終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第四章54 【幕間】それぞれの休息<リエル・レイネルの場合>

「…………」

 そこはハイラント王国の王城に存在する客室だった。

 以前、航大とユイに与えられた部屋であり、簡素な内装に家具は少ない。そこには二人の人間が存在しているのだが、両者に会話などはない。

 一人は窓の外から差し込む陽の光を受けて、肩下まで伸ばした碧髪を美しく輝かせる少女・リエル。

 一人は部屋の隅に設置されたベッドに横たわっている少年・航大。

 リエルはベッドで眠る航大を朝からずっと一人で見守っており、決して目を覚まさない主人の様子に少女の表情はどこまでも暗く沈んでいる。主人がこんな姿になってしまったのも、全ては自分の力不足が原因である……北方の賢者・リエルは目の前で大切な人が傷つく姿を前にして、何もすることが出来なかったのである。

「…………」

 何も出来ずに大切な人を失う。
 リエルがそれを経験するのは二度目である。

 一度目は北方の女神であり、自分の姉であるシュナ。

 帝国騎士の襲撃を受け、リエルは持てる全ての力を持ってして、姉を守ろうとしたのだが結果的に力及ばず、消えぬ業炎の中に女神・シュナの身体は消え去ってしまった。

 そして二度目が航大である。アステナ王国での戦いでは、彼の助けになることができず、更に拉致された航大を助けに帝国ガリアへ侵入を果たした。しかし、それも結果は眼前で航大が倒れる様子を見ているだけだった。

「儂は……また同じ過ちを繰り返してしまった……」

 ライガたちが居る前では強がり弱さを見せなかったリエルだが、今この瞬間だけは押し留めていた感情を爆発させる。唇を噛み締め、その瞳に薄っすらと涙を溜めると目を閉じて眠る航大の顔を見続ける。

「……もう二度と失わないって決めたはずなのに」

 眠る航大の手を取る。

 致命傷を負った航大は、女神・シュナの加護によってその身体を凍結させられている。そうでなければ、腹部にぽっかりと空いた空洞から夥しい量の出血が続き、瞬く間の内に航大は命を落とすこととなる。

 ユイが持っていた負の力が航大の身体に悪影響を及ぼしており、リエルが持つ治癒魔法ではその傷を癒やすことができない。

「……主様、儂が必ず助ける」

 リエルが誰にも見せない弱音を吐き出すのは一瞬だった。
 気付けばリエルの瞳には涙は消失しており、そこに在るのは強い決意。

 次こそは失敗しない。北方の賢者として名を馳せた少女は、二度の挫折をも乗り越えることを誓う。そして、今度こそ自分が守りたいと思うもの全てを守る。

「さて……儂だけが主様を独占する訳にもいかないか」

 客室の外。
 そこから感じた気配を察して、リエルは最後に航大を一瞥すると踵を返して部屋を出て行く。

 彼女の休息はまだ始まったばかり。
 碧髪を揺らす小柄な少女は、ライガたちと同じように一番街へと繰り出していくのであった。

◆◆◆◆◆

「ふむ、こうして一人で街を歩くのは初めてかの……」

 客室を出たリエルは王城内で何度か道に迷いながらも何とかして、ハイラント王国の城下町である一番街へとたどり着くことができた。

 久しぶりに城下町を歩くリエルは、初めて歩く街並みに戸惑いを隠せない。北方の大地で生きてきたリエルは基本的に孤独であり、これだけの人間を見ること事態がとても珍しい。

 一番街を埋め尽くす人混みに四苦八苦しながら歩くリエルは、そこから逃げるようにして裏路地へと駆け込んでいく。

「ぜぇ、はぁ……ぜぇ、はぁ……どうしてここまで人間が集まってくるんじゃ……」

 ただでさえ小柄な体躯をしているリエルには人混みは厳しすぎた。

 真っ直ぐ歩くことさえ困難な状態に嫌気が差して裏路地へと逃げたリエルは、人混みから解放され安堵のため息を漏らす。

「裏路地にも商店があるんじゃな……」

 最早、自分がどこを歩いているかも定かではないのだが、ズカズカと恐れることなく突き進むリエルは『魔導書店』と書かれた看板に目を止める。

「魔導書店……面白そうじゃの……」

 魔法に長けた存在であるリエルにとって、魔導書店という名前はとても興味が惹かれる響きであることに間違いはなく、僅かに目を輝かせた少女は吸い寄せられるようにして古い木造の扉に手を伸ばしていくのであった。

