お狐さま、働かない。

きー子

七十七話/三日間

「……し、しっぽを、ですか――テオさん? テオさん?」

 アリアンナが驚愕を表明する傍ら、テオの反応がないのをいぶかしむ。
 様子をうかがうために視線を向ければ、きょとんとした表情のまま微動だにしないテオがそこにいた。

 アリアンナは彼女の顔の前で掌をぱたぱたと上下に揺らす。

「……し、死んでる……」
「そんなすぐに死ぬわけあるかえ!」
「でも反応がないです」

 ユエラはよっこいせと立ち上がり、ぺちぺちとテオの頬をはたく。

「ほれ、起きぃよ、テオ」

 そう言ってしばらくぺちぺちとやっていると、彼女は不意にぴんと背筋を張った。
 テオはぱちぱちと瞳を瞬かせ、そしてようやく気づいたようにユエラをじっと見上げる。

「も、申し訳ありません」
「うむ。気づいたかえ」
「びっくりし過ぎて死んでいました」
「勝手に死ぬでない」
「やっぱり死んでたじゃないですか!」
「そんな軽率に冥府と現世を往復するでないよ」

 そら見たかと言わんばかりに声を上げるアリアンナ。
 そら見たかではない。ユエラは頭痛を堪えるように額を押さえつつ着席する。

「……いえ、しかし、その。ユエラ様の一尾を与るなど、あまりにも恐れ多く……」
「なぜ顔を赤くしおる」
「ユエラ様の身体の一部を迎え入れるということでありましょう……?」
「意味深に言うでない」

 確かに身体の一部ではあるが。
 ユエラのしっぽはいうなれば彼女の魂の象徴のようなもの。ゆえにこそ、一尾ごとに〈魔術の器〉が宿っているのだろう。
 通常の魔術師では〈魔術の器〉の移植などまず不可能。それがはっきりと形を持って表出することは珍しいのだ。
 だが、ユエラならばそれができる。テオが自ら〈魔術の器〉に目覚めるのとは違い、比較的容易――かつ現実的な選択肢ともなり得る。

「おまえが〈魔術の器〉を得ようと、修行無くして魔術はろくに使えぬ。が、私のしっぽは特別だからのぅ。魔力を取りこんで蓄えておく、ということが可能になる。――これを使えば少しは逆転の目もあるであろう?」
「……それは……確かなことと、思われますが……」

 テオは若干の呼吸困難に陥りながら頷く。――興奮のし過ぎである。

「先生、やっぱりそういう裏技みたいなのあるんじゃないですか……!」
「言うておくが、おまえにやってもせいぜい魔力を貯蔵するくらいの役にしか立たぬぞ」
「……そうなんですか?」
「そもそもおまえにはやらぬ」
「はい」

 しぶしぶ、といった顔で大人しく着席するアリアンナ。
 それに対し、ユエラの提案を聞いたテオの反応はあまりかんばしくないようだった。

「……やはり、人を外れるのはあまり気が進ま」
「そのようなことは全くございません!!!!」
「落ち着き」

 食ってかからんばかりの勢いで言いつのるテオ。
 その剣幕にはユエラも気圧されるほどであった。

「恐れ多い、なぞ気にすることはない。私が良いと言うておる」
「いえ、それだけではありません」
「ふぅむ。……言うてみよ」

 ユエラがそう促すと、テオは率直に言う。

「ユエラ様にも重大な戦いが控えているのです。それを目前にして、ユエラ様の力を削ぐような真似は断じて許容しかねます」
「……そのことかえ」

 当然、ユエラとてそのことは折り込み済みだ。
 九尾のままでも確実な勝算があるわけではないが――八尾になったからといって激的に戦術が狭まるわけでもない。
 だからユエラ自身は気にもしなかった、のだが。

「ユエラ様をして苦戦を強いられるような相手です。なればこそ、ユエラ様はどうか自らの戦いにご尽力下さい。そのお力を削ぐような真似をされて、もしものことがあれば――――私は、」

