お狐さま、働かない。
七十二話/地の底で(前)
きっかけは二十年の昔にも遡る。
リグは当時にして第一線を張る武芸者であり、各地の戦場を渡り歩く身であった。
リグの持つ常識外れの力は国を選ばず歓迎された。
魔王が封印された後の仮初の平和の中で、大陸中の国々はいつでも力を欲していた。
自ら戦端を開くために。
大陸に覇を唱えるために。
結局のところリグもまた、そういった力の一部に過ぎない。
ゆえにこそ、リグはいつしかどこかの国に与することを止めた。
絶望した、というわけではない。元より人間への希望などさほど無く――でなければ女だてらに武門を叩くことも無かったろう。
後戻りする道は無かった。彼女はかつての師を、そして数多の武芸者を超克し、その命を手に掛けた。
そんな彼女が迷宮街に流れ着いたのは、いわば成り行きとも言えよう。
果たして、ここでもリグはその力を求められた。腕試しとして迷宮に挑むことはやぶさかでなく、その力は容易に知られたからだ。
当時、迷宮街ではすでに公教会とイブリス教団が鎬を削っていた。
現世権力であるところの公教会に与するつもりはさらさら無かった――イブリス教団に対しても、さしたる思い入れと言えるものはない。
だが、イブリス教団にはひとつだけ重要なことがある。
魔王の復活を志向すること。
それはすなわち、既存の勢力を平にすることを意味する。
そのほうが人類にとっての救いとなる――などと、リグは微塵も考えない。
終末論的な滅びを救いと見る信徒は決して少なくないが、それとこれとは話が別である。
ただ、リグは望む。
世界の分断を。
孤立を。
彼女にとって、魔王とは敬意を払う対象ではあれど――その目的を果たすための装置でしかない、とも言える。
あらゆる国家が、組織が、集団が解体された時。世界が、孤立した個人によって営まれること。
それはどんなにも単純で、そして、何も考えることなしに力を振るうことができる――これぞまさに武芸者の誉ではないかと、リグは思うのだ。
◆
「包囲を狭めよ!」
と、レイリィが叫ぶ。聖堂騎士団員らがリグに一歩にじり寄る。
刹那、隙間を掻い潜るがごとくしてリグは軽やかに地を蹴った。
彼女は放たれた矢の速度でテオに迫る。テオは咄嗟に振り掲げた短剣でそれを受ける。
「――――ハ」
ぎゃきん、と金属音が鳴り響く瞬間。
リグはにわかに吐息を漏らす。
「弑ィッ!」
それも束の間、フィセルは長剣を抜き払い円弧を掻くように斬りかかる。
リグはすかさずテオの短剣を捌き、フィセルへ向き直りながら一閃を躱す。そして踏み込みざま、短剣の柄を彼女の胴へ突き出す。
「――――前評判通り、さねぇッ……!?」
フィセル、テオ。この二人の技はすでに魔術の域にある。彼女らの技は魔素を招き寄せ、通常ではあり得ない威力と速度を実現させる。
にも関わらず、リグは彼女二人を見事に捌き切っていた。しかも、全くの同時にである。
フィセルは咄嗟に刃を返し、突き出された柄を跳ね上げる。
同時に鋭い蹴りが飛び出し、フィセルは飛び退くことを余儀なくされる。
その時、テオはリグの後ろから突きかかる――リグは身を翻すとともに短剣を上からリグの得物へ打ち下ろした。
「――――付け焼き刃か」
「見抜かれましたか」
「それでは以前にも劣ろうぞ」
「それは、どうでしょう」
一瞬の言葉の応酬。
同時に間断なくお互いの刃が乱れ飛ぶ。幾度ともなくけたたましい金属音を発し、生命のやり取りが連続する。
めまぐるしい速度で位置取りも入れ替わる交錯。
後方で狙いをつけるリーネはもはやお手上げだった。放った魔術が相手に利用されないとも限らない。
リーネはクラリスにちらりと視線を向けるが、彼女は首を横に振るばかりだった。
クラリスは戦場の交錯から片時も目を離さず見守りつつ、聖句を頭の中に敷き詰める。
いつ致命傷がテオの身に届くか。見ている限り分かったものではないのである。見ているだけでも彼女は息を呑み、汗が白い頬を緩やかに流れていく。
リグはテオの突きを受け、跳ね上げる。まるで流れるような淀みなさ。
それと同時にテオから目を離し、自らが置かれた状況を把握することも忘れない。
「貴様は――――聖王国の出か」
「ッ、んな……!?」
リグの間隙を突くようにフィセルが一閃を飛ばす。リグは振り返りざまにそれを受け止め、捌き、同時にテオの連撃をも凌ぎきってみせる。
彼女は、それをほんの数度見ただけで見極めたようだった。
「動揺なされませぬよう、フィセル。私に遠慮なさらずとも結構ですので――合わせます」
「言ってくれるね……!」
フィセルは頷く。テオとの連携を鑑みながらの動きを心がけていたが、彼女がそう言うのなら好きにやるのみである。
