寵愛の精霊術師
第37話 心配症の兄と妹
「それにしても、君がラル君だったのか。いつも妹がお世話になっているね。牙獣の襲撃があったときも、君がクレアの命を救ってくれたと聞くし」
ああ、そういえばそんなこともあったな。
最近は色んなことがありすぎて、あの頃の記憶が曖昧になりつつある。
「いえ……それにしても、クレアにこんなに歳の近いお兄さんがいるなんて知りませんでした」
「クレアは言っていなかったのか……。ディムール王家には、今のところ僕を含めて三人の王子と、一人の姫がいる。僕はその中の第三王子というわけさ」
少ししょんぼりした様子の第三王子――クルトさんは、オレにそう説明してくれた。
クレアに存在を言及されていなかったのがよほどショックだったようだ。
「そういえば、護衛の人とかはいないんですか?」
王族であるにもかかわらず、クルトさんの近くに護衛らしき人物の影はない。
「ああ。今回は完全にお忍びでね。誰にも言わずに王城を抜けてきちゃったんだよ」
「抜けてきちゃったって……」
王城の警備はどうなってるんだ。
ホントに大丈夫なのか……?
「それで、お主はわざわざここまでやってきたというわけか。王城の警備は何をしとるのかのう……」
「あはは……」
嘆くように、アミラ様の口からため息が漏れる。
クルトさんをアミラ様の研究室まで案内したのはいいものの、事情を説明して早々にジト目で睨まれた王子様は苦笑するしかなかったようだ。
「これではヴァルターの心配事も現実味を帯びてこようて。あまり奴に心配をかけるでないぞ」
「はい。申し訳ないです……」
本当に反省しているようで、クルトさんはバツの悪そうな顔をしながらアミラ様のお説教に耳を傾けていた。
「……まぁ、帰りはクレアと共にダリアに護衛してもらえばいいじゃろうが。まったく、もう二度とやるでないぞ」
それでひとまずお説教は終わったようで、アミラ様はテーブルの上にお菓子を広げると、
「さあ、今日も食べようぞ」
「おっ! 美味しそうなお菓子ですね! いただきます!」
さっきまでの態度はどこへやら。
コロッと表情を変えて、クルトさんはお菓子の山にかぶりついた。
「ふぉういえばふぁみらふぁま、ふへあはほほでふか?」
「……とりあえず、口に入れたものをちゃんと噛み終えてから喋りましょう、クルトさん」
何を言っているのかさっぱりわからない。
クルトさんは口の中のお菓子を飲み込むと、再び口を開く。
「そういえばアミラ様、クレアはどこですか?」
「クレアなら、外の鍛錬場で魔術の練習をしておる。ロードと一緒にな」
「わかりましたっ! ありがとうございます!」
それを聞き終わるやいなや、クルトさんは研究室を飛び出した。
速い。
まるで空を飛ぶツバメのように、彼はオレの目の前を横切っていった。
なにが彼をそこまで駆り立てているのか。
しかし、しばらくするとクルトさんは再びこちらに戻ってきた。
そして一言。
「すいません、鍛練場ってどこにあるんですか!?」
オレがクルトさんを鍛練場まで案内することになり、連れてきた。
というか、研究室を出てホントにすぐのところにあるのだが……。
この王子様は極度の方向音痴らしい。
まあ、ずっと王城の中で生活していたのならある程度は仕方ないことなのかもしれないが。
「やあクレア! 今日もまるで天使のように可愛いね!」
クルトさんはクレアが視界に入った瞬間、急に顔をだらしなくさせてそんなことを言い出した。
……あれ。
誰だこいつ。
「クルト兄さん!? どうしてここに……」
「おお、僕の可愛いクレア! まさかこんなに頑張ってるなんて……大丈夫かい? 疲れてないかい? どこか痛いところとかは……」
クルトさんが、クレアの手を撫でさする。
そこにはたしかに、慈愛の色が見て取れた。
いや、あれは慈愛とか、そういう次元を軽く超越しているような気もするが。
「だ、大丈夫だから! クルト兄さんは黙って見てて!」
しかし、クレアはそんなクルトさんの態度があまり気に入らないようで、すぐに手を離してしまう。
クレアはまだ七歳なのに、もう既に兄に対してツンツンしているようだ。
もしかしたら、クレアにはツンデレの才能があるのかもしれない。
「そうかそうか。大丈夫ならいいんだ。僕も後ろの方からクレアのことを見守ることにするよ。……そう、永遠に」
「なんか怖いよ!? もうちょっと普通に見守っててよ!」
「そうか、やっぱり普通に見守っていてほしいんだね! お兄ちゃんは嬉しいよ!」
「……うわぁ」
オレはその様子に、内心少し引いていた。
少し気になって来たとか、そんなどころではない。
あれは完全にクレアのことを溺愛している。
「……ラル君。あの人はなんだい?」
いつの間にか、ロードがオレの隣に立っていた。
