終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章1 永久凍土への旅路

第二章1 永久凍土への旅路

 王女誘拐事件から数日の時が経過した。
 シャーリーが誘拐された事件はルズナの言うとおり、国民には一切情報が渡っておらず、城下町には今日も平穏な日々が流れていた。

「まぁ、さすがに異世界に来たからって、毎日事件だらけって訳にもいかないよなぁ……」

「……航大は事件が起きて欲しい?」

「いや、そうじゃないんだけど。なんか、異世界に来てまで苦労なくだらけてるのって、どうなのかなーって……」

 国は今日も平和である。
 平和なのはとてもいいことだ。
 近隣諸国との小競り合いもなく、国内でも大きな事件が起きているわけではない。

 王女・シャーリーの近衛騎士としての身分を得た航大は、城の中でもそこそこな地位にあるらしく、すれ違う人々がペコリと小さく頭を下げてくるようになった。航大としては、これまでの功績に関して、自分が表立って戦った訳でもないので、頭を下げられる度に肩身が狭い思いを禁じ得ない。

 異世界に来てからと言うものの、勉強もしていなければ自分の体を鍛える鍛錬をしている訳でもない。今の航大を一言で表すなら『怠惰』であって、この状況が続くのは非常にマズイことであると航大自身も感じていた。

「よし、このまま城に引き篭もっててもしょうがないし、外に出るか」

「……お出かけ?」

「そんな感じだな。ユイも来るか?」

「……行く」

 航大と同じように、部屋でだらだらと怠惰な時間を過ごしていたユイも、航大の言葉に僅かながら瞳を輝かせて、ぴょんとベッドの縁から床に足をつける。
 その際にユイの白髪がさらりと宙に舞って、太陽の光を浴びて白銀に輝く毛先に航大はしばし目を奪われる。

「……航大?」

「おっ?」

「……大丈夫? なんかぼーっとしてる」

「あぁ、大丈夫だよ。それじゃ、行こうか」

 ユイの髪の毛をじっと見てた……とは言えず、不思議そうに小首を傾げるユイに軽く言葉を投げかけると、航大は踵を返して歩き出す。そんな航大の少し後ろをユイは黙ってついてくる。

「どこか、行きたいところとかあるか?」

「……ご飯食べたい、かも」

「あぁ、そういえば腹減ったかもしれないな」

「……航大と一緒に食べる」

「そうだな。一緒に食べよう」

 ぎゅっと服の袖を摘んでくるユイの行動が愛らしく、ここが城内の廊下でなかったら、航大は思わずユイの華奢な身体を抱きしめてしまいそうになる衝動に駆られる。
 ユイと共に過ごす時間が長くなり、次第に二人の距離が縮まってきているように感じるのだが、その感情は心の奥深くに閉じ込めておく。

異世界で出会った少女。
いつかきっと、別れの時はくる。
その時、自分はどういう顔をしているのだろう。どんな感情を抱くのだろう。
そんなことを考えては、頭の中から思考を消滅させてを繰り返して、気付けば航大たちは人で賑わう城下町へと繰り出していたのであった。

◆◆◆◆◆

「おぉ、これは美味い……」

「……ほくほくで、じゅーしぃー」

 ハイライト王国の城下町、そこの一番街へと繰り出した航大たちは、空かせた腹を満たすために飲食系の商店が立ち並ぶポイントへとやってきた。

 数え切れないくらいの露店が立ち並んでおり、周囲は様々な食べ物の匂いで包まれていた。視線を右に向ければ、現実世界の焼き鳥のような形で、木の串に貫かれた肉汁がたっぷりと滴る肉の塊が空腹を誘う音をさせながら焼かれていたり、今度は視線を左に向けるとどこか甘い香りがする湯気を漂わせる肉まんのような食べ物が所狭し並んでいたりする。

