異世界から「こんにちは」

青キング

殺し屋の交錯

 鬼の仮面を被った怪奇な青年は、護衛対象の家の周辺に大きな魔力の存在を感じ取った。

 __ついに、お出ましか。

 彼は今居た住宅の屋根から、ふわりとした動作で先の屋根へと跳躍し、感じ取った魔力の存在の所まで急いだ。
 だが、住宅を三軒越えたところで、つと動きを止める。

 __存在が消えてる? どうやって魔力を隠したんだ?

 近辺を注意深く見渡す。やはり、魔力の存在は消えている。
 彼は警戒に目を走らせたまま、通信機を口に近づけた。

「応答してくれ」

 短いノイズの後、気抜けした女性の声が彼に応答する。

『なに~?』

 女性が寝起きだと言うのに気がついていることは構わず、簡潔に報告する。

「さっき護衛対象の自宅周辺で、間近に魔力の存在を感知した」
『それで、その魔力の存在は? まだいるの?』

 女性の声に緊迫が増して、事態が差し迫っていることをかんじさせた。

「消えた、一瞬でな」
『消えた? どんな魔法なのかな……うそ!』

 通信していた女性が疑問を呈しようとした時、不意に驚嘆した声が通信機に聞こえた。

「どうしたんだ!?」
『この家の中にいる!』
「なっ……」

 機械がひしゃげるような音のあと女性との通信が途絶してしまい、以来彼の通信機に応答はなかった。


 ほんのり自分の体温で温かくなった敷き布団の上で、紺之崎青春は特殊な金縛りに襲われていた。
 唯一動く目だけを懸命に走らせ、彼女は可視できる範囲を見回した。
 布団の傍には外部からの何かで破壊された通信機、背後の謎の魔力。
 突然、首筋に強烈な打撃を食らい、紺之崎の身体はぐったり横に倒れる。
 靄がかかったみたいな意識の中で彼女は、痛みに喘ぐこともなく声を絞り出す。

「誰なの……」

 か細く出された誰何に、彼女の背後の魔力は仕方なさそうに答えた。

「ごめんね、君がいると邪魔なんだ。妹を迎えに来ただけだから、すぐに帰るよ」

 魔力が喋ったわけではない。見えなくも誰かいるのだ。そして、紺之崎を魔法で金縛り状態にさせたのもこの誰かである。
 魔力を持つ誰かが口にした台詞を耳にする前に、紺之崎は気を失っていた。
 わずか八秒の出来事だった。


 現実世界の静夜で魔法使いの少女誘拐が進行されていた頃、異世界でも静夜の闇に隠れた喧騒が、街の外れの農地で繰り広げられようとしていた。

「ここですよな、ユリリン隊長」
「そうみたいだねぇ~」
「隊長、やる気あるんですか?」
「うん、あるよ~」

 ユリリンと男の部下に呼ばれたライムグリーンの髪を側頭部の片方だけポニーに結わえた少女は、片手を手首から起こさせただけで、隣にいた部下が防護魔法の施されたマントを引っ張られるように後方にふき飛んで、背中を樹木の幹にしたたかぶつけた。

「笑顔で、突き飛ばさないでください」

 男の部下は唸ってそう言い、むくりと起き上がり服についてしまった砂利をパッと払い、楽しそうに肩を揺らしているユリリンに任務内容を聞き確かめる。

「今回の殺害対象は、たしか元殺し屋でしたよね」
「うん! それもスッゴク強いんだってぇ」
「……なぜ隊長は殺しの任務だと、かえって嬉しそうにするんですか?」

 聞かれたユリリンは、人差し指を自分の頬に当ててんふふ、と小悪魔っぽく微笑み答える。

「だってさぁ、強い人とやり合うのって、なんだか気持ちいいでしょ?」

 人心を外れた美少女隊長の答えに、部下はある種の劣等感と恐怖感を五分五分に抱いた。

「でさー、あなたはここで待っててくれないかなぁ?」
「なぜですか」
「余分な干渉、されたくないから」
「……わかりました。ではここで待っておりますので、可及的迅速に任務を遂行させて戻ってきてください」

