終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章29 対峙するのは異世界の英雄

「はぁ……まだ生き残りが居たんだぁ……仕事が増えるなぁ……憂鬱……」

 絶望支配する氷都市・ミノルアを走り、航大たちが向かった先。そこは街の中心部に存在する教会だった。普段は市民の憩いの場として機能している教会は、異様な静けさの中で己の存在を誇示しており、雪化粧で建物を白く染める姿は、どこか美しくもあった。

 教会には無事に避難していた市民の他に、魔獣に襲われ軽傷で済んだ人たちが収容されているはずだった。しかし、街の人間がアンデッド化し暴走する影響が教会にも及んでいた。混乱を鎮めるべく、航大たちが街へ帰還するよりも先にグレオたちハイラント王国の騎士がこの場所に乗り込んでいた。

「グ、グレオ隊長……?」

 静寂が支配する教会の様子に違和感を覚えながらも、航大はその扉を開け放つ。
 すると、よく見る形をした教会の内装が視界に映り、その中心部には航大が探していた人物の姿が確かにあった。

「航大くん、か……」

 それは静かな声だった。
 今にも消えてしまいそうな小さな声音が教会に響き、そして航大の鼓膜を確かに震わせた。

 航大が最も探していた人物の一人を見つけることはできた。英雄と呼ばれ、これまでの戦いにおいても英雄たる力を見せつけてきた男は確かに存在していた。

「なんだよ、それ……」

 しかし、英雄が見せるその無残な姿を前にして、航大は声を震わせる。
 ハイラント王国騎士隊長・グレオはその身体の至る所に裂傷を負っており、騎士であることを示す白を基調とした衣服には、鮮血の花が咲いていた。

「……すまない。遅れを取ってしまった」

「――グレオ隊長ッ!?」

 航大に背中を向けたまま立ち尽くすグレオは、かすれた声で呟くと、ゆっくりとその巨体を揺らがせる。航大が名前を叫んだのと同時に、英雄グレオは、帝国ガリア騎士の前に倒れ伏してしまうのであった。

「アハハハッ、これくらいで死んじゃうなんて、英雄ってのも大したことないんだねッ。まぁ、ルイラちゃんが強すぎるからしょうがないよね」

「……お前が、グレオ隊長をやったのか?」

「うーん、正確に言えばそのおじさんを倒したのは、ルイラちゃんのお人形さんかな?」

「……この街をこんな風にしたのも、お前か?」

「アハッ、それはルイラちゃんで間違いないかな。だってそれも、総統の命令だから。あいつらが失敗してたみたいだから、ルイラちゃんがちゃんとお片付けしてあげたんだよ? 褒めてくれてもいいと思うんだけど? 君に褒められても、全然嬉しくないし憂鬱なだけだけど」

 航大の問いかけに答えるのは、教会の最奥にある祭壇の前に立つ少女だった。ここ最近で何度も見てきた忌々しい騎士服に身を包み、その両腕に熊のぬいぐるみと、漆黒の装丁をした本を持っている。

「……そうか、お前がやったのか」

「主よ、落ち着くんじゃ。あの少女の力もそうじゃが、その隣に立つ男……あやつも相当に危険じゃ」

「…………」

「……主?」

 帝国ガリアの騎士を名乗る人物との邂逅も三度目だった。
 どれも最悪な出会い方をしてきており、航大に何度となく絶望と挫折を与えてくる。

 これまで『ユイ』という存在が居なければ何もできなかった航大は、ただ眼前で猛威を振るう帝国騎士たちの力を前に立ち尽くすことしかできなかった。

 ――何度、絶望させれば気が済むのか?
 ――何度、挫折させれば気が済むのか?

