そして黎明に至れず

辻路長見

プロローグ

そして黎明に至れず 地を這う者どもの依す処

Ⅰ.
 鳥の鳴き声もない快晴。雨上がりの涼やかな昼前だった。
多少湿気てはいるが、それが返って程よい肌心地とさせている。白衣ではそろそろ暑く感じる季節だ。
 日差しは適度に体を温め、メラトニンの分泌を抑えて覚醒を促し、生活リズムを整えてくれる。
 最近は奴らの駆除も進んで安全確保ができてきたとはいえ、未だに敷地外では何が起こるか分からない。
 周囲の安全を確認し、手を上げてOKサインを出す。途端に勢いよく門から飛び出す子供たち。
 遅れて作業着姿の木材を担いだ大人達が、軽く会釈しつつ門から出ていく。こちらも返しつつ、子供たちの後ろをついていく。
「あまり遠くへ行くなよー!」
 ひび割れた街路の隙間から繁茂する雑草も、見慣れたものだ。
 しばらく歩くと公園が見えてくる。遊具にかじりつく子供たちを遠目に、塵を払ってから手頃なコンクリ塊に腰を下ろす。
 この時間は自身の軽い休憩も兼ねているため、軽く目を瞑ろうとする――と、遊んでいた筈の子供たちが駆け寄ってくる。なんだ。
「せんせー! 剣術教えてよ!」
「今は授業の時間じゃないだろう? それに俺の担当は体育ではない」
 この場所に遊びに来てからさほど時間も経っていないだろうに、どこから見つけてきたというのか。
 男の子も女の子も、長さこそまちまちだが鉄パイプや木の枝、棒を手にしている。
「早く強くなりたいんだ! 父さんや母さん、みんな守れるぐらい強く!」
 瞳に宿る光は真剣そのもの。幼さゆえの無垢な眼差しが眩しすぎる。
 腰に差した刀に少し意識を向けつつ、言う。
「それにしたって、単純な剣術しか使えない俺より強い奴はいる。
 魔術に加え槍術にも優れている刻貴、敷地に結界を張り続けている美夜、化学知識を持ち、様々な家電機器の修理を行える皆人もそうだが、俺から単純な剣術を習うよりも、今受けているいくつかの授業を反復して学習した方がいい」
「でも刻貴先生は『ここではあいつが一番強い』って言ってたよー」
「……あいつ……」
 別に教えるのが面倒な訳ではない。ただ、彼らが求める強さを自分では提供できないと思ったから、こういった物言いになってしまっている。
 正直に言えば俺が使う剣術流派は、かつて義母から教わったものだが、術理の意図する所や理念は知らない。現在まで鍛錬こそ欠かさなかったが、とてもではないが人に教えられるものではないのだ。
 ……確かに華々しい物語の主役達は剣や刀を使う。それは剣が分かりやすい武力や権威の象徴として古くから認知されてきた為だろうが、実際の戦闘においては剣の間合いの外から攻撃できる槍に有利性がある。弓や投擲に関しては、言うまでもないだろう。
 反撃を許さない遠距離からの一方的な攻撃こそ、戦闘を終始有利に、安全に運ぶための基本である。武術の流派にはそもそも型ではなく兵法があり、それを教える所から始まる。少なくとも俺はそうだった。
剣術は一朝一夕で身につくのものではないし、中途半端に覚えても状況判断を妨げ、かえって足手纏いになる。
 俺は幼少時に義母から叩き込まれた為、ごく自然に使えるが目の前の彼らはそうではないし、そもそも基礎体力自体できあがっていないし、剣――いや、刀は存外に重いのだ。
 そこに教練を加えるとなると、彼らの体力も鑑みて綿密に授業日程を組んだ刻貴が苦しむ。ただでさえ資材の運用に食糧の調整や各作業班との折衝など、進んで多くを背負いこんでいる友人の責務をこれ以上増やしたくない。本人は否定するかもしれないが、疲労は見えないところで蓄積していくものだ。
 健常者を蝕むのは、傷と病だけではない。
 かといって、それを説いたところで子供たちが解放してくれるとも思えなかった。
「いいじゃないキリヤ。教えてあげたら?」
「ベルちゃんいいこと言う! 今日もカワイイ!!」
追随するような快哉。それに「ふっふー。褒めたってご飯増えないわよーん?」と、間延びした声で返す。
「気軽に言ってくれるなよ」
声に振り返ると、陽光を反射する金髪が眩しい。碧眼に美女と呼んで差し支えない顔立ちの女性。
セーターにロングスカートの、俺の幼馴染でもあるベル=クラウフォウトがそこにいた。
あらゆる場面で数は力だ。
俺が折れた方が、あまり時間も無駄にならずに済むだろう。
「……わかった。だが、まずは基礎訓練だ」
「「「やったー!」」」
 腰から刀を抜く所作をし、正眼に構える。実際には抜いていないが、刀の質量を想定して力を籠める。
 俺の動きに、そこにない刀を幻視したのか、息を飲んだ少年達の視線が集まる。
「大雑把に言えば、武器というものが最大威力を発揮するのは、振り回す事で発生する遠心力、慣性をつけ質量を乗せて殴るといった動作があってこそだ。だが、いつも都合よく武器を振りかぶる事が出来たり、敵との間合いが適度に開いているとは限らない。逆に、近付けるとも限らない。
 最良は、そもそも気付かれる前に不意打ちで倒す事だ」
