そして黎明に至れず

辻路長見

1.避難所

1.避難所


 高城大付属小学校。ここが今の俺を含む116名の避難者達の、生活拠点となっている。
 各種資材と、幾つもの魔術によって堅牢な防壁となったフェンスに囲まれた敷地内の建物は、大きく分けて三つ。六年生までの教室と職員室がある本校舎、家庭科や図工に音楽、視聴覚室などが入っている実習棟と、広い多目的教室で構成された第二校舎の計三棟。そして体育館とグラウンドで構成されている、広めの小学校だった。
あと消火水槽替わりでもあるのだろう、体育館の屋上にはプールが設置されている。
 普段、皆は本校舎1、2階で寝泊まりをしている。継続した治療が必要な者は第二校舎、そして資材の運用や設計開発、調査、色々な計画立案などは主に実習棟で行われている。
 他にもグラウンドには現在、幾つかの用途を考えているプレハブの定礎が建設中だった。


 点呼を取り、改めて揃っている事を確認してから子供達を門から敷地内へ帰す。
 その際にすれ違った、物理的に外壁を補強してくれている作業員の方々に軽い会釈をする。…と、何故か声掛けが始まり作業が中断、全員でこちらに挨拶してきた。
「「「お疲れさまですっ!!」」」
 吹き飛ばされそうだった。別に上下関係もないのに大袈裟過ぎる。
 そこまでやらなくてもいいと思う、という言葉は飲み込んだ。意図したものではないが、団結力が高まっているならそれに越したことはない。今は平時よりも集団への帰属性と連帯感が必要だった。
 手水場で手洗い、うがいを軽く済ませる。
 薬品を用いた治療の機会に恵まれない現在は、ちょっとした風邪が重篤な症状になりかねない。日常生活で起こり得る各種の感染症は、この手洗いとうがいをこまめに行う事で大幅に発症の確立を減らす事ができる。
 昔は俺もそこまで丁寧にしていた訳じゃなかったが、いまでは外に出て帰ってくると、几帳面にやっている。
 教室の前を通る。中をのぞくと、子供達の相手をしているベルと、保母の女性達がいた。災害前に臨床心理学士を目指していた俺の手伝いをすると、看護師の資格をとろうとしていたようだが、保母の方が彼女には合っていたのかもしれない。
 年齢もバラバラな子供たちの教室は、今や一室で事足りていた。この付近がかつて都会と言えなくもない街であった事を考えると、それを微笑ましく思うか、愕然としてしまうかは人によるだろう。俺は――…。
 脳裏をよぎるのは弱き人々を守る為に戦い、散り、或いはここから去っていった戦士、人々の横顔だった。
 止めてしまった重い足をリノリウムの床から剥がすようにして、教室を通り過ぎる。
 鋭い金属を叩く音や、摩擦音にプレス音。実習棟の加工所に足を運んでいた。
「どうも刃鳴さん。お疲れ様です」
「お疲れ様です国木田さん。進捗はどうです?」
 駆け寄ってくる中年男性が疲労の色濃い目元で汗を拭う。他の作業員には手で作業に従事するよう国木田さんが合図をした。カッターやはんだ付けの焼け跡が多数ある工作机に、それが3個置かれる。表面はある程度の研磨が施された為か粉吹いていた。
直接手に取り、確認する。
 それは掌一つ分程度の長さをした、端に小さい反しのある、S字状の鉄棒。持ち柄が短く小さいバールに見えなくもない。一昨日頼んだばかりだというのに、仕事が早い。一週間前に回収班の皆と、苦労して坂道から引っ張り上げてきた、何かを固定する台のような――確か、旋盤とかいうものが、かなりの戦力になっているらしい。
 俺は使い方を知らないが……
「順調です。それに構造自体は単純なので、材料を量さえ確保できれば量産も難しくありません」
 今置かれている状況だと複雑な金属加工は難しい。メンテナンスは言わずもがなだ。なので、できるだけ単純な構造をした武器の完成を俺は目指していた。今はそもそも素材、原料が足りないのだ。その中で頼んだ物の、この完成度は、流石と言わざるを得なかった。この強度なら問題なく実演できる。
 ……そういえば、校庭に分厚い鉄板が置いてあったな。あれに使ってみよう。
「市街地への資材探索と回収をもう少し増やせないか、今日改めて提案してみます」
「よろしくおねがいします。ではまた後で」
 頭を下げ作業に戻る国木田さんに、こちらもお辞儀を返す。最初は押し付け気味に頼んだ事なのに、可能な限り応えようとしてくれる律儀な、いい人だった。いや、人達だ。加工所で作業に従事している人々の目に宿る光は、押しつけられた者のソレではなく、期待に応えようと己の職務に邁進する労働者の輝きだった。
 もっと増やし使える人が増える。そうすれば変わるはずだ。やつらとの戦いが。
 一つだけ試作品をもらってポケットに仕舞い、加工所を離れる。
 次は迎えだ。