リグとテオの短剣が、がちんと刃を噛み合わせた刹那――フィセルは上段より斜に長剣で切り下げた。
「くどい」
リグは短剣を捌きつつ、これの範囲内から逃れ出る。刃先が黒衣をかすめていく。
瞬間、フィセルはさらに踏み込み、地をすれすれに滑る刃先を一気に跳ね上げた。
――――アズライト礼刀法・飛鳥――――
刃が鋭い風をまとい、唸りを上げて昇りつめる。
「――――、」
リグはこれをなおも短剣で受ける。
長剣の峰に刃を打ち付け、その尋常ならざる威力で押しのけるように。
魔力を帯びた一太刀は、フィセルの長剣による一閃を圧倒して余りある。
だがこの時、初めて、決定的な隙が生じ得た。
テオはその瞬間を見逃さない。
最速をもって最短の軌道を描き、テオの短剣がリグの半身へ肉迫する。
リグは状況判断をもって即座にフィセルへの攻めを打ち切り身をひねる。突きかかる剣身との軸をずらす。
だが、それは逃れるに十分な回避行動とはいえない。
テオは狙い過たず、黒衣を貫いてリグの身に短剣をするりと滑り込ませた。
ほとばしる血潮。溢れる血流がにわかにテオの短剣を湿らせ――
「――――、」
「……ッ!!」
瞬間。
彼女に傷をつけた今こそ、一気に攻め寄せるべきだろう。
だが――テオは、何かを感覚した。自らの師を模倣することによって得た何かが、得体の知れない悪寒を感知していた。
「――退きますッ!」
テオは短剣を抜き放ち、自ら飛び退く。
「テオッ!?」
フィセルはその判断に一瞬たじろぐが、彼女も踏み込むことはできなかった。
それこそが合理的な判断であるにも関わらず。
「――――包囲せよ! 塞ぐのだ!!」
この時、レイリィは命を発する。
功を急いだのでは決して無い。ただ、二人の咄嗟の反応から、その命令を必要としたのである。
例え犠牲を許容しても、今は自分たちが彼女らの盾にならなければならない、と。
聖堂騎士団員たちは忠実に距離を詰める。包囲をにわかに狭めにかかる。
次の瞬間。
リグは黒衣を赤黒く濡らしながら、歩くような何気なさで、槍と槍の間にするりと滑り込んだ。
それに誰もが反応できなかった――テオやフィセルでも、その動きを知覚することができなかった。
まるで時間でも止めていたように。
その一挙動は、その場にいる誰しもの認知の外側にあった。
「中々、やる」
リグはあまりに自然な動きで槍を奪い取る。
まるで騎士団員の手に力が入っていないような。そう誤解するほどの呆気なさで、槍を手の中に握る。
「――――退いて下さいッ!」
「散開ッ!! 散開せよ!!」
テオが叫び、レイリィが命令を発するのはほぼ同時。
だが、先ほどと正反対の命令を発せられて即応するのはそう簡単なことではない。
特に、槍を奪われた騎士団員はまさに混乱の極みにあった。
瞬間。
「逝ね」
リグは奪った槍をくるりと回して突き出し、騎士団員の胴鎧を呆気なく貫いた。
鎧片が割れる。破片が砕け散る。穂先が騎士団員の背中から飛び出る。
「ぐッあ……!!」
彼は苦痛の悲鳴を上げながら、しかし貫かれた瞬間、ぐっと自らに突き立った槍を握りしめた。
さながら、武器を持っていかれまいとするように。
果たしてその目論見は功を奏し、彼は串刺しにされたまま迷宮の石畳に打ち捨てられた。
「――――雑兵と思うたが」
リグは床に倒れ伏した騎士団員を一瞥する。その間に他の騎士団員は散開することに成功。
結果的に包囲から逃がすことになるが、やむを得まい。
今しがたの動きを見れば、こう判断せざるを得まい。
――元より彼女への包囲は、包囲網の用をなしていなかったのだ、と。
「リーネさんッ!」
「はいさッ……!」
それと入れ違いにリーネが詠唱を完了させる。
包囲が無効化される事態は当然のごとく想定済み。彼ら聖堂騎士団に代わる包囲網を築くのは、魔術師である彼女しかいない。
「――――『囚えて燻せ、炎の檻』ッ!!」
――――炎魔術・囚獄インフレイムズ――――
リーネは溜めこんでいた魔力を一挙に発散させ、それは靄のように部屋の半ばほどを取り巻いた。
円状に広がった内側には標的であるリグ、そしてテオ、フィセルの三人がいる。
そしてリーネが術式を励起させると同時――靄のような魔力がまとめて変換され、天井まで届くような炎の壁を顕現させる。
炎の壁は三人を隙間なく包囲しており、それ以上に広がることも狭まることもない。
突っ切ることが不可能なほど分厚い炎ではないが、強引に突っ切ってただで済むような温度では決して無い。
それはまさに、炎の檻。
「……後は任せるからッ!」
リーネは内側にいる二人に向かって叫ぶ。
彼女らまでも閉じ込めることは端から織り込み済み。
この場の誰よりもリグが機動力に長けている以上、それを封殺することが必要不可欠――というのがテオの見解だ。
