行くも餓えるもこれ一重

神取直樹

花壇の後ろ

 呪いには幾つもの種類と分類がある。もし、真樹のこの状況が、呪いによるものだとしたら、どうだろうか。一つの考察を持ちながら、一夜は屋敷の中で這いつくばった。
 立つことが出来ない。体が何故か、何故だかわからないが、異常に重くて動けない。特に上半身を何かに押し付けられているような感覚で、布の波に蹲った。時間が過ぎれば過ぎる程、体の重みは増していく。クロは一夜の首でウロウロと狼狽えているようで、首がくすぐったい。遠く遠く、少し踏み外したような意識の外で、ヒヨの声が聞こえた。不思議とフセの声はあまり聞こえない。フセは酷く冷静で、こちらを悲しそうに見ているだけだ。ふと気配が、真樹の気配が、後ろからした。
「大丈夫?!」
 大丈夫ではない。咄嗟に、そう叫びそうになったが、それも出来ない程には、異常であった。すると突然、クロが一夜の背に飛び乗る。
「小僧、すり減ったな」
 そう言って、クロは一夜の背の肉を踊るように踏んで、飛び降りる。不思議と体が軽くなって、脂汗も引いていった。
「何が起きてたんだ」
 ヒヨがクロに問うと、クロは溜息を一つ吐いて、息を切らした一夜を見ながら口を動かす。
「呪術が奴に罹ったのよ。古い古いもっと前の世界のものがな」
 話についていけないというように、ヒヨと真樹がきょとんとした顔で聞いていた。フセは変わらず部屋を探索していて、一夜たちのことなど気にしているようには見えない。
「この屋敷のものか、土地のものかはわからん」
「でも俺にはそんな糸見えなかったぞ」
 ヒヨが反撃を返すと、クロは鼻で笑って、何とか立ち上がった一夜の肩に乗り落ち着く。そのまま大きなあくびをして、馬鹿にしたようにまた笑った。
「そりゃあそうだ。原始の呪いなぞ、お前みたいな新しい目の奴に見えるはずがない」
 新しい目、という単語に聞き覚えの無いヒヨは、眉間に皺を寄せつつも、不可思議だと言わんばかりの目をしていた。
「破壊と創造は原始、それ以外はほぼほぼ新参。だから破壊にも創造にも、結びや修復はかなわない。古い方が強いのは当たり前。カバーすること、見えることに関してもだ」
 一夜が知ったような口調で言うからか、クロが「そうだ」と言うように、目を細める。ヒヨは未だわからないらしい。
「帰ったらまた説明するよ。まあ、古いのも今のも全部見える奴なんて、俺、一人しか知らないけど」
 そう話し終わると、完全に置いてけぼりにされていた真樹の肩に手を置いて、声を上げた。
「真名はここじゃ名乗れないから、呼び名だけ知っておいてくれ。俺は一夜。そこのちょっとデカい美形がヒヨ。女はフセ。お前のことは真樹って呼ぶ。以上。質問どうぞ」
 この場で、力ある名前を出すのは危険だと、勝手に察した一夜は、次々と真樹にとってはおかしなものを突き付けていく。悪寒がするのを止めるために、必死なのだ。それを感じ取ったのは、数分後のヒヨだった。
「フセ、なんか見つかったか」
 一夜が問うと、フセは表情を変えずに箪笥をまさぐっていた手を止めて、振り向く。