 黒い紗幕が下りた教室。この部屋の主曰く『光に弱いから』らしいが、いくら夜に電気をつけられないからといって、休憩時間に炎天下、資材回収の際に拾ってきた漫画本を読み漁って、脱水症状になりかけた人間の台詞ではないと思う。
病気ではないが、ある意味病的だった。…これは冗談に成り得るな。ストックしておこう。
 軽くメモにとってから扉を開けると、少し汗臭い空気が部屋から吹いてくる。
「皆人、いるか?」
「おうっ。もうそんな時間か!」
 ギシギシと発条が撓む音が響く。闇の中、一昔前に流行った健康器具に跨り、腹筋をしている男は朽葉皆人。がっしりとした体格に溌溂とした、外見だけは体育会系の男だった。中身は漫画ゲーム大好き、それが高じて機械弄りも得意とする文系の人間である。筋トレは最近始めたものだった。
「無線はっ、今日もなかっ、たぞっ、っとぉ!!」
「そうか、いつも助かる」
「まあ電波がいつ飛んでくるか分からんのだ。チャンスを無駄にしない為にも、詰めて無線を弄れるヤツやマニュアルを書いておける奴がいないと駄目だからな、っと」
 上体を起こし、立ち上がる皆人。背丈は俺と同程度。
 無線に目をやると、傍らに書類の束。鉛筆の下書きの上にボールペンでの清書がされている。皆人なりの完璧を目指して纏められつつある、無線その他の機器に関するマニュアルだった。考えうるトラブルシューティングも書いているというのだから、使うのはともかくとして、あの緑色に銀の線が何本も走ってるような緑色の中身を弄れない俺は頭が上がらない。家庭科で行ったはんだ付け等を忘れている訳ではないのだが。
「ん? お前も筋トレしていくか?」
「迎えに来たのを分かっているのに誘うのはどうかと思うんだが」
 扉を開け、言外に出ろとする俺に、フッと気障な笑みを浮かべつつ、やれやれと言わんばかりに両手を上げる。
…なぜそのジェスチャーをされたのかは不明だったが、深くは問いたださない。
 こういう事が皆人との会話ではよくある。
 いつもの炎模様のバンダナを巻いて、汗を拭う皆人を伴い階段を上る。三階へ上ってからすぐ左手にある教室のドアを開けると、紙とインクに、今では貴重品である煙草の匂いが鼻腔を衝いた。文明がほぼ崩壊している現在では、逆に懐かしみと恋しさを憶える臭いだった。
ホワイトボードに張り付けた地図の上には、色付きの磁石が複数張り付けてある。集団行動の際の作戦立案から基本的な戦術、その必要がない時には罠の敷設のノウハウを可能な限り記しつつ待機しておくのが、この部屋の主の仕事だった。
 塔となっている紙束の間。白髪を後ろで束ねた、無精髯の顎を擦る男。ストライプのシャツに紫のネクタイが細身に映えている。スーツが彼の普段着だった。メガネは伊達で、飛んでくる破片や砂から目を保護するためのものらしい。
 架上廣野。この避難所の中でも最も付き合いが長い一人だ。高校を卒業してからは海外に留学していたらしく離れていたが、昔から苦楽を共に乗り越えてきた信頼できる友人の一人だ。
「…んぉ、もうそんな時間か」
 淀む空気を押し出すように返ってきた呟き。疲労が相当溜まっているようだ。
 軽く頷いて返す俺に、パイプ椅子から立ち上がって背伸びをする廣野。俺よりも少し高い位置にある寝ぼけ眼で、「早く行こうぜ」とばかりに顎を軽くしゃくる。二人を伴い4階にある会議室へと入る。
 室内には既に他の班長が揃っていた。
 椅子に座って会議で提案する事を軽く整理していると、先ほど加工所で会ってきた国木田さんを始めとして、続々と人が集まってきた。
「全員揃っていますね」
 最後に部屋に入ってきたのは議長であり、この避難所のリーダーと言える存在である。後ろに伸ばした銀髪を纏めたに白皙の青年、伊瀬刻貴だ。俺の知っている限り、ここ二日、また徹夜している筈なのだが全く疲労を感じさせない爽やかな態度だった。
「起立、礼――着席。
それではこれより第47回高城大付属小避難所、定例会議を始めます」


