寵愛の精霊術師

触手マスター佐堂@美少女

第53話 ディムールへ


 そのあと、クレアからオレがどんな状態だったのか、詳しい話を聞くことができた。

 クレアは、ダリアさんと二人でエノレコートの王城まで乗り込むつもりだった。
 その道中で、オレの死体を拾ったのだそうだ。

 先ほども少しクレアが漏らしていたが、オレは完全に死んでいたらしい。
 その死体を、クレアの護衛としてやってきたダリアさんが運んでくれたということだ。

「ダリアさんもここにいるのか?」

「うん。今は隣の部屋で休んでるよ。ちょっと疲れてるみたい」

 それはそうだろう。
 クレアのことを守りながら、こんなところまで二人でやってきたのだ。
 その苦労は計り知れない。

 まだ夜だし、ダリアさんにオレのことを話すのは明日でいいだろう。
 今日はゆっくりと休んでもらいたい。

「――痛っ!!」

 立ち上がろうとして、ギョッとする。
 オレの足には、包帯のような布がぐるぐると巻かれていた。

「じっとしてて。まだ傷がふさがってないから」

「ああ……」

 クレアが痛ましげな表情を浮かべながら、包帯の上からオレの足を撫でる。
 精霊たちの力をもってしても、オレのボロボロの身体は完治には至らないようだった。
 この包帯の下は、いったいどれほどひどいことになっているのだろうか。

 いや、今はそれはいい。
 もっと優先してやるべきことがある。

「クレア、今日の日付を教えてくれ」

「えっと……今日は文月の月の、二十日のはずだよ」

「つまり、オレがエーデルワイスに殺されてから丸一日くらいしか経ってないのか」

 ちなみに文月というのは、生前の世界で言うと七月に当たる。
 とにかく、まだ一日しか経っていないのなら、エーデルワイス達を先回りして――、

「……先回りして、どうする?」

 それは、今の今まで全く考えていなかったことだった。
 エーデルワイスより先にディムールの王都にたどり着いたとして、何を行うべきか。

 まず、全く戦えない人間は避難させるべきだろう。
 それで、残った戦える人間たちで、エーデルワイスたちを迎撃する。

 逃げはしない。
 エーデルワイスは、ここで倒しておかなければならない存在だ。
 そのためには――、

「あ」

 そうだ。
 すぐに『テレパス』を使って、王都にいるみんなにこのことを知らせないと。

「クレア。みんなに『テレパス』を繋ぐから、しばらく黙ってるけど気にしないでな」

「うん。わかった」

 クレアに一言断ってから、オレはひとまずアミラ様に『テレパス』を繋いだ。

「……あれ」

 おかしいな。
 繋がらない。

 まさか、もう既にエーデルワイス達は、ディムールの王都に到着してしまったんじゃ――。

 と思ったら、アミラ様に『テレパス』が繋がった。

『……ラルフか? どうしたんじゃ、こんな時間に』

 そう語るアミラ様の声は、ものすごく眠そうだった。
 もしかしたら寝ていたのかもしれない。

『すいませんアミラ様。でも、緊急の連絡なんです』

『……ふむ。冗談というわけでもなさそうじゃの』

 オレがそう言うと、アミラ様が居住まいを正すのがわかった。
 オレの話を真面目に聞く姿勢が整ったということだろう。

『端的に言います。ディムール軍が、エノレコート側に寝返りました』

『――は?』

 アミラ様のそんな声、初めて聞いたかもしれない。
 そんなことを考えてしまうほど、アミラ様の声には戸惑いの色が濃かった。

『寝返った? 何を言っておるのじゃ、ラルフ……』

『嘘ではありません。エーデルワイス・エノレコート――『大罪』の『色欲』を名乗る人物が放った魔術の影響で、ディムール軍全体が洗脳されたような状態に陥っています。このままでは、間違いなく彼らはディムールを襲います』

『――『大罪』の、『色欲』じゃと?』

 『テレパス』の向こう側で、アミラ様が呆然とした顔をしているのがわかる。
 アミラ様にしてみれば、よほど衝撃的な内容だったのだろう。

 まあ、気持ちはわかる。
 オレも他の人間からこんなことを伝えられたら、まともに信じるかどうか怪しいからな。

『馬鹿な……。『大罪』の魔術師とエノレコートが手を組むなど、そんなことがあるはずが――』

 しかし、アミラ様はよくわからないところで狼狽していた。
 アミラ様は、一万の大軍が寝返ったことよりも、『大罪』の魔術師とエノレコートが手を組んでいることに驚いているようだった。

