お狐さま、働かない。
六十六話/会敵
「フラン、おまえは先に逃げてくれたまえ。なにも死地まで私に付き合うことはない」
ランドルート邸内。
スヴェンとフランはすでに居間を退き、裏口のほうへ向かっていた。
かたわらには数人の〈影〉が連れ添っている。とはいえ、目に見えるとこにいるわけではない。
天井裏、床下、あるいは侵攻ルート上の死角。
黒衣にすっぽりと身を包んだ彼らはランドルート家の猟犬だ。帝国式の訓練を受けた密偵であり、スヴェンの直近として身辺警護を担っている。
襲撃者の正体は見当がついている。ユエラとの情報共有の賜物だ。
もっとも、また彼女の存在が厄介事を招いたということでもあるのだが。
狙いはおそらくスヴェンだろう。彼女とは別行動を取れば女従者に被害が及ぶことはない――のだが。
「フラン」
スヴェンは再度、自らの女従者に呼びかける。
しかし彼女は首を縦に振ろうとしない。ふるふると首を横に、スヴェンのすぐそばに寄り添う。
「……先に逃げる気は無いのだね?」
こくん、とちいさく頷くフラン。片目を隠すほどの銀に近い白髪がゆらりと揺れる。
スヴェンは歩を進めながらため息を吐く。
少し面映ゆくもあるが――こんな時まで忠実な部下でなくとも良かろうに。
もっとも、事態はそれほど切迫しているわけではない。
この緊急事態はすでに伝わっているだろう。じきに彼女が応援に駆けつけるはずである。
それでも、もしもという危険はある。彼女に累が及ぶ危険を少しでも減らすため、スヴェンは先に逃げるよう促したが――
「……分かった。このまま裏口へ向かうとしよう」
結果として、先に音を上げたのはスヴェンだった。
口を利けないフランは口元に笑みを浮かべて意思を表明する。
表口はすっかり制圧されたようだった。報告によれば敵数はたった一人という。
これはユエラから得た情報とも合致している。相手は少年の風貌だが、永い年月を生きる魔術師――かの〈賢者〉クレラントであると。
なにせ街の中にある屋敷である。
大きな邸宅と言ってもたかが知れており、早足で行けば裏口まではすぐたどり着く。
出口は建物の影に隠れて非常に分かりづらく、外部者に露呈することはまずあり得ないといっても過言ではないだろう。
――――だが。
「やあやあ見つけたよ、スヴェン・ランドルート。お初にお目にかかるねぇ」
その時、屋敷の廊下を進むスヴェンとフランの後ろから、少年の胡散臭い声があった。
もっとも、その声はスヴェンには聞こえていない――フランにそっと指し示され、彼は後ろを振り返る。
「――あなたが〈賢者〉か。クレラント殿」
「そうさ、その通り。……おっと、君は確か聾者だったね?」
クレラントはそう言って口の中でかすかに詠唱する。
瞬間――次に彼が発した声は、スヴェンの耳にも音として理解できた。
「あーあー。聞こえるかい? 申し訳ないけどそこの侍女、君の出番はないよ。下がっているといい」
「――――何をしたのだね?」
スヴェンはその言葉を確かに理解し、瞠目する。フランはぎゅっとスヴェンのごつごつとした手を握りしめる。
ユエラでさえこのような芸当はできなかった。彼女はあくまで、言葉そのものを頭の中に刷り込んでいただけというのに。
「人間には空気の振動を音として認識するための器官がある。でも、君の場合はそれがうまく機能していないらしい。だから僕は、空気の振動を君の聴覚器官内部まで届かせたのさ――まぁ、こんなことをする意味は特に無いんだけど」
クレラントはにやにやと笑いながらスヴェンとの距離を詰める。
できれば今すぐフランを退かせたいが、おそらくそれは難しいだろう。
今スヴェンが臆さずにいられるのは彼女のおかげでもある、というのがなんとも皮肉である。
「あなたの目的は私ごときでは無いのだろう、〈賢者〉殿。ユエラ嬢を誘き寄せたいのならば、もう少し待ってもらいたい。あいにく、君の手腕は私の護衛をもってしてもあまりに常軌を逸しているようだ」
スヴェンは淡々と応じる。その声に震えはない。
が、クレラントは口元を三日月の形に歪めながら歩みを止めない。
「いやいや、スヴェン。君は少し勘違いをしているようだ。確かに僕の目的は彼女を誘きよせることであってね、極端に言えば君をどうこうできるかはどうだっていい。生きてても死んでいても全く構わない存在だ」
