茂姫〜うるわしき日々〜

葉之和駆刃

第二回 江戸の姫君

浄岸院「もしそなたに子ができれば、もしも娘が生まれたら、その子は徳川に縁のある家に嫁がせてやって欲しいのじゃ。」
重豪「徳川御三卿ともあらば、徳川将軍家に直接繋がりがあろう。」
お登勢「桜島は、一日に七色もの色に染まります。そして桜島はいつも、薩摩のことを見守ってくれているのです。」
   「そなたは一人で生きているのではありません。たとえ離れても、私はそなたを守り続けます。だから、もう怖いものなどありませんよ。」
於篤「はい!」
お富「ここでそなたは今の豊千代様の足となり、一家をお守りする手伝いをすることになります。そのこと、呉々もお忘れなきよう。」
夕方、於篤は、お登勢に寄り添って泣き続けた。お登勢もそれを必死に受け止め、共に泣いていたのだった。
浄岸院(於篤のこれからの人生を左右する出来事が、間もなく起ころうとしておりました。)


第二回 江戸の姫君

薩摩藩邸さつまはんていの庭では、父と子が剣術の練習をしていた。子が倒れると、父の島津重豪しまづしげひでが、
「何じゃ、もう終わりか?それでは、わしの後は継げぬぞ?」
と言うので子の虎寿丸とらじゅまるは立ち上がり、
「はい!」
と言うと、再び父に向かっていった。
浄岸院(一方、一橋ひとつばし家では・・・。)
於篤おとくが、侍女の前で史書を音読していた。すると、
「何じゃ、そのだらしのない声は。」
と言う声が聞こえるので、於篤は振り返るとそこにおとみが立っていた。
「もっとはっきり読みなされ。でないと、一橋の嫁として、豊千代様に恥をかかせることになります。」
そして於篤の前に座っていた侍女の里山が、
「では、もう一回。」
と言うので、於篤はまた読み始めた。すると、お富は行ってしまった。
その後、お富はお登勢とせを部屋に呼出した。
「本人は、まだ自覚がないようじゃ。」
お富が言うとお登勢が、
「はい・・・。」
と、返事をした。お富は、
「薩摩で、何を学ばせておったのじゃ?」
と聞くとお登勢が、
「いえ、特には・・・。」
そう答えるのを聞き、お富は溜息を吐き、
「やはりそうか・・・。」
と、言った。
「申し訳ありませぬ。」
お登勢が頭を下げるとお富が、
「良いか?このままではこの家の名誉に関わる。あの勝手気ままな姫の性格を何とかするのじゃ。薩摩にいた時と同じように、甘やかしてはならぬぞ?」
そう言うのでお登勢は、
「はい。」
と言うとお富は続けて、
「もし次に豊千代様と対面した時に粗相があった場合、そなたのせいであるぞ?良いな!」
と言うのでお登勢は、
「はい。」
そう言いながら、深々と頭を下げていた。
浄岸院(間もなくして、江戸城に厄が訪れておりました。)
一七七九(安永八)年二月二四日、小部屋に布団に遺体が寝かされていた。十代将軍・徳川家治とくがわいえはるが顔にかけられた白布を取ると、それは徳川家基とくがわいえもとであった。
浄岸院(将軍である徳川家治様の唯一の跡取、家基様が急病により亡くなられたのでございます。)
冷たくなった家基の顔を見て家治は、顔に皺を寄せて泣いていたのであった。
その後、別室で重豪は老中達と話をしていた。老中の田沼意次たぬまおきつぐが、
「何故、このようなことに・・・。」
と言うと重豪が、
「それでは、次のお世継ぎは誰になるのでございましょう。一刻も早く、公坊くぼう様にお聞きしませぬと。」
そう言うのを聞いて老中首座の松平武元まつだいらたけちかが、
「島津殿、今は公坊様とて悲しさのあまり誰ともお話しされておらぬ。そう急かすでない。」
と言うので重豪は、
「はぁ。」
と言って頭を下げると、田沼がこう言った。
「いや、公坊様は以前こう言っておられたのを聞いた事がある。」
「何と?」
重豪が聞くと田沼が、
