終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第五章40 砂塵の試練ⅩⅩⅨ:悲劇の過去
「な、なに……?」
遥か昔の氷都市・ミノルア。
まだ女神の存在すらもない過去の世界において、人々を恐怖に陥れるのは魔竜と呼ばれる存在である。各大陸で猛威を振るう魔竜だが、その魔の手はまだ氷都市・ミノルアまでは届いてはいなかった。
バルベット大陸の北部に存在し、常に雪と氷で支配される街・ミノルア。首都・ハイラント王国からも遠く離れており、人々は貧しいながらも平穏な日常を送っていた。
そんなに街に住まう姉妹、シュナとリエルは物心つく頃から両親という存在を持たず、それでも健気に生きてきた。美しい瑠璃色の髪が印象的な姉妹は、魔法によるショーを開催することで、どんよりと沈む街の人々に笑顔と活気を届けていた。
「お、お姉ちゃん……恐いよ……」
この日もシュナたちは魔法ショーを開催し、街の人々に笑顔を届けていた。
しかし、そんな平穏な時間も街全体に轟く咆哮と、巨大な地震によって一瞬にして崩壊する。ミノルアの中央広場でシュナのショーを見ていた観客たちは、突如として響き渡った轟音にパニック状態になってしまうと、我先にと逃げ出してしまう。
広場の周りに存在する民家からもパニックになった人たちが溢れ出してくると、全員がどこかへ避難を始めようとしていた。人々の悲鳴と共に聞こえてくるのは、地面を揺さぶる轟音と魔物の咆哮であり、街の至る所から爆発音と共に黒煙が立ち上る。
「リエルッ、とにかく私たちも逃げるよッ!」
「に、逃げる……?」
シュナですら状況を完全に理解することができない中で、まだ幼いリエルに理解しろというのは酷な話である。いつもみんな笑顔を向けてくれる大人たちが必死の形相で逃げ回っている。
自分の命が危機に晒されることで人間は普段は隠している本性を露わにする。
「おい、どけよッ!」
「押すなよッ、危ないだろ!」
「うるせぇッ! 早く逃げないとッ……アイツが……ついにアイツが来たんだ……!」
優しい言葉を掛けてくれる街の人たちの全員が生き残るために必死だった。
統率なんて存在しない混雑の中で、自分が生き残るために他者への言葉が暴力的になる。シュナやリエルはそんな大人たちの姿に絶句する他なく、しかし現実として突き付けられるその光景が、まだ幼い彼女たちにも明確な危機感を植え付けるのであった。
「とにかく私たちも逃げなきゃ……ほら、リエルッ!」
「う、うん……!」
とにかくこの場に留まっていてはいけない。
めまぐるしく変化する周囲の状況を見てシュナは瞬時に判断を下し、身体を震わせて立ち尽くしているリエルの手を掴むと、夕闇が迫ろうとしている氷都市・ミノルアの街を疾走し始める。
「お、お姉ちゃん……この音……なに……?」
「……分からない。でも、すごく嫌な予感がする」
人々の喧騒でごった返す街の中を疾走するシュナとリエル。
小さな身体を最大限に利用して、大人たちの間をスルスルと抜けるようにして走り続ける。二人の鼓膜を振るわせる大人の声に混じって、何度も断続的に爆発音らしき音を感じている。
その音を奏でる物の正体がまだ分からない。
しかし、だからこそ人々は分からない音に対して強い恐怖感を感じずにはいられず、少しずつ近づいてくる轟音にパニック状態はより強く伝染していく。
「はぁ、はぁ……ッ!」
「お姉ちゃんッ……私、もう……走れないよぉ……」
「もうちょっとだからッ……あの山まで……頑張って、リエルッ!」
人で溢れかえる道を進み、普段よりも多く体力を消耗してしまうシュナとリエル。
泣き言を漏らすリエルを叱咤激励し、シュナは遥か遠くに見えるアルジェンテ氷山を目指して走り続ける。まだ幼いシュナとリエルにとって、アルジェンテ氷山は遊び場の一つでもあった。だからこそ、街の人間よりも氷山については詳しく、山が持つ危険性も熟知している。
何か危機が迫っていることは理解できる。
その危機が去るまでシュナは、あの氷山に避難しようと考えたのであった。
「うあああああああああああああぁぁぁぁぁッ!」
騒然とする街中を疾走するシュナとリエル。
街の出口を目指して進み続ける二人の鼓膜を、誰かの叫び声が震わせた。
「な、なに……?」