「何も。着替えだけね。何か面白い紋章でも見つけられればいいと思ったんだけど」
「呪術の小道具は」
「それも無い。明らかに、この部屋にはそんなもの一つも無いわ。かけられているのはここなのに」
「床は」
 フセが答えようとすると、ヒヨがそれを止める。
「床にも天井にも、繋がりが見えない。呪い自体は新しいものばっかりなのに」
「古かったらそもそも見えないだろうけど」
「じゃあ聞くけど、その『原始』のものに、捕縛する、時を止めるっていうのはあるのか?」
「いや、そこまで応用が利くような代物じゃない。檻のイメージは流石に作れない。捕縛のイメージは、お前みたいな結びの能力だ」
「なら、話は早い」
 ヒヨが指さし向かわせるのは、障子の向こう。
「鏡合わせの場所だろ。あそこから糸が出てる」
 なるほど、と言うように、一夜とフセが息を吸って、軽い笑みを見せた。しかし当人の真樹は怯えた表情で、その障子の向こうを見つめている。
「どうした」
 一夜が声をかけると、びくりと体を震わせて、大きく息を吸って、潤んだ瞳で声を返す。
「あっちに行くの?」
「あっちに行かなきゃ何も変えられない」
「それは憶測?」
「確定的な事実ではないな。まあ、憶測ってやつだ」
「僕も行かなきゃダメ?」
「多分。これは本当に勘だけど」
「勘は嫌いだ」
 苦虫を噛み潰したような、今までとは全く違う真樹の表情が見えた。一言そう言ったかと思えば、繰り返し、繰り返し、咀嚼するふりをして、もう一度、口を開ける。
「勘は、嫌いなんだよ」
 更には睨み付けるように、下から、上目遣いで一夜を見た。よくわからない焦りと、再度垂れてきた脂汗が、一夜の背をかける。
「そんなの俺も同じだよ」
 救済。一つの声。ヒヨの声が、聞こえた。
「でも俺らみたいな能力者は勘が一番扱いやすい情報だ。特に俺とフセの勘なんかはな」
「……どうして?」
「結びの勘は縁による勘。確かな事実に基づく勘。フセみたいな夢使いって呼ばれる奴らの勘も、同じく事実に基づく勘だから、正答確率が高い」
「じゃあ一夜君の勘は?」
 一度、考えるふりをして。また、息を整えた。やはり何か悪だくみするような、愛おしい表情で、ヒヨは笑った。
「すこぶる不正解が多い」
 酷い言葉だと、一夜も苦虫潰したような表情で、ヒヨを見る。けれど、ヒヨは言い直すようにまた鼻から、目を瞑ったまま言う。
「でも今回のには賛成だ。一緒に行こう。真樹。お前の問題はお前で解決しよう。それが正解なんだ。きっと」
 いつもの素のヒヨからは出ない、作り笑いのすがすがしい笑みで、色を付ける。その色を真樹に塗る。そうやって、真樹の歩みを促したかったのだ。それが成功したかどうかはさておき、目線をそらしたまま、真樹はこくりと頷いた。待つだけだったフセは部屋の全てを探索し終えて、やはり冷静に、こちらを見ている。
「フセ、行けるか」
 一夜がやっとのことで問うと、フセも頷いて、廊下に出る障子を勢いよく開ける。
「話が終わったなら行きましょ。クロも飽きたでしょ。アホ男子三人の会話なんて」
 皮肉と悪意を振り交ぜて、全て食べてしまおうと、クロが一夜の耳元で大きなあくびをした。