◆◆◆◆◆

「これは炎の魔導書ッ!? ふむ、ふむふむ……これは中々……興味深いのぉ……」

 そこの魔導書店はかつて、航大が漆黒のグリモワールを持って訪れた場所であった。裏路地の隅に存在する魔導書店は、本棚がいくつか存在しているのだがそれでも入り切らない魔導書が床のあちこちに保管されている。

 裏路地ということもあり陽の光が入って来ないため、店は全体的に埃っぽい。しかも、魔導書店という名前にも関わらず人の気配というのは一切ない。店としてのあり方に疑問を持たずにはいられないが、それでもこの店はリエルにとっては宝の山と同じなのであった。

「おーーッ! こ、これは……かつての女神が記した氷魔法の書ッ!?」

 埃が舞う魔導書店の中で、一冊の魔導書を手に取ったリエルは中の記述を見て大声を上げる。それは間違いなく、リエルの実姉である北方の女神・シュナがこの世界に残した自身の魔法に関する書物であり、魔導書として最も価値がある存在である。

「もぉ……さっきからうるさいですねぇー」

「お?」

「魔導書店は静かな場所なんです。あまり大声を出さないでくださいね?」

「お、おぉ……どんな老いぼれたジジイが出て来るかと思えば……子供ではないか」

「こ、子供ッ!? あ、貴方ッ……そこの貴方ッ、今ッ……私を子供と言いましたかッ!?」

 静寂が支配していた魔導書店に、気怠げな少女の声音が響いた。

 その少女は書店の奥から杖に乗って浮遊して来ると、全身をすっぽりと覆ったローブマントから覗く瞳でリエルを注意する。その姿は昔に航大が訪れた時と全く一緒であり、姿を現した少女を見て、リエルが言ってはならぬ一言を漏らしてしまう。

「ん? なにか間違っているかの? どう見ても、子供のようにしか見えぬが……」

「い、一度だけならまだしも……に、二度も私を子供とッ……」

「お主が何故そこまで怒りに震えているのか分からぬな。儂は、ただ見たままを言葉にしているだけなのじゃが……」

「こ、ここここんな屈辱は、前に店へやってきた少年以来ですね……」

「ふん、その少年とやらを儂は知らぬが、そんなに屈辱を受けるようなことでもあるまい」

「屈辱を受けるに決まってるじゃないですか! 何が子供ですかッ、貴方だってどう見ても子供ですッ!」

「…………」

 魔導書店の少女が漏らした怒号に、リエルの眉が敏感に反応する。
 ピキッと音がするくらいに眉が痙攣すると、その顔に強い威圧を込めた笑みを浮かべる。

「ほ、ほぉ……儂が子供じゃと?」

「うッ……な、なんか怒ってる気がする……」

 こめかみを震わせながら問いかけを投げるリエルの様子に、魔導書店の少女はビクッと身体を震わせながらも気丈に振る舞う。

「そ、そうですよッ! 身長だって私の方が少しだけ大きいですしッ!」

「んなッ!? う、嘘をつくでないッ! ちゃんと比べてないではないかッ!」

「比べなくとも分かりますッ!」

「分かるわけがないだろうッ!」

「もうッ! 年下なんだから年上を敬ってくださいよぉッ!」

「何が年上じゃたわけッ! 儂は三百年の時を生きておるんじゃぞッ!」

「へッ!? さ、三百年ッ!?」

 リエルの言葉に、魔導書店の少女は目をまん丸に見開いて驚きを隠せない様子を見せる。リエルは北方の氷山で女神・シュナを守るためだけの存在として作られた。女神がこの世界を守護するようになって数百年。それと同じ時を彼女は過ごしているのだ。