「……許せねぇ」

「主ッ、ダメじゃその力を使ってしまってはッ……」

 氷都市・ミノルアへ戻ってきてから見て、感じてきた惨状を思い返す。
 悲劇、惨劇、絶望……少し前まで平穏な日常を送っていた北方の大都市は、帝国騎士を名乗る三人の人間によって、破壊の限りを尽くされた。

 もう平穏な日常が戻ることは二度と無い。
 数多の命が失われ、数多の人間が生きる屍を化した。

 なんら抵抗する力も持たない人間を地獄へと叩き落とした張本人が目の前に居る。

「――――」

 航大の深層に蠢く『何か』が歓喜の声を上げたのが分かった。
 それは航大の中で眠る女神の力を強制的に目覚めさせ、内に押し留めることが出来ない力の本流が溢れ出してくるのを感じた。

「……ん? なに、この力?」

 航大を中心に渦巻く力を感じたのか、少女の顔が険しいものに歪み、感情を殺した冷たい声音が響く。


「――英霊憑依」


 それは一瞬だった。
 航大は一歩を踏み出すのと同時にその言葉を紡ぎ、異形の力をその身に纏っていく。
 髪が伸び、美しく輝く水色へと変色していく。口から漏れる吐息が白く曇っていく、内から溢れる氷の力は万物を一瞬にして凍結させていく。

「どうしてお兄さんがその本を……?」

「――ッ!」

 航大が左手に持つグリモワールを見て、少女の顔が驚愕に歪んでいく。
 震える声音で言葉を紡いだ次の瞬間には、内に眠る英霊と憑依した航大が音もなく跳躍する。その右手には氷によって生成された槍が握られており、眼前に立ち塞がる帝国騎士を貫こうとする。

「へぇ……お兄さん、戦う力なんて持ってないように見えたんだけど、これはちょっと意外だったかも」

「――ッ!?」

 刹那の速さで少女に接近を果たそうとする航大。
 しかし、その槍が少女の身体を貫くことはなく、突如視界を埋め尽くした人影によって奇襲攻撃は防がれてしまう。

 少女の隣に立っていた男は、片手に持った背丈ほどある大剣を盾にすると、航大と少女の間に身体を滑り込ませ、航大の突進をしっかりと受け止めていた。

「グレオ、隊長……?」

「…………」

「やっぱりグレオ隊長に似てるッ……?」

 お互いの呼吸が感じられるほどの距離にまで接近して、航大は自分の前に立ち塞がる男の容姿を観察することができた。

 その姿は英雄グレオとあまりにも酷似していた。筋肉が隆起する巨体に、背丈ほどある大剣、そして精悍な顔つき。その全てが航大が知っている英雄グレオと同一のものであった。

「その子は私が作り出したお人形さん。そこのおじさんの若い時をアンデッドとして召喚してみたの。どう? よく出来てるでしょ?」

「ぐッ!?」

 跳躍によって生まれた勢いは少女が生成したグレオと瓜二つのアンデッドによって、完全に殺されてしまっていた。
 航大がどれだけ力を込めても、槍はピクリとも先へは進まない。英霊と憑依した航大の力を持ってしても、両者の力には大きな壁が存在していた。

「…………ッ」

「うわあぁッ!?」

 真正面からぶつかり合い、制止していた均衡が崩れる。
 グレオと瓜二つの容姿をした男は、無言のまま剣を振るう。すると強烈な力で航大の身体が押し返されていく。
 まるで紙くずのように航大の身体が宙を舞う。しかしすぐに体勢を立て直すと、航大は片手に握っていた槍を少女と男に向けて投擲する。

「喰らええええぇッ!」

「…………」

 体勢が崩れている状態で放たれた槍は、教会内部に滞留していた風を切って飛翔していく。魔力が込めら、触れた対象を瞬時に凍結する槍を前にしても、男の表情は変わることなく、その手に握った剣を再び構えると、思い切り横に薙ぎ払っていく。

「なにッ!?」
「主ッ!」

 男が薙ぎ払った剣からは、真空の刃が生成され、それはライガが得意とする風牙に似ていた。無数に生まれた風の刃は航大の小さな身体を切り刻もうと飛翔してくる。

 空中に身体を投げ出している航大は、迫ってくる風の刃に対して防御する手段を持ち合わせてはおらず、万物を切り裂く刃を前に為す術もない。

「――アニラッ!」

 そんな航大の前に身体を差し出してきたのは、賢者リエルだった。険しい表情で航大と刃の間に身体を滑り込ませると、少女の姿をした賢者は氷の壁を生成していく。それは氷系防御魔法の一つであり、あらゆる攻撃から身を守ることができるものだった。