「もしも家基様に何かあれば、一橋の豊千代様を次の将軍にしたいと。」
そう言うので重豪が驚いたように、こう呟いた。
「豊千代様を、次の将軍にですと?」
すると田沼は、
「あぁ。されど公坊様のご決断がまだ故、何とも・・・。」
と言うのを聞き、重豪もそれ以上は発言しなかった。
その頃、於篤は縁側に座って空を眺めていた。するとお登勢が来て、
「於篤。」
と声をかけ、於篤の隣に座った。お登勢が、
「於篤、日々学問ばかりで、疲れていることでしょう。庭を歩いて心を落ち着かせましょう。」
そう言うので於篤は嬉しそうにお登勢を見、
「はい!」
と、答えた。すると、
「これが、そなたのしつけというものか?」
そう言う声が聞こえるので、二人は見るとお富が立っていた。そしてお富は、態とらしくこう言った。
「これでは、どんな娘であろうとも、斯様な我が儘な娘に育つわけじゃ~。」
それを聞いてお登勢は、少し下を向いた。お富は続けて、
「やはりそなたに任せてはおけぬ。そなたが甘やかす故、こんな娘になるのじゃ。」
と、お登勢を見ながら言うので於篤が、
「母上を虐めてはなりませぬ!」
と言うのを聞いてお富が、
「その態度も忌々しいでの。どうやら嫁ぐことをまだ分かっておらぬようじゃな。そなたは、将軍の妻になるかもしれぬのですぞ?」
と言うのを聞いてお登勢が不思議そうに、
「あの、恐れながら、それはどういう意味でございましょう。」
そう聞くとお富は、すぐさま答えた。
「そなたに関係ない。良いか?次に豊千代様とお会いになるまで、勝手気ままな姫の性格を直すのじゃ。それができぬのなら、そこの姫とともに薩摩へ帰るが良い。」
お富はそう言い残すと、向きを変えて行ってしまった。お登勢が心配そうな顔に鳴るのを、横で於篤も見ていたのだった。
浄岸院(それから数日が経過し、重豪殿と治済殿は家治様に呼ばれていました。)
重豪が恐る恐る家治に、
「あの・・・、公方様、お話というのは・・・。」
と聞いた。家治の側には、田沼意次が座っていた。田沼が家治を見て、若干頷いて発言を促した。すると家治は二人を見ると、
「次の世継ぎは・・・、一橋家の豊千代とする。」
そう言うのを聞き、両者は目を見開いた。重豪が、
「今・・・、何と?」
と聞くと、家治がこう言った。
「次の将軍は豊千代とすると言っておるのが聞こえぬか・・・。」
それを聞いて一橋治済ひとつばしはるなりは嬉しそうに、
「何と・・・!」
と、声を上げたのだった。しかし、家治は二人を見ずに下を向いていた。
その後、重豪は小部屋で田沼と話をしていた。二人は座り、重豪が田沼に聞いた。
「田沼殿。今日の話は・・・。」
重豪がそう言いかけると田沼は、
「あれは、元々公方様のお心にあったもの。唯一の後継者であった家基様がみまかられては、そうするしかあるまい。」
そう言うのを聞いて重豪が、
「はぁ。しかし、豊千代様は今は七つにございますれば。」
と言うので、田沼が言った。
「分かっておる。いずれは、江戸城に上がって頂くことになるであろう。そうじゃ、そなたの娘も御台所となるのであろう。準備をしなくてはな。」
「そのことにございますが・・・。」
重豪がまたもや言いかけると田沼は、
「そうじゃ。嫁入りにあたって、よき道具屋がある。わしも協力しよう。」
そう言うので重豪は、
「はぁ・・・。」
と返事をし、それ以上は発言できなかった。
その頃、治済が今日のことを報告していた。お富が嬉しそうに、
「豊千代様が、次の将軍に?」
と聞くと治済が、
「あぁ。この話は、家基様生前から公方様のお考えの内にあったらしい。」
そう言うので、お富が安心したようにこう言った。
「そうですか。あの子が将軍になってくれれば、一橋家の名がいっそ世に広まりまする。」
そう言うと、お富は思い出したように心配そうな表情になり、
