ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】

日比野庵

14-110.この娘の名は?(第三部プロローグ)

 
 太陽がその姿を峰に隠し、辺りを漆黒の闇に包んだ真夜中。

 天蓋を覆う雲。冷たい風が吹き抜ける。

 いつもは天からの祝福を投げかける星々も、その輝きを失って沈黙し、僅かに薄曇に遮られた蓮月だけが建物を弱々しく照らしていた。

 ――ハッ、ハッ、ハッ。

 一組の夫婦が石畳で舗装された裏道を駆け抜ける。父は口を紐で縛った皮袋を肩に掛けている。母は大事そうに何を抱えていた。彼女の腕の中で、毛布にくるまれた赤子がすやすやと寝息を立てている。

司教グラス!」
「こっちだ」

 白い神官服に身を包んだ男が夫婦を導く。三人と一人の赤子は、とある建物の地下室に入った。

「光の精霊ヴァーロ。我らに導きの光を与えん」

 神官服の男が青の刺繍の入った袖を大きく振ると、白い光の玉が四つ現れ部屋を照らした。長年使われていなかったのか、酷く埃っぽい。壁際にはすでに使われなくなって久しい燭台や壊れた椅子。書見台などが無造作に打ち捨てられていた。

「ウラクト、こんなところで済みません。ですが、しばらくは大丈夫でしょう」

 グラスと呼ばれた司教は、室内に転がっていたまだ使えそうな椅子を見繕って、部屋の真ん中に三つ置いた。夫婦に座るよう促す。

「謝るのはこちらの方だ。グラス。将来を約束された君を巻き込んでしまう形になって本当に申し訳ない」
「問題ありません。気づかれてはいませんから。此処で君達に会っているとバレない限りはですけどね」
「済まん」

 夫と妻が同時に頭を下げた。男の名は、ウラクト・ラクシス。王に使える貴族達の中でも国政の中枢を担う重職にあった。その男が沈痛な表情でグラスに謝罪する。

「ですが状況は良くないことに変わりありません。既に、捕縛の命が出たようです。遠からず君の屋敷にも兵がくるはずです。このままでは危険です。僕の弟子だった者が、アラニスに居ます。今はもう神官ではありませんが、信頼できる者です。彼を頼って身を隠すべきです」
「いや、それであの男を誤魔化せるとは思えない。却ってその彼に迷惑がかかる」
「それでは、あまりに……」
「濡れ衣であることは分かっている。だが、ここで逃げれば、疑いを増すだけだ。俺は王の御前で最後の訴えをする積もりだ」
「しかし、それで通じなかったらどうするのです、ウラクト。ここはひとまず生き延びて……」

 なおも翻意を促すグラスの前に、ウラクトが首を振る。

「グラス、最後の頼みだ。このを頼む。ラクシスの血を受け継ぐ子だ。このにもしもの事があってはならない。ラクシス家の最後の希望だ……」

 戸惑いの表情を見せるグラスに、妻のマリーが語りかけた。

「司教グラス。この子にもし魔法の才能があるのなら、神官の教育をお願いしたいのです。たとえ私達が居なくなっても、一人で生きていけるように……」

 マリーはそういって、頭につけていた白いサークレットを外して、グラスに手渡した。

「私の形見です。この子が大人になったら渡してあげてください」
「これは……」
「私が司教職を辞するときに、大司教様が特別に下賜くださったものです。司教のサークレットと同じ魔法具マジックアイテムです」
「マリー。しかし神官への道は簡単ではない。それは貴方もご存知でしょう。教育は神官の掟に従って行うことになりますが、それでもよいのですか」

 マリーはコクリと頷いた。

「それくらいの心を持てないようでは、神官でなくても生きていくのは難しいでしょう。ましてやラクシス家の跡を継ぐのなら尚更です。ラクシスの印は手に封じてあります」

 グラスは、ウラクトの妻から赤子を受け取り、そっと抱き抱える。

「分かりました。ウラクト、マリー。このは、さっき言ったアラニスに居る僕の弟子クライファートに預けます。彼と私の関係を知るものは少ないし、あの寒村であれば身を隠すにはよいでしょう」
「そうか」

 ウラクトは安堵の表情を浮かべると、皮袋の口を開け、中からニ枚の羊皮紙を取り出した。

「俺からはこれを君に預けておく。このが成人したら渡してやってくれ。我が家に代々伝わる家宝の写しだ。このがラクシス家を継ぐ者である証になるだろう」

 ウラクトは丸めた羊皮紙をグラスに渡すと静かに告げた。

「このが二十歳の誕生日を迎えたら、今日の事を伝えて欲しい。そして、ラクシスを継ぐのか、君の元で神官になるのか、それとも別の道を選ぶのか、この自身に決めさせてやってくれ。もしも、このが、ラクシス家を継ぐと決めたならば、出来る限りのサポートをしてやって欲しい」

 グラスは深く頷くと、一つだけ聞いた。

「この娘の名は?」
「エルテ」

 グラスは小さく赤子の名を復唱すると、ウラクトに向かって呟いた。

「ウラクト……」
「さらばだ、生きていたら、また逢おう」

 ウラクト夫妻は立ち上がり、別れを告げる。マリーは、グラスの腕の中で眠っているエルテを覗き込むと、やさしく頭を撫で、そのつるつるした頬にキスをした。それが今生の別れだった。


 ――――

 ――

 大司教は深く一息をつく。いよいよこの日を迎えたのだ。

「貴方の子がラクシスとして生きるのか、それともクライファートの生を真っ当するのか。その答えは、あの子自身に委ねます」

 グラスと呼ばれた大司教は、朝日が聖堂のステンドグラスを透過してリーファの黄金像を照らし出すのを見つめながら、そっと呟いた。
 

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