終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章40 対峙する少女と賢者

「……寝ても大丈夫。私がちゃんとみんなの所に連れていくから」

「すまない、頼む……」

 粉雪が舞う氷都市・ミノルア。

 英霊フローレンス・ナイチンゲールとのシンクロが切れ、『ユイ』としての人格が戻ってきた白髪の少女は、異形の力を行使した代償によって身体をふらつかせる少年の身体を優しく包み込んでいた。

「……おやすみ、航大」

 少女の言葉に安堵したのか、その胸に顔を沈める『航大』と呼ばれた少年は、最後に笑みを表情に浮かばせると意識を途切れさせる。

「……本当に無事でよかった」

 自分の胸に顔を埋め、小さく呼吸を繰り返す航大を見てユイも安堵の笑みを浮かべる。
 航大が無事である。ただそれだけのことが、ユイにとって救いであり、喜びであった。
 どれだけ自分の身体と心が傷つこうとも、ユイという少女は目の前の少年のことを第一に考えていた。

「うッ……かはッ……!?」

 少年の身体を優しく抱きしめるユイの身体に異変が起きる。
 突如、苦しげに表情を歪ませると、その場にしゃがみこんでしまう。

「はぁ、はあぁ……お願い、まだ……」

 肩を大きく上下させ、何度も激しく咳き込む。その度に、ユイの口からは赤黒く染まった血が吐き出され、少年の身体を汚さないように吐き出された血液は、地面を薄っすらと覆っている雪の上に落ちては汚していく。

「……だいぶ、辛そうじゃな?」

「……誰?」

「……誰とは酷いのぉ。さっきまで一緒に居たではないか」

「……知らない」

 全身を駆け巡る吐き気と倦怠感に苛まれるユイの背後に現れたのは、水色の髪を肩上で切り揃えた少女だった。
 彼女は永久凍土の賢者と呼ばれており、ユイが眠っている間に航大と出会っていた。

「違う人格が入っている時のことを、お主は何も覚えていないのだな」

「…………」

「多重人格者……という訳ではなさそうじゃな……お主の中に感じていた力が消えておるし……なるほど、他人の人格をお主に与える、それが主様の力……ということなのじゃな」

「多重人格とか力とか、私にはよく分からない。私はただ、航大を守るだけ。航大が戦って欲しいって言うなら、戦う……それだけ」

「そんな苦しそうなのにか?」

「……航大のために戦うことが出来るのなら、航大を守ることが出来るのなら……私はどうなってもいい」

 自分の身体に寄り掛かるようにして眠る航大を見つめながら、ユイは静かに言葉を紡いでいく。
 唇の端を鮮血で汚すユイを見て、永久凍土の賢者・リエルの表情は険しい。
 彼女の身体に触れ、その中を垣間見たリエルだからこそ、この世界で最も眼前の少女を警戒していた。

「……お主は何者なんじゃ?」

「……何者?」

「教会で治療した際、お主の中に強大な力を感じた。それは魔力とは違う何かであり、禍々しい力の本流じゃ……」

「…………」

「数百年とこの世界で生きておるが、あそこまでの強い力を見たことがない。ほんの一瞬、触れただけで飲み込まれそうになるその力を持つお主は……何者なんじゃ?」

 リエルの表情は険しい。
 いつでも魔法を使う準備は出来ていると、具現化した魔力で髪を靡かせている。

「その力は、使い方を誤ればこの世界を崩壊させかねない……お主の答えによっては、弱っている今のうちに……殺さねばならなくなる」

「…………」

 明確な殺意と敵意を向けてくるリエルに視線を移していたユイは、再び寝息を立てる航大を見る。その瞳には強い慈愛の念が込められていた。

「……私は私のことが分からない。貴方が言うような力のことも知らないし、自分の名前だって分からない」

「…………」

「今の私が分かってること、それはこの人を守らなくちゃいけないってことだけ」

「……本当に何も分からないと言うのか?」

「……分からない。それしか、今の私には言えない」

 ユイの言葉に偽りは無かった。
 それを感じ取ったのか、リエルは釈然としない様子ではあるが、ユイの言葉と様子を見て周囲を漂わせていた魔力を霧散させる。

「儂が主様と契約を結んでいる間、何か怪しい動きを見せた時は……分かっておるな?」

「…………」

 リエルの言葉にユイは小さく頷くことで返す。
 その返事を見て、リエルは小さくため息を漏らすとそれ以上の追求はしない。

「それでは、戻るとするかの……」

「……うん。このままじゃ、航大が風邪引いちゃう」

「どれ、主様は儂が運ぼう」

「……ダメ」

 緊張の糸が切れ。リエルの一言にユイが首を横に振る。
 先ほどとは違う緊張感が氷都市・ミノルアを静かに包んでいく。

「お主の身体も辛そうじゃ。男一人を抱えるのは大変じゃろう? だから、儂が手伝ってやると言っておるのじゃ」

「……私は大丈夫。それに大変なのは貴方も同じ。その身体じゃ航大を持ち上げるのは大変」

「……なんじゃそれは、儂が小さいと言うのか?」

 ユイが放った遠回しの言葉に、リエルの表情が凍りつく。
 その顔に笑みを浮かべてはいるのだが、内心では全く違う感情が渦巻いているのは明らかだった。

 ピリピリとした空気を放つリエルの横目で見ながら、ユイはそれでも抱きしめる航大の身体を離そうとはしない。その強い意志を示すかのように、航大の顔を自分の胸に強く押し付けていく。

「私は見たままを言っただけ。それに、航大も胸が大きい私の方が良いって言ってる」

「む、胸ッ!?」

「……お城で寝てる時、航大に揉まれた」

「も、揉まれたじゃとッ!?」

 それはユイがベッドに忍び込んでの事故的なものであるのだが、その事実を知らないリエルはその顔を驚きに変えながら、頬を真っ赤に染めていく。

「……航大はおっぱいが好き。それなら、私の方が大きい」

「お、おっぱいじゃとおおおおぉッ!?」

「……貴方より、大きい」

「な、何をッ……儂だって少しはあるぞッ!」

「少しじゃ航大は満足しない」

「ムキーーーーーッ!」

 ああ言えばこう言う。
 生意気なユイの様子にリエルは地団駄を踏んで怒りを露わにする。

 このままでは埒が明かないと詰め寄ってくるリエルに対して、ユイも負けじと航大の身体を強く抱きしめることで徹底抗戦の様子を見せつける。

 ユイの胸に顔を埋める航大が苦しげな声を漏らすのだが、女同士の引けない戦いに集中する二人は気付くことすらない。

 それからしばらくの間、二人の戦いは続くのであったが、帰りが遅い航大たちを心配して戻ってきたライガが姿を表すことで有耶無耶に決着をつける羽目になるのであった。

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