行くも餓えるもこれ一重

神取直樹

崩れる柘榴

 ぐしゃりと、音を立てて弾け飛んだのは、蛾、その破片。それの中心を握りつぶして、自分の手から血液を滴らせていたのは、白髪青目の少女、先程まで状況を掴めずにいた、高校生の少女であった。幸い、裸女の顔には掠り傷と破片の一部だけが、赤としては存在し、致命傷というのは全くと言っていいほどない。そして、これまた幸いに、無意識か故意かはわからないが、腕を引っ張り、その時裸女が鳩尾に一撃で強烈な蹴りを入れ、一般人である中嶋は、気絶していた。
「やったか?」
 一夜が呟く。それを瞬時に判断して首を横に振ったのは、握りつぶした本人である。
「いいや、手ごたえが不十分」
 少女のひしゃげた、細く美しい指が痛々しく残る。滴ったどす黒い血が床に集まって、形を成した。
「成程、変態か」
 ありもしない余裕を失って、晴嵐が、そう唸る。追撃を、と、形を成そうとするそれにかかって行こうと、ヒヨが飛び出すが、何も成す前に、腹に何かの体当たりを食らって、また後方へと飛んで行った。ヒヨ自身、何が起きたかもわからずに、前方を見ると、灰色と白銀の犬の、二頭を確認する。灰色の方はあまり犬というような雰囲気ではなく、どちらかと言えば狼と言えるだろう。白犬は本当に、犬、というような、短い息をして、ヒヨの方に尻尾を振って向かってくる。
「……式神?」
 ベロベロと顔を嘗められつつも、がっしりとその犬を掴んで、体勢を立て直そうと、血液の塊から離れようと動く。
「私の子! しっかり持ってて! 守るから!」
 アンっ、と少女の声に反応するように、犬が一声吠える。それとはまた違う、グルグルと獣の唸る声が聞こえ、そっちを見やる。狼は、一度、ヒヨ達、部屋に押し込められていた者たちを見ると、晴嵐と裸女に何か確認するように目を合わせ、晴嵐の足元の影に溶けた。
「縁無し。要因わからずじゃ、攻略ルートが一つ消えたな」
 裸女がそう言って手を合わせる。
「なら、やることは一つってことだ」
 晴嵐が放った言葉に反応するように、突然、郁が前に出て、靴越しにウヨウヨと動く血液の塊を踏みつけた。
「こういうこと、だろ?」
 粘ついたものがまた、形を成そうとして、止まらない。それが気味悪く、異様に、精神を蝕むような、嫌悪感を抱かせるだけであった。郁がもう一度踏み殺そうとすると、もう一人の、黒髪に赤い瞳の少女が青ざめた表情で止めた。
「定?」
 その少女は定というらしく、目を合わせるだけで、もう一度、塊に目を向けて、更に顔を青ざめさせた。
「無理。戦えない」
 定は、それが敵対する時点でもはや手遅れであることを察していた。幼ければ幼いほど、勘は鋭い。
「あまり触れてくれるな! 怒らせるだけだ!!」
 気づくように、意識がわかるように、下から、ゲンは天井を叩いて言う。それはもう遅いとも言え、塊の変化速度は加速していった。
「知識も無いのに手を出すかねえ」
 銃夜が郁を見やってニヤリと笑う。まだ余裕だとでも言うように、その態度を示す。銃夜は郁が歯を滑らせて食いしばったのを確認し、一夜の方に目を向けた。
「何だこんな時に笑いやがって」
 一夜が、疲れた首を押さえて銃夜にそう放つ。だが、銃夜はそのまま、いや、何も、と、目を背けた。時間が少しずつ過ぎていく。塊は小さな、とは言っても、通常の繭よりも大きな、猫と同じくらいの大きさの繭を生成する。それは血液から生み出されたような、死体から生まれ変わったような、湧いて出た命のようで、薄気味悪い。
 ふと、銃夜が上を見ながら、既に触れられる位置まで降りてきていた天井を叩いた。一夜の耳にピシャリと音がして、亀裂が入るのに気がつく。
「……割れる?」
 肌、薄く傷を負った銃夜の手を覗きながら、一夜は言った。
「ぽいな。まあ、すぐに治るみたいだが」