「しかし・・・。」
と呟くとそれを見た治済が、
「どうした?そなたも何かあるのか?」
そう聞くと、お富はこう言った。
「あの姫様のことです。私は、あれが不安で不安で・・・。」
すると治済は立ち上がり、縁側にでるとこう言った。
「なーに、心配いらん。あの姫は、豊千代のよき支えとなってくれそうじゃ。」
それを聞いたお富は、
「そうでしょうか。私は、ただの田舎者の姫にしか見えませぬが。」
と、言うのだった。すると、治済が振り返るとこう言った。
「ならば、そなたも城に上がるとよい。」
「え?」
お富は思わずそう言うと治済は、
「構わぬ。豊千代の側にいてやれるのは、そのほうだけじゃ。」
と言うのでお富は、笑顔で頷いていたのだった。治済も、庭に目を戻していた。
浄岸院(その一方で、こちらでも・・・。)
重豪の話を聞いたお登勢は驚いたように、
「於篤が、将軍の奥方に?」
と聞くのだった。重豪が、
「あぁ。豊千代殿が将軍職を継ぐことが、正式に決まった。於篤も、それに伴って御台所として城へ上がることであろう。」
と言うのを聞いてお登勢が、
「それは、すぐにですか?」
と聞くと重豪は、こう言った。
「いや。されど近いうちに、入城の日取りが決まりそうじゃ。」
それを聞いたお登勢が、こう言うのだった。
「しかし、あの子はまだ幼子にございます。それ故、私もどうかお城へ。」
すると重豪がお登勢に、
「その必要はない。」
と言うのでお登勢が、
「しかし・・・。」
そう言うと、重豪がお登勢を見つめてこう言うのだった。
「於篤は、強い子じゃ。これからはなるべく、誰の力も借りずに成長させることが必要であると思うてな。なに、心配は無用じゃ。彼奴は、きっと強うなる。」
それを聞いたお登勢は少し不安そうに俯き、
「はい・・・、そうですね・・・。」
と言うとお登勢が顔を上げると、こう言った。
「あの子も、きっとそれを望んでいることと思います。私が、間違うておりました。」
そしてお登勢が、立ち上がって部屋を出て行った。重豪も、それを見つめていたのだった。
於篤が一人、眠れずにいると部屋の中にお登勢が入って来た。
「於篤・・・。」
お登勢は声をかけると、於篤は起き上がり、
「母上・・・。」
と言って、お登勢の方を見た。お登勢が於篤の側に座り、於篤を抱きしめた。すると、於篤は泣き出したのだった。於篤は泣きながら、
「母上、私は、薩摩に帰りとうございます・・・。」
そう言うのを聞き、お登勢もより強く於篤を抱きしめていた。
「もう嫌にございます・・・。」
於篤がそう言うとお登勢は、
「大丈夫です、大丈夫ですよ・・・。」
と言い、於篤の背中をさすって、慰めていたのであった。
浄岸院(そして家基様の死から二年が過ぎ、於篤が江戸で過ごす三度目の春が来ようとしておりました。)
部屋では、重豪と治済が話を進めていた。重豪が、
「いよいよにございまするなぁ。」
と言うと治済は、
「あぁー。五月には、お城へ上がるそうじゃ。」
そう言うのを聞いて重豪も笑って、
「そうですか。」
と言っていた。すると治済が話を変え、
「時に、姫の様子はどうなっておる?」
と不意に聞いてくるので重豪は、
「え?」
と声を上げて戸惑っていると、治済はこう言うのだった。
「いや、今度豊千代との対面があるであろう。お富のやつがやけに心配しておってな。」
それを聞いた重豪が、恐る恐る話し始めた。
「それが・・・。」
その頃、於篤おとくは屋敷の縁側に座っていた。すると虎寿丸とらじゅまるが走って来て、
「姉上!」
と言い、また一輪の花を差し出した。花を受け取った於篤は今度は、その花をじっと見つめているだけであった。
浄岸院(その頃の於篤は、お富の目を盗んでは度々、薩摩藩邸に行っていたのでございます。)