「……どういうことかね?」
彼が言う通りならば、スヴェンの理解は特におかしいところは無いのではないか。
瞬間、フランがぎゅっと強くスヴェンの手を引く。何か得体の知れないものを知覚してしまったかのように。
「君が生きているか死んでいるかは重要じゃない。君を殺すことはそこまで重要でもない――――でも、できれば君には死んでおいてもらいたいんだよねぇ」
クレラントはそう言って掌を突き出す――建物の天井裏へ。
まさにその瞬間だった。スヴェンの身辺を警護する〈影〉が天井裏の板を踏み抜き、クレラントに襲撃をかける。
「くっ……!!」
「ハハハ、だから無駄だってのに!」
奇襲は完全に読まれていた。〈影〉は短剣を首筋へ突き立てようとするが、その刃はクレラントの身体に接する直前で食い止められた。
不可視の障壁。まるで空気を極限まで圧縮したような質量が刃先を呆気なく押し留める。
「――――ッ、」
黒衣の向こう側で驚愕に目を見開く〈影〉。
クレラントが続けて腕を引くと、見えない何かが〈影〉の体躯に巻き付き、彼を床に引きずり倒す。まるで不可視の触手が彼を捕まえ、強引に振り回すかのようだった。
彼らはロジュア帝国の精兵として訓練を受けた諜報部隊。その練度は中堅の探索者を大きく上回るだろう。その上で――彼は手も足も出ない。
「さぁ、どうするんだい? スヴェン? まさか君の護衛が一人だけってことは無いだろう? 床下か? そこの部屋か? それとも二階を通って僕の後ろに回り込ませるか? あいにくだけど、僕に隙なんてものは一切――そう、一切ないぜ?」
スヴェンは低く鼻を鳴らす。
この状況、彼はどうしてか伏兵の存在を完璧に読み切っていた。
そしておそらく、彼の言葉に偽りはないだろう。
三百年前、魔王を封じこめた〈賢者〉クレラント。彼がまさにその人であるならば、ちゃちなハッタリを使うとは思えない。
クレラントはぞんざいに腕を振る。瞬間、〈影〉は壁に押し付けられるように拘束される。
目には見えない何かで押し潰されているようだった。命に別状はないだろう。――彼はとどめを刺そうともしない。
「……なぜだ?」
「うん?」
「私を殺したいならば今この瞬間にも殺せるだろう。なぜあなたは悠長に私を活かしている?」
「そりゃあ君、時間つぶし――ってこともあるんだけどさ。ちょっと思いついたことがあるんだよね」
クレラントはにやりと笑い、スヴェンの言葉を否定も肯定もしない。
命を握られている。肺腑をぎゅっと絞られるような感覚がスヴェンを襲う。
「……思い付き、かね?」
「そう。スヴェン、君さぁ――――僕に協力しないかい?」
「……どういうことだ」
この言葉にスヴェンはさすがにいぶかしむ。
「テウメシアが来るかもしれないからね、手短に行こう。――――何を言いたいかというとさ、つまり、ユエラとは手を切ろうぜってこと。このままあれと組んでいて君に利益があるかい? ここで名を挙げるって甘い汁は十分に吸った後じゃないかい? これからは彼女の存在のために面倒が増えるばかりだぜ?」
クレラントは軽く眉をあげて言いつのる。まるで煽るような言葉。
スヴェンは少しだけ似ていると思った。彼女が――ユエラ・テウメッサが誘いかけてきた時と。
「私ごときがあなたに利益をもたらせるとは思えないな、クレラント殿」
「いやいや。案外そうでもない。あいつはどうしてか君を結構信頼しているみたいだからねぇ。裏切られるってのは堪えるもんだよ、実際のところ。そして裏切り者の存在をあいつが放ったらかしておくとは思えない。――つまり、君を囮にできるってことだね」
「馬鹿馬鹿しい話だ。それでは私に利がない」
フランが不安げにスヴェンを見上げる。
が、スヴェンはあくまでふてぶてしく言う。この期に及んで、と一生に付されそうな言葉。
「ハハハ。今この場で僕が殺さないであげる、ってだけでも儲けものだろう? 命あっての物種だぜ? ――っていうのもまぁ、不誠実だからね。せっかくだから、君には僕ができる最上級のお礼をしようじゃないか」
「うかがおうではないか。言ってみたまえ」