こうなってはリーネに打つ手はない。レイリィや聖堂騎士団員らにしても同様だ。
クラリスは傷を負った騎士団員を治癒するために急いで動き出す。槍は致命傷を避けたようだ――まだ手遅れになってはいない。
もっとも、炎の檻も維持できるのはほんの数分のみである。
それ以上の時間、強引に維持し続ければ、リーネ自身が酸素不足で呼吸困難に陥るだろう。各々の身体能力を鑑みれば、リグだけが生き残ってしまうという危険性は高い。
内側からの声は聞こえない。
炎が音を伝える大気を焼き、ばちばちと火花が爆ぜる音を奏でる。
リーネは歯がゆさに息を呑み、ぎゅっと拳を握りしめた。
◆
「――――どうあっても逃さないか」
リグは火の檻の中央に立ち、視界の端で二人を同時に捉える。
対するテオとフィセルは左右両翼からリグを捉え、狙いを定めるように間合いを詰める。
「さて、どうでしょう」
「あんたなら逃げられないほどじゃないだろうさ。多分ね」
じわりと距離を詰める二人に対し、リグは不動。
真ん中に立てば炎の壁からは最も遠いが、二人を同時に相手取るしかないというのに。
リグに一刺しの傷を与えることはできた。一定の成果は得たとも言えるだろう。
だが、とテオは自問する。この程度の傷では、後に決戦の場を得るとしても――その時に影響を及ぼせるほどではない。
今も後方ではバチバチと火花が燃え盛る。
刻一刻と玄室内の酸素を奪い取っていく。
「動かないつもりですか」
「その必要もない」
「……言うねえ」
フィセルはその言葉に誘われたように剣先を掲げる。
が、それは素振りだけだろう。リグが無意味な挑発をかけるとも思えず、フィセルがそれにわざわざ乗るわけもない。
やはりと言うべきか、フィセルはリグの間合いのぎりぎりと外側まで踏み込んだところで歩を止める。
長剣の峰が胸の前を横切るような構え。それは守りを主体とし、どのように攻められてもすぐさま対応するためのもの。
対するリグは、無形。
構えらしい構えを取らず、先の出方が全く読めないというのは以前の通りだが――
これほど静かに突っ立ったまま、ということは流石に無かったろう。
自然な動きを通り越し、自然体そのままであるようにしか見えない。
まるで眠ってでもいるかのよう。激しく炎が燃え盛り、火花が爆ぜ、緊張の糸が張り詰める最中――リグの周囲の時間だけがぴたりと止まっている。
テオもまた、つとめて身体の力を抜きながら――ふと、フィセルの目配せを見て取った。
一目してその意図を理解する。
自分が動いて出方を伺う、ということだろう。
確かにこのままでは埒が明かない。そしてこの硬直状態は数分も経てば破れるだろう。炎の檻の消滅によって。
ならば、結局それまでには動かねばならないのだ。
是非もない。
テオはこくりとちいさく頷き、フィセルの意に賛同する。
どちらかといえば不本意だが、フィセルも承知の上だろう。その上で彼女は陽動役を買って出たのだ
ならば、リグの隙を見出すのはテオの役目にほかならない。
「――――弑ィッ!!」
瞬間、フィセルは裂帛の気合とともにリグの間合いを冒した。
剣先が最適の円を描き、彼女の胸元へ吸い込まれるように振り落とされ――――
「ぬるい」
いつの間にか、とでも言うしかない。
フィセルが動くより先に伸ばされた掌が、華奢な手首をしっかりと捕まえていた。
無論、フィセルもそれだけでは済まさない。間髪入れずに左手から組討ちに持ちこまんとし、
「ぬるい――――といった」
「ぐぅ……ッ!?」
リグはフィセルの手首を返し、足を払う。
まるで魔術のような鮮やかさでフィセルの姿勢を崩す。つんのめりかける彼女にすかさずリグが肘を入れる。顔面を打ちのめされたフィセルの胴へ、あまりにも自然に蹴り足が飛ぶ。
「ぐ、ぶッ……!!」
リグに決して劣らないフィセルの長身が跳ねる。
その瞬間、テオは動く。打ちのめされながら、それでいい、とフィセルは苦悶の表情に笑みを浮かべる。一撃を入れる瞬間ほど人が無防備になる瞬間はない。
ひゅん、と風を切って突き出される短剣。
リグは背をすぐさま翻して向き直る。自らも短剣をかざして突き出された切っ先を捌く。
「何度やっても同じこと――――」
「そうでしょうか。少なくとも、今の受け方はフィセルのそれと同じでは無いでしょう」
「――――屁理屈を」
リグの返答はあくまで淡々としている。
テオは刃を弾かれども間合いを堅持し、振り下ろす。跳ね上げられては手首を返して切っ先でリグに狙いを付ける。突き出されれば間合いを開け、フィセルが身を起こすまでの間を作る。
果たしてその一瞬の交錯に、フィセルに対して見せた超人的な先読みは現れなかった。
それはテオの実力がフィセルを大きく上回り、リグに追いつかんとしている証左――というわけでは決して無い。
