お狐さま、働かない。
七十九話/霊性の蕾
「あはははは、いやはや、まさかいきなり殺されちゃうとはねぇ」
「しぶといですね」
アルフィーナは街のど真ん中に降り立ち、真っ二つに分かたれたクレラントと向き合う。
周囲には他に誰もいない。――これもアルフィーナの力に寄るものだ。
「いきなり殺すなんて、どういうつもりだい? 以前は楽しくお喋りもしたじゃない?」
「魔力をまき散らしながら我が領地に接近するものは敵です」
アルフィーナはきっぱりと断言する。
その断固たる姿勢は近隣の軍を震え上がらせた『兵器』そのもの。
その目に帯びた瞳の色はまさに酷薄極まりない。
「……領地、ってねぇ、きみ――」
「仮の宿とはいえ我が領地に違え無し。無断で侵す愚者は滅するのみ――――もやせ」
――――精霊術・燎原――――
アルフィーナの大剣を基点に渦を巻く炎が燃え上がる。
燎原の火は唸りを上げ、即座にクレラントの屍へ群がる。
瞬間。クレラントはバラバラに散らばった右手を振るい、その範囲から掻き消えた。
そして炎が通り過ぎた一瞬後。泥のような痕跡が積み上げられ、人の形を再構成する。
「ハハハ。まぁまぁ、待ってくれよ。ちょっとは話をしようじゃないか、ねぇ?」
「ふん」
アルフィーナはその光景を一瞥して鼻を鳴らす。
魂を核にして肉体を無限に再生させているのだろう。いや、彼の肉体そのものが泥濘を捏ね上げた土人形のようなものか。
魂の一片まで砕き尽くさねば彼を殺すことは叶うまい――そしてそれは、アルフィーナにも想像がつかないほど労を費やさねばならない作業だろう。
「要件だけを手短にどうぞ」
「嫌われたものだねぇ」
「敵は殺します」
「まだ敵と決まったわけじゃあないさ。正直、君がここまで出張ってくるとは思ってなくてねぇ」
完全に再構成が済んだあと、クレラントはがしがしと水色の髪を掻きむしる。
「敵でないにせよ、私があなたに味方する義理はありません」
「ところがそうでもない。僕がどうしてここにいるか、君のお家で何を話しこんでいたか――君はまだ知らないだろう?」
「私に関係があるとも思えません」
「そんなことはないさ。僕の目的はね、聖王様直々のご下命ってやつさ」
「――――!」
アルフィーナは少なからず驚く。
聖王とはつまるところ、アズラ聖王国の諸領地を統括する中央政権の頂点。
魔王討伐以後から加速度的に権力を強めており、現在は強力な常備軍を擁している。
各々の領主が独断で聖王に抗うことは難しい。さりとて連帯しようにも、特に辺境領は隣国への防備に追われる身。
その聖王こそが、〈賢者〉クレラントを引き出したというのである。
聖王家だけが彼の存在を知悉していた、ということか。有事のための秘密兵器として。
「証拠は?」
「あるわけがない。とっくに始末した後だからね。そんなものを残しておくほど馬鹿じゃない」
同感、とアルフィーナは首肯する。
魔王討伐の貢献者などという重要人物の存在を秘匿し続けていたなど、事が明るみに出ればずいぶん騒がれるだろう。誰もがとっくに死んだと思っているのだから。
「僕は権力もくそもないが、後ろ盾は一応あるってわけだね。そして、まぁ、協力しろとまでは言わないし、そんなことを言っても君は従わせられないだろうけど――君の非協力態度が彼の耳に入れば、君の領地はあまり愉快なことにはならないだろうね?」
「……脅しですの?」
「ハハ、まさか。僕と君が戦っても千日手だろうからね。本気でやりあおうなんて全く思わないよ。停戦協定ってやつかな? そうだね、できれば――あと三日ほど大人しくしててもらうか、あるいはここを出ていってくれたら都合がいいんだけど」
また三日。アルフィーナはあからさまに表情をしかめる。
事ここに至って、クレラントの干渉が明らかになったわけだ。キリエ枢機卿やフィセルが警告した件についても、間違いなく彼が関与しているのだろう。
アルフィーナは大剣を掲げたまま黙考する。
無理やりにでも彼から聞き出すか。時間をかけて痛めつければ不可能ではないような気もする――が。
「死ィッ!!」
「ぶげェッ!?」
アルフィーナは大剣の腹を思いっ切りクレラントに叩きつける。肉片が弾け、血しぶきがほとばしる。
特に意味はない。単なる腹いせ、八つ当たりであった。
アルフィーナは軽々と風を切って大剣を振るい、虚空に得物を掻き消す――そしてそのまま背を向ける。
「おや。もう行くのかい?」
「これ以上あなたに用はありませんから」
彼に無理やり聞き出すより、あちこちに聞き回ったほうが得策。そう判断したのである。
ついでに街も見て回れるのだからアルフィーナには都合がいい。
「言っておきますけれど。また干渉するようでしたら、徹底的に殺し尽くします」