クレラントがどこまで本気かは分からない。だが、この瞬間は少なくとも時間稼ぎにはなる。
スヴェンが耳を傾けるのに、クレラントはにやりと笑いながら言った。
「僕なら君の耳を聞こえるようにできる。今、僕の声が聞こえてるのはちょーっと違う原理だけどね。要するに空気の振動を拾えるようにすればいい。その程度の魔具なら、作るのはそう難しくないさ」
瞬間――誰よりも敏感な反応を示したのは、スヴェンではなく、フランだった。
彼女の目が怯えにも似た感情を含む。
捨てられることを拒むような。しかし主人にとっての最善を望んでもいるような――複雑な感情がないまぜになった視線。
「なるほど。悪くない話のようだ。……実に悪くない」
「だろう? それなら――」
「だが、結構だ」
瞬間、クレラントの表情が初めて固まった。
スヴェンはあまりにあっけなく、彼の提案を跳ね除けた。
「あいにくだがね、私の耳に代わるものならばすでに手元に置いてあるのだよ。あなたも失念していたわけではないだろう?」
「――――、」
クレラントは刹那、フランを一瞥する。
彼女は驚愕に目を見開き、スヴェンをじっと見上げていた。
「どうやら、人間を誘惑するという一点においては、あなたより彼女のほうが勝っているらしい」
スヴェンが何気なく挑発するように投げかけた一言。
――――それがクレラントの激情を呼び起こした。
「――――僕を、あいつと比べて、馬鹿にするんじゃねえッ!!!」
クレラントはぎり、と歯噛みして掌を握りしめる。
瞬間、スヴェンの首周りの大気が凝固し、彼の喉元を急激に締め上げた。
「が――う、ぐ……ッ!?」
不可視の巨人に捕まったように宙吊りにされるスヴェン。
かたわらのフランはなすすべがない。
「てめえ、楽には殺してやらねえぞ、そこの女も同罪だ、じわじわと痛めつけて嬲り殺しに――――」
「させるかえ阿呆が」
ガゴンッ!! と。
まるで鋼鉄を思いっきり殴り付けたような音がして、クレラントは横に吹き飛び、勢いよく壁に叩きつけられた。
瞬間、〈影〉とスヴェンの拘束が解けて解放される。
床に叩きつけられたスヴェンへ気遣わしげにフランが寄りそう。
「ほれ、スヴェン。フラン。おまえらは早う退くが良い。邪魔になるでな」
クレラントはすぐに身を起こしながら、声がしたほうにぐるりと首を回した。
そこには、彼女がいた。
艶やかな灰色の長やかなる髪、吊り目がちの青い瞳。灰色の毛並みの狐耳と二つのしっぽ――狐人の少女。
ユエラ・テウメッサ。
「――遅かったじゃないかい、テウメシア。うっかり殺してしまうところだったろう?」
「殺す気満々でおったくせに。何を抜かしておる」
立ちどころに殺意を漲らせるクレラントに応じ、彼女は飄々として相対した。
ランドルート邸内。
スヴェンとフランはすでに居間を退き、裏口のほうへ向かっていた。
かたわらには数人の〈影〉が連れ添っている。とはいえ、目に見えるとこにいるわけではない。
天井裏、床下、あるいは侵攻ルート上の死角。
黒衣にすっぽりと身を包んだ彼らはランドルート家の猟犬だ。帝国式の訓練を受けた密偵であり、スヴェンの直近として身辺警護を担っている。
襲撃者の正体は見当がついている。ユエラとの情報共有の賜物だ。
もっとも、また彼女の存在が厄介事を招いたということでもあるのだが。
狙いはおそらくスヴェンだろう。彼女とは別行動を取れば女従者に被害が及ぶことはない――のだが。
「フラン」
スヴェンは再度、自らの女従者に呼びかける。
しかし彼女は首を縦に振ろうとしない。ふるふると首を横に、スヴェンのすぐそばに寄り添う。
「……先に逃げる気は無いのだね?」
こくん、とちいさく頷くフラン。片目を隠すほどの銀に近い白髪がゆらりと揺れる。
スヴェンは歩を進めながらため息を吐く。
少し面映ゆくもあるが――こんな時まで忠実な部下でなくとも良かろうに。
もっとも、事態はそれほど切迫しているわけではない。
この緊急事態はすでに伝わっているだろう。じきに彼女が応援に駆けつけるはずである。
それでも、もしもという危険はある。彼女に累が及ぶ危険を少しでも減らすため、スヴェンは先に逃げるよう促したが――
「……分かった。このまま裏口へ向かうとしよう」