テオとフィセルの実力そのものには、依然としてそう大きな差があるとは言えない。
「――なるほどね」
フィセルは立ち上がるとともに長剣を構え直し、彼我の距離を測るように刀身をかざす。
刃は石畳と水平に。刃先はリグの間合いに届くか届かないか。
その極めて微妙な距離において、リグは先手を打とうとはしない。
「先読みとともに、相手が動き出すよりも早く動く。だから、その動きは特別な早さでもないのに早く見える。ほとんど自動的に対応してるだけなのに、先に動き出しているから"仕掛けられた"ように思ってしまう。……そんなところかい」
テオとリグの立ち回り、そして先程の交錯をもって、フィセルはリグの性質をおおよそ見極めた。
それゆえ、リグにとっては二人同時に相手取ることなどなんともない。
間合いの外側にいる相手は、彼女にとっては"いない"のと同じことなのだ。
今の今まで、二対一の戦いに持ちこんだと思い込んでいた――それは大きな間違いだった。
リグにとっては、一対一の戦いを連続してこなしていたに過ぎないのだ。
「見えたところで意味はない」
そんな彼女にテオは、言うなれば同種の型で向き合った。
あくまでも相手の動きに対応し、反撃する。本来ならばお互いに硬直しそうなところだが、わずかなきっかけさえあれば状況はいくらでも動く。後はひたすら先読みと対応――動かれる前に動く――を繰り返すのみ。
それゆえにか、テオとリグの交錯は傍目にも激的とは言えない。
むしろ水の流れのような静けさすら帯びる。
重なり合う金属の音が燃え盛る業火の中、やけに涼やかに響く。
「――――っ、く……ぅッ!」
だが、長く打ち合うほどお互いの優劣ははっきりし始める。
リグの言うところの付け焼き刃という言葉はあながち間違いでもないのだ。
なればこそ、テオの不利を悟ったフィセルは状況に介入せざるを得ない。
ひゅん、と空を裂く――長剣の一刺しがリグの喉元へ走る。
「集中してるところ悪いけど、こっちは一人じゃないよ」
「手緩いと言ったろうに――」
リグは強く打ち込むことでテオとの間合いを離す。同時にフィセルを射程距離に収め、半身を反らして刺突を回避。
同時に彼女は刃先を指先で挟むように持ち替え、すかさずフィセルへ短剣を投擲した。
瞬間。
フィセルもまた、リグの動作へ対応する。
リグが短剣を投射するのとほぼ同時、軸線をずらして避けながら踏みこんだ。
「――――ほう」
リグはちいさく息を漏らす。すでに懐から抜いた刃で振るわれる刃を斬り払う。
先読みされないように動く、というのはまず不可能だ。人間の肉体はそのようにはできていない。ならば、フィセルとしても同じように動くしか手がなかった。
そのことを鑑みれば、一見武芸者向きではないリグの服装は、肉体の反応を把握されないためだろう。細い身体の線はローブの内にすっかり閉じこめられてしまっていた。
「フィセル。やれますか」
「……さて、怪しいもんだね……!」
曲がりなりにもテオは修行を積んだのだ。幻影とはいえ、リグの動きを見て取りながらの模倣。
対するフィセルはぶっつけ本番。見よう見まねの真似事はできても、とても型と言えるような代物にはならないだろう。
だが、それでも良い。
テオもフィセルも、心の底から理解させられた――現時点でまともにリグに打ち勝つのは不可能だ。
ゆえに、今何よりも必要なのは――意地でもリグを二対一の戦いに引きずり込むこと。
リグは当然そうさせないように動き、こちらの意図が見えれば彼女は先読みをしやすくなる。
ぎん、と弾ける金属音。
フィセルはリグが振るう短剣に押しのけられて一歩飛び退く。後方の炎の壁が幾ばくか近づく。
残された時間はそう長くもない。すでに半分近くは過ぎているだろう。下手をすればこのまま迷宮深層で自滅することにもなりかねない。
やるしかない。
テオとフィセルはリグを間に捉えつつ視線を交わし、こくりとちいさく頷いた。
「ようやく、無駄を悟ったか」
「あいにくだけど、そうはいかない。あんたもちょっとは傷が響いてきたんじゃないかい?」
フィセルは軽い調子で言うが、実際のところ全くそうは考えなかった。
リグの黒衣はべったりと血に濡れていたが、その動きに一切の差支えは見られない。
テオは再び短剣の柄を硬く握り、リグを一瞥。
そして石畳を蹴り、駆ける。
フィセルも全く同時に地を踏み、駆け出す。
「浅知恵だな」
リグはこれといった感慨無く、腰に吊るした短剣を抜く。右の短剣をテオへ――左の短剣をフィセルへ向けるように立つ。
二人とも足を止めない。
テオは短剣を。
フィセルは長剣を。
お互いが、お互いの身へ突き立てるように刃を振り放った。
