遅熟のコニカ

紙尾鮪

91「アルケマモル」

 「馬鹿なのかにぇ? 一人でいけるにゃんて慢心は駄目だにょ」
 マタク=モルマは、達観したように何処か雰囲気の違う泉に注意し、白衣のポケットから怪しげな液体の入った注射器を取り出した。

 「本当さ、この俺様がついているじゃないか」
 『妄話』が、沈黙を破り泉の腰を叩く。
 勢いのよく叩いた腰からは大きく音を鳴らすが、泉には何も響いていない。
 『妄話』は、玩具のような槍を手に、泉と横並びになり、魔女と敵対する姿勢を見せる。

 「まぁ俺様が来たんだ百も千人力と
 「うるさい……誰だこいつ、モルマ」
 『妄話』は、頭を掴まれた。
 そのプリンのような配色の髪を引き裂くように引っ張り、マタク=モルマの方へと差し出す。
 『妄話』は、憤り、鎮まった。
泉の顔を見た瞬間、種として最早、勝てぬ者だと確信したからだった。
 泉は泣いていた。
 しかし、その顔は骸に化していた。
 死を告げる、その形相は、皆が持つものであろうが、異質であり、他種として感じた。

 「知らにぇ~、そんな事よりぃ~殺ってよ~、さっさと」
 マタク=モルマは、指を指した。
 魔女の方にへと。
 マタク=モルマの声は、血の温かみを失った物だった。
 泉の目は、黒の奥で一つ赤く光った。

 その声と指に示され、泉は、魔女を見た。
 『妄話』を地面に捨て、駆けた。
 それは、フゥと呼ばれる少女が駆けた時より、荒々しく、ノリアキが逃げた時のような臆病さはない。
 見るものに魅せる、迫力。

 「狂獣の対処を押しつけられても、私は苛立つだけです」
 魔女は蜂球を、押し寄せる泉の方に向かって飛ばした。
 泉は、それを豪腕な腕で払うが、蜂球は、簡単に飛んでいくという訳などなく、腕輪のように泉の腕に着けば。
 蜂球は、腕に着けば、身を食らう。
 蜂球を作っていた個は、影のような極小の虫。

 曰くその虫は、外気を嫌う。
 故に、仲間達で集まり球を作り、中に入り、一時の安心を得る。
 ただそれは、その虫達に居住区がなかった時。

 その虫達の居住区とは、生物の身体の中だった。
 その虫の体躯の4割は顎が占めている。
 その顎は皮を裂き、肉を取り込み、骨を破る。
 それの居住区にされた生物は、何も残らない、土にすら還れない。

 今、虫は泉の手首を食べている。
 激しい痛みに襲われているのだろう、しかし、泉の頭の中には、そんな事を考える程の余裕などなかった。

 故に、泉は、疲弊した獲物を前にして、理性の効かぬ獅子が如く、牙と言う名の拳が、イルゼの腹を、食い破るように、殴打した。

 その衝撃は洞窟内を揺らし、イルゼの体を歪ませた。
 しかし、その足、地に着くまま。

 「自害してくれ……頼む、お願いだ、俺の……違う僕の自制が聞く時に、自分で死んでくれ」
 泉は、顔の右半分を、元の肉体の着いた顔に戻し、歯をカタカタと鳴らしながら喋り、相手に、自殺を乞うた。
 そのような提案をしている時でも、泉は泣いていた。
 イルゼは、一度黒い血を吐いた。
 泉の身の付いた顔にそれはかかり、鎖骨辺りにへと血が垂れる。

 「偉くなった物ですね……貴方はどういうつもりでしょうか? そのように楽しそうな笑顔を向けて」
 イルゼは、口角を上げ、歯を見せて笑っている。
 楽しみ、悦楽、愉悦を誇るその笑顔は、流す涙など全てかき消す様な意味を含めていた。

 「殺すぞ……! 殺すぞ」
 単純な、脅迫の意を持つその言葉を出した泉には、脅迫する気などなかった。

 水を絶えずコップに入れ続ければ、やがて水は溢れこぼれるだろう。
 それと同じだった。
 泉は元々我慢強い者だった。
 しかし、殺意の蛇口は、壊れたままで、どれだけ大きな器であろうと、殺意が無限であれば、いつかは溢れる。
 故に、言葉で殺意の水を汲み上げるしかなかった。
 しかし、満ち、満ち、溢れ、汲み、溢れる。
 泉の心が、血が、殺意で巡る。

 「よく言う、僕の事も、俺の事など分からん癖に」
 泉が、イルゼの首を締める。
 人を殺すのを片手間で終わらせようとするその姿勢は、先程の獣の染みた攻撃方法とは全く異なる物であったが、今、泉の涙は止まり、顔の肉は爛れ落ちるように、骸骨にへとなっていった。