於篤の後ろから、お登勢も座って不安そうに見つめていたのだった。
その後、於篤は庭で虎寿丸と話をしていた。虎寿丸は、
「姉上は何故、いつもここに来られるのですか?」
と聞くと、於篤はこう言った。
「あの家にいとうないのじゃ。明日は豊千代様と対面があるのじゃ。母上などからは粗相がないようにと言われておるが、私はあの方とは会いとうはない。今は、そなたといる時が一番の楽しみじゃ。」
すると虎寿丸は心配そうな顔になり、
「でも、姉上は間もなくお城へ上がられます。いつまでもこのような所にいては・・・。」
そう言うので於篤は、
「それは分かっておる。分かっておるが・・・。」
と言って言葉に詰まるのを、虎寿丸はより不安そうに見ていたのだった。
浄岸院(そして翌日・・・。)
於篤は侍女達と対面所で、頭を下げていた。そして、
「若様、お成りにございます。」
と言う声とともに、お富に連れられ、豊千代が入って来た。豊千代が座ると、
「面を上げよ。」
そう言うと、皆は一斉に顔を上げた。於篤が恐る恐る豊千代とよちよの顔を見ると、豊千代も於篤を見つめていた。お富も、豊千代の様子を側から見ていた。暫くして豊千代は於篤に、
「そなた、江戸の暮しには慣れたか?」
そう聞いても、於篤は黙っていた。するとお登勢が小声で、
「於篤。」
と返事を促すと、於篤は豊千代を強い視線で見つめると、
「あの。」
と言いかけた。豊千代は、
「何じゃ。」
そう聞き返すと、於篤はこう話した。
「貴方様と一緒になるのは、私でないとならないのですか?」
それを聞いたお富が、
「何じゃと・・・?」
と、呟いた。しかし豊千代は冷静に、
「何ゆえじゃ。」
と聞くと、於篤は続けた。
「私は、江戸が嫌いにございます。このお家が嫌いにございます。私は、嫌々薩摩から来たというのに、やりたくもない学問や芸道をやらされて、もう帰りとうございます。」
「於篤!」
お登勢は驚いたように、声を上げた。しかし於篤はその声を無視し、
「私は、これ以上何処にも行きたくありませぬ。それ故・・・。」
と言いかけて俯くと豊千代は、
「どうしたい。」
そう言うので、於篤は再び顔を上げて豊千代を見ると、
「それ故・・・、私は、嫁にはなりませぬ!」
と言うと立ち上がり、部屋を飛び出して行ったのだった。お登勢も膝立ちになり、
「於篤!」
そう呼んでいた。するとお富がお登勢に駆け寄って来て、
「そなた、どうなっておるのじゃ?」
と、聞いていた。
屋敷を出た於篤はあの日よりも、走り続けた。
その頃、於篤が出て行った部屋で、豊千代も冷静な顔をしていた。
その後、於篤は海岸の岩に腰かけていた。於篤は海を見つめていると、後ろで足音が聞こえた。於篤はふと振り返ると、
「よき風じゃ~。」
と言って両手を広げながら、豊千代が歩いてくる。
「え・・・。」
於篤は、思わずそう呟いた。豊千代が足を止めると、於篤にこう言った。
「探したぞ。」
「探した?」
「そなた、海は初めてか?」
それを聞いて於篤は海の方に向き直ると、
「海など、薩摩に行けば見放題です。」
そう言うのを聞いた豊千代は、
「そうか。」
と言い、少し眩しそうに海を見続けていた。すると於篤は再び振り返り、
「それより、よいのですか?」
と聞いた。すると豊千代は、
「何がじゃ?」
そう聞くので、於篤がこう言うのだった。
「勝手に屋敷を抜け出したのでしょう?あとで怒られますよ?」
「それはそなたも同じであろう。」
「あ・・・。」
忘れていたように於篤が言うのを聞いて、豊千代が笑い出した。於篤は笑えずにいると、それを察して豊千代は笑うのをやめ、こう聞いた。
「そなたは、わしの嫁にはなりとうはないのか?」
すると於篤は、こう言った。
「いえ。私は、人に決められて嫁に行かされるのが嫌だったのです。私は、自分の好きな方の妻になりたい。」
