異世界から「こんにちは」

青キング

歴代No.2剣士の放浪記―虚無の宝石-

 深夜、人の往来が途絶えた街は静寂の二文字がとても似合っている。
 しかし時代遅れな剣士は、街の静寂にとけ込めないほど胸中が穏やかでなかった。
 三階の宿泊室の窓から飛び降り、音を立てず石敷の街道に足をつけた。
 実に板についた身のこなしだった。
 剣士は発起したように駆け出した。
 ナバスを抜け、農道を突っ切り、森を縫っていく。
 休む暇がないのかと思わせるほどに、彼は急いでいた。
 突っ走り、森の中にぽつんと拓けた場所に出た。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 彼は顔を挙げず、膝に手をついて呼吸を整える。
 しだいに呼吸が整い出して、顔を挙げて前を見る。
 疲れからか、いつもは見える暗闇での視界が大変悪くなっていた。

「くそ、何も見えん」

 珍しく悪態をついた。
 万が一のために持ってきていた光の魔石を、ごそごそ懐から取り出して点灯させる。
 彼の手が届く範囲しか照らせなかったが、ないよりかは安心だ。
 魔石で照らしながら、暗闇を進んでいく。

「この辺りに格子があったはずなのだが……おお見つけた」

 彼の足が赤錆まみれの鉄格子前で止まり、光を当てる。
 記憶とかけ離れた格子の状態に、魔石を握りつぶしたくなるくらいの怒りを彼は覚えた。
 暗くて見えなかったが、奥の屋敷もそこらじゅうが劣化し廃墟となっていることは想像に難くなかった。

「面影すらも見させてくれないのか……」

 言っているのか言っていないのか判然としない、気力の感じられない小声で呟いた。
 彼の愛した少女の豊かな表情も記憶の中にしか存在せず、以降種類は増えない。
 認めたくはないが、そう彼は痛感する他なかった。
 月明かりの届かないのは、森だけでなく彼の心もであった。


 宿泊室のベッドで青年は、指を組み合わせて伸びをした。

「んー、あぁー。よく眠れた」

 と青年は言うものの、今日は曇り空で陽光は入斜してこない。部屋も少し暗ぼったい。
 青年はベッドから起き上がり、剣士の寝ているはずのベッドに足を向けるが__

「あれ、いない」

 ベッドに剣士の姿はない。
 しかし青年はトレーニングにでも出掛けてるんだろう、と安易に結論づけて気にしなかった。

「とりあえず着替えて、待ってよう」

 着替え終えてしばらくしても、剣士は戻ってこない。
 青年はちょっと不安になり、姿を見た人はいないかと思い、人のいそうな宿屋の最階下にあるロビーに足を運んだ。

「そうですか、見てませんか。すみませんでした、お邪魔してしまって」

 ロビーで管理人に見てませんか、と尋ねたが首を横に振られただけだった。
 どこに行ったんだろうよりも、何で誰にも姿を見せずに出掛けたんだろう、という疑問の方が先に出てきた。

「ひとまず、近くだけでも捜しに行こう」

 武器も金も持たずに、青年は宿屋の古めかしいドアをそっと押し開いて、剣士を捜しに街に繰り出した。


 雨が木々の葉を叩く音が、朝の森で異様に際立ってきた。
 鳥のさえずりも小動物が蠢きもなりを潜め、森は茫々とした常緑樹の乱立地帯になり変わっていた。
 その中を、悲しみに明け暮れてそぞろ歩く剣士の姿があった。
 彼の瞳は百年前の情景を、ありありと映し出していた。
 髪は濡れそぼり、服は水を染み込みよぼよぼになっていて、憔悴しきった有り様だ。
 それでも雨は降り続ける。
 降るならどしゃ降りになれ、と彼は雨にさえ自棄になっていた。


 灰色に塞がった空の下、青年は周辺で思い当たる限りの場所を訪ねたが__剣士の訪れた痕跡は見つけ出せなかった。

「出掛ける前にせめて、一声掛けてくれればいいのに」

 時間が経過するごとに、街を行く人の数は増えていく。
 捜し回った挙げ句、青年は宿屋に戻って来てしまった。
 ふと、思い出す。

「そういえば、今日の10時までには宿屋から出てかないと、追加料金払うことになるんだった。荷物を全部持ち帰らないと」

 重そうだなぁ、と億劫に思いつつ、年季の入った宿屋のドアを優しく開けて入った。
 __あれ?
 例によってのロビーなのだが、管理人がいない。
 ドアがドタン、とひとりでに閉まった。

「ヒャヒャヒャ、あっさり掛かりやがった。つまんねぇぜ」

 どこからともなく、鼻につく少し高めの男の声が、青年の脳に直接響いてくる。
 青年は体をビクッとさせ、唇を震わせる。

「だ、誰?」

 怯える青年が絞り出した誰何に、謎の声は調子を変えず鼻を鳴らす。

「ヒッ、そんなん聞いても意味ねぇぜ」
「何で……?」
「じゃ、さいならー」

 背後から首筋に、短兵急な掌底を喰らったみたいな感覚に襲われ、スゥーと体の力が外へ逃げていった。
 立つ力を失い、浅いぬかるみに刺した棒きれのように、つっかえなく倒れ伏した。


 太陽が南に昇り、街の賑わいは一日の最高潮に達する。
 ひときわ賑わうのは、メインストリートの両端で多様の露店がひしめき合う市場だ。
 いろんな民族の人々が往来し、それらの気を引こうと叫んだり声を掛けたりする露店の商人達。
 一見、どこにでもありそうな市場の風景だが人が集まる故、金品目的の悪事(例えばかつあげや強盗)を行う者も少なくはない。
 そんな多事多難の市場を、瞳の光は失われ精魂尽きた表情の剣士が人混みに紛れて、茫漠と足を進めていた。
 雨に打たれていたかった、と性に似合わず叙情的になっていた。
 頭の片隅だけでも青年の事を考えていられないほど、剣士の脳裏に愛した少女の姿が大いに映し出されていた。
 剣士の肩に、駆け足に木箱を背負った年若い運び屋の肩がぶつかる。

「あっ、すいません」
「…………」

 肩がぶつかっても謝りも怒りもしない剣士に、運び屋は不審に思いつつも簡単に一礼して走り去っていく。
 剣士はその場に立ち止まって、物寂しげに顔を伏せた。
 __俺は何故こんなところに?
 自分の行動にさえ、疑問を持ち始めた。
 もう取り戻せないとわかっている事実が、彼の心をますます腐敗させていく。
 手腕が届かない。手繰り寄せることもできない。
 虚無の宝石、手に入れることなど不可能な実態のない物。
 彼は人の流れにいる自分が疎ましく感じて、手近の薄暗い路地裏に力ない足取りで歩んでいった。
 その行動が、時間の流転から逃げているように暗示してみえた。








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