ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】
10-077.魔法使いには師と弟子がいる
「セインから、この本が借りられると聞いたのだけど、いいかな」
少年の後ろ姿を見送ったヒロは、セインに勧められた絵本をカウンターに置いた。
「はい。貸し出し可能です。ただし補償金を一冊につき正金貨一枚と損料を一日当たり一パム戴きますが」
「正金貨一枚?」
「はい」
ヒロは驚きを隠さなかったが、ペルージャはきょとんとしている。何を当たり前の事を訊くのだといわんばかりだ。
正金貨一枚といえば、普通の宿でも何泊も出来る額だ。この世界に来て何日も経っていないヒロであったが、本が貴重品であるとはなんとなく感じていた。元の世界ではふんだんに使われていた、所謂「紙」というものがなく、羊皮紙を使っているからだ。しかもその羊皮紙すら契約書などの重要な場面でしか使われないのだ。
しかし、いくら羊皮紙が貴重だからといって購入するわけではない。借りるだけなのだ。それだけで金貨一枚とは。
ヒロはポケットをまさぐった。パム銅貨は十枚程持っていたが、金貨は宿に置いてある。カダッタの店でミスリルの防具を買った御陰で、金貨の手持ちは少ない。シャローム商会でリムの古金貨を換金するにしても五日も先の話だ。
(リムを連れてこればよかったか……いや。今日は休養日にしたんだ。リムを酷使しちゃいけない)
リムが傍にいれば、此処で読み書きを教えて貰うことも出来ただろう。ヒロは後悔したが、直ぐに思い直した。
「そうか。すまない。実は今、金貨の持ち合わせがないんだ。仕方ない、借りるのは取り消しに……」
ヒロは借りることを諦めてカウンターに置いた青表紙の本に手をやったそのとき、ヒロの右脇から一本の腕が伸びた。
「がっ!」
ペルージャがその落ち着いた雰囲気からは想像もできない程の素っ頓狂な声を上げた。ぎょっとしてヒロが脇をみると、見覚えのある老人が拳でカウンターをコンコンと叩いている。
「モルディアスの爺さん!」
「ほっほっ。こんな所で遇うとはの、ヒロ」
「爺さん、なんで此処に」
「それは儂の台詞かもしれんの。お主、絵本をどうするのじゃ。息子にでも読み聞かせてやるのかの」
「い、いや、そうじゃない。俺が読み書きの勉強をしたくて……」
「ほう。お主、読み書きが出来ぬのか。それで勉強するとは殊勝な心掛けじゃの。ここは儂が立て替えておいてやろう」
モルディアスはそう言って、懐から金貨を一枚取り出しカウンターに置いた。ペルージャに貸し出しするよう目配せする。ペルージャは緊張の面持ちでパタパタと手続きを始めた。
「え~と、何日借りられるのですか?」
「あ、あぁ、じゃあとりあえず五日間で」
ヒロは突然の状況に戸惑いながらも答えた。薄い本だ。それくらいあればなんとか読めるだろう。一日一パムの損料も考えると同じ本を長期間借りるのも効率が悪いのではないかと思えた。
「はい、では、補償金正金貨一枚と損料として五パムいただきます」
ペルージャが要求する。
ヒロは損料五パムを払って青表紙の本を借りると、モルディアスに促され、ホールの隅に設けてある木のベンチに並んで腰掛けた。
「モルディアス。補償金を貸してくれて済まない。借りた金は明日返す。それにしても何故?」
「なに、年寄りの気紛れじゃて。それにしても、読み書きが出来ぬとは習う機会がなかったのかの。確かに、その顔は貴族には見えぬがの」
「読み書きできないのは此処の国の言葉だよ。自分の国の言葉は問題ない」
別に顔で貴族になる訳ではなかろうにと思ったが、それは言わないことにした。
「まぁ、よいわ。此処に通えば少しは出来るようになるじゃろう」
「そうだ。モルディアス。あの時の話だけど……」