 ――特に踏み入った議論は行われず、簡素な遣り取りだけで時間が過ぎていく。
 この集まりは何かを発展、議決するための会議というよりは、報告会といった方が正しい。
 というのも、それぞれの専門分野は力仕事のような単純作業でもなければ、大部分の人々が互いの分野に理解が及ばないからだ。それを勉強するにしても、我々には時間を始めとして様々な余裕がない。それぞれがそれぞれにできる事を頑張るしかない状況である。
 なので、次にどんな資材が必要か、何が避難所に足りていないかの確認をする為に作られたのがこの場だった。2週間に一回開催されている。皆手慣れたもので、いつも通りの流れで任された作業進捗の報告、ほかに気付いた些細な事の報告などが行われていく。記録にはパソコンを利用している。電気は現在余程酷い気温でない限りはパソコンや無線など連絡用端末に回すか、蓄電となっている。
 回収資材の報告、昼に俺と出ていた彼らのものだ。国木田さんが読み上げている。
 やがて回ってきた発言で、都市部探索と足りなくなってきた物資の回収について、廣野から提案が挙がる。そろそろ備蓄していた抗生物質が尽きる旨についてだった。
「俺一人でも持てる量にも限度があるし、地下道やらの上を避けていくにしてもさ、やっぱ不意打ちって防ぎきれるもんじゃねーから斬哉1個貸してくれねーかな?
探索班である俺らはともかく、回収班が被害を受けるリスクは下げねぇと」
「…俺に2個目はないぞ」
 冗談には冗談で返す。周りから漏れる苦笑に会議室の雰囲気が和らぐ。憮然とした顔で応じたが、決定すれば危険だろうと、俺がどこへでも赴く事は皆知ってるのだ。
こういうユーモアを大切にしろ、と廣野には言われる。今も話題を振ってくれたお陰で一日一冗句のノルマを達成できたが、一人だと中々できない。
 都市部にまだ残っている筈の各種抗生剤、医薬品の回収が必要な事は分かっているので、予定を調整しておくとだけ答えた。奴らの巣窟となってしまったで都市部は、俺という探査装置がなければ、戦場帰りの廣野程の力量を持っていても無事に済む場所ではなくなってしまっていた。
だが、俺も単に刀を振るうだけではなく、この避難所におけるカウンセリングや人々の心身状態を把握し、適宜何をすべきか会議、もしくはリーダーである刻貴に進言するという仕事があるのだ。
 まあ専門校に就学し、資格をとる前にこのような事態になったのだが。
 会議は進む。
「3日前に確認された地上種についてですが――」
 俺達による駆除が進み、この付近ではほぼ見かけないと言えるまでに数こそ激減させられたが、未だに奴らの脅威は去っていない。本当なら今日、子供達を学校近くの公園に連れて行くことなど、少し前も、今でも考えられない事だった。
奴らがそう活発ではない明るい時間帯と快晴、そして広範囲の状況を正確に捉えられる特異な感覚を持つ俺がいなければ。
「…子供達に土地勘を覚えさせるための外出、また先になりそうだな」
「仕方ない。一々安全な外出に俺が必要な現況ではな」
バンダナを巻いた頭を掻きながら呟く皆人に返す。
 外壁周囲にいかに強力な結界が敷かれているこの避難所といえど、安心はできない。
奴らの中には魔術に近い力、現象操作術でありえない巨体を維持し、常時不可思議な飛行する個体も存在するし、群れを成した奴らの襲撃を受けないとも限らない。
反対意見も多い中、いざという時のための避難経路を足で覚えてもらう為の今日の外出だったが、今は…今もまだ、逃げるよりもここの守りを固め、生存基盤を築く事を最優先に考えるべきなのかもしれなかった。
 そう考えている間にも、周囲に徘徊する奴らの種類について、望遠鏡から得た新しい生態を稲谷さんが報告していく。