 板で敷き詰められた廊下は、春にはまだ冷たすぎて、少し辛い。夏になればきっと、涼しげな冷たさなのだろうが、畳より温かみも無くて、一夜はあまり好きではなかった。どうしても純和風の家屋に入ると、どんな状況でも、自分の住む屋敷と比べてしまう。この家は、どことなく昭和のような家で、和紙の張ってある障子を中心に、所々、特に台所だと思われる場所に、ガラス張りの障子が使われている。大宮家の屋敷は気密性が高く芸術性の高い屏風が使われているが、この家は風通しが良い。それくらい、隙間風が通っていた。
 玄関から延びる大きな廊下を見て、真樹が溜息を吐く。
「こっから先、誰も帰ってこなかった」
 その誰というのが誰を指すかは知らないが、だからなんだと言うように、フードを被った一夜が一歩、踏み出す。
「あっそ。じゃあ、行こうか」
 誰も帰ってこなかったなんて、一夜は慣れている。本当に誰も帰ってこれない場所を知っている。だが、この先のそれは、そんな場所よりも、もっと自分たちの帰って来るべき場所に近い。気にすることでもない。
 中は、自分たちが通ってきた、この屋敷の正面より左側の、真樹のいた部屋とそっくりそのままであった。布の配置も、箪笥も、傷もすべて、廊下に対して左右対称になるように。また、それでも全く違う部分があった。
「……モノクロ?」
 自分の目がおかしいのか、一夜は何度も目を擦るが、その手をクロの尻尾で止められる。
「よせ。お前の目がおかしいのではない。この空間がおかしいんだ」
 モノクロの部屋。否、モノクロの空間。自分たちが異質であると言っているような、そんな場所。気味が悪くなって、それが身体の嘔吐感にさえなって来る。近くでカタコトと音がした。
「何だこの糸の量……!」
 ヒヨが驚愕の声を上げたとき、フッと、目の前が完全に真っ白になる。音が聞こえる。歯車の回る音が、鼓膜を破るのではないかというくらい。ガタガタガタガタと。目を瞑っても、風景は変わらない。白いまま、回る回る音がうるさい。段々と、その音が軽い音になっていく。
――――ああ、これは風車だ。
 そう気が付いた頃に、目の前が赤と白に分かれて、一つだけぽつりと黒が立って。それが鮮明になるにつれ、音は爽快なカラカラという確かな音になっていった。瞬きもできる。瞬きすれば一瞬、赤と黒のような色になって、次に瞼を開けば、少し歪んだ風景に、更に鮮明なコントラスト。赤は風車と、一瞬見分けのつかない彼岸花の群れ。白はその背景。地平線も何もわからない、空か地上かもわからない白いだけの光。立つ黒は、黒い着物を着た男性。
「よお。来やがったな」
 青年らしい、低くも軽い声が、一夜に届いた。男性には赤い角が三本と二本と、目立たないがしっかりと、赤い刺青のような模様が頬に刻まれていた。瞳は赤く、角と同様に宝石のようである。足元の風車と彼岸花を一本ずつ取って、一夜の方へ駆けていく。
「待ちくたびれたぜ。今日はそうか、真樹のお誕生日か。はっぴーばーすでーってやつだ!」
 饒舌に、本心からの笑顔で、その鬼は口を動かす。それが何かはわからなくて、一夜は一瞬きょとんとした顔で彼を見つめたが、何故だか懐かしくて、聞き入ってしまう。
「あぁ、発音がダメだな。やっぱり、長くあっちにいなかったから、忘れちまってる」
「大丈夫。意味は伝わってる」
 安心させよう。ふとそう思ってしまったのだ。だから、答えたのだ。理由はそれだけ。だけれど、何故そう言えたのかが、何も疑問に思わずに言ってしまったのか、わからない。
「ならよかった。元気そうで何よりだ。兄さん」
「お前もな」
「脂汗が服を汚しているようだけど」
「そういう呪いだったから。やっぱり、父さんにちゃんと対処を聞いておくべきだった」
「ハハッそりゃ災難」
 そんな話をしていて、何故こんなにも自然に話せるのかがわからなくなっていく。そもそも、目の前にいるこいつは誰だ。ふと疑問に思ったが、また、その思考が消されていく。
「お茶でも飲むか。兄さんは紅茶は好きか」
 兄さんと呼ばれる歳じゃない。少なくとも、この鬼は自分よりもかなり年上に見える。それなのに、少なくとも二十歳かそこらに見える彼は、十二歳の一夜を兄さんと呼び慕う。
「いや、良いんだ。お茶してる場合じゃないから」
「気を落ち着かせるのにも良いじゃないか。どうせ時間なんていつも消える」
「でも罪悪感と記憶は消えない」
「それが神刀人鬼だよ、兄さん」
 聞きなれない言葉だった。まったくもって、来たことがない言葉。そのせいで、聞き返してしまう。今までしなかったことをしてしまう。
「神刀人鬼?」
 驚いた声を上げると、おっと、と、鬼は言う。
「神刀人鬼、皆同じって言うんだ。ある世界の、理性ある者たち全てを総称して、神刀人鬼って言うんだ。兄さんはその中だったら、王か、神官」
「面白い言い方があるんだな」
「王も神官も、滅茶苦茶強いんだぜ。俺、そいつらに何回も殺されたんだもん」
「ふうん」
「興味ないみたいだな」
「そりゃあな」
 殺されて当たり前。何故かそう思った。それで大丈夫だと、確信していた。安心していた。普通は一番不安になるだろうその言葉を安心しきって聞いていた。
「あのさ、俺、真樹を祝わないと」
 急いでいる、と、言うだけのはずだった。
「祝わないといけないんだ。でも、そのやり方が今になってわかんなくなってるんだ」
「壊せばいい」
「壊す」
「兄さんは壊すことしかできない。俺の血のその部分しか受け継いでないから。だから壊すしか方法はない」
「何を」
「くす玉を壊して祝ってやるんだ。そう、くす玉。繭を」
「糸くずの処理が面倒くさそうだ」
「糸ならヒヨさんに任せればいい」
「勝手だな」
「それが破壊の醍醐味だ」
 そこまで話して、彼は一夜を抱きしめる。
「いつでもおいで、兄さん。何度だって助けてあげる。暇と記憶だけはあるんだ」
「ありがとう。じゃあ」
 首元にクロが居ないことに気が付いた。自分が、彼と同じ着物を着ていることにも気が付いて、目を閉じる。
「頑張って来るよ、――――」
 一夜の目の前が、また暗転した。

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