その声にいち早く反応を示したのは、シュナに引っ張られているリエルだった。
声に導かれるようにして視線をそちらに向けようとするのだが――、
「ダメッ、リエルッ!」
「ひゃッ!?」
大通りから枝分かれになっている薄暗い小道。
その先に叫び声を漏らした男性は存在していた。
何か嫌な予感を察して、シュナは反射的にリエルの視線を自らの手で遮った。
「――――ッ!?」
結果的にシュナが取った判断は正しく、彼女が視線を向ける先にはショーが始まる前にシュナたちに声をかけてくれた男性が目を見開き、その顔を恐怖に染めて存在していた。
「やめ、やめてくれええぇッ……誰か、誰か助け――」
大通りに向けて助けを求める言葉を発しようとした男性だったが、その声が最後まで紡がれることはなかった。必死に助けを乞う男性の頭部を、何者かの巨大な足がいとも簡単に踏み潰した。
「――――」
声の代わりに、何か柔らかな物が潰れた生々しい音がシュナの鼓膜を震わせた。
つい先ほどまでは笑顔を見せて、この世界に生きていた人間の命が暴力的に破壊の限りを尽くされる瞬間を、彼女はその目で目撃してしまった。世界は混乱に満ちているとの話は聞いていたが、まだ実感がなかったシュナ。
しかし、彼女は目の当たりにしてしまったのだった。
世界を混沌に突き落とそうとする元凶が、力なき人間の命を陵辱し尽くそうとするその瞬間を――。
「リエルッ、急ぐよッ!」
「えっ、うんッ……」
頭部を潰された男性が存在する小道。
そこから光るのは明らかな魔獣の瞳だった。
街を襲っている魔獣がついに中心部へと到達しようとしているのだ。あちこちから聞こえてくる人々の悲鳴にも変化が現れ始めていた。おぞましい外見をした魔獣たちの姿を見て、人々は断末魔の叫び声を上げている。
「急がないとッ……早くしないとッ……!」
「お、お姉ちゃんッ……何が……どうなってるの……?」
「ダメだよ、リエルッ! 今は前だけを見てッ……絶対に後ろは見ちゃダメッ!」
「で、でも……」
「いいからッ、お姉ちゃんの言うことを守ってッ!」
「うん……」
いつもニコニコと笑みを浮かべ、リエルに声を荒げることがなかったシュナ。そんな彼女が見せる本気の言葉に、リエルも決定的な『何か』がこの街を襲っている事実を理解する。
そして、シュナが自分を守ろうと必死になっていることも幼いながらに理解した。
「はぁッ、はあぁッ……くッ……はぁッ……」
息を切らして走り続けるシュナとリエル。
既に街の中心部からは離れて、今は見慣れた小道を走り抜けている。
大通りを走るのが安全だと思っていたのだが、しかしそれでは氷山へ向かうには遠回りになってしまう。更に大通りに人間が数多く存在していることを察した魔獣たちが、大挙して向かっていることもあり、シュナは危険を承知の上で裏道を走ることを選択した。
またもやシュナの判断は正しく、ついさっきまで走っていた大通りの方からは夥しい数の悲鳴が木霊している。おそらく魔獣たちの襲撃を受けているのだろうと察するシュナは、醜くも生き長らえようとする自分に唇を噛み締めながらも、大切な妹を守るために走り続けた。
「リエルを置いてきたら……絶対に……戻る……」
子供とはいえ、シュナは大人にも負けないほどの才能に溢れた少女であった。
将来は首都・ハイラント王国の魔法騎士としての活躍を期待されるほどの逸材であり、そこら辺の小型魔獣ならば退けることは可能である。しかし、そんなシュナでもリエルを背中に戦う勇気はなかった。
もしそんなことをして、自分ではなくリエルに何かがあったら……それを想像したら彼女は逃げる以外の選択肢がないのであった。
それでも、シュナにとっては氷都市・ミノルアこそが自分が生まれ育った場所であることに間違いはなく、リエルさえ無事な場所へ連れて行くことができたのならば、自分ひとりでも街に戻って魔獣と戦う決意を密かに募らせていた。
「もう少し……もう少しで街から出られる……」
街から出ることが出来れば、アルジェンテ氷山まではすぐだった。
もう少しで安全な場所に行くことができる。
シュナが見せた一瞬の安堵を打ち砕くように、『それ』は彼女たちの眼前に現れた。
「――――ッ!」
突如として頭上から降ってきた巨体。
それはシュナが最も回避しなくてはならなかった、魔獣の巨体なのであった。