 銃夜が、触れた先を見て、硝子のようなそれが修復され、元に戻っていくのを見る。そんなことを聞いて、それでも納得がいかないのか、一夜は、まだ天井を見つめた。
「ゲン」
 一夜はしかめっ面が離れないゲンを呼んで、両手を広げ、見上げた。
「抱っこ」
 冷静で、時に人を見下すような態度を取りやすい一夜にしては、異常に子供らしく、実に純粋に、自分を抱きかかえろを命令する。一瞬、驚いたような、呆れたような、肯定的ともいえる感情が渦巻いて、ゲンの顔の淀みを解く。
「無理はするなよ」
 やりたいことの意をくんで、ゲンは一夜を抱きかかえ、天井に触れさせた。
「これであっちに行けりゃ上々」
 一夜がそう呟いて、手に力を籠める。手が、割れたような痛み。ガラスが刺さるようではなく、ただ、自分の腕が、手が、割れるようであった。バキバキと、見た目では、硝子が割れていく。それは、どちらから見ても、赤黒く傷が出来続ける、小さな少年の手が、薄い何かを割るようで、痛々しく、何故、一夜が平然と、何も気にしていないような顔でいられるのかがわからない程で、最後まで、空間を遮る板に穴が開くまで、誰も声を出せずにいた。音を飲むように、穴がぽかりと開いて、一夜の腕が、下から上へと上げられる。
「よし」
 喜びのような、感情の薄い起伏を一夜が声として上げると、その次の瞬間、真夜の悲鳴が上がる。
――――バチン、と、瞬時に、空間が隔たれた。
 それは丁度、ギロチンを下ろすのと同じように、裁断機に腕を突っ込んだように、一夜の腕を切り落とし、分けた。腕は、ヒヨ達のいる、蚕のいる場所へ、落ち、ただの肉としてそこに存在した。本体の方に落ちてくることは無く、一夜自身と同じ血が、溢れていた。本人は、少し驚いたような表情で、断面を見て、首を傾げる。
「あぁ、成程。そのまま貫けばいいんだ」
 ボタボタと、滴るというよりも、湧き出るというような表現が似合う血液まみれの腕で、自身やゲンの服や、顔を濡らしていく。ハッとして、即座にその腕に触れ、修復しようと試みるゲンは、また、険しい表情で、顔をしかめた。
「お前は何もしないんだな」
 異夜が突然、羚の方を見て、そう呟く。だが、羚は、うん、とだけ零して、上を見上げたままであった。
「無理はするなと言っただろう!」
 血を止めながら、元に戻しながら、ゲンは一夜にそう怒鳴った。だが一夜は何のことも無しに、まるで聞こえていないように、床に降り、ゆっくりと歩いて、おい、と、口を開く。
「鋸身屋は確か、血液操れたよな。そういう技術を持ってたはずだ」
「異界ではな。元は現実で結界の修理に使うやつだが」
 指の先から出ていた少量の血液を、銃夜は宙に浮かせ、形作り、天井に当てた。そこにはまた、ヒビが入り、修復されていく。
「これを使うってのも確かに良い案だが、大穴開けて出るってのは流石に危なすぎる。お前のその腕見せられちゃな。あと、俺の血じゃ能力として足りない。他人の血は操れない。以上だ」
 論破したと、銃夜は手を上げた。だが、一夜は不思議そうな顔をして、元に戻った腕を見つつ、首を傾げる。
「そんなもの、俺がやれば良いだけだろ。俺が俺の血を操れば良いんだ」
 そんな言葉を放った一夜に対して、何を言っているんだと、嫌悪のような、困惑のような表情を向けるのは、銃夜だけではない。ゲンも、異夜も、上で話を一通り聞いていたらしい者達も、眉間に皺を寄せて、一夜を見た。
「ハハッ、実に姉に似たジャイアニズムだ」
 異夜が笑う。ピクリと、一夜の眉が動く。
「……それに、別に俺達が出るわけじゃない。直接突き刺して内側から壊してやれば良い。お前らに出来なくとも、俺には理論上、出来る。理論上できるなら、絶対に出来る」
 不可侵的な自信と、絶対的な思考と、確かに出来るかもしれないとも思わせる堂々たる振舞いが、一夜を見る者全てに、彼は本当に齢十二の少年だろうかという考えを持たせた。ただ、それが幻術のようで、落ち着きを持って見れば、どうということもないと気が付くのは、一夜その人と対峙する、銃夜である。