 そこまで言って、テオは言葉を切る。
 声もなく俯く。

 なるほど、とユエラは思う。
 もしものことがあったとして、それはテオの責任でもなんでもないのだが――彼女は、きっとそうは考えない。

 自分がもし敗れた時、テオが立ち直れない可能性を考えれば……それは断じて避けるべきだった。

「わかった。この案は無しとしておこう」
「申し訳ありません。折角の御提案を――折角のお誘いを」
「なに、気にするでない。そのぶん気張らねばならぬのはおまえであるからのぅ?」

 ユエラが悪戯げにそう言うのに、テオは「はい!」と生真面目に頷いてみせる。

 一連のやり取りを漠然と聞いていたアリアンナは、不意にぽつりと言った。

「……ユエラ先生がてこずる相手、って誰なんです? 魔王とか?」
「惜しい」

 ◆

 昼を過ぎて仕切り直し――

 テオとアリアンナには同じ訓練、すなわち感応力の向上を試みることにした。
 アリアンナはすでに習得済みではあるが、魔術師ならどれだけ高めても損になることはない。

「……魔術に関してはあなたが先達になりますね。よろしくお願いします」
「あ、は、はい」

 淡々と述べるテオ、やけに恐縮するアリアンナ。
 二人はおよそ同年代のはずだが、とてもそうは見えなかった。ひとえにテオが落ち着きすぎているためである。
 それも時と場合によっては異なるわけだが――

「さて、私は今からおまえたちに『魔素を知覚する感覚』を与える。それで感覚を掴んてから実際にやってみる、というわけだのう」
「……それは、私もやるんですか?」

 アリアンナは小首をかしげる。おさげの髪が挙措につられてゆらゆら揺れる。
 もちろん、と言うようにユエラは首肯。

「おまえも感覚は掴んでおるだろうが――私のそれとではずいぶん感覚も違うであろうよ。大量の魔素を知覚する感覚が分かれば、おまえ自身の感応力も少しは高まるであろう。……と、いう理屈だな」
「理屈ですか」

 テオがにわかに瞑目する。

「なにせ実際にやらせたことはないからのう」
「無いんですか!?」

 愕然とするアリアンナ。
 それに対し、テオは無言で頷くばかり。

「安心せえ、いきなり大きい感覚をぶちこみはせん。少しずつ大きくしていくから、もしまずいと感じたら右手を上げよ。良いな?」
「……は、はい」
「かしこまりました」

 ユエラはそういって、双方へ同時に幻術を行使する。
 二人の反応はそれぞれだった。

「――これが」

 と、ちいさくつぶやいて瞑目するテオ。

「……あれ。いつもと変わりませんね……?」

 と、不思議そうに小首を傾げるアリアンナ。

「私の感じたものだが、それをどう感じるかはそれぞれだからのぅ」

 神経電流の再現。とはいえ、それを感知するのは各々の肉体なのだ。当然のように多少の差異はある。
 仮に魔素という概念を全く知らなければ、それは極めて不快に感じられただろう。

「このまま少しずつ大きくしていくからな。心の準備をせよ」

 ユエラは言う。二人は言葉もなく頷く。
 それを集中している証左と見て、ユエラは感覚を段階的に増大させた。
 程なくしてアリアンナが驚愕に目を見開く。

「……ちょ、これ、多すぎ、ですっ……!?」
「無理かえ」
「無理、ではないですがッ」
「なれば堪えよ」

 本来持ち合わせる能力以上に魔素を感知しているのだ――擬似的に、とはいえ。
 多少の拒絶反応が出て無理もない。

 感応力は高まるほど魔素の知覚量は増大する。
 さりとて、高いことが絶対的に良いというわけではない――魔素を知覚できないということは、余計なものを感じないよう、身体の安全機構が機能しているということでもある。

「っ、ん……」

 テオの反応は極めて微細。
 感応力を全く持たない彼女には、大小を計るすべがないのだろう。

「テオ。いけるかえ」
「――――はい。御心配には及びません」

 直立したまま肩を落とし、全身の力を抜く。目を瞑る。
 あくまで集中するための姿勢を保ち続けている。

 良かろう、とユエラは頷き、さらに感覚を増大。
 さらに数段階上げたところで、限界というようにアリアンナは右手を高く上げた。

「っ、これ、は――これは、無理です、無理です!」
「我慢するのじゃぞー。もうちょっとで終わるからなー」
「それはなかなか終わらないやつです!! 歯医者さんとかで言われました!!」

