行くも餓えるもこれ一重

神取直樹

夜に奪いては

 どっちつかずの領域は、誰をも傷つけることなく、誰をも殺せると、カズは知っている。一夜明け、部屋で目覚めると、カズは姿見を見た。十七歳。本来の自分。四年という月日は、成長期を挟んで、少年を青年に変えるには十分すぎる。部屋に付けられた洗面器で顔を洗って、その顔を見る。目を潰された弟とも、その以前の顔とも、やはり似ても似つかない。自分が、見た目についてどう考えても、父親の方に似ているということは、理解していた。ただ、人は皆、見なければ忘れるものだ。周りに流されていくものだ。宮家の者達は、立場の入れ替えをしたのだと思っているから、顔が似ていなかったとしても、自分を暫くは和姫として扱ってくれている。
 もう暫く、自分はそうであるつもりだった。アカデミーに来ることも、他人に自分を知られることも、想定外の事である。
 想定外が、自分を蝕んでいるということは、誰にでもよくあることだ。計画を立てるという行為自体が、自害に等しい。基本的にその「計画」は達成されることを知らない。絶対にありえない。それでもなお、人は計画を立てる。自己の妄信による、自傷行為である。
 自分もそれに侵されている。自分の理想に、蝕まれて早くも三年経った。諦めることの出来ないそれは、最早毒とも呼べず、生きているうちに死んでいるようにも思える。生命の形容と似ている。境界線の曖昧さは、もう、笑うしかない。
――――コンコンッ と、扉をノックする音が聞こえた。
「おはよう。起きてる? ちょっと問題発生だ」
 ハクの声で、そう、言葉が聞こえる。少しの焦りを含んだ少年の声は、美しく通る。
「なんだ」
 身だしなみもせずに、カズは皺くちゃのシャツのまま、ガチャリと扉を開く。少し驚いたように、ハクはその姿を見やって、困ったように笑った。
「ミツヒロ君がいなくなってて……」
 それを聞いたカズは、髪を掻き上げて、ふと考えるような所作をすると、目を瞑る。
「……広いからなあ。この城。良いよ。俺が探しておく。お前は和姫と一緒に授業に行ってやってくれ」
 扉を大きく開き、直線上に見えるベットに、すやすやと寝息を立てる和姫がいることを見せた。ハクはそれを見て、急いで部屋に入ると、寝坊だよ、だの、早く起きてカズキ、と、声を上げた。カズは傍に掛けてあった上着を羽織り、二人を部屋に残して歩き出す。身だしなみはされていないが、手でそれなりに誤魔化した。欠伸を一つ欠いて、段々と朝の騒がしさから遠のいていく。
 昨晩の、深夜の、あの気配を辿れば、きっと、彼はあそこにいるのだと、カズには核心があった。途中、青い石炭の粉が光っていた。走った跡を辿る。アリッサの部屋の前を通る。

「カズ。おはよう」
 ルシアンが、教壇の上に座ってにこやかに笑っていた。
 その教会、宮殿の如し。質素さと豪華さを兼ね備えたその場所は、懺悔の場。静寂。罪のみを吐き出す場所。神聖なそこに、吸血鬼の少年は、居座って、笑っていた。
「あぁ。おはよう。光廣はまだ寝てるか」
 カズがそう尋ねると、ルシアンはにこやかに、落ち着いて、あぁ、とだけ呟く。手元には、読みかけの聖書を置き、少年は笑う。
「大丈夫。ここで罪を共有するのは、罪人と僕だけだ。他に聞いた罪は、彼から消してある」
 悲しそうな声でもある。ルシアンの言葉は、時々重く、床に落ちる。
「昨晩の利用者は多かったのか」
 カズの問いに、ルシアンは少し困ったような顔をした。しかし、すぐに晴れやかに、彼はまた笑う。
「それなりに。ここは本当に、昔から、問題のある子ばかりだから。それでも、告げれば終わる罪なら良い。告げても仕方がない罪ばかりなのがいけない」
 でも、と、ルシアンは聖書を閉じた。
「光廣君がそうじゃなくて良かった。彼を外に連れ出して行ってくれないか。魔法にかかってしまっているんだ。もう既に、彼は罪人じゃない」