遥か昔の氷都市・ミノルア。
まだ女神の存在すらもない過去の世界において、人々を恐怖に陥れるのは魔竜と呼ばれる存在である。各大陸で猛威を振るう魔竜だが、その魔の手はまだ氷都市・ミノルアまでは届いてはいなかった。
バルベット大陸の北部に存在し、常に雪と氷で支配される街・ミノルア。首都・ハイラント王国からも遠く離れており、人々は貧しいながらも平穏な日常を送っていた。
そんなに街に住まう姉妹、シュナとリエルは物心つく頃から両親という存在を持たず、それでも健気に生きてきた。美しい瑠璃色の髪が印象的な姉妹は、魔法によるショーを開催することで、どんよりと沈む街の人々に笑顔と活気を届けていた。
「お、お姉ちゃん……恐いよ……」
この日もシュナたちは魔法ショーを開催し、街の人々に笑顔を届けていた。
しかし、そんな平穏な時間も街全体に轟く咆哮と、巨大な地震によって一瞬にして崩壊する。ミノルアの中央広場でシュナのショーを見ていた観客たちは、突如として響き渡った轟音にパニック状態になってしまうと、我先にと逃げ出してしまう。
広場の周りに存在する民家からもパニックになった人たちが溢れ出してくると、全員がどこかへ避難を始めようとしていた。人々の悲鳴と共に聞こえてくるのは、地面を揺さぶる轟音と魔物の咆哮であり、街の至る所から爆発音と共に黒煙が立ち上る。
「リエルッ、とにかく私たちも逃げるよッ!」
「に、逃げる……?」
シュナですら状況を完全に理解することができない中で、まだ幼いリエルに理解しろというのは酷な話である。いつもみんな笑顔を向けてくれる大人たちが必死の形相で逃げ回っている。
自分の命が危機に晒されることで人間は普段は隠している本性を露わにする。
「おい、どけよッ!」
「押すなよッ、危ないだろ!」
「うるせぇッ! 早く逃げないとッ……アイツが……ついにアイツが来たんだ……!」
優しい言葉を掛けてくれる街の人たちの全員が生き残るために必死だった。
統率なんて存在しない混雑の中で、自分が生き残るために他者への言葉が暴力的になる。シュナやリエルはそんな大人たちの姿に絶句する他なく、しかし現実として突き付けられるその光景が、まだ幼い彼女たちにも明確な危機感を植え付けるのであった。
「とにかく私たちも逃げなきゃ……ほら、リエルッ!」
「う、うん……!」
とにかくこの場に留まっていてはいけない。
めまぐるしく変化する周囲の状況を見てシュナは瞬時に判断を下し、身体を震わせて立ち尽くしているリエルの手を掴むと、夕闇が迫ろうとしている氷都市・ミノルアの街を疾走し始める。
「お、お姉ちゃん……この音……なに……?」
「……分からない。でも、すごく嫌な予感がする」
人々の喧騒でごった返す街の中を疾走するシュナとリエル。
小さな身体を最大限に利用して、大人たちの間をスルスルと抜けるようにして走り続ける。二人の鼓膜を振るわせる大人の声に混じって、何度も断続的に爆発音らしき音を感じている。
その音を奏でる物の正体がまだ分からない。
しかし、だからこそ人々は分からない音に対して強い恐怖感を感じずにはいられず、少しずつ近づいてくる轟音にパニック状態はより強く伝染していく。
「はぁ、はぁ……ッ!」
「お姉ちゃんッ……私、もう……走れないよぉ……」
「もうちょっとだからッ……あの山まで……頑張って、リエルッ!」
人で溢れかえる道を進み、普段よりも多く体力を消耗してしまうシュナとリエル。
泣き言を漏らすリエルを叱咤激励し、シュナは遥か遠くに見えるアルジェンテ氷山を目指して走り続ける。まだ幼いシュナとリエルにとって、アルジェンテ氷山は遊び場の一つでもあった。だからこそ、街の人間よりも氷山については詳しく、山が持つ危険性も熟知している。
何か危機が迫っていることは理解できる。
その危機が去るまでシュナは、あの氷山に避難しようと考えたのであった。
「うあああああああああああああぁぁぁぁぁッ!」
騒然とする街中を疾走するシュナとリエル。
街の出口を目指して進み続ける二人の鼓膜を、誰かの叫び声が震わせた。
「な、なに……?」
その声にいち早く反応を示したのは、シュナに引っ張られているリエルだった。
声に導かれるようにして視線をそちらに向けようとするのだが――、