「理論上? 出来る? 本当に? どうやって俺がやってるかも知らない、修行もしていないお前に? いくら当主だとは言え、仕切ってるものが違うのに、継承しているものが違うのに、出来ると」
 静かに笑う。銃夜が、他人を見下すように、笑う。その同意かどうかはわからないが、晴嵐と裸女が、目を瞑って、長く息を吐き出し、少し、一夜に残念そうな顔を向ける。時間的な多少の余裕と、襲い掛かっては来ないだろうという安心感が、少し、二人の表情をやわらげさせているのかもしれない。そうであったとしても、一夜は、馬鹿にされているようで、牙を見せて言う。
「お前に出来るなら俺にもできる」
 一夜が断言した。
「言うね。壊すだけのくせに」
 銃夜がニヤリと笑った。そのまま、一夜の胸倉をつかんで、ぼそりと、落とす。
「陰陽師の能力と同じものを使う。出来るか? お前に」
 多少の可能性。それを落とす。銃夜が言った言葉を、口移しされた咀嚼物を更に食むように、飲み込んで、一夜は放つ。
「成程、これは出来てしまうから腹が立つ」
 一夜が、胸倉掴む腕と、若干の殺気を放っていたゲンと羚を目配せで抑えて、自分の足元の血液を見た。
「どうせ、そこまで来たら創造だろう。あぁ、あとは構築か? 構築の方がまだ相性はいいはずだ」
 能力、というものには、宮家の、一夜達が今まで出会ってきた、付き合ってきた霊能力者とは別ベクトルのものが存在する。それが、普通の人間でも誰でも持っているとされている、陰陽師の能力である。陰陽師の、というのは、宮家達の言い方であり、一般的にはこちらの方が、霊能力だの神通力だのと言われやすい。それは誰でも持っているからであり、発現さえしてしまえば誰でもその能力を伸ばしやすく、一般人の目にもつきやすいからである。だがそのベクトル、世界の隔たりの違いはあれど、基本的には、破壊や創造など、分類そのものは変わりはしない。変わらないが、基本的には違う能力であるため、組み合わせることは難しくないわけではない。これを組み合わせるということは、裏と表の両方を通る輪を一枚の紙で作れと、何も知らない子供に言うのと同じである。しかし、それがメビウスの輪というように、ある一点を思いつけば、知れば、三歳児だろうが何だろうが出来てしまうのだ。
「さて、いつ刺そう」
 数秒、しただろうか。一夜が相性の話をしてから、ぶつくさと何か計算か、論の展開をしたかと思えば、その手には、床から反物理的に集まった一夜自身の血液で作られた、刃のような、毒々しい赤黒い槍のようなものが浮いていた。それが、出来ると言って聞かなかったそれなのだと、周囲は出来上がってからようやく理解する。
「……何か、弱み握った気分」
 銃夜が呟くと、異夜が表情を崩さずに尋ねる。
「逆だろう?」
「いや、俺らが嫌われ者な原因を、アイツらも持ってるんだって思うとな、気分が上がる。うん、凄いアゲアゲ」
 卑しい笑みで、銃夜は答え、それを聞いていたらしい裸女が
「死語じゃないか。それ」
 と、静かに呟いた。それと同時に、耳元に届いたドロリという音にハッとして自分たち側にある、血の塊に意識を向けた。一夜に圧倒されていたからと、それは監視できていなかった理由にはならない。いつの間にか消えているそれに、一気に恐怖心と警戒心が頭の中で唸る。
「消えたぞ! 気を付けろ!」
 裸女がそう叫ぶと、ひたひたという生足が歩くような音、粘液同士がぶつかるような、生肉を食らう音がくちゃくちゃと全員の耳に触れる。その目線は、元々、一般人たちが食われていた、何故だか嫌に静かになっていた、自分たちとは反対側の廊下。既に息する声は消え去り、生温かな鉄の臭いがこちらにも満ちて来ていた。頭だけではない。腹、骨、筋肉、血管、その全てを咀嚼しだす、オシラサマという神がそこにはいた。