 イルゼは、明確に形に成らぬ声をあげたと思えば、影にへとなって、泉の手から逃れ、消える。

 「化け物も、生物も、悪人も、善人も、皆ここに心の臓があります」
 イルゼは、泉に密着していた。
そして体をなぞり、心臓のある場所を人差し指で示すように指す。

 泉は咄嗟に離れた。
 その時、明らかな腕の不調、というより軽くなった事。

 腕を見れば、虫が消え、そして指の先端が消えていた。

 泉は、腕を引きちぎった。
 流血はしてはない。
 それが、泉の遺能。
 引きちぎった腕を見れば、虫が中にいるのが分かる。

 泉は、その腕をイルゼの方にへと投擲した。
 イルゼは、和やかな顔を見せていて、何もする気はないように穏やかだった。
 それもそうだった。
 そろそろ成るのだから、いやもう成っているから。

 突如、影から、巨大な蛙が泉の腕を食った。
 蛙は、人を一飲み出来るほどの体躯であった。
 しかし、それらを無視するような駆動力は、蛙と言うより、大地を駆け回る犬のようだった。

 一体と一人、両者とも明らかに強かった。
 しかし、泉は腕を片方失った。
 それは問題はない。
 まだ頭も、左腕も、両足もある。
 死傷はない、であらばなんら支障のないものだった。

 「いぃずみくぅん」 
 マタク=モルマが泉に声をかけた。戦闘最中、気を張り詰めていた泉に気付かれる事なく。

 「モルマ、何しに来たお前」
 泉は、苛立ちを深い場所に隠し、マタク=モルマが自らの戦闘の邪魔をしに来た事を咎める。

 答えありきのその問いは、絞首台の前で行う魔女裁判のように、異様と言える雰囲気が流れ、マタク=モルマの一言に耳を傾ける事に集中した。

 「んんーだめだにぇー、さっき少なく見積もって4回は殺されてたよ。調子に乗っちゃあいけないにぇ」
 マタク=モルマは、何も臆する事なく、小さな手で4を示し、泉の方へと出した。
 その事を聞けば、泉は豪快に笑い始めた。

 「いい加減俺を嘗めるのを止めろモルマ、俺はそこまで弱くはない」
 泉は、苛立ちを表には出し切ってはいないが、明らかな不満をマタク=モルマに当てていた。
 泉がそう怒気を孕んだ声を出し終わった時、泉は死んだ。

 そう、感じてしまう、マタク=モルマの笑顔。
 体を這い、首に手をかけられ、頸動脈にナイフを突き立てられ、身体の内にへと手を伸ばし、心臓を掴む、そう思ってしまう、無垢な笑顔、血の色も知らない子供のような。

 「これで5回。まぁ問題ないにょ、これからは、うちもやってあげるからにぇ」
 マタク=モルマは、泉の腰を叩き、泉の腕に注射をした。
 流し込まれる液体は決して、体を良くする物ではなかった、よくの塊ではあったが。

 「やっぱりモクより、こっちかにゃ……気持ちよさ満点じゃにぇ」
 マタク=モルマは、煙草を咥え、唇で強く噛んだ。
 火もつけていない煙草の先端から煙が出ていた、それはマタク=モルマを隠し始め、マタク=モルマは一度大きく煙を吐いた。

 「……あぁ殺せ、殺せ殺してしまえ。人を殺せしてしまえ、動物を殺してしまえ、機械を殺してしまえ……全てを殺してしまえ」
 泉も、息を吐く。重く、臭い息を、自らの体にとぐろ巻くようにその息は泉の体を食い尽くした。

 体に浸透し、体を蝕み、体を拘束する。
 泉の心に煙は、雲のようにかかり、心と言う名の月は、雲が隠した。
 しかし、隠る月は雲を照らす。

 「胎動が聴こえます、炎の声が、青く静かな」
 イルゼは、青い炎と、赤い炎を両の手にそれぞれ灯した。

 蛙は、沈んでいった、影に戻る様に。魚影のような影は、影の蛙にはない。故に、泉の足元に来るのは、容易だった。

 蛙は、その大口で、泉の巨体を全て飲み込む様に下から食らい上げる。

 しかし、そこにいたのは、二匹の大蛇。食われなかった、蛙が逃げたからだった。

 己が逃げるのは、恐怖心、影であろうと種として固定された恐怖は拭えなかった。
 一匹一匹は蛙の半分にも満たなかったが、それ程に、恐ろしかったのだ、自らの天敵が。
 そして、敵の人間。
 泉は、蛇を従えて、蛙に相対す。

 「火遊びはいけにゃいにょ、だけど、火の後始末は大人の仕事だから」
 マタク=モルマの煙は、イルゼの周りを漂っていた。
 そして、マタク=モルマも、イルゼの周りに漂っていた。
 手には、注射器。
 首筋に針が、近づく。

 「調子に乗らないでください」
 イルゼは、そう言い、自らの首元に近づく注射器を食った。
 マタク=モルマは、その首の可動域にも、野蛮な行動を行う事にも驚いた。
 が、マタク=モルマはそう思った時、一言で押し込んだ。

 だからどうした、と。

 驚きなど、全てを殺意に変換すしようとした、いやそうした。

 煙漂う中、戦闘が始まった。

 しかし、爆音が響き始め、洞窟には世界が広がる。

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