リグは当時にして第一線を張る武芸者であり、各地の戦場を渡り歩く身であった。
リグの持つ常識外れの力は国を選ばず歓迎された。
魔王が封印された後の仮初の平和の中で、大陸中の国々はいつでも力を欲していた。
自ら戦端を開くために。
大陸に覇を唱えるために。
結局のところリグもまた、そういった力の一部に過ぎない。
ゆえにこそ、リグはいつしかどこかの国に与することを止めた。
絶望した、というわけではない。元より人間への希望などさほど無く――でなければ女だてらに武門を叩くことも無かったろう。
後戻りする道は無かった。彼女はかつての師を、そして数多の武芸者を超克し、その命を手に掛けた。
そんな彼女が迷宮街に流れ着いたのは、いわば成り行きとも言えよう。
果たして、ここでもリグはその力を求められた。腕試しとして迷宮に挑むことはやぶさかでなく、その力は容易に知られたからだ。
当時、迷宮街ではすでに公教会とイブリス教団が鎬を削っていた。
現世権力であるところの公教会に与するつもりはさらさら無かった――イブリス教団に対しても、さしたる思い入れと言えるものはない。
だが、イブリス教団にはひとつだけ重要なことがある。
魔王の復活を志向すること。
それはすなわち、既存の勢力を平にすることを意味する。
そのほうが人類にとっての救いとなる――などと、リグは微塵も考えない。
終末論的な滅びを救いと見る信徒は決して少なくないが、それとこれとは話が別である。
ただ、リグは望む。
世界の分断を。
孤立を。
彼女にとって、魔王とは敬意を払う対象ではあれど――その目的を果たすための装置でしかない、とも言える。
あらゆる国家が、組織が、集団が解体された時。世界が、孤立した個人によって営まれること。
それはどんなにも単純で、そして、何も考えることなしに力を振るうことができる――これぞまさに武芸者の誉ではないかと、リグは思うのだ。
◆
「包囲を狭めよ!」
と、レイリィが叫ぶ。聖堂騎士団員らがリグに一歩にじり寄る。
刹那、隙間を掻い潜るがごとくしてリグは軽やかに地を蹴った。
彼女は放たれた矢の速度でテオに迫る。テオは咄嗟に振り掲げた短剣でそれを受ける。
「――――ハ」
ぎゃきん、と金属音が鳴り響く瞬間。
リグはにわかに吐息を漏らす。
「弑ィッ!」
それも束の間、フィセルは長剣を抜き払い円弧を掻くように斬りかかる。
リグはすかさずテオの短剣を捌き、フィセルへ向き直りながら一閃を躱す。そして踏み込みざま、短剣の柄を彼女の胴へ突き出す。
「――――前評判通り、さねぇッ……!?」
フィセル、テオ。この二人の技はすでに魔術の域にある。彼女らの技は魔素を招き寄せ、通常ではあり得ない威力と速度を実現させる。
にも関わらず、リグは彼女二人を見事に捌き切っていた。しかも、全くの同時にである。
フィセルは咄嗟に刃を返し、突き出された柄を跳ね上げる。
同時に鋭い蹴りが飛び出し、フィセルは飛び退くことを余儀なくされる。
その時、テオはリグの後ろから突きかかる――リグは身を翻すとともに短剣を上からリグの得物へ打ち下ろした。
「――――付け焼き刃か」
「見抜かれましたか」
「それでは以前にも劣ろうぞ」
「それは、どうでしょう」
一瞬の言葉の応酬。
同時に間断なくお互いの刃が乱れ飛ぶ。幾度ともなくけたたましい金属音を発し、生命のやり取りが連続する。
めまぐるしい速度で位置取りも入れ替わる交錯。
後方で狙いをつけるリーネはもはやお手上げだった。放った魔術が相手に利用されないとも限らない。
リーネはクラリスにちらりと視線を向けるが、彼女は首を横に振るばかりだった。
クラリスは戦場の交錯から片時も目を離さず見守りつつ、聖句を頭の中に敷き詰める。
いつ致命傷がテオの身に届くか。見ている限り分かったものではないのである。見ているだけでも彼女は息を呑み、汗が白い頬を緩やかに流れていく。
リグはテオの突きを受け、跳ね上げる。まるで流れるような淀みなさ。
それと同時にテオから目を離し、自らが置かれた状況を把握することも忘れない。
「貴様は――――聖王国の出か」
「ッ、んな……!?」
リグの間隙を突くようにフィセルが一閃を飛ばす。リグは振り返りざまにそれを受け止め、捌き、同時にテオの連撃をも凌ぎきってみせる。
彼女は、それをほんの数度見ただけで見極めたようだった。
「動揺なされませぬよう、フィセル。私に遠慮なさらずとも結構ですので――合わせます」
「言ってくれるね……!」
フィセルは頷く。テオとの連携を鑑みながらの動きを心がけていたが、彼女がそう言うのなら好きにやるのみである。
リグとテオの短剣が、がちんと刃を噛み合わせた刹那――フィセルは上段より斜に長剣で切り下げた。
「くどい」
