も分からない自分によくしてくれたハイラント王国の人たち。
 無力だったばかりに悲劇的な現実に向き合うこととなった氷都市・ミノルアの人たち。
 自然豊かな大陸で出会い、帝国に襲撃され、それでも復興に向けて頑張ろうとする人たち。

「…………」

 これまで、航大は様々な人たちに出会ってきた。
 そして世界は異界からやってきた航大に、様々な姿を見せてくれた。

「……俺はこの世界が好きだ。色んな姿を見せてくれる、この世界も……この世界で生きる人たちも……みんな大好きなんだ」

「…………」

 航大が絞り出す言葉を、カガリは優しい慈愛に満ちた顔で静かに聞く。

「大好きな世界を、俺は守りたい……」

 それが航大の導き出した答えであった。
 大好きな世界を守る。単純でありながらも、最も気持ちが込められた短い一言だった。

「まぁ、航大ならそう言うと思ったぜ」
「ふふ、それでこそ儂が見定めた主様じゃ」
「うん。航大の考え、私はすごい好きだよ」
「……航大が決めること、それに私は従う」

 航大が導き出した答えに、ライガ、リエル、シルヴィア、ユイの四人もそれぞれが笑みを浮かべて首を縦に振ってくれる。

「い、いいのか……こんな俺の我儘に……」

「何言ってんだよ、そんなことは今更だろ?」

 全員が航大についていく。
 ライガたちもまた、この先に待ち受ける戦いへ挑む覚悟を決めているのだ。

「……分かったよ。カガリ、これが俺たちの答えだ」

 自分に集中する全員の視線。それぞれが、航大が決めた答えに納得し、付いてきてくれる。
 それをしっかりと感じ取って、航大は一つ大きく頷いて一歩を踏み出す。

「本来ならば、こんなお願いを君たちにするものではないんだけど……戦ってくれて、本当に嬉しいよ」

「俺たちは自分が生きる世界を守るだけだ。そんなお礼を言われるようなことでもないさ」

 足を踏み出す航大はカガリの前にまで来て制止すると、彼女が差し出す手を力強く握りしめる。
 これでもう後戻りはできない。

「帝国は魔竜の封印を解こうとしている。しかし、女神の封印は簡単に解くことはできないはずだ。残された時間は少ない、その中でまず君たちがすべきことを教えてあげよう」

「すべきこと……」

「そう。それは魔竜と戦うための力を集めることだ」

「力を集めるってのは?」

「女神に会って、その力を譲り受けるんだ」

「め、女神に……?」

「そう。今、君たちの手中にある女神は氷獄と暴風。この世界にはもう二人、女神がいる。彼女たちの力を借りるんだ」

「…………」

「とりあえず、所在がハッキリとしている南方を目指すべきだろうね」

「南方?」

「そう。そこには炎獄の女神・アスカがいるはずだ。もう一人の女神については……ごめんね、彼女は僕たちと違って、いろんな場所を点々とするような子だったから、所在は分からない。でも、アスカだったら何かを知っているかもしれない」

「分かった。とりあえず、俺たちは南方を目指すとするよ」

「うん。かなり過酷な旅になるかもしれないけど、気をつけて」

「ありがとう、カガリ」

「あ、最後に……」

 手を握る力を強めると、カガリはその小柄な身体を航大に擦り寄せる。

「お、おい……カガリ……?」

「ふむふむ……ちょっと、身体は頼りない感じだなぁ……」

 ペタペタと航大の身体を触って確かめるカガリ。
 ふんわりと甘い香りが鼻孔をくすぐって、航大の心臓は否応なしに早鐘を打ってしまう。

「……航大にくっつき過ぎ」
「そうよッ!」 ちょっとアンタ、何してんのよッ!」
「主様、そやつから離れるんじゃッ、何か怪しいことをしようとしているのかもしれぬ!」

 航大に抱きつくカガリを見て、ユイ、シルヴィア、リエルの三人が敏感な反応を見せる。キーキーと大声を上げて、航大にカガリから離れるように言葉を発し続けている。

「おい、カガリ……お前、何して……」

「さっきも言ったじゃないか。君は今、氷獄と暴風の力を持っているって」

「あ、あぁ……そうだが……」

「君はどうやって氷獄の力を使っている?」

「それは……シュナが中にいて……それを借りて…………まさか、お前……」

「ふふ、そういうこと。本来、女神と呼ばれる者がこうして人間の姿を維持するのは異例なんだよ。力もすごい使っちゃうしね」

「…………」

「僕も君たちと戦ったことによって、この身体を維持することが難しくなっている。だから、ね?」

「いや、ねって言われても――ッ!?」
「君に僕の力をあげる…………んっ」

 航大の視界がカガリの顔で埋め尽くされる。

 茶髪をサイドポニーの形で結んだ少女は、全体重を航大に預け、つま先立ちになることで航大と視線の高さを合わせる。そこからは流れるような動作で航大の唇に、自らの唇を重ねたのだ。

「――――」

 唇に柔らかい感触が押し当てられる。

 甘い香りが鼻孔をいっぱいにくすぐって、触れ合う身体からは確かに彼女の熱を感じ取ることができた。

 まさかの事態に航大の頭は真っ白になっていて、視界を埋め尽くす彼女の顔に航大はただ驚くことしかできなかった。

「えへへ、これは契約だよ、航大くん」
「……契約?」

 唇が僅かに離れる。
 それでも、カガリの顔はすぐ近くにあって、互いの吐息が嫌でも感じ取れてしまう。

「僕の全てを君に捧げるんだ。君はこの世界を守らなければならない」

「…………」

「これから先、過酷な戦いが待っているかもしれない。だけど、君は……それを乗り越えていかなければならない」

 航大に寄り添うカガリの身体が淡い光を帯び始める。
 それと同時に、目の前にある彼女の存在が希薄になっていく。

「大丈夫。心配はしなくていいよ。シュナと同じように、僕は君の中に入るだけ。そうすれば、君は暴風の女神が持つ力も使役できるようになるんだよ」

「…………」

「何も心配しなくていい。君は君が進むべき道を、ただ邁進したまえ」

 その言葉を最後に、カガリの身体は完全に光球へと姿を変える。
 そこに存在していた彼女の全てが光球へと姿を変え、そして航大の身体へと吸収された。

『まぁ、そういうことだから、よろしくね』

「うおぉッ!? 頭の中からカガリの声がッ!?」

『ちょっとカガリッ! どうして貴方まで航大さんの中に入ってきてるんですかッ!』

『まぁまぁ、いいじゃないか。案外、航大くんの中ってのも居心地が悪くない』

『貴方は外でも姿を維持できるでしょう? わざわざ、中に入ってこなくても……』

『おやおや、それはシュナちゃんも一緒なんじゃないのー? 航大くんの中にいれば魔力の消費は抑えられるけど、君はどうしてずっと航大くんの中に?』

『うッ……それは……』

『彼の中にいるのが楽ってだけじゃないよね? もしかして、航大くんの目の前に姿を現すのが恥ずかしいとか? それとも、リエルちゃんに合わせる顔がないとか?』

『う、うるさいですッ! 私はカガリとは違って、繊細なんですッ!』

 航大の中に入ったことによって、彼女の声までもが脳裏に響くようになった。
 そして、先に入っていたシュナと早速の小競り合いを始める。

「はぁ……俺の中に入るのはいいんだけどさ、少しは静かにしてくれないかな……」

 脳裏で始まる女神同士の口論。
 それを聞きながら、航大は深く大きなため息を漏らすのであった。

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