 秘密を守るために、対象外となった何かを強制的に眠らせる。そういう魔法は、何処にでも存在するし、いつでも行われているのだ。仕方がない、と言ったように、カズは笑った。
「気を」
 ルシアンが、カズの笑みを睨む。
「気を、他人に許さないのは、君の癖だ。そんなんじゃ、君は誰にも許されないし、誰も許すことが出来ないよ。ストイックは誉め言葉じゃない。少なくとも僕はそう思っている。これは師匠の一人として言うけれど。君はもっと、正直になれば良いんだ」
 叱るような、少年の声には似つかわしくない声が、ルシアンから発せられる。長い付き合いだ。いつもとは違い、それが、本心からであり、本音であることはわかっている。
「理解はしてる。でもそれを許容して実行に移すかは別だ」
 吐き捨てるように、カズは言って、足早にルシアンの部屋に入った。薄っすらとした薬品の臭い。それは事実、魔法の効力を高めると言われるような、ハーブの臭いだ。いくつも重ねられたそれは、臓器の瓶や棺を隠すように配置されている。その中に、小奇麗な、少女とも見れる少年が一人、寝息を立てていた。少しでも物音を立てれば起きそうな顔ではあるが、そうはいかないのだと、カズは知っている。眠りの魔法は、無駄に性能が良い。
「じゃあ、決行になったら呼ぶ」
 光廣を抱きかかえて、カズはただ歩く。歩いて行けば、単純に、ただ、廊下というものがあるだけだ。横を歩いて行くのは、数名の少年少女、魔女になるべき子、時々、召喚獣。ある程度高位のものは、おそらくはハクが出したものだろう。この時間の、ハク達のレベルは、召喚についての授業のはずである。
 どんなに時が経とうとも、やはり覚えている。何年も変わらない時間割。城の構造。
 カズは男子寮のうち、客室として光廣に与えられた部屋に向かい、その部屋のベットに彼を置く。布団をかぶせてやると、正常な呼吸で、光廣は眠っている。それを確認すると、カズは扉を閉めて、男子寮の外へと歩みを進める。寮の外に出て、学院の廊下を散歩がてらにと歩く。と、ふと、外を見た。そこにあるのは、一つの塔。この城で最も高い場所。竜達が、遊んでいる。育て親であるソフィがいないからか、自由にそれらは飛んでいた。ボーっと、彼らを眺める。教師達の声が聞こえ、それ以外は静かだ。
「ねえ」
 意識を飛ばしていたカズに、後ろから引っ張る手があった。その手は勢いよく、カズの背に皺を作り、声は、少女のようで、カズの耳と頭に響いた。
「何してるの? サボり? サボりなら、ちょっと頼みたいんだけど」
 恐れも無く、男勝りな様子で、少女は言う。振り返ってみてみると、彼女はアジア系で、それでも整っている顔つき、ウェーブのかかった黒髪、真っ直ぐ混じりけの無い黒い瞳をカズの目に刺す。歳は十代前半という感じで、服装はシンプルで、中性的である。
「……良いけど。何用だ」
 カズは苦笑いで少女に答える。だが、少女はむっすりと顔を顰めて、一回り大きいカズを見あげた。
「男子寮からルシアンっていうホケホケ吸血鬼を連れて来て」
 少女は、そう言い放って、カズの目を見る。妙に力あるその目に、一瞬、目を離せなくなりそうになったカズは、一度、外の方に目をやった。落ち着いて、また、笑う。
「ルシアンは男子寮にはいないはずだ」
 カズの答えに、また、少女は顔を顰めた。
「じゃあアイツ、いっつも何処で寝てるのよ。私が入れない場所って言ったら、後は男子トイレと男子更衣室くらいよ」
「あぁ、何。お前、ルシアンにからかわれてるのか」
 そのカズの言葉に、更に少女は吠える。
「えぇ! そう! 折角研究対象になってくれるってとこまでこぎつけたのに! それから全くエンカウント出来ない!」
 ここまで来れば最早清々しい。カズを置いて、少女は記憶の中にいるルシアンに唸った。やれやれと言った様子で、カズが溜息を吐くと、少女は今度はカズに標的を移す。