リグは短剣を捌きつつ、これの範囲内から逃れ出る。刃先が黒衣をかすめていく。
瞬間、フィセルはさらに踏み込み、地をすれすれに滑る刃先を一気に跳ね上げた。
――――アズライト礼刀法・飛鳥――――
刃が鋭い風をまとい、唸りを上げて昇りつめる。
「――――、」
リグはこれをなおも短剣で受ける。
長剣の峰に刃を打ち付け、その尋常ならざる威力で押しのけるように。
魔力を帯びた一太刀は、フィセルの長剣による一閃を圧倒して余りある。
だがこの時、初めて、決定的な隙が生じ得た。
テオはその瞬間を見逃さない。
最速をもって最短の軌道を描き、テオの短剣がリグの半身へ肉迫する。
リグは状況判断をもって即座にフィセルへの攻めを打ち切り身をひねる。突きかかる剣身との軸をずらす。
だが、それは逃れるに十分な回避行動とはいえない。
テオは狙い過たず、黒衣を貫いてリグの身に短剣をするりと滑り込ませた。
ほとばしる血潮。溢れる血流がにわかにテオの短剣を湿らせ――
「――――、」
「……ッ!!」
瞬間。
彼女に傷をつけた今こそ、一気に攻め寄せるべきだろう。
だが――テオは、何かを感覚した。自らの師を模倣することによって得た何かが、得体の知れない悪寒を感知していた。
「――退きますッ!」
テオは短剣を抜き放ち、自ら飛び退く。
「テオッ!?」
フィセルはその判断に一瞬たじろぐが、彼女も踏み込むことはできなかった。
それこそが合理的な判断であるにも関わらず。
「――――包囲せよ! 塞ぐのだ!!」
この時、レイリィは命を発する。
功を急いだのでは決して無い。ただ、二人の咄嗟の反応から、その命令を必要としたのである。
例え犠牲を許容しても、今は自分たちが彼女らの盾にならなければならない、と。
聖堂騎士団員たちは忠実に距離を詰める。包囲をにわかに狭めにかかる。
次の瞬間。
リグは黒衣を赤黒く濡らしながら、歩くような何気なさで、槍と槍の間にするりと滑り込んだ。
それに誰もが反応できなかった――テオやフィセルでも、その動きを知覚することができなかった。
まるで時間でも止めていたように。
その一挙動は、その場にいる誰しもの認知の外側にあった。
「中々、やる」
リグはあまりに自然な動きで槍を奪い取る。
まるで騎士団員の手に力が入っていないような。そう誤解するほどの呆気なさで、槍を手の中に握る。
「――――退いて下さいッ!」
「散開ッ!! 散開せよ!!」
テオが叫び、レイリィが命令を発するのはほぼ同時。
だが、先ほどと正反対の命令を発せられて即応するのはそう簡単なことではない。
特に、槍を奪われた騎士団員はまさに混乱の極みにあった。
瞬間。
「逝ね」
リグは奪った槍をくるりと回して突き出し、騎士団員の胴鎧を呆気なく貫いた。
鎧片が割れる。破片が砕け散る。穂先が騎士団員の背中から飛び出る。
「ぐッあ……!!」
彼は苦痛の悲鳴を上げながら、しかし貫かれた瞬間、ぐっと自らに突き立った槍を握りしめた。
さながら、武器を持っていかれまいとするように。
果たしてその目論見は功を奏し、彼は串刺しにされたまま迷宮の石畳に打ち捨てられた。
「――――雑兵と思うたが」
リグは床に倒れ伏した騎士団員を一瞥する。その間に他の騎士団員は散開することに成功。
結果的に包囲から逃がすことになるが、やむを得まい。
今しがたの動きを見れば、こう判断せざるを得まい。
――元より彼女への包囲は、包囲網の用をなしていなかったのだ、と。
「リーネさんッ!」
「はいさッ……!」
それと入れ違いにリーネが詠唱を完了させる。
包囲が無効化される事態は当然のごとく想定済み。彼ら聖堂騎士団に代わる包囲網を築くのは、魔術師である彼女しかいない。
「――――『囚えて燻せ、炎の檻』ッ!!」
――――炎魔術・囚獄インフレイムズ――――
リーネは溜めこんでいた魔力を一挙に発散させ、それは靄のように部屋の半ばほどを取り巻いた。
円状に広がった内側には標的であるリグ、そしてテオ、フィセルの三人がいる。
そしてリーネが術式を励起させると同時――靄のような魔力がまとめて変換され、天井まで届くような炎の壁を顕現させる。
炎の壁は三人を隙間なく包囲しており、それ以上に広がることも狭まることもない。
突っ切ることが不可能なほど分厚い炎ではないが、強引に突っ切ってただで済むような温度では決して無い。
それはまさに、炎の檻。
「……後は任せるからッ!」
リーネは内側にいる二人に向かって叫ぶ。
彼女らまでも閉じ込めることは端から織り込み済み。
この場の誰よりもリグが機動力に長けている以上、それを封殺することが必要不可欠――というのがテオの見解だ。
こうなってはリーネに打つ手はない。レイリィや聖堂騎士団員らにしても同様だ。
