行くも餓えるもこれ一重

神取直樹

穿つ絵空を

 早口に、且つ、荒れ果てた言葉を紡ぐ。合理性と決定打に欠く対話に、余所者を入れる余裕など存在しない。肌を出来るだけ表さぬ衣装、金の粉でも振りかけたような艶髪に、人形のような肌、瞳は鋭い印象を与える形に宇宙を注いだような青。美しさの体現。そんな麗しき美女は、何もよくわかっていないフセや光廣たちの前で、実の孫をスリッパで叩き、叩きつけられた紙切れを手の中で灰とした。手から燃え上がる炎は指先へと向かい、消える。
「まさかとは思うがね、扉に宮家の屋敷を使ったのかい。あそこは使いやすいだろうがね、私は嫌いなんだよ。次来るときゃ、レイリーの屋敷でやりな。あっちの方がまだマシだ」
 酷く嫌悪を表す情は、人形の顔を歪める。英語を連ねる彼女が、カズの祖母であることは、光廣とフセには何処と無く理解出来る。雰囲気と、喋る横顔が、二人はどこか似ていた。
「アリッサ。あそこは私の家ではない。私と和尋の家だ。さらに言えば、今はこの子の家だ。あそこを使うかどうかは、この子が決めること。貴女の私情でどうなるものでもない」
 諭すように、レイリーらしい長身の女性は、カズの祖母アリッサに放った。後ろでその様子をクスクス笑う二人の男は、その更に先、フセと光廣を見て笑っているようにも見える。だが、そんなこともお構いなしに、アリッサは続けた。
「アンタはコイツに甘いんだよレイリー」
「お前はこの子のことを思い過ぎなんだアリッサ」
 即答と即答の打ち合いに、間に挟まれたカズは、逃げ出そうにも逃げ出せず、歯をギリギリと噛みしめながら二人の祖母を交互に見る。眉間の皺が緩まず、レイリーに撫でられて多少は伸びるが、すぐにまた元に戻ってしまう。
「……外は朝の太陽のように見えるが、始業時間には間に合うわせなくて良いのかね、君達」
 そうやって発言権を突発的に得たのは、スーツに身を包み、怪しげな紫色の瞳を光らせたアキラであった。その言葉に、ハッとして顔を上げたのは、アリッサである。だが、すぐにその表情を元に戻す。
「生憎、今日は休日でね。今は朝の七時過ぎ。ちらほらと生徒が起きる時間ではあるが、始業時刻は二十六時間後だ」
 アリッサの言葉を聞いているとき、その異変に気付いたのは、光廣である。感情的無感情的に関わらず、それが英語であることはわかるのに、自分は、その言語の意味を全て、納得いく形で理解している。感覚としては、英文がそのままに、自分の頭の中で自己内言語に変換されているのだ。自分の耳を触ってみるが、翻訳機が付いているわけでもない。
 その様子を見ていたのか、ふと、アリッサが溜息を吹いた。
「この城は特別製でね。どんな時、誰とでも意思疎通が可能なように、魔法がかけてある。具体的にはこの空間を構築し続けるバンダースナッチの副産物を利用し、魔力を再生成、使用可能にしている。その魔力を更に気体変換、音を成す波のエネルギーがスイッチとなる。意思を疎通しようと思えば、その魔力と言葉を発するときの音エネルギー、明確な意思で、魔法を発動している……理解は出来るかい?」
 正直に言いたい。あまり出来ていないと。
 まあそうだろうと、カズは光廣の表情と、フセの表情を見て察する。西の魔女達の悪い癖だ。自分の知っていることを、相手に構わずべらべらと、ひたすら話してしまう。祖母も自分も嘘を吐くことに慣れていない。特に解釈を加え、わかりやすくするための冗談というのに欠ける。
「……言葉を発することで、テレパシーが可能になる、というような魔法があると思ってくれ。だから、ここで他の生徒に出会って話しかけられても、臆することなく会話をしてくれて良いってことだ」