「ちょっと! 馬鹿にしないでよ! 私だって卒業がかかってるんだから!」
「卒業? お前、まだ十代なのに卒業目指してるのか。魔女の勉強は五歳から始めたとして、普通なら二十過ぎてから卒業だ。普通ならな」
 アカデミーのカリキュラム、というものは、基本的にはない。各々が自分と周囲の認めたレベルで授業を受ける。そして、自分が極めたいものや、周囲が良しとしているレベルがそれに達した場合、卒業出来る。ようは、自分と周囲の見方や、技術の高さで自分の卒業が決まるのだ。卒業すればそれだけで箔が付く。中には、学院長であるアリッサにその条件を決められて卒業レベルを跳ね上げられる者もいるのだ。
「……お前、早く卒業したいのか?」
 カズがそう尋ねると、少女は溜息交じりに言った。
「そうよ。悪い? 別に私に魔女になる才能はない。血族でもないし。家柄が良いわけでもない。ママと母さんが国の裏方と仲がいいってだけ。そっちの血があるわけでもない。ここにいても、意味がない。故郷で普通の学校に通っても、他人に迷惑をかけるから、ここにいるだけ。だったら、早く卒業して自立した方が楽だわ。ここにいても、能無しって見下されるだけだもの」
 口を失う。カズが、少女に言葉を上手く切り出そうとした瞬間に、少女は踵を返した。
「ごめんなさい。やっぱりもっと自力で探す。人探しくらい、何にも才が無くても出来るはずだから」
 カツカツと、少女の靴の音が遠のこうとする。
「おい」
 カズがそう声を上げると、少女はハッと目を見張って振り向いた。まるで何を問いたいのかわかっているように、スラスラ言葉を導く。
「……私の名前は瑠香。佐々木瑠香」
 少し遠のいたその場所から、少女、ルカは答えた。
「俺は豊宮和一」
 引き換えとしてカズが淡々とそう言うと、ルカはクスクスと歌う。
「わかってた。良かった優しい人で。そうじゃなきゃ私、神様に食い殺されてたもん。どっかの泉とかいう阿呆みたいに」
 もう一度踵を返した彼女の背を見て、カズは、一種の疑念を抱いて、その場に立ち尽くした。

 ルカとの遭遇からしばらく経ったあと、静けさと暇を潰しに、カズは歩む。どうしても立ち止まれない。カズは木製の分厚い扉を叩いて、声を上げた。
「ばあちゃん、入っていい?」
 そう聞くと、扉からは、落ち着いた女声で、いいよ、と、返る。ノブを回して、カズは絨毯の上に靴を差し出す。絢爛豪華な一室は、妙に肌寒い。トナカイが一頭、レイリーを乗せて座っていた。レイリーはそれに更に座る形である。
「どうした。不安そうだな。奇妙なものにでも出会ったか。それとも、召喚について混乱しているのか。言ってごらん。何か甘い飲み物でもあげよう。お喋りしよう、カズト。お前にはまだ時間がある」
 にこやかに、立ち上がって、レイリーは棚からベリージュースの瓶を出す。カズが幼い頃、よく飲んでいたものと、同じラベルであった。
「ありがとう」
 カズはトナカイの頭の方に背を預ける。トナカイが、カズの顔を嗅ぐ。
「仲間は揃ったか」
 レイリーは少々陰のある笑みで、カズにグラスを渡す。その中にはゆらりと揺れる赤色。カズは唇を濡らすようにそれを含むと、ゴクリと喉を通す。
「仲間は最初から居たんだ。最初から、利用できるのはわかってた。弱いやつを無理に巻き込んで殺してしまうこともなく。あとは金も。全部、お膳立ては出来てたんだ」
 カズの言葉に、レイリーはうんうん、と、頷くだけである。ずるりと、音がした。カズの影からコーディリアが這い出る。カズの膝に頭を乗せ、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「まるで誰かに導かれてるみたいだ。いや、操られてるようだ。全てが最初から決まってる。俺の力じゃ、誰かが消えることも、誰かが生まれることも、誰かが悲しむことも、何も覆せない。そう言われてるみたいで、俺は怖い。本当にそうなら、それは全てが無駄な足掻きってことだから」
