お狐さま、働かない。
七十三話/地の底で(後)
――――ガキィンッ!
鋭い金属音が二重に鳴り響き、リグはその場で制止した。
果たして、彼我の間合いを侵すように踏みこんだ二人もまた足を止めている。
鍔迫り合い。
それが一方から仕掛けられたのであれば、容易く捌かれるか、あるいは逆に斬り伏せられもしたろうが。
両鍔迫り合い。
二人のそれを全く同時に阻まねばならないとなれば、これはリグほどの使い手であっても困難を極める。
「……ッ、これを、止めるのかいッ……!」
「――――これでも、ですか……!」
フィセルは瞠目する。渾身の力をもって振り放った一閃が左手一本で止められたことに。
テオは呻く。最速、最短の軌道から描いた一閃が右手一本で止められたことに。
「――――、」
リグは掠れたような息をかすかに漏らす。
手繰り寄せる魔素量がそもそも桁違いなのか。彼女の細腕は、見事に二人の鍔迫り合いを完璧な拮抗を果たしていた。
だが、これで万策尽きたわけでは無論ない。
二人は短剣をもって食い止められた刃を捌き、同時に至近距離からの撃ち合いへ持ちこむ。
こうなっては技量などもはや無関係。いかに足掻こうが人間の腕は二本しか無いのだから。
「今――――」
「させはせぬ」
テオがにわかに音を発した刹那。
リグはテオの初動を突くように先んじて動き、彼女の切っ先を高く跳ね上げた。
「ッ……! くそッ!」
拮抗状態が崩れる。このままではフィセルの側が崩されるのも時間の問題だろう。
リグは短剣の握りを逆手にフィセルの長剣を押し返す。肉厚の刃がギャリギャリと長剣の剣身を滑っていく。
技量のみならず力比べをもってしても、リグはフィセルを上回る。それは当然、テオであっても同じこと。
不利な状況に追いこまれ、もはや炎から立ちこめる煙、火花の音までも鼻につく。酸素が如実に薄くなっているように思われる。
跳ね上げられたテオの刃が石畳を転がる。彼女の矮躯は後方へ飛び退りながらも踏みとどまり、ほとんど跳ねるように飛び起きる。
テオは再び疾駆する。彼女は短剣を拾う間もなく、次なる短剣を腰から抜き払う。
その靴裏が、とん、と地を叩く瞬間だった。
すんでのところまで押さえていたフィセルの長剣が往なされ、横へ弾き飛ばされる。柄は決して離すまいとするが、姿勢を保つことまでは不可能だった。
「テオ、抑え損ねたッ!」
「気にされませぬよう!」
リグは即座にテオへ向き直る。疾駆する彼女の身を迎え撃つように。
流れるように突き出される刃がリグへ走る――彼女を屠る軌道を掻く。
「――――これを待っていましたから」
「……ッ!?」
その時リグは、初めて大きく目を見開く。
テオは軸線をわずかにずらし、刺突を脇腹で受けていた。
短剣の切っ先が、彼女の白い肌を貫き通す。
「受けるとは思わなかったでしょう、リグ。――避けられましたから」
テオは口元だけでかすかに笑む。
リグの短剣がテオの右脇腹を貫いたのと時を同じくして――テオの突き出した短剣もまた、リグの腹を貫き通していた。
それはリグの幻影を相手にやって退けた一撃の相似形。
二人がかりの相討ち、といういささか不出来な形でこそあるが。
その一撃を諦めれば、あるいは無傷で済ませられただろう。
だが、それはリグの先読みの範疇でしかない。硬直状態を崩すには至らない。この戦いは全て無意味に終わっていたかもしれない。
だが――――そうはならなかった。
「く、ッ――――」
次なるリグの判断は迅速だった。
彼女は即座に自らの短剣から手を離し、ばっと身を翻して背を向ける。
一切の他を顧みない全力の逃走。
ただ一撃を貰っただけでその判断を下せるのは見事ですらあろう。
テオから突き立てられた短剣を抜きもせず、リグは真っ向から炎の壁に飛び込み――――臆することなく風をまといて突き抜けた。
身を焼かれたのは間違いないだろうが、その火傷は果たしてどれほどのものか。
うかがう術は、残されたテオにもフィセルにもありはしない。
「…………ッ、は……」
ずきずきと疼くような痛みがテオの脇腹を責め苛む。
かなり深く突き立っているが、少なくとも致命傷は避けていよう。
「……テオ。傷のほうはどうだい」
フィセルは息を吐きながらも気を抜かない。敵は退いたが、どこかで待ち伏せをしていないとも限らない。魔物が押し寄せてくる可能性もある。
まずは、とテオの傷の様子を看る。
