お狐さま、働かない。

きー子

七十八話/妹、下町に触れる

「……これはまた、ずいぶんと……」

 ひとしきり街中を見て回ったアルフィーナ。
 すっかり夜も更けたころ、彼女はとある一件の宿屋にたどり着いた。

〈鵯の羽休め亭〉――この辺りで一番安い宿への案内を頼んだ結果がこれである。
 興味本位のことで覚悟はしていたが、それでも少しためらってしまうようなたたずまい。

 ――――まぁ、必要十分と云いますものね。

 そもそも自分が恵まれた環境で育ってきたことは理解している。
 そのことを脇においておけば、この突貫工事気味な二階建ての木造建築も許容範囲に違いない。

 アルフィーナは意を決して入り口の扉に手をかける。
 少し開いただけで彼女は少し気圧された。あからさまな酒臭さが屋内から漂ってきたからだ。

「……う」

 十四歳といえば酒のひとつも嗜む年頃――と言えなくもないが、アルフィーナはその限りではない。
 少なくとも、木賃宿で供される安酒を口にした試しは全く無かった。

 それでもぐっと気合を入れて店内へ。
 喧騒の波にほとんど揉まれながら、アルフィーナは視線をめぐらせて店主を探す。
 いくつかの椅子が横並びになっているカウンターの向こう側――そこにいる強面の男がそうだろうと当たりをつける。

「もしもし、店主さん。部屋ひとつ、空いております?」
「――――あ、あぁ。一部屋だな。空いているが……」

 少なくとも間違いではなかったらしい。
 男は一瞬あっけにとられたように目を見開いたあと頷き、奥から鍵を取ってくる。

「……こっちは構わねえが、おまえさん、良いのかい。宿を間違っちゃいないだろうな?」
「間違いはないです。そんな粗相はいたしません」

 アルフィーナが店名を口にすると、強面の男は確かに違いないと頷いた。
 告げられた料金を払い、代わりに部屋の鍵を受け取る。その頃には「一体何事か」と好奇の視線が周りから集まっていたが、アルフィーナは意にも介さない。

「こいつに名前を頼む」
「畏まりました」

 アルフィーナは示された帳面に、ファリナ、と偽名を書き入れる。
 お兄さまは街でも何かと風評が流れているようですし、という当然といえば当然の判断だった。
 アルフィーナの燃える炎のように鮮やかな朱髪はいかにも目につくが、まさかアルバートの妹御とは誰しも思うまい。

「ついでに何か食べるものを。頂けます?」
「どこぞのお嬢さまだろ、おまえさん。その口に合うものができる保証はないぞ」
「そんなことはないです――私、これでも好き嫌いはありませんから」
「相分かった。後から文句言われても困るぞ」

 強面の男は綽々と頷いて調理を始める。
 いかにも無愛想ではあるが悪い感じではない男性だった。アルフィーナは荷物を膝の上に置き、カウンターの一席に座る。

 鍵を服の中に仕舞い、人心地ついたところで改めて店内を見回してみる。
 やはりと言うべきか、店内の酔客は男性が八割方。身なりは端的にいって良くない。武装している客も多く、彼らはいわゆる探索者だろう。

 ――――でも、うん、意外と普通ですね。

 少なくとも彼らはきちんと椅子に座っている。酒癖は悪いが食べる時は手づかみではない。酒の席で殺し合いが始まったりもしない。

 聖王国でも田舎のほうに行けば、そういう文化風習が残っている土地は珍しくない。この街は人が盛んに往来する分、どの階層出身であろうとも文化の発展は著しいということ。

 ふと視界の端、客の間を行き来する栗色お下げ髪の少女が目に留まる。
 おそらくはアルフィーナとそう変わらない年頃だろう。店の主人の娘だろうかと思う。顔立ちなどは丸っきり似ていないが、少なくとも髪色だけは同じだった。

「そういえば――アリア」
「はいはいー、なんでしょう……?」

 その時、すぐ近くから声が聞こえる。
 同じカウンター席に座る女性。くすんだ金色の髪に青い瞳。腰には二振りの剣を帯びている。
 アルフィーナがそちらをちらりと見れば、おそらくは聖王国人らしいと知れた。顔立ちにそれらしい名残がある。

 彼女のもとにお下げ髪の少女がぱたぱたと駆け寄る。アリア、というのはきっと愛称だろう。

「最近、ユエラのとこに出入りしてるんだって?」
「えーっと、以前通り、週に何回かは行ってますね」
「いや、泊まりでって聞いたからさ」
「あ、はい。ちょうどフィセルさんが空けられた時、ですね」
「……なるほどね。その時か」

 親しげに言葉を交わす二人――ただの客と店員、というわけではなさそうだ。
 興味を惹かれ、アルフィーナは頬杖を突きながらこっそり耳を傾ける。

「今日から三日後……かな。その時はあっちに移っといた方が良いかもしんないね」
「……ど、どうしてです……?」
「ちょっとね。厄介なことになるかもしれない……けど、あっちならまだ安全だろう? 地下ならまぁ、大体のことからは守られる」
「……言いづらいことです?」
「大きな声ではね」