 カズはグラスのジュースを飲み干すと、グラスを手に持ったまま、コーディリアを抱きしめる。
「ばあちゃん。その考えだと、俺は、何の意味も無いんだ。俺のすることに、利益はもう、ついてこない」
 コーディリアが一つ、悲しそうに鳴いた。その鳴き声は、カズを慰めるようでもある。温もりがカズに伝わって、そのうちに、冷たい手が、カズの顔に優しく触れた。
「カズト。こっちを見て。おばあちゃんの目を見なさい。私に顔を見せなさい」
 レイリーの手に触れた部分から、体温が奪われる。急激に体が冷えていく。懸命にコーディリアがカズに温もりを与えるが、次第に、カズの紅潮していた顔は冷めていく。同時に、何か、考えが冷静に成っていくような気もした。
「本当にお前は、おじいちゃんに似ているね。時々、不安になると思考をめぐらすようになる。パニックになっているからだ。そこから這い出ようと、考えて、また熱くなる」
 レイリーは額をカズの額に当てた。
「冷静になりなさい。お前は創造者の意思を超えられる。そういう人間に生まれて来てる。誰よりも全てを覆すコマ。お前に運命は要らない。今は世界の何かに馬鹿にされているのかもしれない。けれど、お前は、加護がある。魔女達の加護は、魔王達の加護はお前を守る剣。お前が行動を起こせば、お前を守るだけじゃない。お前以外も一緒に守ってくれる」
 『魔王』という言葉に、ふと、カズは首を傾げる。
「ばあちゃん。魔王って何。俺はそんなの聞いたことがない」
 また熱を帯びようとするカズの頭を撫でて、レイリーは笑った。その表情は、少女のようで、可憐な女性らしさを含んでいる。
「そうだなあ。それは等価交換といこう。お前がお前を含む全てを今夜救えたなら、私はお前にそれを知ることができるようにしよう」
 無邪気に、且つ、繊細に。レイリーはカズを笑う。コーディリアが、カズの影に戻る。カズが立ち上がることを察したからだった。カズはレイリーと目を合わせて、笑う。
「わかった。ありがとう、ばあちゃん。俺、運命を変えてくる。用意をしておいて。絶対に聞き出すから」
 軽口叩いて、カズはもう一度、扉に手をかける。レイリーは自分の懐に入れていた短刀が無くなっていたことに気づいたが、既にいなくなっていたカズを呼び止めることも無く、トナカイに体重を預けた。
「手癖が悪いのは母方の奴らに似たね。まあ良いさ。元々はあの子の家の物だ。そうだろう? ヒロ」
 トナカイの名を呼んで、レイリーは現に眠る。



「――――準備は良いね?」
 ハクがそう言って、陣の対岸に座すカズと目を合わせた。満月の夜。城の中庭。高い塔の見える場所。ぼんやりと灯りが見える窓には、野次馬をしている生徒たちが数名見えた。陣は実に簡単で、最も古い型だ。いつもの小細工はない。ただ、ぶつかるのみである。勝手に弄って、あの龍王のような頭のネジが外れた存在になるのは避けたい。
 カズは黒で統一された正装を身にまとい、白い仏前花を胸元のポケットに刺している。手には小瓶。そして、内ポケットには何の装飾も施されていない、ただの短刀があった。
「今なら参加取り消しも出来るが、全員、良いんだな?」
 小瓶を空に掲げたカズの目を見たのは、ハク、リリー、ルシアンであった。彼らはコクリと頷いて、困ったように笑う。
「今更後戻りする気は無いよ。早く終わらせよう。時間が無い」
 ルシアンが、ふと窓の一つを見た。だが、すぐに顔をカズの方に戻す。すると、カズは一呼吸おいて、瓶を左手で割って血を滴らせる。小瓶の中身の血液四人分は、更なる量のカズの血液で増えると、陣の端を濡らした。瞬く間にその血液は陣に沿ってひとりでに延び、赤く光る。
「構えろ。何が来るかわからない」
