寵愛の精霊術師
第18話 精霊術
――王城が『憤怒』に襲撃された。
「……そんな」
その知らせを受けて、真っ先に反応したのはクレアだった。
力なくよろよろとその場に崩れ落ち、目の焦点が合っていない。
「落ち着けクレア。ヴァルター陛下はきっと無事だ。こうして伝令の人が事態を伝えることができているんだから」
クレアを安心させるためにそう言ったが、ヴァルター陛下が無事な保証などどこにもない。
事態は一刻を争う。
「また、『憤怒』はクレア様の身柄を要求しています。要求が受け入れられなかった場合、王城にいる人間全員を拘束すると」
「……拘束? 殺害の間違いではないのか」
ウルゾフ先生が疑問の声を上げる。
たしかにそこは引っかかるが、どうせ何かロクでもないことをするために生け捕りにするだけだろう。
大して意味はない。
「『憤怒』か。できれば相手はしたくなかったが、王城が襲われたとなっては仕方ないのう……」
アミラ様は憂鬱そうな表情でため息を漏らす。
『精霊級』と呼ばれるアミラ様でも、『大罪』の魔術師の相手をするのは気が重いようだ。
「おぬし、ラルフと言ったな。そなたに頼みがある」
「え? な、何ですか?」
まさかアミラ様から話しかけられるとは思っていなかったので、若干反応が遅れた。
「そなたに、『憤怒』の討伐に協力してほしいのじゃ」
「……え?」
何を言われたのかわからない。
聞き間違いかと思った。
だが、目の前のアミラ様は至極真面目そうな顔で、
「『大罪』は、いずれも精霊級以上の魔術師じゃ。その絶対数が少ないからあまり知られてはおらんが、精霊級の魔術師は自身の周りにいる精霊を自身の支配下に置いてしまう」
魔術を使うためには精霊の力が不可欠だ。
精霊がいない場所というのはまず存在しないため、普段はあまり気にする必要はないのだが……。
「それはつまり、『憤怒』の前では魔術が使えなくなるということですか?」
「その通りじゃ。ゆえに、『精霊級』と『皇級』の間には絶対的な格差が存在する」
それはつまり、精霊を『大罪』の魔術師に奪われてしまえば、皇級以下の魔術師はただの無力な人間と化すということ。
「そこでそなたには、その精霊を『憤怒』から奪う役目を担ってもらいたい」
そこまで言われてやっと、アミラ様がオレに何をしてほしいのか理解した。
しかし、そううまくいくのだろうか。
「僕なら、『憤怒』に隷属している精霊たちを奪えると?」
「奪えるじゃろうな。お主は精霊に愛されておる。この上ないほどにな。そして精霊を奪えれば、『憤怒』を撃退できる可能性は大幅に上がる」
討伐じゃなくて撃退なのか。
随分と弱気なことをおっしゃる。
なにか殺せない理由でもあるのだろうか。
とにかく、オレの答えは決まっている。
「わかりました。僕も行きます」
「……やめときなよラル君。相手はあの『憤怒』だよ? 危険すぎるよ」
「そうだよラル。危ないよ……」
そんなことを考えていると、ロードとクレアが真剣な表情でオレのことを引き留めてきた。
単純にオレのことを心配してくれているのだろう。
「安心しろ。ラルフの安全はワシが保障する。そなたたちはただ、ワシとラルフが無事に帰ってくるのを祈っていてくれ」
「でも……わたしが『憤怒』のところに行けば、みんなは助かるんだよね?」
恐怖に震えながらも、そんなことを言い出すクレア。
「そんな保証はどこにもない。まず、クレアを『憤怒』に渡すなんて絶対にダメだ」
王家の血筋とかそういうのは関係なく、一人の友達として、自分たちが助かるためにクレアを危険な奴に差し出すなんてできない。
当然のことだ。
「でも……」
「大丈夫だよ、クレア」
まだ不安そうな表情を浮かべるクレアを見かねて、オレはクレアを抱きしめた。
「ひゃっ!? ラ、ラル……?」
「牙獣のときも言っただろ? オレはお前のことを絶対に守るし、必ず無事に戻ってくる。だから信じて待っていてくれ」
「……! う、うん!」
クレアは少し顔を赤くしていたが、さっきまでとは表情が全然違う。
オレも励ました甲斐があったというものだ。
ロードは難しい顔をしていたが、渋々といった様子でオレが『憤怒』のところへ向かうことを納得してくれた。
「ダリアさん。クレアのことをよろしくお願いします。ロードも、何かあったらクレアを守ってやってくれ」
「はい。任されました」
「僕もクレア様にはお世話になってるからね。こっちは僕たちに任せて、安心して行ってきなよ、ラル君」