ヒロが口にしたのは、モルディアスに魔法を習う件だ。だが、本題に入る前に、モルディアスが正面を向いたままヒロを見もせずに承諾する。
「分かっておる。儂はいつも昼過ぎには家に戻って居るからの。それからならいつでも来るがよい」
まだ何も言ってないのに、と戸惑うヒロだったが、モルディアスが何を今更とでも言いたげだ。
「お主の目を見ておれば、聞かんでも分かるの。何が事情があるようじゃな。魔法がその手助けになるかは分からぬが……」
「すまない。では、そうさせて貰うよ。ところで、モルディアス、今さっき、この図書館の案内をして貰ったんだが、魔法の本は大学の学生か教官しか読めないようになっていると聞いた。何か理由があるのか?」
モルディアスに礼を言ったヒロは、先程抱いた疑問をモルディアスにぶつけた。魔法は正しい使い方を学ばなければならないとセインが説明してくれたが、そこは伏せた。
実のところ、ヒロには、モルディアスがモグリの魔法使いではないのかと問い質したい気持ちがあった。しかし、下手な質問をして機嫌を損ねられても困る。あたり触りのなさそうな質問でそれとなくモルディアスの素性を知る手掛かりを掴めないかという計算もそこには働いていた。
モルディアスはゆっくりと首を捻り、射貫くような鋭い眼光をヒロの瞳に注いだ。
「本を読んだだけで魔法が使えるなら、誰も苦労はせぬ。文字は理論や方法を記すことは出来ても、読む者を手取り足取り教えることは出来ぬのじゃ。魔法を使えるようになるにはそれなりの資質と訓練が必要じゃが、その歩みは人それぞれ千差万別じゃの。そ奴に合った訓練を施さなくては魔法を使えるようにはならぬ。それを見極めるのは師の役目じゃ。魔法使いには須らく師と弟子がおる。儂にも師はおったし、お主以外にも弟子はおる。尤も弟子の方は大陸に散って、此処には居らぬがの」
「じゃあ。俺はあんたの弟子になったということでいいのか?」
「ほっ、ほっ、儂のような楽隠居の弟子では不満かの?」
「いや、そんな積りはない。独学で魔法を身につけるのが無理なら師匠について教わるしかない。俺はこの国に知り合いがいる訳でもないんだ。あんたのような魔法使いに出会えたことはラッキーだと思ってる」
「お主とて、指輪の力で魔法を発動できるようになったばかりじゃ。まだまだこれからじゃ。指輪は術者を選ぶ。お主が正しく魔法を使えるようになるまでは、学ぶことじゃな」
モルディアスは淡々と答えた。この老魔法使いは、一体、幾人の弟子を育てて来たのだろう。魔法使いになれず、挫折し去っていった弟子はいないのだろうか。だが、モルディアスも魔法を正しく使えるようになるまで学べと言った。もしも、魔法をマスター出来なければ、この指輪を外してモルディアスに返せばいい。元々無かったものを元に戻すだけだ。ヒロはそこまで考えることで自分の心を落ち着かせた。
「皆様、本日は間もなく閉館となります。貸し出し希望の方はお早めに願います」
よく通る高い声が館内に響きわたる。ペルージャだ。彼女の小柄で細身の体からは想像もできないくらい大きな声だった。館内に居た人達は一人、また一人と退出していく。本を借りる人は見当たらない。やはり補償金が高額だからだろうか。
「なぁ、モルディアス……」
遠目に受付を見ていたヒロが視線を戻すと、モルディアスの姿は消えていた。何時の間に席を立ったのか。全くその気配を感じなかったことにヒロは驚いた。
(……よく分からん爺さんだ)
ヒロはふぅと一息つくと、ペルージャに軽く手を上げ、挨拶して外にでる。彼女は少し頭を下げてヒロに目礼を返していた。
 
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