終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第三章28 予感

 深層世界で影の王として君臨するもう一人の神谷航大。

 彼は航大の身体に忍び込んできた魔竜・ギヌスが持つ異形の力をその身に取り込むと、世界を破壊し、創造した力である『創世魔法』を駆使することで、北方の女神・シュナを討ち滅ぼそうとしていた。

 航大の身体を内から守護する女神を討つことで、神谷航大という存在の主導権を握ろうと目論んだ影の王であったが、その企みは女神と融合した表の神谷航大によって阻止されることになる。

「はぁ……なんか、ずっと寝てたはずなのに疲れたな……」

 夜。

 航大は宛てがわれた部屋のベランダで夜風を身体に浴びながら、頭上で輝く満月を見上げて小さく溜息を漏らす。

 男女が一緒のベッドで眠ることを固く禁じたネポル家のメイドであるセレナの言葉により、この日は航大と一緒に寝るのは誰か……という、ここ最近ではすっかり見慣れてしまったユイ、リエル、シルヴィアの三人による戦いは未然に防がれた。その結果、航大は久しぶりに静かな夜を迎えることが出来るのであった。

「もうこっちに来て長いな……」

 一人で静かな夜を堪能していると、航大は自分のことについて考える余裕を持つことができた。日本と呼ばれる国で生まれた神谷航大という少年は、これまでごく普通な生活を送る学生だった。

 学校の図書館で不思議な本を見つけたその瞬間。
 神谷航大という少年が持つ運命の歯車は大きく狂うこととなったのだ。

「……今日はいい天気ですね」

「――ッ!?」

 一人であると完全に油断してぶつぶつと独り言を漏らしていると、そんな鼓膜に優しい少女の声が漂ってきた。

 まさか自分以外の誰かが居るなんて思いもしてなかった航大は肩をビクッと大きく跳ねさせると、弾けたように後ろを振り返る。ユイ、リエル、シルヴィアの三人ならば、セレナの監視を抜け出し、部屋を飛び出してくることなど容易に想像することが出来る未来だ。

「君は……」

 恐る恐るといった様子で後ろを振り返ってみると、そこには薄いピンクのネグリジェに身を包み、月明かりを浴びて艶やかに輝く黒髪が印象的な少女であるプリシラ・ネポルが立っていたのであった。

 彼女の姿を見間違うはずがない。

 航大が生活をしていた現実世界ではスタンダードである黒髪は、この異世界では珍しい髪色であるのもそうだし、とにかく病的なまでに白い肌を持つ人間は、航大の周りにはそう存在しない。

「……こんばんは。夜分遅くにお邪魔してしまい、申し訳ありません」

「い、いや……まぁ、驚いたのは事実だけど謝ることじゃないよ」

「ありがとうございます。貴方がまだ起きていて良かったです。もし寝てたら、どうやって起こそうか頭を悩ませることになっていましたから」

 こうして航大と二人きりで話している時、プリシラは極度の人見知りを発揮することがなかった。応接間でのライガたちが居る前ではまともに会話をすることすら難しかった様子とは一変している。

「どうやって俺を起こそうとしたのか……それも気になるけど、その前に本題を片付けたほうが良さそうだな」

「そうですね。そうして頂けると、私も有り難いです」

 航大と同じように夜風を浴びるプリシラの表情は固く、その顔にはどこか険しい様子が浮かんでいるのを見て、航大は彼女が談笑をしに来たのではないことを察する。

「それで俺に何の話があるんだ?」

「貴方も覚えていますよね、あの地下室での話です」

「……地下室」

 プリシラの言葉から紡がれた単語が鼓膜を震わせて、航大はやはり自分の記憶が正しかったことを理解する。航大が深層世界にやってくる直前、やはりこの屋敷の地下に隠された地下室へと辿り着いていたのだ。

 深層世界から目覚めた航大に対して、プリシラは屋敷の廊下で倒れていたと証言した。

 何故、彼女はあの場で嘘をついたのか……それは分からないが、航大はずっと胸に抱えていたモヤモヤの一つを解消することが出来たのであった。

「やっぱり、俺は地下室に行ったんだな」

「……はい。地下室でも言いましたが、あの場所は普通の人間が近づいて良い場所でも、近づける場所でもないのです」

「確かにそう言ってたな」

「私が聞きたいこと、それはどうして貴方があの場所へ至ることが出来たのか……その真相についてです」

 真剣な表情を浮かべ、プリシラは問いかけてくる。

 彼女の言葉に感情は篭められておらず、その返答によってはいつでも航大を殺すことが出来ると身に纏う殺気で語っているようでもあった。

「どうやって至ったか……まぁ、隠すことでもないしな……まず、逃げたプリシラを探すためにみんなで屋敷を探してたんだ」

「…………」

 語りだした航大の言葉を、プリシラは無表情で黙って聞いている。

 その瞳はしっかりと航大を射止めて外れることがない。異様な空気を醸し出す彼女の様子に気圧される航大であったが、それでも語ることを止めることはなかった。

「そこで、俺は屋敷の隅にある部屋に辿り着いた。そしたらこの本が光り出して……気付けば目の前に扉があったんだ」

「それは……本……?」

 現実世界と異世界を繋ぐ異形の力を持ったグリモワール。

 航大はそれをどんな時でも肌身離さず持っているようにしていた。この時もプリシラに見せるようにして、漆黒の装丁をしたグリモワールをすぐに取り出す。

「コイツには不思議な力がある」

「……それはグリモワールのようですね。ちょっと見せてもらうことはできますか?」

 プリシラの言葉に頷くと、航大は手に持っていたグリモワールを彼女に手渡す。

 手渡されたグリモワールをじっくりと観察するプリシラは、その本から漂ってくる魔力に表情を顰めながらも、ペラペラとページを捲りながら隅から隅までしっかりと目を通していく。