 部下の男が抱いた、ある種の恐怖感が殺害を厭わない少女の、何ともない台詞で大いに煽られた。

 それじゃあね~、と気楽な声で部下と別れてユリリンは殺害対象の住む木造の長屋に気軽な足取りで向かった。


 粗野な布団で床に就いていたバルキュスは、屋外の酷烈な魔力を鋭敏に感じ取って跳ね起きる。

 __なんだ、この多大な魔力は?

 念のための危険に備えて、彼女はテーブルにあった果物ナイフを手に外へ駆け出た。
 彼女の目が警戒に細められる。

「何の用だ、こんな夜中に」
「用なんてないよぉー。ただ、遊びに来ただけですよぉー」

 バルキュスを臨戦態勢に身構えさせた多大な魔力の持ち主ユリリンは歩みを止め、アイドルみたいな声で尋問に応じた。
 バルキュスの警戒は、一層増大する。

「答えろ」
「……………んふふふ」

 ユリリンは突飛に笑いだす。
 笑い声が癪に障ったバルキュスは、眉間に不快さを顕して、

「答えろ」

 と、尋問を繰り返した。
 そんな彼女の心情など思い量ろうともせず、ユリリンは大仰に手振りを加えて「さっき言った通りですよぉー」と、無駄に高い女声で返した。

「変にうるさい声を出すな。子供たちがぐっすり寝てるんだ邪魔だ」
「心ではわかってるくせに。私が何をしに来たかなんて、気づいてるんでしょ、ねっ?」
「狙いはなんだ、って聞いたとこで教えてくれるわけないか」

 バルキュスの口元に不敵な笑みができ、彼女の台詞を挑戦的にする。
 ユリリンがわざと首を傾げて口を動かす。

「バルキュスさんでしたっけ、何でナイフに魔力を注ぎこんでるんですかぁー」

 __この女、体内の魔力の流れを透視できるのか? 厄介な女だ。

「ねぇー、聞いてるのー」

 顔を覗き込もうとするみたいに腰をかがめ、片手を上げる。

「用もないので、私は帰ります」

 瞬間、ユリリンは上げていた手を、右に払うように捻った。

「なっ!」

 同時に、バルキュスが手に持っていたナイフが払われた方向と同じに弾かれ、キンという音を立てて宙を舞う。
 ナイフが地面に刃身を接するより早くに、バルキュスは自身の左手首を歯で浅く切りつけた。
 切り傷から真っ赤な血がじわっと滲み出てきて、手首を伝い滴となって落ちていく。

照準ターゲット

 手首からの出血が凝結しハンドガンの形となり、ユリリンの額に赤黒い銃口が向いた。

「どこの誰だか知らないけど、今から指示通りに動け」
「血の造形魔法ですかぁ。初めて見ましたぁ」
「黙れ、しねぇと手始めにそのうるせぇ口から銃弾叩き込んでやる」

 少女が微笑を浮かべる口元に、血でできた拳銃の弾の出所を合わせる。
 バルキュスは指示した。

「まず、両膝と両手を地面につけろ」

 バルキュスの指示にも、ユリリンは無言で佇むだけだ。
 長髪の女性が、佇む少女を殺意のこもった瞳で睨み据える。

「あたしゃ殺しを厭わない。今日までも、何人殺したかしれない。必要ならば殺し続ける。お前はその中の一人に数えられたいのか」

 佇んでバルキュスの言葉を受け、ユリリンは無関心に口を開く。

「殺しかぁ、私も何人殺してきたのか数えらんないよ。一緒だね、殺し屋の先輩。殺しは厭わないよ、むしろ楽しんでるよ」
「てめぇ、クズか」

 そう発したバルキュスの視界が一変する。
 彼女は暗黒の世界に、ひっそりと立っていた。庭の時と同じ位置にユリリンも立っている。その背後で幾数か、人を張り付ける十字架が並んで立ててあった。
 張り付けにされている人物を目にして、バルキュスの全身の血の気が引いた。張り付けにされているのは施設の子供たちである。