 カズがそう言うと同時に、陣の中央は光が集まって、塊を整形した。丁度、人が一人蹲ったような形になると、それは、光ることをやめ、その色を抱く。長く艶のある、上質な炭のような黒髪に、僅かに光るエメラルドを瞳に填めていた。それは少年である。乱れた黒い着物のような服装で、少年はだらりと脱力していた。
「…………なんだよ。ジロジロ見てんじゃねえよ」
 やっと話したと思えば、少年は顔を上げて月を見上げる。その横顔は何処と無く、カズには何処かで見た覚えのあるものである。
「樒?……真樹……?」
 カズには、その二人を掛け合わせたような顔に、確かに見えていた。少年の瞳の色と黒髪と、幼さが、真樹らしさを出すのかもしれない。だが、何処か毒気のある美しさは、自分が知る樒のそれと同じである。
「やめろやめろ。俺は死んでる人間でも、生きてる人間でもねえよ。似ていたとして、それはただの繋がりだ。他愛もない。俺はただの悪魔だ。エデンで眠っていた、ただのマモンという悪魔」
 少年、悪魔、マモンは、カズに近寄り、そう笑う。だが、その表情はすぐに一変した。マモンは何かに気付いたように、カズに触れようと、否、殴ろうと、腕を何度も叩きつける。しかしその腕は未だ届かず、陣の出す光に跳ね返る。
「畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生……! 畜生! またお前か! またか黒の王!!」
 マモンは狂ったように叫び続けて、カズにそれをぶちまけていく。最早、誰も予想だにしていない。戦闘も未だに始まらず、誰もマモンと対話に至らない。ハクが何度もマモンに語りかけようとするが、何も聞こえていないように、彼はカズにだけ反応している。
「おい意味がわからん! 俺は黒の王なんて名前じゃない! 俺は豊宮和一! 魔女だ! お前を召喚した魔女!」
 マモンはカズのその言葉を聞いて、スっと感情を落とした。だがその顔は、冷静に見れば、何処かもの哀しげに見える。何かを懇願するように、カズには見えた。
「……願いがあるんだ。お前達が俺達の先祖に伝えた、原初の魔法を解く方法が知りたい。そのために今夜、俺はお前を呼んだ。戦う準備は出来てる。力を示す気はある」
 そこまで聞くと、マモンは、今度はニッカリと笑う。そこに暖かなものは感じられない。ニタリと開けた口からは、短く言葉が紡がれる。
「良いだろう。丁度良い。お前の心臓を砕いてやる。嫌ならお前が俺にそうしてみろ」
 宣誓。一種、存在としての本能でもあるのだろうか。支離滅裂にして、それは襲い掛かる。既に聞いた、心臓を潰すという、圧倒的な戦闘行為。奪い合いならばまだいい。後で回収すれば、まだ元に戻す術がある。だが一度失えば、魔女だろうとも、復活は成し得ない。破壊とは、遺されたものに感情をまき散らす爆弾である。
 宣誓をしたマモンの体は、陣の結界をすり抜けた。方法が決定された時点で、それは始まっている。足を踏み込む。鞘を地面に落として、カズは勢いのままに短刀を抜いた。刃先はマモンの目を抉る。だがそれだけで勢いは止まらない。マモンは抉られた目を気にもせず、身を捻り、前に出されたカズの腕を避けた。マモンの腕は体を捻らせた返し、カズの鳩尾に吸い込まれる。
「カズト!」
 ハクがそう叫び、その背から一体の白い大蛇を引っ張り出した。白蛇はマモンに対して瞬時に拘束を行う。勢いを十分に殺しても、その手は身を翻したカズの脇腹を抉る。
「邪魔だ」
 マモンが白蛇をどういった腕力か、引きはがして地面に叩きつけた。白い灰になった白蛇は、ハクの胸の中に粒子で立ち戻る。
「ごめんね。大丈夫。ちゃんと仕事は出来てたよ。痛かったね。ごめんね」
 ハクの慰めるような声が聞こえた。それが聞こえても、カズは動きを止める事は出来ない。白蛇の拘束による一時の隙の中、カズは中庭から城の内部へと駆けだしていた。
「リリー!」