結果として、先に音を上げたのはスヴェンだった。
口を利けないフランは口元に笑みを浮かべて意思を表明する。
表口はすっかり制圧されたようだった。報告によれば敵数はたった一人という。
これはユエラから得た情報とも合致している。相手は少年の風貌だが、永い年月を生きる魔術師――かの〈賢者〉クレラントであると。
なにせ街の中にある屋敷である。
大きな邸宅と言ってもたかが知れており、早足で行けば裏口まではすぐたどり着く。
出口は建物の影に隠れて非常に分かりづらく、外部者に露呈することはまずあり得ないといっても過言ではないだろう。
――――だが。
「やあやあ見つけたよ、スヴェン・ランドルート。お初にお目にかかるねぇ」
その時、屋敷の廊下を進むスヴェンとフランの後ろから、少年の胡散臭い声があった。
もっとも、その声はスヴェンには聞こえていない――フランにそっと指し示され、彼は後ろを振り返る。
「――あなたが〈賢者〉か。クレラント殿」
「そうさ、その通り。……おっと、君は確か聾者だったね?」
クレラントはそう言って口の中でかすかに詠唱する。
瞬間――次に彼が発した声は、スヴェンの耳にも音として理解できた。
「あーあー。聞こえるかい? 申し訳ないけどそこの侍女、君の出番はないよ。下がっているといい」
「――――何をしたのだね?」
スヴェンはその言葉を確かに理解し、瞠目する。フランはぎゅっとスヴェンのごつごつとした手を握りしめる。
ユエラでさえこのような芸当はできなかった。彼女はあくまで、言葉そのものを頭の中に刷り込んでいただけというのに。
「人間には空気の振動を音として認識するための器官がある。でも、君の場合はそれがうまく機能していないらしい。だから僕は、空気の振動を君の聴覚器官内部まで届かせたのさ――まぁ、こんなことをする意味は特に無いんだけど」
クレラントはにやにやと笑いながらスヴェンとの距離を詰める。
できれば今すぐフランを退かせたいが、おそらくそれは難しいだろう。
今スヴェンが臆さずにいられるのは彼女のおかげでもある、というのがなんとも皮肉である。
「あなたの目的は私ごときでは無いのだろう、〈賢者〉殿。ユエラ嬢を誘き寄せたいのならば、もう少し待ってもらいたい。あいにく、君の手腕は私の護衛をもってしてもあまりに常軌を逸しているようだ」
スヴェンは淡々と応じる。その声に震えはない。
が、クレラントは口元を三日月の形に歪めながら歩みを止めない。
「いやいや、スヴェン。君は少し勘違いをしているようだ。確かに僕の目的は彼女を誘きよせることであってね、極端に言えば君をどうこうできるかはどうだっていい。生きてても死んでいても全く構わない存在だ」
「……どういうことかね?」
彼が言う通りならば、スヴェンの理解は特におかしいところは無いのではないか。
瞬間、フランがぎゅっと強くスヴェンの手を引く。何か得体の知れないものを知覚してしまったかのように。
「君が生きているか死んでいるかは重要じゃない。君を殺すことはそこまで重要でもない――――でも、できれば君には死んでおいてもらいたいんだよねぇ」
クレラントはそう言って掌を突き出す――建物の天井裏へ。
まさにその瞬間だった。スヴェンの身辺を警護する〈影〉が天井裏の板を踏み抜き、クレラントに襲撃をかける。
「くっ……!!」
「ハハハ、だから無駄だってのに!」
奇襲は完全に読まれていた。〈影〉は短剣を首筋へ突き立てようとするが、その刃はクレラントの身体に接する直前で食い止められた。
不可視の障壁。まるで空気を極限まで圧縮したような質量が刃先を呆気なく押し留める。
「――――ッ、」
黒衣の向こう側で驚愕に目を見開く〈影〉。
クレラントが続けて腕を引くと、見えない何かが〈影〉の体躯に巻き付き、彼を床に引きずり倒す。まるで不可視の触手が彼を捕まえ、強引に振り回すかのようだった。
彼らはロジュア帝国の精兵として訓練を受けた諜報部隊。その練度は中堅の探索者を大きく上回るだろう。その上で――彼は手も足も出ない。
「さぁ、どうするんだい? スヴェン? まさか君の護衛が一人だけってことは無いだろう? 床下か? そこの部屋か? それとも二階を通って僕の後ろに回り込ませるか? あいにくだけど、僕に隙なんてものは一切――そう、一切ないぜ?」
