山賊団リベルタス
11 蝶
デンテは石で舗装された大通りの真ん中に立っていた。
流れ行き交う人ごみの中。道路沿いは、甘いパンやソバのクレープ、生の果物などを売る出店で賑わっている。その奥には、七階建て、八階建ての建物が立ち並んでいる。狭い空は青く、ぼやけた雲が浮かんでいた。
今日は、――の日だ。
デンテは、この場所を知っていた。かつて、物心の着く前の幼い時分に、デンテはこの場所で暮らしていた。首都グラディウム。皇帝の住まう城を持つ城下の街。百万人都市の異名を持つ、帝国最大規模にして最高の人口と人口密度を誇る交易都市。帝国全土から小麦や特産品が集まる物流拠点。そして、人と文化さえ交わり共存する。すべてのものの集積地。ここへ来れば、この世のあらゆる物が手に入る。ただし、金さえあれば。
光と闇。富裕と貧困。栄光と失墜。清濁あわせ持つ全ての事象の坩堝。
デンテは、自分の立つ、この道を知っていた。
動悸と呼吸が加速する。暴れだしそうな程の焦燥感と絶望にも、覚えがあった。
いやだ、やめてくれ!
いてもたってもいられずに、人のより多く集まる広場へと走り出した。
踏み出す一歩ごとに、身体が縮んでいく。両手足は細く、細く、骨の浮き出るほどに。
小さくやせ細った身体で人ごみを掻き分け、大人の足の間をくぐり抜ける。群衆の先頭にたどり着いた。視界が開ける。
群衆が取りまいていたのは、広場中央に用意された処刑台だった。
観客達が見守る中、亜麻色の髪を持つ若い男が引っ立てられて来た。腕と足首に鎖が巻かれている。男は、処刑台の上に登らされ、無理やり跪かされた。表情のない顔で遠くを見つめている。
父ちゃん!
デンテは力いっぱい叫んだ。しかし、その喉は音を発さなかった。
とても大きくて、華美な装飾を施された斧を持った男が、デンテの父の後ろに立った。死刑執行人は、頭髪の禿げた中肉中背の男だった。腹は出ているが、腕の筋肉だけは異様にある不均衡な体つきをした目つきの悪い男だった。
処刑台の後方、少し離れたところに、一段高い座席が用意されている。貴族の観覧席だった。煌びやかな服装の老若男女の貴族がいる。その中の一人が、処刑に至る罪状を述べていく。明らかに貴族とわかる、豪奢な服装の白髪の老人だった。
やめて! 父ちゃんは、何も悪くない! 騙されただけなんだ!
デンテの声は届かない。デンテの心の中で響くだけだ。駆け寄ろうとするが、群衆に取り押さえられて近づくことも出来ない。
なんで、嫌だ! 父ちゃん! お願いだから、父ちゃんを殺さないで!
死刑執行人が、大斧を振り上げた。
デンテは、凶器を持つその男の顔をはっきりと見た。
狂ったように嘲り笑うその顔は――茶髪の少年、レオニスのものであった。
え?
大斧は無情に振り下ろされる。斬首された首は飛び、血しぶきが吹き上がった。群衆の雄叫びがあがる。処刑というイベントは最高潮に盛り上がっていた。
エメラルドグリーンの光。
暗転。
デンテが目を開くと、見慣れた天井が映った。
いつも寝起きしている子ども部屋の自分のベッドから見たそれだった。
――夢か。
深く息を吐き出した。酷く汗をかいている。心臓が早鐘のように打っていた。
こんな夢、久しぶりに見た……。でも、なんであいつが。……昨日、あんな話聞いたからかな。ありえんだろ。
五年前の父親の死刑執行人がレオニスだったなんてことはありえない。バカバカしいただの夢だ。
こんな馬鹿げた夢を見たのには、昨日の噂話が少なからず影響してるだろう。
『バカバカしい。レオニス君が王太子で、王様と王妃様を……両親を斬りつけた? そんなことあるわけないじゃない』
『でも、可能性がないわけじゃありませんね』
『お前らもせいぜい気をつけるんだな』
団員達の言葉が浮かんでは消えていった。
デンテ自体は、この件に関してどう思っているのだろうか。
『あんなヤツ、何考えてるか分かんねえ不気味なヤツとしか思ってねえよ!』
昨日、自分で言った言葉が思い出された。
オレは――
ふと、デンテの思考は視界の端に映った動きに中断された。
「パウル、起きてたのか。まだ起きる時間には随分あるぞ」