「ま、まさか私よりも年上の人間がこの国に居るなんて……そんなの聞いてないです……」

「ふん、分かればいい」

 ハイラント王国の裏路地。
 そこに存在する小さな魔導書店。

 普段は誰も訪れることがない小さな書店で繰り広げられた醜い争いの軍配は、北方の賢者・リエルに上がった。魔導書店の少女はリエルの言葉にあっさりと負けを認めると、小さな身体を更に小さくして重い溜息を漏らしている。

「それよりも、この魔導書について聞きたいんじゃが?」

「ふぇ? それは…………あぁ、結構な昔に冒険者が持ってきた物ですね。とてつもない魔力を秘めていて、普通の人間には読めない難解な文字が並ぶ魔導書。何か価値があると思って買い取ったはいいんですけど、どれだけの年月を費やしても解読することは出来ず……気付いたらそこら辺で埃を被ってた奴です」

「……かなり詳細に説明してくれるんじゃな。というか、これだけの魔導書があってよく覚えていられるな」

「それはもちろんです。何百年と魔導書店をやってますからね。うちの店にある魔導書の全てをしっかりと把握していますよッ!」

 説明を終えた魔導書店の少女はリエルの言葉に得意げな様子な胸を張る。

「ふむ、なるほどの……時にちょっとしたお願いなのじゃが、聞いてもらえるじゃろうか?」

「まぁ、聞くだけでいいのなら」

「この魔導書を譲ってはもらえぬか?」

「ダメです」

「――よし、この書店を凍らせよう」

「ええええぇぇぇッ!?」

 魔導書店の少女が即答したのを聞いて、リエルはその表情から笑みを消すと魔力の充填を始める。周囲に散乱する魔導書には、それぞれ微力ながらも魔力が秘められており、その書物に込められた魔力すらも吸収することでリエルは強大な一撃を見舞おうとしている。

 書店の少女も魔導書を取り扱う商店を経営している身である。人並み以上には魔法に長けており、だからこそリエルが秘める膨大な魔力に慌てふためく。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよッ!? コレ、本気な奴じゃないですかぁッ!」

「ふむ。きちんと魔導書を管理していないと、こうなるんじゃぞ?」

「ううぅ……ココは書店なのに強奪していこうとするなんて……なんという悪魔……」

「むっ……何もタダで譲ってくれと言ってる訳ではないぞ? 金なら払う」

「えっ、そうなんですか? それなら全然大丈夫ですよーッ!」

 リエルがしっかりと金を払うということが分かるなり、書店の少女はコロッと表情を変えて商売人としての一面を垣間見せる。

「といっても、儂はこれくらいしか持っていないんじゃが……足りるじゃろうか?」

「えーと、どれどれ………………えっ、これって金貨じゃないですかッ!? しかもこんなにッ!?」

「ふむ、儂にはイマイチこれがどれくらいの価値なのか分からぬのじゃが、足りるだろうか?

「全然、問題ないですッ! もしかして、貴方はお金持ちなんですかッ!?」

「金持ちかどうかは分からぬが、コレで足りるなら譲ってはくれぬか?」

「えぇ、えぇッ! もちろん大丈夫ですよッ!」

 なんともあっさりと商談が成立すると、北方の女神・シュナが残した唯一の魔導書がリエルの手に渡る。これはいい買い物をしたとリエルの表情には満面の笑みが零れる。

「最初は失礼なことを言ってすみませんでしたッ! ぜひ、またいらしてくださいねッ!」

「……なんとも、現金な奴じゃのぉ」

 リエルが金を持っていることが知れるなり、書店の少女は最初の頃とは態度を変えて営業スマイル全開である。その様子に苦笑いを浮かべながらも、リエルはこの魔導書店のことをしっかりと脳裏に刻むのであった。

「それじゃ、儂はそろそろ戻るとするかの」

 書店の少女に別れの挨拶を済ませると、リエルは再びハイラント王国の城下町へと繰り出していく。

 書店を出るなり、リエルの表情からは笑みというものが一切消えており、来る新たな旅路へ向けた覚悟を瞬時に整えていくのであった。

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