 ちゃんとこの街にも歯科医がおるのだなあ、などとユエラは益体のないことを考える。
 アリアンナはしばらくそのまま堪えていたが、あえなく膝を折るようにその場で屈み込んだ。

 ユエラはそこで感覚を打ち止めにする。何事も――筋力を鍛えるにしてもそうだが、限界を少しだけ越えるくらいが丁度よいのである。
 そこでテオの様子を見れば、彼女はやはりじっと立ったまま耐えていた。ただし、その頬には幾筋かの汗が流れている。
 めったに見ることのない光景だった。

「……うむ、取りあえずこれくらいで試してみるかえ」

 と、テオに行使した幻術も解除する。
 彼女は途端にほぅと息を吐く。その場でゆっくりと伸びをして、壁際にとすんと背を委ねる。

「何かがまとわりつくような――身体が重いような感覚、でした。正直、これを感じながら動き回れるかというと、厳しいものがあるように思われます」
「慣れだ」
「慣れですか」
「私はできるから人間にもできよう」
「やってみましょう」

「そんな無茶な」と言わんばかりにアリアンナは床にお尻を着ける。
 限界を超えた知覚にはそれ相応の負荷がかかるのだ。実際、幻術とは言えやりすぎれば肉体に害を及ぼすこともある。

 テオはすぅっと深呼吸し、両手を垂らしたまま力を抜いてまっすぐ立つ。
 全くの自然体のまま目を瞑る。

「――先刻とは比べ物にもなりませんが……少し、似た感覚があります」
「おお。開いたか」
「そんなに簡単に目覚めるものなんですね……」
「まぁ、魔素を感じぬというのは、身体の安全機構が働いておるということでもあるからな――」

 つまりは、それが実害にならないと教えれば良い。
 さすれば、身体は大気中に偏在する魔素を知覚し始める。身体を撫でていくほんのかすかな風と同じように。

「……つまり、生まれつき魔素を感覚できるというのは……安全機構が壊れている人でもある、ということなんでしょうか……?」
「そうとも言える。さっきも言うたが、能力だけはあるせいで気が触れる、ということもあるからのう」

 人体に害はないが、理性を害さないとも限らない。
 それゆえに古来、魔術師の存在は極々少なかった。時代が進むほどに理解は進み、魔術は社会に普及した。
 ユエラからすれば、ずいぶん魔術師も増えたものよ、という感慨が無いではない。アリアンナのようなごくありふれた娘さえも魔術を手懐けられるのだから。

 千年の昔。
 優れた魔術師とは、一握りの中の一握り――本当に限られた存在だったのだ。そう、あのクレラントのような。

「……感じられはしますが、ごく微細と申しましょうか。集中状態を切らしてなお、というには……」
「それこそ慣れだのぅ。魔術師なれば後方で集中すれば良いが、おまえの場合は動きながら魔素を感覚せねばならぬ。……たぶん、そんなことをやっておるやつはほとんどおらぬであろうな」
「――なぜリグは魔術をたしなんでいなかったのか、今さらながらに了解しました」

 テオは神妙に頷く。
 そう難しくなく感応力を高められるなら、なぜリグは――あるいは、世の多くの戦士がそれを嗜まないのか。
 大多数の理由はこれだろう。魔素を感覚することに気を取られ、かえって命取りになりかねないのだ。

「というわけで、しばらくは私が幻術をかけたままにしておこう。魔素を知覚するのを日常とせよ。魔素を感覚しながらの組手も織りこむ。……私ができるのはそこまでだのう」
「それだけで十分すぎるほど大変そうですが……」
「アリアンナはさっき無理と言うたのに耐えるのを目標としようかえ」
「無理ですッ!?」

 アリアンナが悲鳴を上げる。ユエラはくつくつと喉を鳴らして笑う。

「……おまえならできようさ、テオ。実際、おまえは私に完璧に仕えてきたのだから」

 果たしてテオに視線を向ければ――彼女は口元にかすかな笑みを浮かべ、頷く。

「やりましょう。世の誰もがそれをせずとも、彼らにユエラ様の助けはあらず――そして私にはユエラ様の助けがあるのですから」

 その目には、主への無謬の信頼だけがあった。

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