「無理じゃ。」
豊千代は、はっきり言った。
「え?」
於篤はそう呟き、豊千代を見た。豊千代は話を続け、こう言った。
女子おなごは、男には逆らえぬ。そなたが父に嫁に行けと言われたのなら、そうするしかないのじゃ。」
それを聞いた於篤は立ち上がると、
「何故ですか?」
と聞くと豊千代はすぐさま、
「女子だからじゃ。」
そう言うのだった。それに対し、於篤も言い返した。
「何故そう言いきれるのですか?女子であっても、戦に加わったり、政に意見したいのです。それなのに・・・。」
於篤がそう言いかけると、豊千代が思わぬことを言ったのだった。
「それは親が悪い。」
「え・・・。」
豊千代は続けて、
「それは、そなたを女子として生んだ親が悪いのじゃ。そなたがそう思うのならば、そなたの父と母を恨むがよい。女子は、男の道具として扱われる運命故な。」
そう言うのを聞いた於篤は、
「知ったようなこと言って・・・。」
と小さく呟き、
「ならば・・・!」
そう言いながら豊千代の前まで行き、
「ならば、何故、この世界には!男と女がいるのですか!」
そう叫ぶと、豊千代はたじろいだような目で於篤を見た。於篤は続けて、
「女子は、子を産むためだけの道具なのですか?ならば、私は誰の嫁にもなりません。私は、道具にはなりませぬ!!」
そう言い捨てると、海岸を離れて向こうへ走って行ってしまった。それを目で見送りながら豊千代は、
「まったく・・・、面白き奴じゃな。」
と、独り言のように呟いていたのであった。
於篤は夕方、走り続けた。薩摩藩邸の前まで来ると、中から虎寿丸がでて来たのだった。於篤は虎寿丸に抱きつき、泣き始めた。
「どうされたのですか、姉上。」
虎寿丸が聞くと於篤は泣きじゃくりながら、
「あの家に帰りとうない・・・、帰りとうないのじゃ・・・。」
そう言うのを聞いて虎寿丸は、
「大丈夫です、大丈夫ですよ、姉上。」
そう言い、慰めていた。
於篤は、歩いて一橋家に帰った。その少し後ろから、虎寿丸もついて行った。門の前では、お登勢が心配そうに立っていた。於篤は母に近付いていき、
「母上・・・。」
と言うとお登勢も気がつき、
「於篤・・・。」
そう言って於篤に近付くと、於篤の頬を一発叩いた。於篤が驚いてお登勢を見ると、お登勢は於篤を抱きしめた。
「何処へ行っていたのですか?」
お登勢が涙を流しながら聞くと於篤は、
「申し訳ございません・・・。」
そう言った。すると於篤が、
「母上・・・。私は・・・、何ゆえ女子に生まれて来たのですか?」
と聞くと、お登勢もこう答えた。
「何を言っておるのです。女子であっても、生まれてくることに意味があるのです。」
それを、於篤も泣きながら聞いていた。その後ろで、虎寿丸も二人を見つめていた。
その夜、お登勢は重豪にその日のことを話した。重豪はそれを聞き、
「ははは、またやりよったか。」
と言うので、お登勢は心配そうに重豪に尋ねた。
「私は・・・、間違っていたのでしょうか。」
それを聞いた重豪は首を横に振り、
「いや、そなたは正しい。あやつも、もうせんであろう。」
そう言うのを聞いたお登勢は少しばかり笑顔を取り戻し、
「はい。」
と、答えていた。
於篤は、縁側から月を見つめていた。そこへお登勢が来て、
「眠れぬのですか?」
と尋ねると、於篤はお登勢の方を向いて、
「はい。」
と答えた。お登勢は於篤の隣に座り、
「綺麗ですね。」
そう月を見ながら言うと於篤も、
「はい。」
と言って、同じ月を眺めていた。するとお登勢が、こう言った。
「そなたに、伝えておきたいことがあります。」
それを聞いた於篤はお登勢の顔を見ると、
「何ですか?」
と聞いた。そしてお登勢は話し始め、