 異世界特有の食べ物に目移りしながらも、とりあえず歩きながら食べられる物として、航大たちは肉まんのような何かを買ってみる。

「本当にこれ、肉まんみたいだな……」

「はむ、はむっ……にくまん?」

「あぁ、俺の故郷で食べられてた物でな。こんな感じでふわふわの皮に肉が包まれたやつなんだよ」

「……それも美味しそう」

「ははっ、食べさせられたらいいんだけどな」

「……航大の故郷、いつか行ってみたい」

「まぁ……それは難しいと思うけどな。どこにあるかも分からないし」

 この異世界で航大は記憶喪失ということになっている。
 自分が暮らしていた故郷のことを覚えておらず、家なき少年としての生活を余儀なくされている。しかしそれは現実世界という別の世界が存在する話をしても、異世界の人間に一切信用してもらえず、頭がおかしい人間として見られてしまう可能性すらあるため、ここは無難な設定に終始するべきであるとの判断からである。

「……次はアレ食べたい」

「ユイって、結構食べるよな」

「……食べるの好きだから」

 あちこちの露店に視線を移しながら、ユイが航大を導くように袖を引っ張ってくる。
 きっと、ユイのお尻に尻尾が生えていたのなら、それは間違いなく喜びに揺れていること間違いなしだろう。

「あまり食べすぎると、夕飯食べられなくなるからな」

「……大丈夫。そっちもちゃんと食べる」

 呆れつつ溜息を漏らす航大に、ユイはキリッと表情を変えてサムズアップしてくる。
 確かに、ユイと出会って何回か食を共にしたが、彼女が何かを残すことはなかった。そういった光景を目の当たりにしているため、航大もそれ以上なにも言わないのであった。

◆◆◆◆◆

「ここら辺は静かなんだな」

 次に航大たちが足を運んだのは怪しい小物や魔導書を専門に売っている商店が多く立ち並んでいるエリアだった。
 露店が立ち並ぶ食べ物エリアとは違って、こちらの方は足音しか聞こえない静かな場所だった。初めて城下町にやってきた時に立ち寄った魔導書店が近くにあるエリアであり、本が大好きな航大にとっては、最も落ち着ける場所と言っても過言ではない。

「やっぱり、本の匂いっていいよなぁ……」

「……航大は本が好き?」

「そうだな。こっちの言葉が分かれば、ずっと本を読んでるのに……」

 異世界に来て、最も残念なのが文字を理解することが出来ないことだ。
 ここは航大が生まれた現実世界とは違って、剣と魔法の異世界である。もちろん、本に日本語が使われていることはなく、異世界特有の幾何学的な記号が文字として使用されていて、現実世界の住人である航大にとっては、到底理解できる代物ではなかった。

「読むことはできないけど、この空間が好きなんだ」

「……私も一緒かも」

「ユイも?」

「……私も静かな場所が好きだから」

 想像していなかったポイントでユイと意見が一致した。
 そんな些細な事で航大の心はほんのりと暖かくなっていく。この感覚は航大が現実世界で感じることのなかった未知の感覚なのであった。

◆◆◆◆◆

「あっ、いつかのお客さんじゃないですかー」

「あぁっ、そういう君は……」

「魔導書店の店長ですー。あれから、本については進展がありましたか?」

「いや、それが全然……」

 相変わらず、フードマントで全身を覆った齢数百年の幼女は興味深そうに航大の顔を覗き込んでくると、漆黒のグリモワールについて問いかけてくる。
 一応、なにかあった時のために航大はグリモワールを常に携帯するようにしていた。懐から取り出した漆黒の装丁をしたグリモワールは、外見に一切の変化を見せることなく、しっかりとそこに存在していた。

「うーん? でも、なんか……前よりもマナが強くなってるような……?」

「えっ、見ただけで分かるの?」

「はいー。私くらいのレベルになれば、見るだけでどれだけのマナを保持しているのか一発で分かっちゃいますよ」

 えっへんとあまりにも小さな胸を張る幼女。
 その姿がなんとも可愛らしく、航大は頭を撫でたい強い衝動に駆られてしまう。

「……今、また失礼なことを考えてましたね?」

「いや、やっぱり幼女っていいよな……くらいしか考えてないぞ」

「幼女ッ!? 今、幼女と言いましたかッ!?」

「え? 何も間違ってないと思うんだけど……なぁ、ユイ?」

「……ちっちゃい」

 少し後ろで様子を見守っていたユイに話を振ってみると、ユイの小さな口からは百点満点の答えが返ってきた。
 ユイなら分かってくれる……と、心の何処かで信じていた航大は想定通りの返答をしてくれたユイにガッツポーズを送る。
 しかし、それで許さないのが幼女と呼ばれた張本人である。