「御心配なく。深手ですが、それなり程度の深手です」
「……ああ、確かにざっくり行っちまってるね。魔術だけで完治させるのは難しいか――」
「それより、また私の身体を傷つけてしまったのが問題です」
「人が心配してんのにあんたは……」
呆れたように笑うフィセル。
テオは痛みを堪えながら、傷口を傷つけないよう慎重に短剣を抜き去る。
「で。修行の成果はあった、ってわけかい?」
「……どうでしょうね」
成果があったかなかったかでいえば、あったのは間違いない。でなければ一矢報いることすらできなかったろう。
だが、幻影を相手にした修行の成果とは程遠い。テオとフィセルの二人がかりで、ようやく相討ちに持ちこむという体たらく。
おまけにリグは十分な余力を残していた。状況からして、余力を残すよう努めるのは当然とも言えるが。
「正直、十分すぎるくらいの戦果だと思うけどね。あれは……怪物だよ」
フィセルであってもそういってはばからない。
「怪物である、ということには論をまたないでしょう。ですが、あれは私が片付けなければなりません」
「あれを? ……年季の違いってやつだよ、テオ。ユエラに任せておいたほうがいい。あんた一人で挑んでくたばるよりかはね」
「いいえ。私自身で片を付けるよう御命じ下さいましたから――それに、師の不始末は弟子の不始末です」
「逆だよ、そいつは……それに、あんたがくたばったらユエラも良い顔しないだろうさ――と」
わずかに顰め面しながらもテオは淡々として言う。
対するフィセルは神妙に肩をすくめるばかり。
と、その時――
燃え盛る炎の柱が緩やかに衰え、火花をチラシ、やがてついに消滅した。
◆
「無事でしたかッ!?」
「って、うわッ」
驚きに目を見開くフィセル。
炎の壁が消えるなりクラリスに飛びつかれ、彼女は思わず面食らった。
「落ち着きなよ、私はなんともない。看るならテオのほうを診てやんな」
「も、もしも、もしものことがありましたら、私はなんと申し開きをしたものかと――」
「話を聞きな」
スパァン!
とフィセルに頭をはたかれ、クラリスははっと我に返った。
「い、痛いです」
「そっちにもっと痛い目にあってるやつがいるから」
「はっ……あっ、はい!!」
クラリスは慌ててテオに駆け寄る。
お仕着せ服の破れた穴を確かめ、クラリスは速やかに詠唱を開始した。
「ずいぶん仲良くなられたご様子で」
「まぁ、無駄なくらい責任感はあるからね。こいつ」
「し、指揮を下したのは私で、私こそは皆様の命をお預かりする立場に他なりません。であればこそ、もしものことを憂慮するのは当然のことです」
「それは宜しいことですが」
つらつらと述べながら詠唱を続けるクラリス。
緩やかに傷口が塞がれていくのを感じながら、テオは室内をぐるりと見渡す。
状況は炎の檻に閉ざされる直前までとほぼ変わっていない。
レイリィ率いる聖堂騎士団たちはすでに通路の見張りへ戻っている。教団の探索者たちを退けはしたが、魔物の襲撃を受ける可能性は十分にあるからだ。
リーネだけは死んだように倒れこんでいる。おそらく魔術の制御に心胆を使い果たしたのだろう。
精神的な消耗だけは癒やしの術をもってしてもどうにもならない。しばらくはこの場に留まることになるだろう。
「やはり、逃げられましたか」
「……ええ。突然のことでしたから、何分誰も反応できず。炎を突っ切ったはずなのですが……正直に言えば、とてもそうは見えないような速度でした」
「あの炎で無傷とは行かないでしょうから、負傷の上で余力を振り絞ったというだけのことです。……あれだけの力の持ち主が、生き残ることに全力になったら、どうにもなりませんよ。実際のところ」
待ち伏せ、あるいは再び襲撃をかけてくる可能性も無いではない――そう考えもしたのだが。
どうやらテオの取り越し苦労に終わりそうである。
「……テオさん」
「なんでしょう」
「正直なところ、どうなさるおつもりですか?」
「どうもこうも。私の目的は変わってはおりませんよ」
あえなく仕留め損なっても。
二人がかりであっても相討ちに持ちこむしかない、という結果であろうとも。
それでも、テオの目的は微塵も揺らいではいなかった。
「それは、あまりに分が悪いように思えるのです。これだけの人数をもって罠を張り、待ち伏せ、条件を整え――その上で、これなのです」
「本当に仲が良いですね」
「ど、どういうことです!?」