「ハハ、こんな轍は二度も踏まないさ。あまり失敗を繰り返したくはないのでね」
どうやらクレラントもこれを失敗と認識しているらしい。
頭をかち割られて脳みそを晒していればそれも当然か。どうせ作り物の肉体なのだろうが。
「じゃあね。あと三日足らずだ、楽しんでくれよ」
後三日。その警告の意味を、彼女らは知っていたのだろうか。
それが、聖王家と――あるいはウェルシュ家とどのように関係しているのだろうか。
アルフィーナは宿の部屋まで戻ったあと、"絶界"を解き――そして何事も無かったように――実際、外界には何の影響も与えることなく床に就いた。
◆
一夜明け――――
本日はユエラとテオの二人きり。
いつものごとくユエラ邸の地下広間にて、二人は向かい合った。
「……それで、今からは何を……?」
朝から昼は感応力を増大させる訓練に時間を費やしたテオ。
そこから家事などをこなせば昼を過ぎるのはすぐだった。
感応力の増大、とはいっても実際には感覚を持続しながら動くことに慣れるのが主な目的だ。
その結果――首尾は上々といったところだろう。完璧とまでは言えないが、魔素を知覚しながらもテオの動きは遜色ない。並大抵の相手ならまず打ち負けはすまい。
だが、リグは並大抵の相手などではない。頭一つ、否、二つも三つも抜きん出ている相手である。
そこでユエラは試すことにした。
〈魔術の器〉――自らがそれを目覚めさせた感覚の再現を。
「……とはいえ、あまりに勝手が違いすぎるのう。おまえと私では」
「そうでしょうか」
「当然であろう」
「身の丈は似たようなものだと思います」
「そういう問題ではない」
テオは150suも無いが、ユエラは140suにすら満たない。どちらも小柄と言えばその通りだが。
「結局おまえは人間だが、私は化け狐だ。つまるところがけだものよ。そこを履き違えてはならぬ」
「ですが、その時も人に化けておられたのでしょう」
「確かにそれはそうなんじゃが――私の〈魔術の器〉がどうやって発現したか、覚えておろう?」
テオはユエラの問いにはっきりと頷く。
「しっぽが生えてきた、と仰られていましたね」
「うむ。つまりだな、私はしっぽが新しく生えてくるが……おまえたち人間にはしっぽが生えてこんであろう」
「ユエラ様のようなしっぽが生えてきたらとても良いと思います。おそろいです」
「おまえの希望は良いのでな?」
「申し訳ありません」
希望というより欲望というほうが相応しそうな表情。テオは神妙に頭を下げる。
とはいえ欲望も悪いばかりではない。欲望こそが人間を人間たらしめることもある。
「まぁ、万が一生えてくることもあるかもしれぬが、それは自然に〈魔力の器〉が発現するくらい低い確率であろう……」
「少なくとも私は聞いたことがありません」
「そういうわけだ。というわけで、役に立つ気はせん――が、他にあてもない。それでも良い、というなら試してみようかえ」
「是非もありません」
テオは即座に頷く。
人間の〈魔力の器〉はおおよそ形を持つことがない。ユエラのそれを移植すれば、テオのしっぽが生えたままになろうが――
「やはり私は移植でも良いのだが?」
「――――非常に心惹かれる選択ですが、私がそれを選ぶことはできません」
「強情なやつめ」
欲望に訴えても、やはりテオの答えは変わらなかった。
ユエラはそれを厄介に思う。同時に好ましくも思う。
「――ならば、やむを得ぬのう」
しっぽ一本でテオの生存率が上がるのなら、ユエラは喜んでそれを託すつもりだ。
だが、テオが了承しないかぎりそれを強制するつもりもない。
「そこに立って力を抜いておれ。やることは昨日と変わらぬよ」
「幻術、ということですね」
「うむ。所詮はまやかしに過ぎぬさ」
もっとも、昨日と今日ではわけが違う。
感応力とは意志ある生物――魂を持つ全ての生物が有するとされる力である。
一方、後天的に〈魔術の器〉を芽生えさせる可能性は決してその限りではなかった。
「行くぞ」
「――はい」
ユエラはテオに向かって掌をかざす。
そして、そのちいさな手が淡い魔力の光を発した。
――――幻魔術・百花繚乱――――
聞こえぬ音を聞かせ、見えぬものを見させ、感じないものを感じさせる。
そのあからさまな異変は、すぐにもテオの反応を引き出さしめた。
「……ッ!? 何か、熱い、ような……ッ」
「それはそうであろう。今まで無かった器官が生まれるのであるからな。そして人肌の体温とは自分が思うておるよりずっとぬくいものよ」
「な――なるほど」
「器が形成されておるせいかもしれんな。全くエネルギーが関与しておらんとも思いがたい」
人体を動かすもの、というのも結局は熱量である。