 剣を教えると言っておきながら、いきなり正面から敵を倒す技術である剣術を否定するような事を言ったが、大事な事なので重ねて言っておかねばならない。
個体によるが、そも腕が長く人間でいう中距離が奴らの間合いである事もある。それに、一旦奴らに組み敷かれれば人の力では振りほどく事はほぼ不可能と言っていいし、体格が違いすぎる場合がほとんどだ。加えて麻痺毒、酸などを使う個体も少なくはない。
 だから、これから教えるのはあくまで非常手段なのだという前置きだ。
「では気付かれた場合どうするか? を解決する手段が剣術になる。
都合よく逃げられればいいが、逃げられない事もある。そういう場合は相手が容易に攻めてこれないように、『ここへ踏み込めば攻撃する』と分かるような壁、場所を作るんだ。
それが、構えだ」
 もう何度も行い慣れた、仮想敵を設置。
 敵の位置はほぼ眼前、俗に一足一刀の間合いと呼ばれるものだ。
 構えは正眼。人を想定――しようとして、いつもの自分の訓練ではないと思い出して変更。
「基本中の基本だが、そもそも剣を持っていても自分の攻撃が届く範囲に近寄るな。それは相手の攻撃も届く範囲という事だ。最低でも5メー…いや、体感20歩以上は離れておくことを心掛けろ。
あと言うまでもないとは思うが、敵に見つかったと分からなければ構えてはいけないぞ?」
 言いつつ、子供たちに向き直り、俺自身を指さす。聡く、俺の表情から自らを仮想敵とせよという事を言うまでもなく理解した子供達が俺を包囲。言葉を守り、おおよそ20歩以上の間合いで取り巻いた。
俺の構えを真似するように剣に見立てた棒切れや枝を掲げる子供達。顔つきこそ真剣そのものだったが、ただ得物を持ち上げて前に突き出しているだけといった風で、微笑ましいものだった。
こういう集中や気概を茶化してはいけない。
「ただ剣を持ち上げるだけでは、構えにならない。もしも敵が突進して来たら、そのまま突いて攻撃できるようにするんだ。イメージとしては、剣を相手との間に置く、添えると考えろ。
 身長差次第ではあるが、例えば人の形をしたモノが相手ならば心臓にも頭にも、そのまま大きく動かさずに突いても重症を負わせられる喉などに切っ先を置け」
構えについて補足すると、途端に何人か、俺の腹や膝に向けて棒切れを握りなおす子達がいた。
素直さからくる飲み込みは早い。教育は幼い内からする事が重要だといつも気付かされる。
「敵を目にしたら、その敵にだけ捉われるな。目を離せないなら耳を使って微かな音も聞き漏らすな。そして敵が襲い掛かってこようと体に力を籠めるのが見え、跳びかかってくる瞬間に――」
 筋肉を撓め、軽く殺気を籠めると、気圧されたように唾をのむ音。
完全に呑んだ瞬間を見計らい――
「全力で逃げろ!!」
 叫んで踵を返し全力疾走。
30メートル程は疾走して振り返ると、呆気にとられたように口を開いた子供達の顔が並んでいた。
一拍して事態を理解した子供たちが怒り心頭といった顔で駆け寄ってくる。
「それ剣じゃなくて、ただの逃げる方法じゃん!」
「そうだ。でも俺はお前達からまんまと逃げおおせたし、全然反応できなかっただろ?」
 ぐ、と文句を言い難そうに固まる子供達。
「生き残る事を優先しろ。剣術はまだ早い。生きていなければ、何もできないんだからな」
 それまでは俺達が守る、という言葉は飲み込んだ。他者を守りたいとして教えを乞うてきた事を無駄だとするような言動は控える。諭すような言葉に、言外の意味を飲み込んだがのか、落胆したような子供の顔。どうせ曇らせてしまうなら、まだ早いとして諦めさせた方がいい。
だが、完全に諦めさせる必要はない。
「もう少し。もう少し体力をつけるんだ。そうすれば、俺は必ず教える。実際、常に地の利を確保する為にも、咄嗟に動くための体力や筋力は必要だ。だから架上先生の体育をちゃんと受けるんだぞ?」
「ほんと? 忘れないでね、絶対だよ」
「約束だ。忘れるものか」
 意気を挫かれ、消沈して遊びに戻る子供達。その背中を見て、俺はフォローすべき機会が分かっていても、投げかける肝心の言葉がなってないな、と思った。もっと彼らに希望を持たせる言い方や、やり方はなかっただろうか? コミュニケーションに不自由している訳ではないが、言葉を選ぶことはいつも難しい。
そういえば今日は廣野との約束で俺の訓練でもある、一日に一度の冗談をまだ言ってなかった。
…さっきの会話に混ぜればよかっただろうか? いや、言っても怒りを煽っていただけな気がする…
「今日も何事もなさそうだね」
「できれば、こういう日がもっと続けばいいんだが」
風に乱れる髪をかきあげながら歩いてきたベルの言葉に、そう返してしまう。
願望を込めた、呟きのような返答だった。
こんな台詞を聞けば、誰でも分かってしまうだろう。
平和な日々が既に望むべくもない事が。街の中で、安全を確保し続けなければ普通に出歩くこともできない、今の異常さが。
 平和が、人が人として歩くことのできた世がどれほど大事なものであったか、今だからこそ痛感できる。失った人々を悲しみ悼む余裕もないからこそ、焦がれてしまうのだ。
…それでも、俺達は生きなければならない、この――