 カズが叫び、合図をすると、リリーは滑らかに呪文を唱える。それは英語のようで英語ではない。言語であって、言語を崩す。隣で、ルシアンが月を見ていた。吠えるように、ルシアンは口を開け、何か、喉を震わせていた。しかし、それは音にはなっていない。ルシアンの無音は、確かに響いているのが分かった。響いたものは、確かに存在している。それは、リリーの力を、底上げしている。転移魔法。カズはリリーの描いていた呪文の帯を建物に入る手前で踏むと、瞬時にその姿を消した。息を切らし、リリーは芝生の上に横たわる。
「リリー大丈夫?!」
 ハクとルシアンが駆け寄ると、リリーは笑って空を見上げた。
「大丈夫。上手くいったから」
 彼女が指し示す先、そこには、この城で一番高い場所。高い塔。足の踏み場も少ない、円柱状のそれ。そこには、瞬間的に転移したカズが、よろめきながらも立っていた。それを見たマモンは、体格に見合わない脚力で、壁を垂直に駆け上がる。カズのみを執拗に狙う彼は、ひたすらに丸腰と同等のカズを的確に追い詰めた。それ以上、行く先も逃げゆく先もない。あぁ、袋のネズミじゃないかと、カズは心底笑った。
「何がおかしい」
 マモンは言葉に見合わぬ笑みを浮かべて言った。それを聞いても、カズは一歩、後退りをして言う。
「追い詰められると笑っちゃうんだよ。人間てなあ」
 短刀を構える。脇腹からはひたすら血液が吹き出ている。
「何が人間だ。その成り、その満ち足りた顔。人間? 本当にそう思ってるのか? 強者は自分を神格化する。そして弱者に怯えて、その弱者を悪として葬る。そうだろう」
 マモンはそう言って、手で顔を拭った。顔についていた返り血が、延び、早く固まっていく。その仕草ひとつとっても、マモンは、美しい少年そのものである。
「……人間だよ。俺は。神でも神童でもなんでもない。ただの人間だ。だから、お前達のような悪魔に抗う術を考える。それで失敗しても、成功しても、俺は立派に強者へ抗った人間だ。俺は抗う。胡座なんてかいて、ご立派に弱者に怯えて演説垂れてる場合じゃないんだよ」
 悪魔、と言われた瞬間に、マモンは叫び声を上げて俯いた。ただ一人、近くにいたカズだけにはわかった。その叫びは慟哭。一瞬の静けさを跨いで、マモンは速さを覆し、カズが自分を謳い終わる前に、カズの胸元に手をめり込ませていた。
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!」
 マモンの叫びとその一手の突きの勢いのまま、二人は抱き合うようにして塔を落ちた。落下速度はわからない。二人にとって、それはゆっくりに思えた。カズはマモンの背に回した短刀を、落ち着いてマモンの肋間に差し込む。そこに心臓はない。肺のみである。マモンが鮮血を吐き出す。だが、彼は笑っていた。
――――たかが刃物如きで心臓を砕けると思うな。
 そう思い、マモンはカズの心臓を引き抜こうとした。だが、もっと初めに気づくべきであった。何かがおかしい。手に、握りこぶし程度のそれを掴んだ感覚がない。落下から秒足らず。カズは笑っている。落ちる中で、次々に灯りのついた窓が見える。殆どの窓からは、怯えた表情の少年少女が見えた。しかし、ある一つだけ、全く違う表情を見せる少年がいた。一瞬だけであったが、それは確かに認識できる。白いシャツを赤く染め、開いた胸元からは、激しく脈打つ臓器が見える。それは二つ同時に存在し、二つ同時に露出して、脈を走っていた。少年はカズに似ている。潰された目でも、必死に二人を認識しようと顔を窓から出す。後ろでは、支えるようにして、もう二人の男女が少年、和姫の胸に触れている。少女は金髪に青い瞳。マモンには何処か見覚えのある顔。もう一人の少年の手からは、光のようなものがあり、ずっと、和姫の胸から出続ける臓器を維持せんとしていた。
 そして、また、カズは笑う。マモンを抱きしめる。短刀が圧迫で貫通し、自分にも突き刺さった。マモンの体は完全に固定されている。