「…………」

 妙な緊張感が闇夜を支配しており、なんとも手持ち無沙汰である航大は、改めてじっくりと眼前に立つ少女を観察する。

 上半身は肩から先を、下半身は膝から先を大胆にも露出したプリシラは、じっくりと観察してみると少女というには少々身体の凹凸が激しい気がした。ユイとリエルにはダブルスコア以上の差を付けて圧勝だと言える。シルヴィアと比べると、なんとも甲乙つけがたいのだが、僅かにプリシラが優勢であると言いたい。

「…………」

 プリシラの身体を細部に至るまで観察していると、航大は自分の心臓が早鐘を打ってしまっていることに気付く。

 しかしそれも仕方がないことなのかもしれない。眼前に立つ少女は露出の多い格好をしているのだ。その姿は少年にとって刺激が強すぎるものであり、さらに思春期真っ盛りな航大が冷静でいることなど出来るはずがない。

「……不思議ですね。この本からはすごい魔力を感じることが出来ます。それも、かなり禍々しいものであると言えますね」

「ま、禍々しい……?」

 永遠にも続く静寂を覚悟した矢先である。
 グリモワールを観察していたプリシラは小さくため息を漏らすと静寂を切り裂く言葉を漏らした。

 勝手にドギマギしていた航大は、プリシラが放った言葉に背筋を正してその詳細について問いかける。

「はい。この力は貴方の身体を苦しめていたものに近いものであると言えます…………更に厄介なのが魔竜が持つ力にも似ている……という点にあります」

「……魔竜の力と似ている?」

 グリモワールの観察を続けながら、プリシラは語る。

 紡がれる言葉の中に見過ごせない単語が混じっていて、航大はその表情を険しいものに変えると眼前に立つ少女から詳細を聞き出そうとする。

「私にも詳しいことは分かりませんが……近いものであると断言することが出来ます」

「マジかよ……」

「出来ることなら、あまりこの力は多用しないほうがいいでしょう。魔竜を封印する一族の末裔として、忠告させて頂きます」

「魔竜を封印する一族……やっぱり、あの場所には魔竜・ギヌスが封印されてるんだな?」

「…………はい。その通りです。私……私たち一族は代々封印魔法に強い一族でありましたから、遥か昔から魔竜を封印するために力を行使してきました」

「……なるほど」

「だからこそ、あの場所には近づいてはいけないのです。本来ならば、王女が紹介したお客様を疑うようなことはしたくなかったのですが……あの場所を知られてしまったが故にこのようなことになってしまい、申し訳ありません」

「い、いや……俺の行動が軽率だったのが悪いんだ……」

「この本について、明日にでも詳しく調べさせてください。何か分かるかもしれませんので」

「分かった。俺もその本については知りたいって思ってたんだ。それを調査してくれるって言うなら、いくらでも協力するぜ」

「……ありがとうございます」

 航大の協力的な言葉にプリシラはこの夜、初めての微笑を浮かべてくれた。

 彼女の笑みはどこか大人びていて、ネグリジェという大人っぽい格好と相まって航大は妖艶な雰囲気を醸し出す彼女の姿に心臓が早鐘を打ってしまうのを感じていた。

「では、今日はもう遅いので……私はこれで失礼します。夜分遅くに申し訳ありませんでした」

「いや、いいよ。俺もそろそろ眠くなってきた頃だし……また、明日な」

「……はい。おやすみなさいませ」

 航大の言葉にプリシラはペコリと丁寧に頭を下げると、踵を返して部屋を出て行く。

「…………」

 再びの静寂が訪れるのと同時に、航大は一日分の疲れがどっと出てきているのを感じていた。それと同時に眠気も感じるようになってきて、気付けば航大の身体はベッドの中へと潜り込んでいたのだった。

◆◆◆◆◆

「……んッ?」

 次に目を覚ますと、眩い陽の光が視界いっぱいに広がっていた。
 眩しい感覚を覚えながら、航大はまた無事に朝を迎えたのだと理解した。

 着替えを済ませ、朝の集合場所として指定されている応接間へと向かおうとする航大。部屋を出る間際、なにやら外が騒がしいことに気付くが、まだ寝ぼけている様子の航大はその微細な違和感に足を止めることなく、部屋を出ていくのであった。

「やっぱり、なんか騒がしいな……」

 欠伸を噛み殺しながら屋敷の中を歩く航大は玄関口で誰かの怒号が響いていることに気が付く。さすがに不穏な気配を放つ存在を見過ごすことが出来ず、航大の足はセレナと死闘を演じた玄関の方へと向けられるのであった。

「あれは……アステナ王国の騎士……?」

 航大が玄関口へと辿り着くと、そこには航大以外の全員が集合していて、それぞれが険しい顔つきでアステナ王国の騎士服に身を包んだ男の報告を聞いていた。

「ネ、ネポル様ッ……王女・レイナ様からの伝言をお伝えしに参りましたッ……至急、お城へお戻りになってくださいとのことですッ……」

「お、落ち着いてください……何があったんですか……?」

 アステナ王国の騎士と会話を交わすプリシラは、相変わらずの人見知りを発動していたが、ただならぬ雰囲気を察して逃げ出すことはなかった。


「ア、アステナ王国がッ……魔獣の襲撃に遭っていますッ……!」


「――はっ?」

 騎士が放った一言。

 この場の全員が呆然とした様子で固まる中、そんな航大の気の抜けた声音だけが静かな玄関口に響くのであった。

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