いつも寝坊助のパウルが、ベッドから起き上がり宙に手を伸ばしている。その伸ばした手の先では、
「――蝶? 部屋の中に入って来ちまったのか」
エメラルドグリーンのアゲハ蝶がひらひらと舞い踊っていた。
「ちょうちょ! デンテにい、ちょうちょだよ!」
パウルは蝶を追いかける。蝶は窓の傍を行ったり来たりしている。
「あれ、そういえば、昨日ちゃんと窓閉めて寝たよな」
十月に入り、朝晩はすでに随分冷え込む。窓が開いていれば、すぐに気づくはずだった。つまり、少なくとも昨日の夜確認した以降、窓はずっと閉まっていたはずだ。必然的に、紛れ込んでいたとしたら、それ以前だということになるが、当然、昨晩部屋で蝶を見た記憶はない。そもそも、この時期に蝶がいること自体稀であった。皆無といっていい。
「ねえ、デンテにい。ちょうちょ、出してって言ってる」
「お、そうか? わかった。待ってろ、今窓開けてやるから」
デンテが窓を開けると、そこから蝶はひらひらと舞って外へ出て行った。デンテとパウルの二人は、窓の外の蝶を目で追いかけた。
ようやく朝日が顔を出し、冷たい空気を照らし始めていた。わずかばかりの庭の先には、カースピット山の広大な森が広がっている。
「ん? あれ、あいつ何してるんだ?」
デンテは、人影を見つけた。茶髪の少年。レオニスだった。庭を歩いていたレオニスは、辺りをキョロキョロと伺っているようだ。
そして、そのまま森の中へと消えていった。
少し早いが朝の水汲みだろうか、と考えて首を振った。水龜を持っていなかった。それに、はっきりと確認できたわけじゃないが、佩剣していなかったか?
そこまで考えて、デンテは弓と矢を引っつかむと窓枠に足をかけていた。
「デンテにい、どうしたの!?」
「パウル、いいか。オレはレオニスを追いかける。誰かに聞かれたらそう答えといてくれ」
じゃあ頼んだぞ、と念を押し、窓枠を飛び越えると、デンテはレオニスを追って森の中へとわけいるのだった。
流れ行き交う人ごみの中。道路沿いは、甘いパンやソバのクレープ、生の果物などを売る出店で賑わっている。その奥には、七階建て、八階建ての建物が立ち並んでいる。狭い空は青く、ぼやけた雲が浮かんでいた。
今日は、――の日だ。
デンテは、この場所を知っていた。かつて、物心の着く前の幼い時分に、デンテはこの場所で暮らしていた。首都グラディウム。皇帝の住まう城を持つ城下の街。百万人都市の異名を持つ、帝国最大規模にして最高の人口と人口密度を誇る交易都市。帝国全土から小麦や特産品が集まる物流拠点。そして、人と文化さえ交わり共存する。すべてのものの集積地。ここへ来れば、この世のあらゆる物が手に入る。ただし、金さえあれば。
光と闇。富裕と貧困。栄光と失墜。清濁あわせ持つ全ての事象の坩堝。
デンテは、自分の立つ、この道を知っていた。
動悸と呼吸が加速する。暴れだしそうな程の焦燥感と絶望にも、覚えがあった。
いやだ、やめてくれ!
いてもたってもいられずに、人のより多く集まる広場へと走り出した。
踏み出す一歩ごとに、身体が縮んでいく。両手足は細く、細く、骨の浮き出るほどに。
小さくやせ細った身体で人ごみを掻き分け、大人の足の間をくぐり抜ける。群衆の先頭にたどり着いた。視界が開ける。
群衆が取りまいていたのは、広場中央に用意された処刑台だった。
観客達が見守る中、亜麻色の髪を持つ若い男が引っ立てられて来た。腕と足首に鎖が巻かれている。男は、処刑台の上に登らされ、無理やり跪かされた。表情のない顔で遠くを見つめている。
父ちゃん!
デンテは力いっぱい叫んだ。しかし、その喉は音を発さなかった。
とても大きくて、華美な装飾を施された斧を持った男が、デンテの父の後ろに立った。死刑執行人は、頭髪の禿げた中肉中背の男だった。腹は出ているが、腕の筋肉だけは異様にある不均衡な体つきをした目つきの悪い男だった。
処刑台の後方、少し離れたところに、一段高い座席が用意されている。貴族の観覧席だった。煌びやかな服装の老若男女の貴族がいる。その中の一人が、処刑に至る罪状を述べていく。明らかに貴族とわかる、豪奢な服装の白髪の老人だった。
やめて! 父ちゃんは、何も悪くない! 騙されただけなんだ!