「戦う準備は出来てるって言ったな。時間との勝負に、俺は勝ったぜ。さて、お前は何と戦うんだ?」
 後ろから、風が過ぎる。マモンの背に、冷たい銃口が突きつけられた。不安定な竜の上、竜守の魔女ソフィは、全くの距離を作らずに、人類の叡智、鉛玉と肉穿つ衝撃をマモンの背に与えた。マモンの体はカズの体ごと破壊される。その中には確かに、マモンの心臓の破片があった。カズはマモンの頭を破壊されなかった腕で掴み、その身を地面に叩きつける。


 中身をぶちまけたカズの体は、最早人間としてのそれを果たしてはいない。マモンの頭は灰となり、陣のある中庭の方へと吹き流れる。カズが叩きつけられ、意識を空虚に置くその場所は、中庭から一つ居住物を隔てた、吹き抜けの廊下であった。誰かが駆け寄る音を聞いて、カズは意味の無い呼吸をする。
「和一君……さん!」
 駆けてきたのは、大きな陶器を抱えた光廣であった。
「呼び捨てでも良いんだよ。馬鹿だな。緊急事態だろ」
 涙を抱えて、光廣は手の光をカズの破壊し尽くされた胴体に伸ばす。後頭部は既に、カズが自身の構築で器用に元に戻したようである。意識はハッキリしており、顔だけ見れば到底死にそうには見えない。
「和姫の容態はどうだ。臓器同士の扉になるのは負担がかかる。傷口は閉じたのか」
「大丈夫。君の言った通り、ここは異界の一種だから、傷口はすぐに消えたよ。今は眠ってる。心臓はちゃんと取り違えないようにしてるから安心して。これはちゃんと、君のだ」
 陶器の壺の中に入っていたカズの心臓は、光廣によって、空間に出された。それはまだ脈打ち、どこにも繋がらないのに、血流を作り出していた。
「……意外とやるねえ。そういうの、苦手なタイプだと思ってた」
 カズが上半身を起こし、治っていく傷口を撫でて、受け取った心臓を、自身にはめ込んだ。
「慣れてきてる。これでも大宮家に仕える身だから」
 光廣の言葉に、あぁ、と、カズは頷いた。光は収束していき、カズの体は傷一つない清潔なものに変わっていく。
 さあ、これで終わりだ。
 そう、光廣は言おうとしたのだろう。それが音となる前に、光廣はカズの視界から消えた。代わりに、ぐしゃりという肉の音が、カズの背の方から聞こえた。
「光廣!」
 油断の脳は、上手く働いてはくれない。光廣の居た場所に今存在するのは、黒いブーツ。否、ブーツをはいた、黒い軍服の黒い男。それが、光廣を蹴り上げ、壁に叩きつけていたのだ。背は高く、二メートルはありそうだと、自然と思った。男は影の中に頭があり、上手くその正体を掴めない。
「大丈夫だ。ここは異界。宮家の力が最大になる場所。自分の致命傷くらい、あれの能力の高さなら、治せる」
 光廣の荒い息遣いの生存音と共に、男は地の底からのような声を唸らせた。バタバタとどこからか走る音が聞こえる。
「なあ、生きたいか。お前には生きたいという意思はあるか。今ここで死んではいけない理由はあるか」
 迫る男は、まだ治りきっていないカズの足を踏み砕き、その足をカズの胸に当て、押し倒す。
「イエスかノーだ。イエスなら生きろ。ノーなら死ね」
 男の声に、足の痛みによる一種の錯乱状態であるカズは、牙を向いて叫んだ。
「イエスしかない! イエスだ!」
 そう叫んだ途端に男は足の力をゆっくりとこめる。じわじわとカズの肋骨は折れ、最後に、心臓は踏み砕かれた。意識途切れる最中、カズは男の顔を暗闇に慣れた目で見る。男の顔は年齢こそ上がっているように見えたものの、確かに、アキラだった。
「大丈夫。お前は俺と同じだ。朝になったら元気で会おう」
 アキラの紫色の瞳が、鏡を見た時の自分と似ていて、心底吐き出しそうな気分で、カズは瞼を閉じる。

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