「ありがとう。恩に着るよ」
この二人、そして学園の先生たちがいれば、『憤怒』がこちらまで来ることがあってもクレアを逃がすぐらいのことはしてくれるだろう。
そんなことにならないように、オレとアミラ様がなんとかして『憤怒』を倒さなければ。
――こうして、オレとアミラ様は『憤怒』の撃退に向かったわけだ。
まさかフレイズが殺されかけているとは夢にも思っていなかったので、かなり焦ったが。
あと数秒でも遅れていたら、『憤怒』に殺されていたことだろう。
危ないところだった。
「あ、ありがとうラル。助かった……」
「おっと」
フレイズは憔悴しきった顔でそう言うと、オレの腕の中で気絶してしまった。
慌ててその身体を支える。
少し重いが、さほど問題はない。
身体を鍛えていてよかった。
それにしても、
「……相変わらず気持ち悪いな」
異様なほど折れ曲がった腰に、長すぎて地面を擦っている黒髪と赤色の服。
白すぎる肌に、ギラついた目が髪の隙間からこちらを覗いている。
その立ち姿だけでも異常なほどの嫌悪感を感じさせた。
「ああ、ご挨拶が遅れましたね。ワタシは『憤怒』の魔術師、カミーユと申します。以後お見知りおきを」
丁寧なあいさつをするカミーユ。
それがむしろ、不気味さを際立たせる。
ここまで見ると、『憤怒』の姿は最初会ったときと大して変わっていない。
前と変わっている点を挙げるとするならば、やはり腹部から伸びている何十本もの赤黒い触手だろう。
今もなお獲物を求めるかのように口を開け蠢いている触手たちと、ところかしこに転がっている肉片と血の海を見れば、何があったのかはおおよそ察しがつく。
おそらく、フレイズの同僚たちはカミーユに精霊を奪われ、なすすべなく触手たちの餌となったのだ。
吐き気がこみ上げてきたが、今はそれを必死に抑え込む。
「ふむ……話には聞いておったが、やはりワシの知っておる『憤怒』とは少し違うようじゃのう」
「というと?」
「ワシの知る限り、『憤怒』は初老の男じゃった。まあずいぶん昔の話じゃから、代替わりでもしたのじゃろう」
アミラ様の目は、遠い過去を見据えているようだった。
いったい何年前の話をしているのか。
怖くて聞けない。
というか、今聞き捨てならないことを聞いた気がする。
「それってもしかして、『憤怒』が複数いる可能性もあるってことじゃ……」
アミラ様が言っている初老の男と、今目の前にいる女。
それは同じ『憤怒』を宿した別の人間なのではないだろうか。
「その心配はない。『大罪』は、その世界で一番素質がある人間に宿るものじゃからの。二人以上に宿ることはないのじゃ」
なるほど。
だから一人だけ、と。
『大罪』のしくみはイマイチわからないが、今はそれはいいか。
今はただ、目の前の敵を倒すことだけに集中すべきだ。
「まあ、今の『憤怒』が貴様であるというのなら、むしろ好都合というもの。余計な気を遣わなくて済むからのう」
アミラ様は僅かに口元を歪めながら、何もない空間へと手を伸ばす。
「貴様の『憤怒』、ワシが断ち切ってくれるわ」
いや、正確には、何もないはずだった空間、だ。
「――『炎霊刀』」
アミラ様が手を伸ばした先に、それはあった。
それがまるで、最初からそこに存在していたかのように。
「……! それはもしや、伝説の霊具ではありませんか!?」
カミーユが驚愕の声を上げる。
その刀は、見惚れるほどに美しかった。
目に見えるほどの高密度な火精霊たちが周りに浮かび、炎を纏う紅色の刀身が、鋭い輝きを放っている。
カミーユの言葉を借りるのは癪だが、まさに伝説の霊具と呼ぶにふさわしい姿だ。
「もしやとは思いますが……あなたは知りませんかね? 赤い棺を」
「狂人の戯言に付き合う道理はない」
カミーユの問いを、アミラ様はバッサリと切って捨てた。
しかしカミーユは、何かに納得したように深々と頷き、
「どうやら『精霊級』と呼ばれるあなたでも知らないようですね。しかし、あなたの考えていることは読み取りにくい……まるで頭の中に靄でもかかっているかのような……」
「この程度で『大罪』を断ち切れるとは思わんが……やれるだけのことはやってみるまでじゃ。ラルフ! 準備はいいかの?」
「はい、アミラ様!」
……先ほどから、アミラ様はカミーユのことをことごとく無視している。
間違ってもそれがひどいとは思わないが、何か理由あっての行動なのだろうか。
単純にまともに取り合うのが疲れるから無視しているだけなのかもしれない。