デンテの声は届かない。デンテの心の中で響くだけだ。駆け寄ろうとするが、群衆に取り押さえられて近づくことも出来ない。
なんで、嫌だ! 父ちゃん! お願いだから、父ちゃんを殺さないで!
死刑執行人が、大斧を振り上げた。
デンテは、凶器を持つその男の顔をはっきりと見た。
狂ったように嘲り笑うその顔は――茶髪の少年、レオニスのものであった。
え?
大斧は無情に振り下ろされる。斬首された首は飛び、血しぶきが吹き上がった。群衆の雄叫びがあがる。処刑というイベントは最高潮に盛り上がっていた。
エメラルドグリーンの光。
暗転。
デンテが目を開くと、見慣れた天井が映った。
いつも寝起きしている子ども部屋の自分のベッドから見たそれだった。
――夢か。
深く息を吐き出した。酷く汗をかいている。心臓が早鐘のように打っていた。
こんな夢、久しぶりに見た……。でも、なんであいつが。……昨日、あんな話聞いたからかな。ありえんだろ。
五年前の父親の死刑執行人がレオニスだったなんてことはありえない。バカバカしいただの夢だ。
こんな馬鹿げた夢を見たのには、昨日の噂話が少なからず影響してるだろう。
『バカバカしい。レオニス君が王太子で、王様と王妃様を……両親を斬りつけた? そんなことあるわけないじゃない』
『でも、可能性がないわけじゃありませんね』
『お前らもせいぜい気をつけるんだな』
団員達の言葉が浮かんでは消えていった。
デンテ自体は、この件に関してどう思っているのだろうか。
『あんなヤツ、何考えてるか分かんねえ不気味なヤツとしか思ってねえよ!』
昨日、自分で言った言葉が思い出された。
オレは――
ふと、デンテの思考は視界の端に映った動きに中断された。
「パウル、起きてたのか。まだ起きる時間には随分あるぞ」
いつも寝坊助のパウルが、ベッドから起き上がり宙に手を伸ばしている。その伸ばした手の先では、
「――蝶? 部屋の中に入って来ちまったのか」
エメラルドグリーンのアゲハ蝶がひらひらと舞い踊っていた。
「ちょうちょ! デンテにい、ちょうちょだよ!」
パウルは蝶を追いかける。蝶は窓の傍を行ったり来たりしている。
「あれ、そういえば、昨日ちゃんと窓閉めて寝たよな」
十月に入り、朝晩はすでに随分冷え込む。窓が開いていれば、すぐに気づくはずだった。つまり、少なくとも昨日の夜確認した以降、窓はずっと閉まっていたはずだ。必然的に、紛れ込んでいたとしたら、それ以前だということになるが、当然、昨晩部屋で蝶を見た記憶はない。そもそも、この時期に蝶がいること自体稀であった。皆無といっていい。
「ねえ、デンテにい。ちょうちょ、出してって言ってる」
「お、そうか? わかった。待ってろ、今窓開けてやるから」
デンテが窓を開けると、そこから蝶はひらひらと舞って外へ出て行った。デンテとパウルの二人は、窓の外の蝶を目で追いかけた。
ようやく朝日が顔を出し、冷たい空気を照らし始めていた。わずかばかりの庭の先には、カースピット山の広大な森が広がっている。
「ん? あれ、あいつ何してるんだ?」
デンテは、人影を見つけた。茶髪の少年。レオニスだった。庭を歩いていたレオニスは、辺りをキョロキョロと伺っているようだ。
そして、そのまま森の中へと消えていった。
少し早いが朝の水汲みだろうか、と考えて首を振った。水龜を持っていなかった。それに、はっきりと確認できたわけじゃないが、佩剣していなかったか?
そこまで考えて、デンテは弓と矢を引っつかむと窓枠に足をかけていた。
「デンテにい、どうしたの!?」
「パウル、いいか。オレはレオニスを追いかける。誰かに聞かれたらそう答えといてくれ」
じゃあ頼んだぞ、と念を押し、窓枠を飛び越えると、デンテはレオニスを追って森の中へとわけいるのだった。
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