「いや、私もそう思うよって話」
フィセルはくつくつと喉を鳴らして笑う。クラリスはやけに複雑そうな表情を浮かべる――このことで同じ意見になりましょうとは、とでも言うような。
「はい。いささか無謀であることは心得ておりますよ」
「……あなたがわかっていないはずはない、とは思いましたが。その上で、ご意見は変わらないのですね?」
「ユエラ様のご下命ですから。今すぐにとは参りませんでしたが」
そうこうしているうちに怪我の応急処置が済む。
やはり、クラリスの治癒だけで完治というわけにはいかないようだった。二、三日は安静にして治療に費やす必要があるとのこと。傷跡はおそらく残らずに済むらしい。
――二、三日というと……ギリギリですね。
このまま無事に地上へ帰り着き、ユエラとクレラントが相対する期限まではおそらく三日と少し。
今回得た情報を元に修練を積むにしても、それこそ付け焼き刃ほどにしかならないだろう。
残りの日付けで、イブリス教団側はどう動くか。
前もって定めた期限通り、〈封印の迷宮〉地下百階層への到達を試みるか。リグは自らの怪我をどのように判斷するか。
そしてそもそも――テオがリグに傷を負わせたことについて、彼女はどのような感想を持つか。
何も思わない。それが最も順当な想定だろう。
テオは結局のところ、リグの元から自ら逃げ出した不良弟子に過ぎない。
自らの出来が弟子の中ではどれほどのものか、テオ自身は全く与り知るところではないが――――
「……テオ。人間には逆立ちしたって出来ないこともあるよ」
「一人で迷宮を踏破しようとしていたあなたの言うことではありません」
「あれはそんなに無茶じゃない。時間をかければあんたにもできるくらいのことだ」
「普通はやらないかと思います……」
テオとフィセルの不毛なやりとりがクラリスの一言で断ち切られる。
魔術での処置を終えたあと、クラリスはテオの傷口に薬を塗りこめて包帯を巻きつけていく。輜重担当の騎士団員のおかげで医療物資には事欠かないようだった。
テオがそういえばと目を向ければ、負傷した騎士団員は無事に保護されていた。
「聖堂騎士団の密集陣形は隣り合う騎士団員の盾が隣の騎士団員の急所を塞ぐ役目をなしているのです。その隙間を縫うように槍を撃たれたために助かられたようですね」
「……聞いていませんよ」
テオはぼやくが、それはおそらくクラリスなりの気遣いだったのだろう。
彼の負傷を気に病むことはないと。
騎士団員の彼は兜を被ったまま、座して簡易式の礼を取った。
テオはふるふると首を横に振る。この場にいるのは自らのため、あるいは自らの主のためなのだから。礼を払われる義理はない。
「どうするか、といえばあなた方もでしょう。このままで百層へ先んじるのは困難極まるかと思われます。そして、あいにくですが、リグを仕留めるのには失敗してしまいました」
「……彼女は迷宮攻略の統括者でしょう。彼女を欠いては攻略に遅延が発生する可能性は十分にあるかと思われます。私はまだ、望みを捨てるつもりはありません」
「お互い、細い望みに賭けるしかないということですね」
テオは淡々として言う。それは皮肉のようにも聞こえ、クラリスは苦笑する他ない。
「ですが、あまり期待されないほうが良いかと思われます」
「……どうしてです?」
「リグがこの程度のことで攻略から身を引くとは、いささか考えがたいように思われますので」
リグはこの程度で大人しく静養に励むような珠ではない。
彼女がかつて弟子たちに課した試練は、この上なく過酷であり――それは自らに対する厳しさの裏返しでもあろう。
それはつまるところ、テオがまた近くリグと相まみえる時、彼女の隙ともなるのだが――
まずは再戦の機会を整えるところからである。
「ま、そういう話ならこの際だ。……お互い、引き止めるのは無しにしとこうじゃないかい。それが冥府への道に見えてもね」
「同感です」
「賛同は致しかねますが……」
三人はお互いに頷きを交わし、合意に達する。
この時、折よく聖堂騎士団員らによる見張りが広間に帰還。
大魔石の破壊された後、安全な経路を辿って〈攻略拠点〉まで引き返すことに決める。
精神衰弱によって目を回しているリーネは、聖堂騎士団の輜重隊によって運搬されることと相成った。
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