「むきーッ! 私は貴方たちよりも年上なんです! 子供扱いしないでくださいッ!」

 バタバタと両手を振って全身で抗議してくる少女。
 そんな姿に更なる愛くるしさを感じるのだが、これ以上は本当に泣いてしまいそうなので、幼女弄りはこれくらいにしておく。

「それで、前にこの本に詳しい人が居るかもって話をしなかったっけ?」

「……全く、まさか覚えてないんですか?」

「その後、色々あってさ……」

「北方の地に住まうとされる賢者。その方ならグリモワールについて、何かを知っているかもしれませんよ。同じことはもう教えてあげませんからね、ちゃんと覚えててください!」

「北方の賢者か……ここからは遠いのか?」

「そうですねー、歩きで行くのは難しいかと思いますよ。なにせ、常に雪と氷で覆われた世界ですからね。雪の嵐が吹き荒れているとも言われてますし、その道に詳しい人が一緒じゃないと、すぐに遭難しちゃいますよ」

「なるほど……」

「もしチャンスがあるのなら、行ってみるといいです。そして、なにか分かったら教えて頂けると私もありがたいです」

「分かった。情報料として、この本について分かったことは教えるよ」

「ありがとうございます。それでは、私はお店があるので、戻りますね」

 ペコリと律儀に頭を下げると、幼女はスタスタと通りを歩いて行く。

「チャンスか……そんなチャンスがほいほいとやってくるものかね……」

 右手に握られたグリモワール。
 この本が現実世界に戻るための貴重なアイテムになるかもしれない……そんなことを思っていた航大の元に『チャンス』は不穏な気配と共に舞い込んでくるのであった。

◆◆◆◆◆

「魔獣?」

「はい。現在、北方のアルジェンテ地方にて魔獣が度々出現するとの情報があるのです」

 場所は城下町から城に移って、航大は今、謁見の間へとやってきていた。
 城に戻ってきた航大をメイド長であるルズナが呼び止め、シャーリーが呼んでいるとの伝言を聞いてやってきた。

 謁見の間へ入るなり、シャーリーはバルベット大陸と呼ばれるハイライト王国が統治する大地の遥か北に存在する地方の話を始めたのだ。

「魔獣というのは、そうそう姿を表すものではないんです。しかし、北方の地にてそれらが目撃されるようになっているようです」

「……なるほど」

「このままでは、北方の地に住まう人々に危険が及ぶかもしれない。その前にハイライト国の騎士隊を派遣して、魔獣討伐を行おうと考えています」

「魔獣の討伐か……それって、俺も参加すること出来たりするのか?」

「え、航大がですか?」

 航大の問いかけが意外だったのか、シャーリーは目を丸くして驚きの表情を浮かべる。

「あまり戦力にはならないと思うけど、何か手伝いが出来ればなって思うんだけど」

「それはもちろん! 航大がお手伝いをしてくれるのなら、それはとても心強いです」

 正直、タイミングが良すぎる話であるとは思う。
 北方の地にはグリモワールについて詳しい『賢者』が住まうとされている。そんな話を魔導書店の幼女としたばかりで、この話である。

 何か仕組まれているのでは……と、疑いたくなる気持ちもあるのだが、このチャンスを逃すと次はいつ現れるか分からない。このまま城でじっとしていてもしょうがないので、航大は自ら行動を起こすことを選択する。

「それでは急な話となってしまうのですが、出発は二日後となります。ルズナにも声をかけて準備を進めておきますね」

「あぁ、分かった」

「航大、最後に……今回の騎士隊遠征は魔獣討伐を目的としています。我が国の騎士隊であるなら、そこら辺の魔獣に遅れを取ることはないと思いますが……航大はあまり無理をしないようにしてくださいね」

「分かってるよ」

「はい。よろしくお願いします」

 丁寧な言葉使いで小さく頭を下げるシャーリー。
 年相応の言葉遣いと仕草を見せるシャーリーが強く印象に残っていた航大だが、王女として玉座に座る彼女を見て、一国の王女であることを再認識する。

 そんな王女にお願いされては、航大は断ることなど出来るはずがないのであった。

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