クラリスは傷を負った騎士団員を治癒するために急いで動き出す。槍は致命傷を避けたようだ――まだ手遅れになってはいない。
もっとも、炎の檻も維持できるのはほんの数分のみである。
それ以上の時間、強引に維持し続ければ、リーネ自身が酸素不足で呼吸困難に陥るだろう。各々の身体能力を鑑みれば、リグだけが生き残ってしまうという危険性は高い。
内側からの声は聞こえない。
炎が音を伝える大気を焼き、ばちばちと火花が爆ぜる音を奏でる。
リーネは歯がゆさに息を呑み、ぎゅっと拳を握りしめた。
◆
「――――どうあっても逃さないか」
リグは火の檻の中央に立ち、視界の端で二人を同時に捉える。
対するテオとフィセルは左右両翼からリグを捉え、狙いを定めるように間合いを詰める。
「さて、どうでしょう」
「あんたなら逃げられないほどじゃないだろうさ。多分ね」
じわりと距離を詰める二人に対し、リグは不動。
真ん中に立てば炎の壁からは最も遠いが、二人を同時に相手取るしかないというのに。
リグに一刺しの傷を与えることはできた。一定の成果は得たとも言えるだろう。
だが、とテオは自問する。この程度の傷では、後に決戦の場を得るとしても――その時に影響を及ぼせるほどではない。
今も後方ではバチバチと火花が燃え盛る。
刻一刻と玄室内の酸素を奪い取っていく。
「動かないつもりですか」
「その必要もない」
「……言うねえ」
フィセルはその言葉に誘われたように剣先を掲げる。
が、それは素振りだけだろう。リグが無意味な挑発をかけるとも思えず、フィセルがそれにわざわざ乗るわけもない。
やはりと言うべきか、フィセルはリグの間合いのぎりぎりと外側まで踏み込んだところで歩を止める。
長剣の峰が胸の前を横切るような構え。それは守りを主体とし、どのように攻められてもすぐさま対応するためのもの。
対するリグは、無形。
構えらしい構えを取らず、先の出方が全く読めないというのは以前の通りだが――
これほど静かに突っ立ったまま、ということは流石に無かったろう。
自然な動きを通り越し、自然体そのままであるようにしか見えない。
まるで眠ってでもいるかのよう。激しく炎が燃え盛り、火花が爆ぜ、緊張の糸が張り詰める最中――リグの周囲の時間だけがぴたりと止まっている。
テオもまた、つとめて身体の力を抜きながら――ふと、フィセルの目配せを見て取った。
一目してその意図を理解する。
自分が動いて出方を伺う、ということだろう。
確かにこのままでは埒が明かない。そしてこの硬直状態は数分も経てば破れるだろう。炎の檻の消滅によって。
ならば、結局それまでには動かねばならないのだ。
是非もない。
テオはこくりとちいさく頷き、フィセルの意に賛同する。
どちらかといえば不本意だが、フィセルも承知の上だろう。その上で彼女は陽動役を買って出たのだ
ならば、リグの隙を見出すのはテオの役目にほかならない。
「――――弑ィッ!!」
瞬間、フィセルは裂帛の気合とともにリグの間合いを冒した。
剣先が最適の円を描き、彼女の胸元へ吸い込まれるように振り落とされ――――
「ぬるい」
いつの間にか、とでも言うしかない。
フィセルが動くより先に伸ばされた掌が、華奢な手首をしっかりと捕まえていた。
無論、フィセルもそれだけでは済まさない。間髪入れずに左手から組討ちに持ちこまんとし、
「ぬるい――――といった」
「ぐぅ……ッ!?」
リグはフィセルの手首を返し、足を払う。
まるで魔術のような鮮やかさでフィセルの姿勢を崩す。つんのめりかける彼女にすかさずリグが肘を入れる。顔面を打ちのめされたフィセルの胴へ、あまりにも自然に蹴り足が飛ぶ。
「ぐ、ぶッ……!!」
リグに決して劣らないフィセルの長身が跳ねる。
その瞬間、テオは動く。打ちのめされながら、それでいい、とフィセルは苦悶の表情に笑みを浮かべる。一撃を入れる瞬間ほど人が無防備になる瞬間はない。
ひゅん、と風を切って突き出される短剣。
リグは背をすぐさま翻して向き直る。自らも短剣をかざして突き出された切っ先を捌く。
「何度やっても同じこと――――」
「そうでしょうか。少なくとも、今の受け方はフィセルのそれと同じでは無いでしょう」
「――――屁理屈を」
リグの返答はあくまで淡々としている。
テオは刃を弾かれども間合いを堅持し、振り下ろす。跳ね上げられては手首を返して切っ先でリグに狙いを付ける。突き出されれば間合いを開け、フィセルが身を起こすまでの間を作る。
果たしてその一瞬の交錯に、フィセルに対して見せた超人的な先読みは現れなかった。
それはテオの実力がフィセルを大きく上回り、リグに追いつかんとしている証左――というわけでは決して無い。
テオとフィセルの実力そのものには、依然としてそう大きな差があるとは言えない。