 人間の娘のような、白い肌、白い絹を思わせる長い髪、頭にかぶった馬の骨、富んだ胸。蚕そのものを思いだたせる、白い皺のある翅に、蚕特有のパンパンに内臓の詰まった腹。四肢というものはそれこそ、この世のものではないようで、細く艶めかしい女性の腕が、三対揃って生えていて、それで這って移動しているようである。くちゃくちゃと音を立てて食らう様は、神というよりも、外道、畜生道に落ちた死人のようで、受け入れがたかった。その大きさは、少女、というのが一番似合うようで、大体、腹や翅まで入れて、大型犬と同じくらいである。
「まだ小さいな」
 一夜がそう言って、一度、自分の槍を手放し、その準備を整えようと、照準合わせて駆け寄った。
「小さいけど成長速度早すぎないかあれ」
 ゲンが何もかも思考を受け付けない状態にあるらしく、ひきつった笑みを零す。その声に気づいて、一夜は振り返る。その全身を見て、気づいた。
「ゲン、あちらに行ったら俺の言うことは聞かなくて良いぞ」
 全て、自分で出来るから、と、一夜は零し、目を背ける。真夜の、えっ、という声が、ゲン本人にそれを気付かせた。
 足から、キラキラと煌めいて、無くなっていく。危険ではないと思われたのだろうか。それとも、一夜と羚のみが危険だと思われたのだろうか。二人以外の足が、その身が、移されていく。
「当主三人でやるのか。それとも、一夜のあれを信じるかだな」
 降り立った、そちら側の世界で、異夜が言った。睨み合うのはオシラサマ。彼女は唸り声を上げて、ゲンを含めた四人に威嚇しているようである。その他の、晴嵐や裸女、ヒヨやフセは、引き下がっていく。それは自己判断であり、幻術にかかっているだのということではない。
「十朱きょうだい」
 銃夜が言うと、白髪の少女と、郁と、定が振り向いた。
「今だけ言うことを聞け。咲耶は俺達の補助。郁と定は防衛に回れ」
 銃夜の言葉に、咲耶というらしい少女は笑う。
「つまり全員で生き残ろう、と」
 手に、武器を携える。それは日本刀。彼女、咲耶がその場で創造したものであった。
「私、能力暴走させるくらいしか出来ないんだけど……」
 真夜が不安げに、そう言って、顔を青ざめさせる。だが、それでもいい、と、晴嵐が言った。
「死なない程度に爆発でもさせれば良いんじゃないか。威嚇にはなる」
 札を取り出して、隣で、そう、少しだけ優し気に笑う。しかし、真夜はそれでも恐怖を取り払うことなく、目を背けた。
「わからないわ」
 一言、落として、視線を下に落とす。気配で、隣に、光廣と葛木が来ていることを察して、下にいる一夜と羚を見つめる。その視線に気が付いたのか、一夜が手を振った。真夜も振り返すと、一夜は少しだけ嬉しそうに笑んで、急ぎ、オシラサマの下へと向かう。ちょこまかと動いて食うものを食う彼女は、一夜のことも見えているらしく、一夜が来ると動いて避けた。
「動きを止めなきゃどうともならんな」
 異夜がそう言って、裸女に何か出すように手を見せる。
「何かあるだろ」
「何もねえよ、トラップ系は」
 異夜と裸女のそんな会話の間に、オシラサマが、こちらを向いて、臭いを嗅ぐ素振りをする。何かに気づいた、と、全員が身構えた。だが、一人だけ探されていると、ゲンと銃夜、異夜の三人だけがその理由をわかっているようで、ゲンが後ろを振り向き、駆けだす。その先にいたのは、未だ気を失っている中嶋で、ゲンは彼とオシラサマの間に立ち、壁となる。
「まだあっちは理性が出来上がってない。食ったら何が起こるかわからずに本能で食おうとするだろうよ」
 ゲンが、そう言って、こちらににじり寄るオシラサマを睨む。
「取り合いになってるもんが、お前みたいなぽっと出に食われてみろ。こっちまで巻き込まれる大戦争だ。そんなのもわからないのは、やっぱりただの虫だ。神だなんて名乗ってるが、ただの蛾だ」