 フィセル、という名前の女性はちいさく肩をすくめる。
 今ひとつ意味を掴みがたい会話だったが――三日後、という言葉がアルフィーナは気にかかった。
 三日後といえば、キリエ枢機卿がアルフィーナに警告した通りの日付けではないか。

 偶然、とするのが妥当な考えだろう。
 キリエ枢機卿が公言するのをはばかるような情報なのだ。
 それを、この小じんまりとした宿に出入りする客人が知り得ていようとは――まさか夢にも思わない。

「おまえさん、酒は行けるかい」
「あ――行けなくもないですけれど、他には……?」
「牛乳」
「……ではそちらで」

 行ってから、しまったな、と思う。アルフィーナは牛乳を飲むとしばしばお腹を壊すのだ。
 新鮮なものならば、あるいは。しかしそろそろ暑くなってくるこの時季は足が速い。
 ――――大丈夫でしょうか、と警戒半ばに遠ざかる背を見送る。

「お待ちどう。これでも飲んで待っといてくれ」
「はい、では――――あ」

 木製のコップに入った牛乳におそるおそる口をつける。
 そしてすぐに気づいた――この牛乳、存外に冷たいのである。

「……冷えているのですね」
「ん、ああ――娘が魔術を使えてな。そのおかげだ」

 娘、と聞いてアルフィーナは思わずお下げ髪の少女を見る。彼女ははにかむような笑みとともにアルフィーナへ会釈した。
 娘という見立てはどうやら間違いではなかったようだ。

「でなきゃこの時季の店には置いとけんな。恐ろしくて」

 男は快活に笑いながら調理に戻る。景気のいい火の弾ける音が奥から聞こえてくる。

 待つ間、アルフィーナは考える。三日後、果たして何があるのか。
 キリエ枢機卿がそれをどう考えているかも今ひとつ不明瞭だった。

 なぜアルフィーナに街を出るよう勧めたのか。まさかアルフィーナの身の安全を本気で案じているわけではないだろう。
 アルフィーナの戦闘能力は――忌々しくも――周辺諸国に広く知れ渡るほどの折り紙付き。余程のことが無ければ彼女が死に至ることもない。

 順当に考えれば、アルフィーナに恩を売られることを嫌ったのだろう。キリエ枢機卿が抱えている案件をアルフィーナが片付けてしまったら、こちらに何を吹っかけられるかもわからない。
 そういえば兄――アルバートも〈賢者〉クレラントと会ったと言っていた。何のために賢者は兄に会いに行ったのだろう。聞いておくべきだった、とアルフィーナは今さらながらに悔やんだ。

 少なくとも、それらが全て無関係とは思えない。
 思えばこの街はいわくつきだ。魔王が封印された土地の直上に築き上げられた街。今まで二十年間近く、何事もなく営まれてきたことのほうがかえって不思議である。

「お待ちどうさん。難しい顔してどうかしたかい」
「――――ああ、いえ、ありがとうございます。何でもありませんの」

 店主に会釈し、目の前に置かれた皿を覗き込む。
 こんがり焼き上げられた豚の腸詰めと焼き野菜。表面には薄っすら焦げ目の付いたチーズが糸を引いており、なんとも食欲をそそる。
 手を合わせて黙礼。早速腸詰めにフォークを突き刺して齧り付けば、ぱきっと皮の弾ける音が心地よい。
 滲み出る熱々の肉汁――つまりは脂と肉の感触を味わいながら咀嚼する。

 果たして――店の外観にそぐわず、供された食事は十分にアルフィーナを満足させるものだった。
 好き嫌いが無いというのは嘘でなく、アルフィーナの食生活は非常に清貧だ。まるで長耳のようですね、と従者にからかわれることもある。それだけにあまり味わうことのない肉と脂の味わいはよく沁みた。

「ほふっ……」

 火傷しそうなくらいの熱を牛乳で冷やす。これはあまり合わなかったがやむを得まい。
 これならば、小じんまりとした宿のわりに人が多いのも納得がいくというものだった。
 おそらく探索者の好みに合わせているのだろう、味はどちらかといえば塩っけが濃い。でも美味しい。

「なぁ、そこな人」
「……私、です?」
「ああ」

 その時、声――先ほどの金髪の女性。
 アルフィーナが自分を指差すのに、彼女はコップを傾けながら頷く。

「あんた、どこかで見たような気がするんだが。気のせいか」
「私は覚えがないです。……あなた、お名前は?」
「フィセル。フィセル・バーンスタイン」

 素直に名乗りを上げたのを聞き、アルフィーナはうっかり喉を詰まらせかける。
 覚えがないというのは本当だが、バーンスタインと聞けば話は違う。

 バーンスタイン家。第一次迷宮攻略遠征にて大いなる汚名を被せられた騎士の家名。そして、現在に至るまでの聖王家の恥部。
 すでに貴族位を奪われているが、聖王に反抗的な領主はいまだにその家名を挙げることもある。――アズラ聖王国の貴族界隈ではそれくらい良く知られた名前である。