 カズは出来るだけ機嫌よく、そう、二人に笑いかける。笑顔はきちんと出来ているだろうか。それとも、表情筋は本能に従ってしまっているだろうか。
「成程、本当に何も知らない人間を連れて来たんだね」
 少し、目を丸くして、アリッサがそう言った。その目は段々と体ごと光廣に近づいて、舐めるように見つめる。美の権化を間近で見、息を飲むが、光廣はそんなことよりも不安が強く勝り、更に唾を飲む。
「そのそろそろ千歳超えるのにアホ程若作りしてるババアが西の魔女アリッサ・フォーサイス。俺の母方の祖母。で、こっちのデカくてかっこいい方が北の魔女豊宮レイリー。俺の父方の祖母」
 二人の女性を見比べて、カズのその言葉の真意を問う。だがその前に、アリッサはその拳でカズの後頭部をしっかりと打ち付けた。
「若作りは余計だよ! 魔女はそもそも体が老化しないんだから若作りじゃないよ! 間違ったこと教えんじゃないよ馬鹿野郎!!」
 剣幕さは、自分の正当性を確固とするためのものか。アリッサの拳が余程柔らかかったのか、それともカズの体がそれなりに強靭なのか、カズは痛みなど知らなそうな表情で、口笛を吹いて誤魔化す。レイリーはやれやれと言ったように、頭を振っていた。
「そういうことだ。で、そこのソファに座ってる男が東の魔女、李龍華。中国で活動する魔女だ」
 カズがそう言うと、龍華は細く目をにこやかに、「やあ」と、軽く返事をする。カズもそうだが、彼は所謂魔女、というような、アリッサやレイリーのような古そうな服装ではない。明るめのスーツ一式、ネクタイは辛うじて中華風味の布柄で、イタリアンマフィアを模様したようなスーツと同じ色の帽子を着こむ。髪色は炭のように黒く、瞳は光を反射させることのない闇そのものであった。だが、顔つきはとても、日本人に近い、モンゴロイド系で、何処か親しみある。
「私は普段は一般人に紛れて医者をしているんだ。そうするとどうしても、こういう服ばかり着るようになってしまうんだよ。それに、嫁がこっちの方が似合うと言ってくるからね」
 にこやかに、どこか、その表情は一姫と似ているだろうか。何かを秘匿していることを現す、その目その口元は、歪にも見える。
「……あんまり怖がらせないでくださいよ」
 がりがりと髪を掻きむしったのは、カズであった。あぁ、と、表情を変えぬまま、龍華は押し黙る。
「最後の一人が、南の魔女、ムチャンガ・キモンド。アフリカで占い師をやってる魔女だ。ノリは軽いが根が誠実だから助けてって言ったら基本的に助けてくれる。大いに利用してくれ」
「貶してるんだか褒めてるんだかわっかんねーなお前」
 陽気さを垣間見る高めの声が、その男から発せられる。ムチャンガはアフリカンと言うには薄い黒さを肌に称え、髪は朝焼けのように赤く、瞳は青々とした森のような緑をはめ込んでいる。体中に刺青を入れているようで、民族衣装のような露出の多い服装の端所々から、多色の柄が見える。それはカズが扉を開ける際に見えたようなアルファベットの羅列ではなく、もっと簡素なものをいくつも組み合わせたように見えた。
「褒めてるんだよ。ババアは孫でも崖から突き落とした後そのまま上から岩落としていくけど、アンタはしないし、俺が助けてと言ったら助けてくれるだろ」
 カズがそう言うと、ムチャンガは少々困ったような表情で、アリッサを見て放つ。
「それはアリッサが厳しいだけだろ……」
 成程、陽気ではあるが、常識的ではあるし、話しやすくもある。龍華のような怪しさも少なく、レイリーのような体格からの威圧感も無い。何より、アリッサの持つ合理性のみを追求したような態度は、持ち合わせていない。始祖の魔女達の中でも、最も気兼ねなく話すことが出来そうではある。