 俺達が『奴ら』と呼ぶ生命体の大部分は正体不明、と呼ぶしかない。既存の生物にどこかに通っているようで、全く違う生態をしているからだ。奴らは在り様自体が全くの謎で、詳細な観察が必要だった。
 研究班には元企業の研究者、小学校理科教師、調理師とかつての所属こそバラバラだが、生物学そのほか生化学に対する造詣が深く、俺たちが捕縛、または殺して持ち帰った奴らを解剖、分析してくれている。
その中でも奴らの生殖については特に、最優先で研究が進められていた。
災害初期、人々を襲った奴ら凌辱と爪痕は誰もが知っている。子供ですら、知っている。…あの地獄を、二度と繰り返させる訳にはいかないのだ。
「――続いて、奴らの我々に対する生殖活動について現時点で判明した事。その他対処策について、です」
 空気が引き締まる。
 それも当然だ。大部分の人は、この研究の進捗報告を最も気にしている。
現在ギリギリの所でもっている食料よりも。
 奴らの精子は、外見的には明らかに別の種である人間の卵子を受精させ、細胞分裂を起こして短期間で出産させるという異様なもので、人間の、それもほぼ女性を体のいい苗床としている。それと生存期間の長さも異常だった。人間の精子も湿度の高い場所では一週間程度生存できるらしいが、奴らのソレは外気にさらして乾燥させても細胞膜を張って生存し続け、まして湿度の高い場所、粘膜に付着すると細胞に吸着して栄養を確保しながら、少なくとも一か月以上は生存できるらしい。
 この避難所でも、何人かの女性から奴らの幼体が生まれた事があった。
 あの時はある程度人体について知識を持ち、その上に強大な魔術を使え、尚且つ冷徹な判断ができる美夜がいたお陰で、生まれ落ちた幼体全てを焼き殺せたが、避難してきた生存者からソレが生まれてきた時、学校中に悲痛な絶叫が響き渡っていた。
 …もし美夜がいなければ、どうなっていたか。
 また同時に、俺達や廣野達のような、異常事態に圧倒的な暴力や深い知識で対処できる人間がいなければ、きっとこの避難所は内外から破滅していた。それだけでなく、色々な奇跡的要因が重なっていなければ、今こうして人々が手に手を取り合って無事過ごせてはいなかった気がする。
 簡潔な報告で、分析班はニコチンを利用した水溶液による洗浄で、奴らの精子をほぼ死滅させられることを確認したとして発表を締めくくった。娘を奴らに凌辱された一人である国木田さんが、漏らす。
「…娘は、人の子をまた産めるでしょうか?」
 座ったまま震える声で呟いた悲痛な言葉。
少し離れた席で嗚咽するのは国木田さんと同じく、災害時に奴らに娘や妻、家族を蹂躙された薬剤管理班に所属する本村さんだった。
 黙って、しかし強くうなずく分析班に、顔を覆って嗚咽する本村さん。その他、この場にいる女性にとって他人事でなく、また同時に娘を持つ父にとっても、これは決して他人事ではない懸案事項だった。現在第二校舎に設けられた病室で治療を受けている人々の大半が、奴らに凌辱を受けた人々だからだ。
 ――一旦停止した会議の進行。その空気を全く読まず、隣にいる皆人が前を見つつ真面目な顔で質問してくる。
「ところで、ニコチンってタバコのアレだよな。吸うヤツ。どうやってアレからニコチンだけを抜き出すんだ…? 水に漬けるのか…?」
「多分蒸留とか…そこら辺じゃないのか。というか俺に聞くな。廣野に聞け」
「俺に振ってんじゃねーよ刻貴に聞けよアホか」
「…?」

 俺達の視線が向けられた事を怪訝に思ったのか、刻貴が訝し気な顔で見返してくる。何か言いたげだったが、余計な発言は会議の妨げになると思ったのか、軽く咳払いをして話を戻そうとした、その時だった。
 学校中に甲高い警鐘が鳴り響く。
 奴らが、そこまで来ている。

「SF」の人気作品

コメント

コメントを書く