「ダメッ、リエルッ!」
「ひゃッ!?」
大通りから枝分かれになっている薄暗い小道。
その先に叫び声を漏らした男性は存在していた。
何か嫌な予感を察して、シュナは反射的にリエルの視線を自らの手で遮った。
「――――ッ!?」
結果的にシュナが取った判断は正しく、彼女が視線を向ける先にはショーが始まる前にシュナたちに声をかけてくれた男性が目を見開き、その顔を恐怖に染めて存在していた。
「やめ、やめてくれええぇッ……誰か、誰か助け――」
大通りに向けて助けを求める言葉を発しようとした男性だったが、その声が最後まで紡がれることはなかった。必死に助けを乞う男性の頭部を、何者かの巨大な足がいとも簡単に踏み潰した。
「――――」
声の代わりに、何か柔らかな物が潰れた生々しい音がシュナの鼓膜を震わせた。
つい先ほどまでは笑顔を見せて、この世界に生きていた人間の命が暴力的に破壊の限りを尽くされる瞬間を、彼女はその目で目撃してしまった。世界は混乱に満ちているとの話は聞いていたが、まだ実感がなかったシュナ。
しかし、彼女は目の当たりにしてしまったのだった。
世界を混沌に突き落とそうとする元凶が、力なき人間の命を陵辱し尽くそうとするその瞬間を――。
「リエルッ、急ぐよッ!」
「えっ、うんッ……」
頭部を潰された男性が存在する小道。
そこから光るのは明らかな魔獣の瞳だった。
街を襲っている魔獣がついに中心部へと到達しようとしているのだ。あちこちから聞こえてくる人々の悲鳴にも変化が現れ始めていた。おぞましい外見をした魔獣たちの姿を見て、人々は断末魔の叫び声を上げている。
「急がないとッ……早くしないとッ……!」
「お、お姉ちゃんッ……何が……どうなってるの……?」
「ダメだよ、リエルッ! 今は前だけを見てッ……絶対に後ろは見ちゃダメッ!」
「で、でも……」
「いいからッ、お姉ちゃんの言うことを守ってッ!」
「うん……」
いつもニコニコと笑みを浮かべ、リエルに声を荒げることがなかったシュナ。そんな彼女が見せる本気の言葉に、リエルも決定的な『何か』がこの街を襲っている事実を理解する。
そして、シュナが自分を守ろうと必死になっていることも幼いながらに理解した。
「はぁッ、はあぁッ……くッ……はぁッ……」
息を切らして走り続けるシュナとリエル。
既に街の中心部からは離れて、今は見慣れた小道を走り抜けている。
大通りを走るのが安全だと思っていたのだが、しかしそれでは氷山へ向かうには遠回りになってしまう。更に大通りに人間が数多く存在していることを察した魔獣たちが、大挙して向かっていることもあり、シュナは危険を承知の上で裏道を走ることを選択した。
またもやシュナの判断は正しく、ついさっきまで走っていた大通りの方からは夥しい数の悲鳴が木霊している。おそらく魔獣たちの襲撃を受けているのだろうと察するシュナは、醜くも生き長らえようとする自分に唇を噛み締めながらも、大切な妹を守るために走り続けた。
「リエルを置いてきたら……絶対に……戻る……」
子供とはいえ、シュナは大人にも負けないほどの才能に溢れた少女であった。
将来は首都・ハイラント王国の魔法騎士としての活躍を期待されるほどの逸材であり、そこら辺の小型魔獣ならば退けることは可能である。しかし、そんなシュナでもリエルを背中に戦う勇気はなかった。
もしそんなことをして、自分ではなくリエルに何かがあったら……それを想像したら彼女は逃げる以外の選択肢がないのであった。
それでも、シュナにとっては氷都市・ミノルアこそが自分が生まれ育った場所であることに間違いはなく、リエルさえ無事な場所へ連れて行くことができたのならば、自分ひとりでも街に戻って魔獣と戦う決意を密かに募らせていた。
「もう少し……もう少しで街から出られる……」
街から出ることが出来れば、アルジェンテ氷山まではすぐだった。
もう少しで安全な場所に行くことができる。
シュナが見せた一瞬の安堵を打ち砕くように、『それ』は彼女たちの眼前に現れた。
「――――ッ!」
突如として頭上から降ってきた巨体。
それはシュナが最も回避しなくてはならなかった、魔獣の巨体なのであった。
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