「厳しくして何が悪い。どうせそう簡単に死なないんだ。コイツは理論より体に叩き込む方が良い。なら、死ぬまで体動かせて、叩き込む他ないんだよ。うちの孫の教育に口出しすんじゃないよ、脳味噌ゆるふわ野郎」
 機嫌の悪さを相乗に、牙をむくアリッサは、文化的表層は掻き消えて、怒りと本能を露わにしている。それを見て、仕方がないというように、ムチャンガとレイリーが困惑を顔に出す。
「……ところで、俺、用事があって来たんだけど、その話していいか?」
 立ち話の長さで、フセが自分の足を摩り始めたのを合図として、カズがそう言った。しかし、龍華が、いや、と、小さくそれを阻止する。
「話の理解はしてるんだ。対抗策も無きにしも非ず。だが、これはこの事件だけで終わるに非ず。魔女の存在にも関わって来る話でもある。何せ、古代魔法だ。私達が一番古い魔女としても、それでもわからぬ話のこと。解決には我々が関与しても歩き出せるとも限らない」
 帽子を外し、その中に手を突っ込んだ龍華は、そこからずるりと糸の束を取り出す。
「魔女は種族。我々はその魔女の中の長。最も早く魔女と名乗るに値する技術を身に着けた者。だが、それよりももっと昔に、技術の根源を伝えた者がいる」
 極彩色の糸達は、綾取りのように、ひとりでに龍華の手を縦横無尽に動き出した。するりするりと指の間をかけていく。駆けて、掛けて、スーツの裾の中に入ると、首の襟から、蛇となって出でた。
「七つの大罪を叩きつけられた、神の兄弟、所謂大罪の悪魔だ。彼らは私達の先祖に、血を残し、僅かながら技術を残した。そして彼らは今でもコンタクトを取れる」
 蛇を手の中に戻すと、彼は正に悪魔のように笑った。
「まず必要なのは最高位の召喚魔法。それを遂行できる魔女を複数。そして、それは大罪の悪魔と戦い勝てる最高の魔女達でなければならない。それでもなお、君は歩み出せるか?」
 理解が追いつかぬ。光廣、フセにはそれを理解する時間が足りない。成程、大宮の屋敷で出来ない理由は分かった。一人で解決策を講じることが出来ないからだ。日本に高い技能を持った魔女は複数人もいない。特に、宮家に手を貸してくれるような者は少ないだろう。
「……戦うってどういうこと? 召喚した時点で、願いを叶えるまでは、悪魔は下僕なんじゃないの?」
 フセが、その疑問を押し付けた。カズは、一言、落とす。
「ランクが高い悪魔は、犠牲を差し出すか、自分と戦って勝てと言ってくる。殆どの場合は礼として犠牲、山羊の肉とか人間の血だとかを出す。けど、一番上の悪魔たちは違う」
 カズの冷や汗と、挙動不審を見て、光廣も唾を飲んだ。
「戦い勝つ以外に、願いを聞いてくれることはない。アイツらは神と同等だ。そして、その勝敗は、お互いに心臓を奪えるかどうかだ」
 つまり、負けは死ということである。言わずとも、カズはそう結論づけた。鼻で龍華が溜息をつく。
「君達兄弟が起こした事件は、その場にいなくとも重々承知だ。それを知っている上で聞く。君はそれを遂行できるか。特に今回は我々始祖は共に戦うことは出来ない。我々は育てている弟子達の為に、一人の少年の為の闘いに身を投げることは出来ない」
 非常に聞こえるだろうか。いや、現実的で、且つ、感情的な判断である。ただでさえ寿命の迫る始祖を死なせまいと、若き魔女達が躍起になる中、その命を捨てさせる判断は出来ない。それはこれからの魔女に関わる話である。
「……大宮一夜に、好意を持つものの前で、こんなことは言いたくはないが」