「くあああぁッ!」

 男が放つ風の刃とリエルの防御魔法が触れて、そこを中心に強烈な衝撃波が教会を包み込んだ。
 真近くで衝撃を受けた航大とリエルの身体は吹き飛ばされ、教会の床を何度も跳ねてようやく制止する。全身に鈍い痛みが走り、航大は思わず苦悶の声を漏らす。

「大丈夫か、主?」

「あ、あぁ……俺は大丈夫だけど――って、リエルッ!?」

「なんじゃ? これくらい、かすり傷じゃよ」

 全身の痛みに表情を顰めながら状況を把握しようとする航大は、眼前に立つリエルの姿に声を上げる。防御魔法で攻撃を防いだはずだったリエルの身体には、無数の裂傷が刻まれており、それは男が放った攻撃を完全に防ぎ切れなかったことを如実に証明していた。

「儂のことなど後回しでいい。主よ、今すぐその力を解くんじゃ」

「な、なんで……俺はまだ――うぐッ!?」

 リエルの言葉に航大が反論しようとした瞬間だった。航大は突如こみ上げてきた吐き気に苦しげな声を漏らす。
 胸から喉へ逆流してくる体液が口から外へ吐き出され、教会の床に音を立てて溢れたのは、鮮血だった。それは航大の身体が異形の力をこれ以上行使することが出来ない証拠でもあった。

「がはっ、ごほっ……ぐっ……あぁッ……」

 全身から力が抜けていくのを感じた。
 身体が限界を迎え、ウチから溢れる力が消失していく。

「言わんこっちゃない……主の身体は、これ以上その力を使うことが出来ぬのじゃ」

「んなこと言われても……はぁ、はあぁ……俺がやらないと……あいつは、俺が……」

「無理をするでないッ、ここは儂に任せるんじゃ」

「任せるって、さすがに一人じゃ無理があるだろッ……」

「……それでも、儂は定められた使命を全うするだけじゃ。どんな手を使ってでも、主を守ろう」

 航大と交わした契約を全うするため、リエルはその命を危険に晒してまでも、強大な敵に立ち向かおうとする。人は変わっていようとも、航大はまた自分が守られているという事実に唇を噛みしめる。

 折角、異世界で得た異形の力さえも使いこなすことは出来ず、むしろ状況を悪化させただけという現実に呆然とする。

「アハハッ、自分の力すらもコントロールできないなんて、やっぱりお兄さんは弱いんだね?」

「くッ……」

「そろそろルイラちゃんも帰りたいし――終わらせても、いい?」

 笑ったかと思えば、次の瞬間には感情を消した背筋が凍るような声音を漏らす少女。
 嗜虐的に歪んだ瞳が航大とリエルを捉えたかと思えば、グレオと瓜二つの外見をした男が音もなく跳躍を開始する。教会の床が抉れ、木の床が崩壊する鈍い音が響く。

「主よッ、離れるんじゃッ!」

「そんなことッ……」

「――ちぃッ」

 航大を逃がす時間も無い。
 魔法を詠唱する暇すらも与えられない。
 瞬く間に形成が逆転し、鈍く光る大剣が二人の眼前に迫ろうとしていた瞬間だった。

「――何とか間に合ったみたいだなッ」

 そんな声が響き、航大たち目掛けて跳躍した男の剣を、真正面から受け止める存在があった。
 強い力と力がぶつかり合い、静寂が包んでいた教会に甲高い剣戟の音が響く。

 男の斬撃を受け止めるのは見慣れたハイラント王国の騎士服に、月明かりに照らされる金髪、そして錆び付いてはいるが自分の背丈ほどある大剣を握りしめた青年・ライガだった。

「親父ッ……いつから帝国の手下になったんだよ……さすがにそれは、許すことができねぇぜ……」

「ラ、ライガ……ッ!?」

「俺を置いて行くのはいいけどよ、ピンチになってるなら、もっと早く俺を呼んでくれてもいいんじゃねぇの、航大?」

 かつての英雄が放つ斬撃をしっかりと受け止め、横目で航大を見るライガはそう言うとその表情に笑みを浮かべるのであった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品