『アミラ様。僕はこの目で見たんです。ディムール軍の人々が、エーデルワイス・エノレコート――『色欲』の魔術師の、盲信者になってしまった瞬間を』

 あの光景を、オレは一生忘れないだろう。
 味方だと思っていた人たちが、突然狂信者に変貌した、あの恐ろしい瞬間を。

『その中には父様――フレイズ将軍も含まれているんです、アミラ様』

『――っ!』

 アミラ様が、『テレパス』の向こうで息を呑んだのがわかった。

 そう。
 ディムール軍の中には、当然最高司令官であるフレイズも含まれている。
 オレは、何とかしてフレイズにかけられた洗脳を解かなければならないのだ。

『僕は今エノレコートの王都付近にいます。僕がエーデルワイスに殺されかけていたところを、近くまで来ていたクレアに救われた形です』

『クレア……? まさかあやつ、一人でクルトの復讐に行ったのか!?』

『そうです。それについては僕が説得したので何とかなりましたが、僕たちがディムールへ到着するまでにはまだ時間がかかります。……そこでアミラ様には、ヴァルター陛下に今回の件を報告していただきたいのです』

『なるほど……わかった、ラルフ。そなたの言う事を信じよう。ヴァルターにはワシから確実に伝えておく。そして、そなたの父、フレイズもワシが必ずなんとかしてやろう』

『――っ! ありがとうございます!』

 アミラ様の言葉は心強かった。
 それに、オレの言う事をこうも簡単に信用してくれたアミラ様に、これ以上ないほどの感謝の念を覚えた。

『今回の件は、カタリナやヘレナ、それにロードにも伝えておいたほうがいいじゃろう。万が一、何かが起こったときにも対応できるように、これからは毎日連絡をよこすのじゃぞ』

『わかりました。それでは失礼します』

 アミラ様との『テレパス』を切断し、次にカタリナに『テレパス』を繋げる。

 しかし、『テレパス』は繋がらなかった。
 時間が時間なために、寝ているのだろう。

 カタリナに『テレパス』が繋がらない以上、アミラ様と同じくらい頼りになるキアラにも、今回の事態を伝えることができない。
 それがひどくもどかしかった。

 ヘレナに対しても同様だった。
 こんなことなら、もう少し早く起きておけばよかった。

 最後に、ロードに『テレパス』を繋ぐ。

 ……繋がらない。
 やはりこんなに遅い時間では、ロードも寝てしまっているのだろう。
 そう思い、『テレパス』を解除しようとした、そのときだった。

『……もしかして、ラル君かい?』

 脳内に、聞きなれた声が響いた。

『ロード! よかった、起きてたか! 悪いな、こんな時間に』

『……いや、大丈夫。それで、どうかしたのかい? ラル君がこんな時間に、僕に『テレパス』を飛ばしてくるなんて』

 オレからこんな時間に『テレパス』が来たというだけで、ロードはただ事ではないと悟ったらしい。
 それを頼もしく思いながら、オレは言葉を続ける。

『そうなんだ。ロード。……ディムール軍が寝返った。このままでは、あと二週間もしないうちにディムールの王都にたどり着くだろう』

『……なんだって?』

 ロードは、オレの言ったことの内容をうまく飲み込めないようだった。
 それだけ、エーデルワイスが使った魔術は荒唐無稽なものなのだと、改めて実感する。
 そして、それはオレが乗り越えなければならない壁なのだということも。

『さすがに冗談だろう? なにかの間違いなんじゃ――』

『ディムール軍は、『大罪』の魔術師の一人、『色欲』のエーデルワイス・エノレコートがたった一度だけ放った魔術で、奴のおもちゃと化してしまったんだ。オレはそいつと戦って、危うく殺されかけた』

『殺されかけた!? ……嘘だろう? あのラル君がそんな……』

 信じられない、といった様子で、ロードはオレの言葉への理解を拒否する。
 だが、オレがロードの言葉を否定しないのを悟ってか、ひどく真面目な声で、

『……僕は、どうすればいい?』

『このことはもうアミラ様に伝えてある。ロードには、オレの家族たちを守ってやってほしい。もちろん、ロードの手の届く範囲内でいい。ロードも、自分の大切な人たちは避難させておいたほうがいいと思う』

『……なるほど。わかったよ』

 そう言葉を交わして、ロードとの『テレパス』を切断した。

「……ラル、どうだった?」

「とりあえず、アミラ様とロードには事情を説明できたから、なんとか最低限の警戒はできると思う。……まあ、依然として厳しい状況なのは変わらないんだけどね」

 『色欲』はもちろん、『憤怒』の動きがわからないのも恐ろしいところだ。
 たしかにあの場にいたエーデルワイスとは違い、カミーユはどこにいるのか全くわからない。
 突然、大量の触手と共にディムールの王都の中心部に現れても、何ら不思議ではないのだ。

 でも、大丈夫だ。
 ディムールにもまだ軍隊は残っているし、アミラ様やロード、それにキアラもいる。
 大丈夫なはずだ。

「ラル……」

「大丈夫。オレは今度こそ、みんなのことを守り抜いてみせる」

 不安げな表情のクレアを抱き寄せる。



 その日の夜は、クレアと同じベッドで眠った。

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