 レイリーが、ふと、重く口を開けた。
「大宮家の当主には、換えがいくらでもいるだろう。月ノ宮家ではないからね。分家もいれば支族だって沢山いる。彼が屋敷から出られなくなろうとも、衰弱死しようとも、存続には何も関係ない。だって彼の血は――――」
「それ以上、アイツを愚弄しないで」
 レイリーの話に、ナイフを突き刺すように口を入れたのは、やはり、フセであった。フセは噛み締める唇の端から、息を漏らしつつ、手をぐっと握りしめている。
「カズがやらなくても、私がやる。アイツはアイツ以外にいないの。宮家のうんたらじゃないのよ! 私が一夜を好きなの! 他の誰でもなく、アイツじゃなきゃダメなのよ!」
 純粋な好意の露見に、始祖達は目を見開いて驚く。フセの金の髪、青い目は、アリッサとの共通項ではあるが、その感情性は全く異なる。
「……そういうことだ。俺はやるよ。別にアイツのこと、好きではないけどさ。弟がヤバい状況なら助けるって約束、もう『アイツ』ともしてしまっているし。俺は好きな奴から宝物を奪えない」
 カズが、前髪をかきあげて、アリッサやレイリーと目を合わせる。それは意思ではなく、怠惰にも近い目ではあるが、理解と理屈ではあった。ムチャンガが、大きく溜息を吐きながら、笑う。
「だそうだぜ、おばあちゃん達」
 アリッサとレイリーが顔を見合わせた。不思議と、二人とも同じ表情をしていた。困惑と、ある意味の諦めと、ある意味の覚悟である。
「和一」
 アリッサが、カズを名で呼ぶ。
「魔女は複数必要だ。お前と共に命を天秤にかけられる奴を探せ。ここはアカデミー。お前を慕う魔女の集まる場所だ。好きに過ごして探しなさい。日本から来た四人に、無期限の滞在許可を下ろす。と言っても、早々に終わらせるのが吉だけどね」
 やれやれと言った様子で、アリッサは、廊下への扉を開いた。
「時差ボケが起きるだろう。今日は仲間探しも兼ねて一日休みな。丁度、モーニングの時間だが、お前達は何時間前に飯を食ったかね」
 ドタドタと、廊下では、数人の少年少女、若者達が、一方通行に歩き、走るのが見える。その中から一人、空いた扉のこちらを向く少年がいた。
「お祖母様! 御機嫌よう!」
 そう高らかに、その少年は声を上げる。その声は、カズがいつも出している声とそっくりで、フセと光廣、カズはハッと顔を向ける。
「……懐かしい臭いがする?」
 そう首をかしげた少年は、目を瞼の上から喪ってはいるが、その見た目、体付きは、カズにそっくりそのままである。彼の声で扉の存在に気が付いたらしい複数人も、こちらを向く。
「和一だ! 最一の魔女が帰ってきた!」
 犬歯をチラつかせた、貴族風の少年が、そう言ってこちらに駆け寄る。共に駆け寄る二人の少年少女の片方に、フセは見覚えがある。
「お姉ちゃん」
 そうフセが言うと、心底嬉しそうな顔をした黒髪黒目の少女、カズの知るとこのリリーが、フセへと迷いなく抱きついた。また、その隣にいたハクや、貴族風の少年は、一瞬迷いながらも、カズに揃って抱きつき、カズは重みでよろめいた。
「久しぶり! 水鏡で見た通り元気そうだね! 良かった! ちょっと臭いけど!」
 ハクがそう笑って、カズの背を叩く。
「臭いってなんだ。臭いって」
 そのカズの反応と、声で、瞳無き少年は、壁伝いにカズまで近寄った。
「兄さん?」
 頬を紅潮させ、眉と声色だけで喜びを表現する彼は、正真正銘の、豊宮兄弟の弟、豊宮和姫であった。

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