まあいい、オレはオレにできることをやろう。
オレは精霊たちに呼びかける。
特に、カミーユの周りにいる精霊たちに向かって、こちら側へと来るように。
「精霊よ、来てくれ!」
思考だけでは足りないかもしれないと思い、声に出してみた。
「面白いことをしていますね。まさかそんなことでワタシの精霊たちを奪えると本気で思って――」
カミーユは面白い見世物でも見るような目で、興味深そうにオレのことを眺めている。
明らかに馬鹿にしている。
だが、その言葉が最後まで続くことはなかった。
『憤怒』の周囲から精霊が消えた。
「は?」
カミーユの間が抜けたような声が響く。
それは間違いなく、自分の周りの違和感を感じ取ったからに他ならない。
「……これは、想像以上じゃな」
一方で、アミラ様は感嘆の息を漏らしていた。
オレの周りには、『憤怒』から奪った精霊たちがいる。
あまりにも高密度なため、青や赤など色のついた光になって目に見えるほどだ。
「なにを……何をしたのですか!? 一体これはどういう……」
「ワシら『精霊級』がやっていることと、本質的には同じことじゃよ。強さは桁違いじゃが」
無理解を示すカミーユに向かって、アミラ様は静かに語りかける。
「良かったのう。これで皇級の魔術を扱えるようになれば、おぬしも晴れて精霊級魔術師の仲間入りじゃ」
「くっ……!」
カミーユが苦々しげな顔で、腹部から生やした触手をオレのほうへ伸ばしてきた。
だが無駄だ。
風精霊に軽くお願いしただけで、オレの精霊たちがいる空間に侵入したカミーユの触手は、風の刃でバラバラになった。
それを見たアミラ様が、驚いたような顔を見せて、
「魔力を必要とせず、周りの精霊の力のみを使い行使する術……これは全く新しい系統の術じゃ。精霊術、とでも呼ぼうかの」
これが?
たしかにこれまでも、精霊たちが勝手にやってくれることは何度かあったが、そこまで珍しいことなのだろうか。
「……その顔を見る限り、どうやら、これまでも無意識のうちにそれを使っておったようじゃの」
「まさか……その子にそれほどの素質が」
アミラ様は少し呆れ顔で、カミーユは有り得ないものを見るような目でオレのことを見ている。
「さて。これで丸裸だな、『憤怒』よ」
アミラ様が炎霊刀を構える。
それを見たカミーユは僅かに目を細め、
「黒衣を纏いし――」
「遅いッ!!」
魔術を使えないはずのカミーユが謎の詠唱をしようとしたが、アミラ様の炎霊刀が奴を両断するほうが速い。
「っ! ミューズか!」
しかし、炎霊刀の一撃を受けたはずのカミーユは冷静な表情を崩さない。
炎霊刀の攻撃が通っていないように見える。
そこでオレは、不意に気付いた。
カミーユの身を守るように、一人の男が立っていることに。
いや、あれは立っているのではない。
地面から僅かに浮いている。
黒いフードを被っており、黒い布のようなもので全身を覆い隠している。
ファッションにしては少々奇抜だ。
黒髪で、それなりに整った顔立ちの男だが、その顔色は悪く、生気は感じられない。
それに、よく見ると男は半透明だった。
やはり、少なくとも生きている人間ではない。
それにしても、ミューズ?
アミラ様はアレが何か知っているのか?
「ワタシの愛しい彼に刃を向けた……? 貴様程度では彼に傷一つつけられないとはいえ、到底許容できるものではないですね。その罪、死を以て贖いなさい」
カミーユは静かに怒り、鋭い視線でアミラ様を射抜く。
その瞳に宿る激情は、まさしく『憤怒』と呼ぶにふさわしい。
「そんなものに魂を縛り付けるなど狂気の沙汰よ。本当にその男のことを想っていたのなら、こんな愚行を犯すはずがあるまい」
「黙れぇ!! ワタシと彼は愛し合っているッ!! それを貴様のような低俗で愚鈍で愚昧な小娘に否定されるなど、この上ない屈辱! ワタシたちの愛を否定した貴様だけは絶対に許さないッ!!」
怒りで自らの唇を噛み切り、口から血を流しながら激昂するカミーユ。
そこに、先ほどまでの落ち着きはなかった。
「ワタシたちの怒りを聴けぇええ!! 黒衣を纏いし――」
「いかん! ラルフ、耳を塞げ!」
ここに来て、初めてアミラ様が焦った声を上げる。
その原因がわからずに戸惑うオレをよそに、カミーユの詠唱は完成した。
「――ミューズの旋律ぇ!!」
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