「薩摩から江戸に向かう直前、父上様に言われました。於篤のことを頼むと。それ故、私は何があろうとも、そなたの味方でおります。私が、そなたをお守りします。」
そう言い、於篤の手を握った。すると於篤はまた泣き出し、
「母上~・・・。」
と言って、お登勢の手を握り返していた。それを見てお登勢は微笑み、
「ほんに、そなたは泣き虫にございますね。もっと強うなりなされ。」
そう言うので於篤も涙声のまま、
「はい・・・。」
と言い、泣き続けていた。お登勢も、それを微笑みながら見続けていたのであった。
浄岸院(お城へ上がる日が近づく中・・・。)
重豪は、京の近衛このえ家に出向いていた。近衛家当主のの近衛内前このえうちさきが、
「島津殿が、うちに何の用でっしゃろ。」
と言うと、重豪はこう言った。
「私の娘、於篤が、将軍家に嫁ぐことは御存知かと。」
それを聞いた内前は、
「おぉ・・・。」
と言って重豪を見つめた。そして重豪は手をつき、
「養子縁組に、手を貸して下さいませぬか。」
そう言うのを聞いた内前は、
「わしに・・・、父親になれと?」
と聞くと重豪も、
「左様、お公家様の養女として、城に入れてやりたいのです。何分、薩摩藩の娘にございます故。」
そう言うと、内前はこう言った。
「よし分かった。それなら、協力しまひょ。」
それを聞いた重豪は嬉しそうに、
「ありがとうございます!」
と言い、頭を下げていた。その様子を、息子の近衛経煕このえつねひろも見ていた。内前は、重豪を見てうんうんと頷いていた。
一方、一橋家の豊千代の所へは、老中が来ていた。幕府の若年寄・鳥居忠意とりいただおきは、
「若君様のお城入りは、五月と決まりましてございます。」
そう告げると聞いていたお富が、
「もうすぐではないか。準備を急がせねば。」
そう言うと鳥居は、
「心配いりませぬ。必要なものは、こちらで揃えておきます故。」
と言うので治済も、
「頼もしいのぉ~。」
そう言い、豊千代の方を見た。豊千代は顔を上げずに、書を読むことに専念していた。
浄岸院(そして、出立の日・・・。)
於篤の正面には、重豪がいた。重豪は、
「そなた、豊千代様に女子も戦をしたいと言うたそうじゃな。」
そう言うので於篤は驚いたように、
「え・・・。」
と、声を上げた。すると重豪は微笑み、
「大丈夫じゃ、怒ったりはせぬ。それからな、そなたの戦場は、城にある。」
と言うと於篤は、
「城?」
そう聞き返すと、重豪はこう言った。
「夫を支え、子を作ることじゃ。それこそが、女子の戦と言うもの。」
於篤はそれを聞き、頷いていた。重豪は最後に、
「於篤、しっかりやるのじゃぞ。」
と言うと於篤も元気よく、
「はい!」
そう答えていたのだった。
その後、於篤は籠へ案内され、籠の中へ入った。するとお登勢が出て来て籠の前まで来ると、
「これを、私と思いなされ。」
そう言い、於篤に手作りらしき御守を手渡した。
「私が、そなたのためを思うて作りました。私は、いつまでもそなたを見守り続けます。怖いものなどありませんよ。」
それを聞いた於篤は、泣かずに頷いた。そしてお登勢が下がると、籠の戸が閉められた。すると籠が持ち上がり、門へと向かっていった。お登勢は、於篤が乗った籠を目で追いかけた。そして、
「しっかりやるのですよ・・・。」
そうお登勢が呟いているのを、後ろで重豪は見つめていた。
於篤は籠に揺られながら、窓の隙き間から外を見た。すると町人や武士達が、道の端に平伏しているのが見えた。その中に紛れて、虎寿丸もいた。虎寿丸は覗いていた於篤と目が合い、頭を下げた。於篤も、見えなくなるまでそれを見続けていたのだった。他の籠には、豊千代も乗っていた。豊千代はあの日のことを思い返していた。
『ならば、何故、この世界には!男と女がいるのですか!』
豊千代は、少し考えているようであった。
浄岸院(豊千代様には、母親のお富の方が付き添ったのでございます。)