広がる廃墟。
排水設備が壊れたために、酷く濁った水たまりが多い。高層ビルの窓ガラスが割れているのは暴徒によるものではなく、単純な風化によるものだ。
 あれから、一年。僅かと言えなくもない期間に関わらず、植物の繁茂は著しく、建物の劣化は著しい。
 人の管理を喪った都市は衛生的にも物理的にも、非常に危険な場所と化していた。

 ――人が覇権を喪った星で。


 2017年。突如として現れた化け物どもによって、人類は衰退、滅亡の危機に瀕していた。

 頭足類、蟲、爬虫類、群体生物、姿形は様々で人に極めて似た異形もいた。
 彼らは人や動物の中から、或いは死体から生まれて人々に襲い掛かり、その数を増やしていった。
 前例なく降って湧いた化け物達に、繁栄と平和を享受していた人々には対処する術などなく、瞬く間に市街は阿鼻叫喚の地獄絵図となり果てた。
 情報網が機能消失する寸前にも、政府からこの事態に関する公式声明の類はなかった。
 結果、SNSを介して『人が化け物となる』、『少なくとも世界中の各都市で同時多発的に起こっている』等の断片的な情報しか知ることが出来なかった為、未知の存在に対する対処は遅れに遅れ、多くの犠牲者を出してしまった。
 辛くも生き残った人々は寄り添い、限られた物資を持ち寄って小さな共同体を築いての、過酷な環境での生存活動を余儀なくされた。

 2018年現在。国家という意思決定機関が消失し、遠方と情報のやり取りもほぼできない今、誰もこの事態を解明はおろか説明もできず、当然名づけられる者などもいなかった。

 故に、この災害にまだ名前は無い。

 俺の名前は刃鳴斬哉。
 この高城大付属小学校避難所にて、似非セラピストを務める男だ。

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