「――なるほどね」
フィセルは立ち上がるとともに長剣を構え直し、彼我の距離を測るように刀身をかざす。
刃は石畳と水平に。刃先はリグの間合いに届くか届かないか。
その極めて微妙な距離において、リグは先手を打とうとはしない。
「先読みとともに、相手が動き出すよりも早く動く。だから、その動きは特別な早さでもないのに早く見える。ほとんど自動的に対応してるだけなのに、先に動き出しているから"仕掛けられた"ように思ってしまう。……そんなところかい」
テオとリグの立ち回り、そして先程の交錯をもって、フィセルはリグの性質をおおよそ見極めた。
それゆえ、リグにとっては二人同時に相手取ることなどなんともない。
間合いの外側にいる相手は、彼女にとっては"いない"のと同じことなのだ。
今の今まで、二対一の戦いに持ちこんだと思い込んでいた――それは大きな間違いだった。
リグにとっては、一対一の戦いを連続してこなしていたに過ぎないのだ。
「見えたところで意味はない」
そんな彼女にテオは、言うなれば同種の型で向き合った。
あくまでも相手の動きに対応し、反撃する。本来ならばお互いに硬直しそうなところだが、わずかなきっかけさえあれば状況はいくらでも動く。後はひたすら先読みと対応――動かれる前に動く――を繰り返すのみ。
それゆえにか、テオとリグの交錯は傍目にも激的とは言えない。
むしろ水の流れのような静けさすら帯びる。
重なり合う金属の音が燃え盛る業火の中、やけに涼やかに響く。
「――――っ、く……ぅッ!」
だが、長く打ち合うほどお互いの優劣ははっきりし始める。
リグの言うところの付け焼き刃という言葉はあながち間違いでもないのだ。
なればこそ、テオの不利を悟ったフィセルは状況に介入せざるを得ない。
ひゅん、と空を裂く――長剣の一刺しがリグの喉元へ走る。
「集中してるところ悪いけど、こっちは一人じゃないよ」
「手緩いと言ったろうに――」
リグは強く打ち込むことでテオとの間合いを離す。同時にフィセルを射程距離に収め、半身を反らして刺突を回避。
同時に彼女は刃先を指先で挟むように持ち替え、すかさずフィセルへ短剣を投擲した。
瞬間。
フィセルもまた、リグの動作へ対応する。
リグが短剣を投射するのとほぼ同時、軸線をずらして避けながら踏みこんだ。
「――――ほう」
リグはちいさく息を漏らす。すでに懐から抜いた刃で振るわれる刃を斬り払う。
先読みされないように動く、というのはまず不可能だ。人間の肉体はそのようにはできていない。ならば、フィセルとしても同じように動くしか手がなかった。
そのことを鑑みれば、一見武芸者向きではないリグの服装は、肉体の反応を把握されないためだろう。細い身体の線はローブの内にすっかり閉じこめられてしまっていた。
「フィセル。やれますか」
「……さて、怪しいもんだね……!」
曲がりなりにもテオは修行を積んだのだ。幻影とはいえ、リグの動きを見て取りながらの模倣。
対するフィセルはぶっつけ本番。見よう見まねの真似事はできても、とても型と言えるような代物にはならないだろう。
だが、それでも良い。
テオもフィセルも、心の底から理解させられた――現時点でまともにリグに打ち勝つのは不可能だ。
ゆえに、今何よりも必要なのは――意地でもリグを二対一の戦いに引きずり込むこと。
リグは当然そうさせないように動き、こちらの意図が見えれば彼女は先読みをしやすくなる。
ぎん、と弾ける金属音。
フィセルはリグが振るう短剣に押しのけられて一歩飛び退く。後方の炎の壁が幾ばくか近づく。
残された時間はそう長くもない。すでに半分近くは過ぎているだろう。下手をすればこのまま迷宮深層で自滅することにもなりかねない。
やるしかない。
テオとフィセルはリグを間に捉えつつ視線を交わし、こくりとちいさく頷いた。
「ようやく、無駄を悟ったか」
「あいにくだけど、そうはいかない。あんたもちょっとは傷が響いてきたんじゃないかい?」
フィセルは軽い調子で言うが、実際のところ全くそうは考えなかった。
リグの黒衣はべったりと血に濡れていたが、その動きに一切の差支えは見られない。
テオは再び短剣の柄を硬く握り、リグを一瞥。
そして石畳を蹴り、駆ける。
フィセルも全く同時に地を踏み、駆け出す。
「浅知恵だな」
リグはこれといった感慨無く、腰に吊るした短剣を抜く。右の短剣をテオへ――左の短剣をフィセルへ向けるように立つ。
二人とも足を止めない。
テオは短剣を。
フィセルは長剣を。
お互いが、お互いの身へ突き立てるように刃を振り放った。
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