 その挑発的な発言で、怒ったのかどうかはわからないが、オシラサマは歩みを早める。それにかかって行こうとする咲耶をゲンが目配せで制止した。
「ゲン! 何する気だ!」
 一夜が下からそう叫んだ。
「言うこと聞かなくて良いんだろ。なら自分でやりたいようにやるさ」
 ゲンが、そう言って、自分に迫っていく異形が、ほんの目と鼻の先まで来るまで、ただ静止している。それは酷く落ち着いていて、まるで、恐怖心も何もないかのようだった。しかし、オシラサマがゲンに目もくれず、後ろの中嶋に襲い掛かろうと飛び跳ねた時、ゲンは動いた。
「無視すんなよオラァッ!!!」
 瞬時にひじ打ちをその馬の頭蓋骨に落とし、首に腕をかけ、体全体を床に落とす。ガタンという音が聞こえ、必然的に、ゲンとオシラサマは抱き合う形に成った。
「おい一夜!!」
 ねじ伏せ、動きを止めたまま、下へ叫ぶ。
「止めたぞ! 狙え!」
 力任せに、少しずつ大きくなっていくオシラサマを床に押し付けて、笑う。だが、それは、完全にゲンが覆いかぶさっていて、一夜は一度、首を横に振る。
「阿呆! お前も一緒に刺さる!」
 怒鳴り声の連呼。阿呆阿呆と、一夜が何度も叫んだ。そんなことをしていると、ゲンが無表情に、表情を落として、また、怒ったように顔を顰めて叫ぶ。
「言うこと聞かなくていいって言ったのはお前だろチビ主!」
 チビ、と言われた瞬間に、一夜もゲンと同じようにしかめっ面で叫んだ。
「誰がチビだよこんの馬鹿守護者! いっつもいっつもお願いしても無いのに兄貴面しやがって! ちょっとくらいこっちの意思を汲めよバーカ!!! バーカ!!! あんぽんたん!!!!」
「あのなあ、こっちはお前じゃなくてお文さんと元治から頼まれてお前の兄ちゃんやってんの! 俺だって別に最初はお前のじゃなかったしお前みたいな可愛げもねえガキのお守りなんかつまんないって思ってたよ!」
「親父の話なんか出すな!!」
「何で全然関係ないところで怒るかなお前は!!!」
「そもそも俺がチビとかそういうのだって関係ないだろ金髪ノッポ!!!」
 ギャーギャーと、お互いに何をやっているのかわからないような叫びと怒号を募らせる。いつも思っていたのだろうことを、何故かはわからないが、こんな、お互いの生死、周囲の者たちの生死すらも巻き込んでいる状況で、よくもまあぶつけ合えると、一部の者は呆れていた。緊張の糸が緩む。それは、油断とも言うた。
「あのなあ! 一夜、お前はさあっ……!」
 するりと、オシラサマが腕を全て自切する。そうすることで、ゲンの拘束を逃れようとした。すり抜けようとしたオシラサマを体重で押さえつける。しかし、一夜はそれに気が付かず、反射的に、中嶋に口が届きそうだと思って、感じて、丁度ぶちまけられて暫く経っていた血液を手に集め、槍と成す。それを上へ突き付けた。ぐさりと、確実に仕留めようとした。
「……四ミリ右だ」
 羚が、一夜の体に抱き着いて、槍の刃先をほんの数ミリだけ動かし、そのまま突かせる。今度は確かに、二つの体に、一夜の血が刺さった。その感触は、一夜が一番よくわかる。オシラサマを突く時の、小さな石のようなものに当たった感触と、ゲンの肋骨に当たった感触。ぐらりと、地が割れる。一夜が無意識のうちに込めていた破壊の力が、オシラサマの中ではじけただからだ。オシラサマが爆発する。彼女が肉片と散ると同時に、異界が壊れ、割れた。全員が、落ちていく。死体も、気絶している者も、驚く者も、笑う者も、怯える者も全てだ。自分の上にいた、胸部から血を流して共に落ちていくゲンの腕を掴んで、一夜は苦しそうに笑むゲンに、祈りのように言った。
「龍だからって死にに行くなよ、馬鹿」
 全てが落ちていく。傷が、癒えるようにと、元に戻らぬ重力の中に祈る。

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