お富も、もう一つの籠の中にいた。
そして一行は城に入り、江戸城大奥えどじょうおおおくに到着すると、
「姫様、ご到着にございます!!」
と言う声が響いた。籠の戸が開けられると、於篤は中から城を見渡した。そして外へ出ると、まるで今までとは別世界のようであった。於篤は、暫く呆気にとられていたのだった。
その後、於篤は上座に座らされ、女中達が一斉に頭を下げた。於篤は見慣れない光景に、少し驚いていた。一番先頭の女中が顔を上げ、自己紹介をした。
「大奥年寄の、大崎おおさきと申します。これから姫様の身の回りの御世話は、私が筆頭となって致します。」
大崎はそう言うと、また頭を下げた。そしてその次に大崎の隣にいた年寄二人が、
常磐ときわにございます。」
花野井はなのいにございます。」
と、順に挨拶をして言った。大崎が二人を指して、
「この者達が、これから姫様の教育係になります。」
そう言うので、於篤は何も言わずにそれを見ていた。
その後、於篤はいつものように縁側に腰かけていると、
「姫様。」
と、声がした。於篤は見ると、そこにはお富が立っていたのだ。
その後、於篤は部屋でお富の話を聞いた。
「そなたに、どうしても伝えておきたいことがあっての。」
「はい。」
お富の発言に於篤は、冷静にそう答えた。するとお富は、
「姫様には、婚礼の日まで若様に会わないで頂きます。」
そう言うので於篤は、
「何故にございますか?」
と聞いた。するとお富は、こう言うのだった。
「姫様には、日々の学問修業に励んで頂きます。それ故、会ってはなりませぬ。そのことは、若様に言っておきます故。それと・・・、今の姫様とお会いになれば、勝手がうつりまする。」
お富はそう言って立ち上がると、部屋を出て行った。於篤も、それを見つめていた。
浄岸院(その翌日より、於篤への教育が始まったのでございます。)
於篤は、学問や華道を学ばされていた。
夕方、於篤は誰もいない部屋で、お登勢からもらった御守を眺めて、それを握りしめていたのだった。
浄岸院(これから先、於篤にとってそれが唯一の希望となっていくのです。
    そして瞬く間に五年余りの月日が経ち・・・。)
一七八六(天明六)年、広間では、侍女達がカルタ取りをしていた。盛り上がっていると、
「面白そうじゃな。私も入れてくれぬか?」
と言う声がするので、侍女達は声がする方を見た。そこには、茂姫しげひめ(於篤)が立っていた。それを見て侍女達は驚き、
「ひ、姫様!」
と、声を上げた。そこへ常磐がとんで来て、
「姫様!困ります、また稽古を抜け出しては。」
と言うので茂姫は、
「よいではないか。」
そう言うので常磐も、
「よくございませぬ!」
と言っていた。すると茂姫は、
「あ!」
そう遠くを見ながら言うので、常磐は不意に振り返った。そのすきを狙って、茂姫は向こうへ走って行った。それに気づいた常磐は、
「姫様~!」
と言いながら、追いかけて行った。茂姫は、廊下を笑顔で走っていた。
浄岸院(姫は、すでに十四になっておりました。)


次回予告
茂姫「私は、よき妻に慣れるのでしょうか。」
徳川家治「そなたは、愉快な姫じゃ。」
茂姫「豊千代様・・・。」
徳川家斉「久方ぶりじゃの。」
家治「うっ!」
茂姫「上様!?」
家治「わしには分かる。そなたは、人を幸せにできる子じゃ・・・。」
茂姫「何故、悲しもうとはなさらぬのですか!?」
家斉「父上と同じじゃ。」
お富「側室じゃと?」
田沼意次「あの者めが・・・!」
家斉「わしは他人より自分のことしか考えぬ、自分勝手な人間じゃ。」



次回 第三回「将軍家斉」 どうぞ、ご期待下さい!

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