「バーンスタインの家名はお聞きしたことがあります。ですが、私はあなたを御存知ないと思います」
「聖王国の出かい」
「ええ」

 フィセルはまじまじとアルフィーナに目を向ける。
 その目は不思議と彼女の瞳――そして鮮やかな髪色に向いているように思える。

 そして、フィセルはかすかに笑みを浮かべながら不意に視線を切った。

「いや、すまないね。思い過ごしみたいだった」
「そうですか。でも、なぜ?」
「私が知ってるやつと似てる気がしてね――いや、でも、気のせいか。あれの妹がこの街にいるわけもない」

 あれ、とは十中八九アルバートを指しているのだろう。
 この女性はアルバートの知己か。だとすれば恐ろしいほどに鋭い勘の女性だった。

「私は――ファリナと申します。あと何日かはこの街に滞在するつもりです」
「そうか。私は探索者だから、あんまり顔を合わせることはないだろうけど――ああ、そうだ」
「……なんです?」

 言い忘れてた、というようにふとコップを置くフィセル。

「三日以内くらいに街を出たほうが良いよ。できれば」
「三日。さっきも仰られていましたね」
「聞いてたのかい?」
「失礼。小耳に挟んだものですから」

 なぜです、とアルフィーナは口にする。
 フィセルもそれは言いかねるようだった――が、どこからか別の男が口を挟む。

「俺も聞いたぜ」
「ああ、なんでも迷宮を一気に進んでる奴らがいるってさ」
「百層まで辿り着いたら何かが起こるとかなんとか」

 特に具体性はないが、広く知れ渡っているのか。
 アルフィーナはそれを聞いてなお、状況を判断しかねた。

「進行状況が分かるのですね?」
「……ああ。噂話の類、といえばそうなんだけどね。万が一って話だよ」

 フィセルはそういって言葉を濁す。
 その口振りは、噂を信じているようには見えなかったが――

「考えておきます。それまでに見るべきものが無くなったら、ですけど」

 アルフィーナはそういって微笑するに留め、食事を再開。
 フィセルはにわかに苦笑するも、無理にアルフィーナを説き伏せようとはしなかった。

 ◆

「……ふぅっ」

 アルフィーナは鍵を開け、宿の部屋に入る。
 扉を閉じれば意外に一階の喧騒も遠い。この分ならば問題なく床に就けるだろう。

 荷物を下ろし、寝間着を用意。
 身体を流したかったが、さすがにこの宿の洗い場を利用するのははばかられた。必要十分ではあるが――いささか粗雑に過ぎるのだ。

 代わりにたらい一杯のお湯を貰ってきた。これに手拭いを晒し、ついでに素足をむき出して湯に着ける。
 これだけでも歩き通しの足はずいぶん癒やされる。

 真っ暗な部屋で何もせずにぼおっとする。誰の目に付くこともなく、一人でいる解放感にひたる。
 しばらくそうしたあと、アルフィーナは濡れた足を拭き、部屋の窓を押し開いた。
 やや蒸した部屋に夏前の夜風が吹きこんでくる。これが涼しくて気持ちがいい。

 ――――と、その瞬間だった。

 巨大な魔力反応の接近を感知。
 アルフィーナの思考回路が即座に戦闘用へと切り替わる。

「いでよ」

 ――――精霊術・創造――――

 一言の詠唱と同時、虚空からアルフィーナの右手に生じる紅の大剣。
 その刃渡りは140su近く、彼女の身の丈にも及ばんほど。
 彼女は身を低くして窓の柵に足をかけ、一瞬ともためらわず蹴り飛ばした。

 小柄な身体が宙に舞う。
 炎のように朱い髪が尾を引いて風になびく。
 暗い眼光は夜空を走り、巨大な魔力の反応源を刹那にして視認した。

「とじよ」

 ――――精霊術・絶界――――

 識別した対象と自ら以外が存在する次元軸をずらす。
 これにより、アルフィーナの行動が外界に影響を及ぼすことはない。

「げ――」

 あまりにも迅速な敵対行動に、対象は空中でたじろいだ。
 アルフィーナは一瞬もためらわない。彼がアルフィーナを、あるいは彼女が滞在する建物に向かっていたのは明らかだったから。

「いぬけ」

 ――――精霊術・紅閃――――

 アルフィーナの視界が照準した標的に向けて放たれる炎の矢。
 それは彼が旋回しようとも無関係に追尾し、着弾するまで飛び続ける。
 止まることは、絶対にない。

「こいつは、また……しっつこい、ねぇッ!?」

〈賢者〉クレラント。
 彼は空中で大きく弧を掻き、炎の矢をすんでのところで振り切る。
 穂先が彼の飛行軌道から逸れた瞬間――――彼の後方で光が爆ぜ、爆風が彼の背中を打ちのめした。

「ッ、ぐぅ!?」

 吹き荒れる爆風に煽られ、身を焼かれ、空中でふらつくクレラント。
 無論のこと、その隙を見逃すアルフィーナではない。

「さよなら」

 ――――バツンッ!!!!

 アルフィーナは空中機動の勢いを乗せ、クレラントを一刀のもとに両断。
 真っ二つになった屍を蹴飛ばし、地の底まで叩き落とした。

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