「どの子から血まみれにして欲しいですかぁ? 選んでいいですよぉ」
「その子達に手を出すのは……やめてくれ」
「ごめ~ん、聞き入れませ~ん。どの子を一番に血まみれにするかは、私が選びますぅ」

 左手にナイフを生成し、右端の十字架にユリリンは近寄る。その十字架に張り付けられた五つくらいの男の子は、恐怖を顔に出すことなく虚ろな目をして遠くを見ていた。
 ナイフの刃身が、男の子の喉元に据えられる。

「いーち」

 ナイフは喉元を横に突っ切った。
 男の子の首がガクンと垂れ下がり、絶命した。

「あれぇ? やめてぇとかお願いとか、女々しく叫ばないのぉ? う~んそれなら、もういっちょ切りますか」

 隣の十字架で、身動きできない七つくらいの女の子の喉元に、次は逆手にナイフを持ち替え突きつける。

「にぃー」

 ナイフの刃先はむざむざと喉を通過した。

「やめてくれ、お願いだから。その子達だけは殺さないで……欲しい」

 バルキュスの弱りきった口調に、ユリリンは鼻で笑い、

「やめて欲しいですかぁ?」

 と、嘲笑まじりに問うた。
 バルキュスは力なく頷く。

「わかりましたぁ、そこまで言うなら解放してあげますよぉ」

 仕方なさそうな調子で言って、ユリリンは指を鳴らした。
 鳴らした音と同時に、張り付けにされていた子供達の手足を不自由なものにしていた留め具がガキンと外れ、子供達は解放され、その場に立つ力もないみたいに腰をストンと降ろした。

「お望み通り、解放してあげました」

 ユリリンの口元には、隠しきれない冷笑が微かに残っていた。
 子供達は震える脚で立ち上がり、哀絶に打たれ無気力に座っていたバルキュスに爪先を向ける。

「お前達……」

 近づいてくる子供達に、両腕を広げて抱きしめようとバルキュスは待ち構えた。目の端には涙も滲んでいる。

「人殺し」
「うん?」
「人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し」
「人殺しって誰のことかな?」

 バルキュスは感じることがなさそうに見ているユリリンに、訝しげに一瞥を送った。
 すぐに子供達に向き直り、

「あの人のことかな?」
「お前だ、人殺し。人殺し、人殺し……」
「私が? 冗談にも限度があるよ」
「殺してやる、殺してやる」

 一人の子供が吐いた怨念に満ちた言葉を、他の子も口にし始め膨れ上がり、暗黒の空間に忌々しく響き渡る。
 一人の男の子が、バルキュスの首に白く小さな両手を伸ばす。
 バルキュスの首は、脊髄が折れるのではないかと思うほど白く小さな手に締め付けられた。

「うっぐ…………」

 細くなった喉から、言葉にならない喘ぎ声を出して悶える。対抗手段で窮地を脱するのも、精神的な労を執った。
 精神崩壊は充分に済んだな、とユリリンは内心勝ち誇り、幻法の世界を自分の脳内から打ち消した。

「石像みたいになってますぅ」

 意識がまだ幻の中にあり、庭の芝に虚ろでへたり込んであり得もしない辛苦を味わっているバルキュスを、蔑視してユリリンは、

「幻法を破れないなんて、その程度なんですね。もっと、やりあえると思ってたのに、ざんね~ん」

 そして息の根を止める方法を、一本ずつ指を開いていき数え上げる。

「燃焼魔法で焼き殺す? それとも膨張魔法で内蔵を膨らまして体を破裂させる? はたまた殺生用の串で刺して標本にする? ああ、でもやっぱり、あれかな」

 ユリリンは生成魔法で短めのナイフを生成して、柄を逆手に握る。

「私よりも綺麗な部位にナイフを突き立てて、その場を去る。これだよねぇ」

 舐めるようにバルキュスの全身を見回して、刺す位置をじっくり考え決める。

「胸が私よりデカイから、谷間に刺して帰ろう」

 躊躇などさらさらなく、ユリリンはバルキュスの胸部の真ん中にナイフを垂直に突き立てて、その場で伸びをしながら背を向け、敢然と歩き去った。
 夜が明けるのは、まだまだ先だ。







































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