いつもと違い、どこか困惑したような表情を浮かべている。
まあ無理もないだろう。
目の前にいる変人の態度は、明らかに常軌を逸していると言わざるを得ないほどのものなのだから。
「あれはクレアの兄貴だよ。クルトさんって言うんだって」
「なに? ……そうか、あの方が」
ロードは何かを思案した様子だったが、やがて納得したような顔をする。
「クルトさんのこと、知ってるのか?」
「一応、ね。ディムール王国の第三王子と言えば、誕生が報告されて五歳の誕生祭を迎えてからは一度も表に顔を出したことがない方として、密かに噂になったりもしていたから」
「それ、遠まわしに死んだって噂されてたってことかよ」
あまり気分がよくなる話じゃないな。
「でも、こうやって本人を見ている限り、そんな幸薄そうな印象は全く受けないけどね」
「……ああ、同感だ」
クレアのことを四方八方から眺め、その行動をいちいちベタ褒めしているクルトさんの様子は、病弱などといった言葉からは程遠い。
「もう、クルト兄さんはいつもそうなんだから……」
しかし、なんだかんだ言ってクレアも満更ではなさそうだ。
兄妹仲は良好なのだろう。
「ん? そちらの少年はもしかして、ロード君かな?」
ようやくクレア以外の人間を視界に入れたクルトさんが、ロードを見てそう問いかける。
「はい。お初にお目にかかります、クルト様」
 
「クルトさんでいいよ。クレアの友達から様付けされるのは、ちょっと嫌なんだよね」
「わかりました。それでは、クルトさんとお呼びしますね」
クルトさんの言葉に、素直に頷くロード。
いつものロードなら、「いえ、そういうわけにはいきません。王族の方にそんな礼儀を欠けたような真似はできかねます」くらい言いそうなものだが。
ロードも少しは柔軟になってきたってことなのかな。
「で、ラル君とロード君」
クレアが魔術の練習に戻り、少し離れたところからその様子を見守っていると、少し真面目な表情を浮かべたクルトさんに話しかけられた。
「クレアは、ここでうまくやっているかい?」
やっぱり、この人は本当にクレアのことが心配なのだろう。
その目には、真摯にクレアのことを想う感情だけが読み取れた。
「はい。クレアはうまくやっていますよ。……ただ、やはり王族という身分の高さもあって、本当に心を許せる友達は僕とロードくらいだと思いますけどね」
ディムール王立魔法学院には、平民から王族まで、幅広い人間が集まっている。
いくらここで身分の差は意味をなさないと言われていても、王族の威光というものは常につきまとうものだ。
クレアが周りの子供たちや大人たちとある程度の距離を取ってしまうのも仕方ないというものだろう。
「でも、君たちがいてくれて本当によかった」
「え?」
オレとロードが、同時にそんな疑問の声を上げる。
クルトさんは、口元を少し緩めて、
「最近のクレアは、毎日がとても楽しそうだ。身体が弱い僕は学院には通えないけど、そんなクレアの姿を見ているだけで、僕も幸せなんだよ。だから、ありがとう」
「いえ、そんな。僕たちもクレア様にはお世話になっているので」
「……お世話にはなっていない気がするけどな」
オレが思わずそう漏らすと、クルトさんは笑った。
とても暖かな笑い方だった。
「クレア様とは、よくお話されるんですか?」
「そりゃするさ。クレアは僕の可愛い可愛い妹だからね。今日はこんなことがあったとか、明日はこんなことがあるんだよとか、たくさん話すよ」
「へえ……あのクレアがねぇ」
これは意外な一面を見た。
「僕たちの母上はクレアが生まれてからすぐに亡くなってしまったからね。いわば僕が、クレアの母親のような役目も引き受けてきたのさ」
「なるほど……」
クレアとクルトさんは、本当に心を許し合っているのだろう。
なんとなく、いいなと思ってしまった。
クルトさんとオレたちは、その後も益体のない話を繰り広げていたが、クルトさんが何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば、クレアは君たちのどちらが好きなのかな?」
「ぶっ!」
思わず吹き出してしまった。
「な、なにを言い出すんですか!」
「いや、未来の婿候補をこの目で見定めようと思ってね。クレアの話を聞いている限りだと、ラル君もロード君も話に出る回数はそこまで変わらないから、どっちかなと思ってたんだ」
冗談だと思っていたが、クルトさんは割と本気らしい。
だいたい、オレたちはまだ七歳だぞ。
結婚とか早すぎる。
「僕としては、やっぱりクレアを命の危機から救ってくれたラル君に惚れてるような気がするんだけど、そこのところどう思う?」
「いや、僕にそんなこと聞かれてもわからないですよ」
というか、もしクレアと結婚したらアレだろ?
