異世界から「こんにちは」

青キング

廃退した街

 ナバスの街から北へ山脈を二つ越えたふもと、意識を失っているピンク髪の少女を荷台に乗せた人力車がごとごとと荒れた山道をひた進んでいた。
 車夫の男が筋肉の出張った体で荷台を引きながら、気に入らないようにぶすっとして少女に付き添うこれまたピンク髪の青年に悪態をたらす。

「なんで俺様がこんなつまんねー仕事を、その女ひとりのためにやらなきゃいけねーんだよ」

 ピンク髪の青年は男の背中を睨んで言う。

「俺の妹だぞ。荷台をゆすったりぶつけたりしたらお前を焼き殺す、仲間だから実行したくはないがな」
「へいへい、妹思いのシャムさんよ」

 面倒そうに片手をひらひらさせた。
 人力車は山道を抜けた。視界が開け街に入る。
 風化し崩れかけたレンガの建物群、吐き気を催す汚れた空気、街路に転がる処理されないまま放置された廃棄物、要するに見棄てられ落魄した街だ。

「何年暮らしても、この異臭は慣れないな」
「もうすこしの我慢だぜ。本部につきゃ気にならなくなるからな」

 男の引く人力車が街の中央部にある天を衝くようなビルに到着する。
 黒い外面が鏡のような、街の悪環境からは想像し得ない新築のビルだ。
 表向きな入り口はなくピンク髪の青年は人力車から飛び降り、ビルの外面に左手の甲を翳す。
 たちまち黒い外面に人が通れそうなぐらいの丸ドア型の穴が空く。左手の甲に可視できない刻印を刻んだ関係者しか立ち入れられないようになっているのだ。
 シャムと呼ばれている青年が入っていき、男も人力車を引いて後に続いた。
 入ってすぐに穴が閉まり、広く真っ暗な空間の床が下に降りていく。
 十秒ぐらいの降下を経て止まると、青年と男の目線斜め上に後方からライトが当てられ暗闇のひととこを照らした。

「トウッ!」

 天井からワイヤーを垂らして、腰にきつく巻き付け固定したバスローブ姿の長身痩躯な男が、するすると降りてきて床に足をつけた。
 普段はオールバックの赤黒い髪が、湯上りでしめっている。

「例の少女は連れてきたか?」

 ワイヤーアクションで乱れたバスローブを直しつつ、呆然としている二人に鷹揚な調子で報告を促す。
 シャムが自身の身を横に退かして、人力車の荷台に手のひらを向けて報告する。

「こちらです、アレル幹部」
「では、お顔を拝見させていただこう」

 アレル幹部は荷台を覗き込む、つと口元がにやついた。

「いやはや、かなりの美少女だね」
「それは共感です」
「しかしながら、山が低いのは残念だ。やはり双方の山が連なりそうなぐらいが我は好みだ」
「確かにな、まだまだ子供に近い体だよな。幹部の意見に賛同」

 バチバチとシャムの左手から電気の走る音がすると、瞬く間にその舌の床を焦がした。身に迫るような憤怒の目でアレルと車夫の男を睨みつける。

「妹を貶す奴は幹部だろうが組織専属の車夫だろうが、即刻焼き殺すぞ」

 アレルと車夫の男は揃ってシャムを見、戦慄してダラダラと冷や汗を流した。とぼけたような命乞いを始める。

「君が休暇の日に食料冷蔵室のゼリーをこっそり食べてごめん」
「先輩の杖を背中を掻くのに使ったことは謝る」

 こめかみの血管が浮き上がり、左手を走っていた電気の音がさらに高鳴った。

「お前らは人の物を断りもなく……いじってんじゃねーーーーーー!」

 暗かった空間がその一瞬だけ、異様に明るくなったそうな。


 バルキュスは庭の芝の上で誰の助けもなく息を吹き返した。
 上体を起こして胸に垂直で刺さっているナイフを、昨夜の戦闘がはったりだったように事も無げに引き抜いた。
 赤黒く固まった血のついた切っ先をしばらく眺めて、顔全体を苛立ちに引きつらせナイフをあてもなく投げ捨てる。

「くそ、命をひとつ摩耗させられた」

 三つあった命がこんな早く残り一つになるとは、とバルキュスは自嘲がちに大息した。
 最後の命は何のために使おうか、そんな人間離れしたことを頭の隅に置いて子供たちが寝ている簡素なログハウスのドアを開けて、すぐさまキッチンに立つ。

「そろそろ一番早起きの子が起きだすころかもな。考えるのは一段落ついてからにして、朝食の支度しないとな」

 朝日が東の山の稜線から温かな光を射し込ませ、今日一日の来訪を告げていた。
 バルキュスはログハウスの狭いキッチンで、エプロンの背中の紐をぐっと絞めて朝食の支度に取り掛かった。



















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