〈魔術の器〉というものは本来、無形の器官とされているが――ユエラに限っては例外だ。それが熱量によって駆動していると考えることも出来よう。
「ユエラ様」
「うむ、なんだ」
「なにやらお尻が重いです」
「気持ちはわかるが耐えるが良い」
「ユエラ様がしっぽを隠しておられた理由がわかりました」
「そういう理由ではないんだが」
三本目以降のしっぽをあらわにすれば、ユエラの異能は大幅に拡張される。
そして、人間社会はその能力を許容するほど懐が深くないだろう。――という算段があるにはあったのだが。
――――まぁ、確かにそれも無いとは言えぬが……。
重いだけならまだしも、あちこちに引っ掛けたりして邪魔くさいとか、服を着るのに邪魔とか、そういう理由が無いではなかった。
果たして数秒後。
テオの背部に、ユエラと瓜二つのしっぽが一本、ぴょこんと生えていた。
言わずもがな、それは幻でしかない。
「――すごい。まさにユエラ様のそれと見紛わんばかりです」
「実際、私のを模しておるからな。もし違っておったらそのほうがまずい」
「すごい……自分に生えているのでユエラ様に気兼ねすることなく触ることが可能です……」
「浸っておるでない」
放っておいたら頬ずりでも始めそうなほど恍惚とした表情だった。
物理的に不可能だが。
「はっ。無論のこと、ユエラ様のものに勝るものでは全くありませんので」
「そういう問題ではなくな」
「はい――ですが、実際のところ、どうしたものかと」
テオは少し間を置き、表情を変えないまま小首を傾げる。
どうしたものか、といえば、どうにもわからぬ、というのが実際のところだろう。
「私の〈魔術の器〉ができたのは……経年に寄るものかも知れぬしなぁ……」
「はっきりとした理由はわからない、ということですか」
「うむ」
理由が分からないということは、人為的に発生させるのも困難を極めるということ。
テオは困ったようにぱたぱたとしっぽを揺らす。――こんなことばかり上達が早かった。
「……幻覚でも思いこみで魔力を蓄積できたりは」
「さすがに無理であろう」
「ですよね」
テオは神妙につぶやく。
が、端からダメ元だっただめか。彼女はさほど残念そうでもなかった。
「ひとまずこのまま演習を続けます。器が生じるとは思いませんが、観測できるものが全てとも限りませんので。飽くまで感応力に慣れることを主軸に致すつもりです」
「それが賢明だのう。……魔素を制御しつつ以前通りに動けるのなら、目に見えるくらいには強くなれるであろうよ」
ユエラは確信を持って断言する。
残り時間はあと二日――厳密には一日と半日。
本来ならば難しいと判断するところだが、テオはまさしく例外だった。彼女はほんの一日で、ユエラの予想を大きく上回るほどの適応力を見せた。
テオは〈魔術の器〉を持たないはずなのに。
魔術を行使するに当たって特に重要なものといえば、意志。
言い換えるならば、連続した意識。
頭の中にある思考を言語化する営み、とも言えるだろう――それが「意識する」という行為の本質だ。
当然、そのことはテオにも教えてあるわけだが――
「……よくもあれだけ動きながら意識できるのう、テオ」
ユエラも今の姿では難しいだろう。彼女の体術はそれほど優れたものではない、という点もあるが。
しかしテオはこともなげに言った。
「――ユエラ様、正直なところを申し上げますが、私自身に意識できているという自覚はありません」
「……ふぅむ?」
意識していないで魔素を制御できるならすでに凄まじいが。
それはまずありえない。つまり、「無意識のうちに」「意識的に言語化する」という行為をやっていることになる。
――――なにやらややっこしい話になってきおったな……。
「ですが、私にもできる、とユエラ様が仰られましたから」
「……ふ、む……」
それはユエラへの無謬の信頼に寄るもの――とは思いがたい。
過ぎた情動で魔術を極められるのなら、魔術の普及は今よりずっと容易かろう。
それはおそらく、テオという個人に由来する特質。
狂信に近い信頼からなる確信、とでも言うべきか。
魔術の深奥は定かならず、ユエラにさえも計りきれるものではなく――
「……うむ、方向性は間違っておらぬであろう。やっていってみるかえ」
「はい」
「しっぽがある状態に慣れぬようにな」
「いっそ生えたままでも構いませんのに」
「幻術にかかりっぱなしというのもどうかのぅ……」
大真面目な表情で言いつのるテオ。
ユエラは思わず苦笑しつつ、リグの幻像を発現させるための準備を開始した。
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