ドロドロの権力闘争に巻き込まれていくんだろ?
あ、でも上に三人も兄がいるならそんなことにはならないのかな。
そこのところよくわからない。
「クレアは将来、絶対美人になるよ。ちょっとわがままなのが玉に瑕だけど、根は優しい子だし、なにより将来絶対巨乳になる。僕が保証するよ」
一拍置いて、妹が巨乳に育つことを強調する兄。
この人の認識を少し改める必要がありそうな発言だ。
「いや、そんなこと保証されても……だいたいまだ婿とか決めるのは早すぎる気が」
そんなオレの言い訳を聞いていたロードが、ボソッと一言。
「そうだよね。ラル君にはカタリナちゃんがいるもんね」
「……カタリナちゃん? 誰だいそれは?」
クルトさんは、聞き覚えのない名前に困惑したような表情を浮かべている。
「カタリナちゃんっていうのは、ラル君が牙獣を討伐した時に陛下から賜ったお金で買った狐人族の奴隷の女の子ですよ」
「なに? ラル君、君はもしかして、獣人族にしか興奮しないとかそういう感じのアレなのかい?」
「いや、カタリナとはそういう関係じゃ……だいたいまだお互いに七歳ですし」
「いや、隠さなくてもいいんだよラル君。なかなかいい趣味をしているじゃないか。うん、僕も獣人族の女の子は好きだよ」
「人の話を聞いてくれませんかねえ!?」
ケモナーじゃねえよ。
普通に人間の女の子も好きだよ。
「じゃあ、カタリナちゃんは僕が貰ってもいいよね?」
「待て。それとこれとは話が別だ」
カタリナはオレのものだ。
誰にも渡さん。
「ほら。この調子なんですよクルトさん」
「ふむ……やはりか……」
「しまった!? ハメられた!?」
ひどい策略だ。
だいたい、オレがカタリナのことを大切にして何が悪いというのか。
「……さっきから、なにを話してるの?」
「あ、僕の愛しいクレア。お兄ちゃんに会いに来てくれたんだね!」
不思議そうな顔でこちらに近づいてきたのは、クレアだった。
あまりにも騒ぎすぎていたせいか、こちらまで様子を見に来たようだ。
「それで、なんの話をしてたの?」
「クレアの将来のお婿さんの話さ」
「お、お婿さん!? な、何言ってるのクルト兄さん!?」
「いや、クレアがラル君に嫁ぎたいなら、僕としては応援してあげてもいいかなって思って。父上と兄上たちを説得するのは骨が折れそうだけどね」
クルトさんがそう言うと、クレアは顔を真っ赤にして、
「……わ、わたしがラルのおよめさん……はぅ」
「おおい!」
クレアは茹でだこのように顔を赤くして、そのまま意識を失ってしまってしまった。
慌ててその身体を支える。
「あ、ありがとうラル君。まさかクレアがここまでになるとは予想してなかった。危ないところだったね」
「本当ですよ! クレアが怪我したらどうするんですか、まったくもう……」
その後、気を失ってしまったクレアを研究室まで運び、今日の鍛錬はお開きとなった。
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