スヴェンは低く鼻を鳴らす。
この状況、彼はどうしてか伏兵の存在を完璧に読み切っていた。
そしておそらく、彼の言葉に偽りはないだろう。
三百年前、魔王を封じこめた〈賢者〉クレラント。彼がまさにその人であるならば、ちゃちなハッタリを使うとは思えない。
クレラントはぞんざいに腕を振る。瞬間、〈影〉は壁に押し付けられるように拘束される。
目には見えない何かで押し潰されているようだった。命に別状はないだろう。――彼はとどめを刺そうともしない。
「……なぜだ?」
「うん?」
「私を殺したいならば今この瞬間にも殺せるだろう。なぜあなたは悠長に私を活かしている?」
「そりゃあ君、時間つぶし――ってこともあるんだけどさ。ちょっと思いついたことがあるんだよね」
クレラントはにやりと笑い、スヴェンの言葉を否定も肯定もしない。
命を握られている。肺腑をぎゅっと絞られるような感覚がスヴェンを襲う。
「……思い付き、かね?」
「そう。スヴェン、君さぁ――――僕に協力しないかい?」
「……どういうことだ」
この言葉にスヴェンはさすがにいぶかしむ。
「テウメシアが来るかもしれないからね、手短に行こう。――――何を言いたいかというとさ、つまり、ユエラとは手を切ろうぜってこと。このままあれと組んでいて君に利益があるかい? ここで名を挙げるって甘い汁は十分に吸った後じゃないかい? これからは彼女の存在のために面倒が増えるばかりだぜ?」
クレラントは軽く眉をあげて言いつのる。まるで煽るような言葉。
スヴェンは少しだけ似ていると思った。彼女が――ユエラ・テウメッサが誘いかけてきた時と。
「私ごときがあなたに利益をもたらせるとは思えないな、クレラント殿」
「いやいや。案外そうでもない。あいつはどうしてか君を結構信頼しているみたいだからねぇ。裏切られるってのは堪えるもんだよ、実際のところ。そして裏切り者の存在をあいつが放ったらかしておくとは思えない。――つまり、君を囮にできるってことだね」
「馬鹿馬鹿しい話だ。それでは私に利がない」
フランが不安げにスヴェンを見上げる。
が、スヴェンはあくまでふてぶてしく言う。この期に及んで、と一生に付されそうな言葉。
「ハハハ。今この場で僕が殺さないであげる、ってだけでも儲けものだろう? 命あっての物種だぜ? ――っていうのもまぁ、不誠実だからね。せっかくだから、君には僕ができる最上級のお礼をしようじゃないか」
「うかがおうではないか。言ってみたまえ」
クレラントがどこまで本気かは分からない。だが、この瞬間は少なくとも時間稼ぎにはなる。
スヴェンが耳を傾けるのに、クレラントはにやりと笑いながら言った。
「僕なら君の耳を聞こえるようにできる。今、僕の声が聞こえてるのはちょーっと違う原理だけどね。要するに空気の振動を拾えるようにすればいい。その程度の魔具なら、作るのはそう難しくないさ」
瞬間――誰よりも敏感な反応を示したのは、スヴェンではなく、フランだった。
彼女の目が怯えにも似た感情を含む。
捨てられることを拒むような。しかし主人にとっての最善を望んでもいるような――複雑な感情がないまぜになった視線。
「なるほど。悪くない話のようだ。……実に悪くない」
「だろう? それなら――」
「だが、結構だ」
瞬間、クレラントの表情が初めて固まった。
スヴェンはあまりにあっけなく、彼の提案を跳ね除けた。
「あいにくだがね、私の耳に代わるものならばすでに手元に置いてあるのだよ。あなたも失念していたわけではないだろう?」
「――――、」
クレラントは刹那、フランを一瞥する。
彼女は驚愕に目を見開き、スヴェンをじっと見上げていた。
「どうやら、人間を誘惑するという一点においては、あなたより彼女のほうが勝っているらしい」
スヴェンが何気なく挑発するように投げかけた一言。
――――それがクレラントの激情を呼び起こした。
「――――僕を、あいつと比べて、馬鹿にするんじゃねえッ!!!」
クレラントはぎり、と歯噛みして掌を握りしめる。
瞬間、スヴェンの首周りの大気が凝固し、彼の喉元を急激に締め上げた。
「が――う、ぐ……ッ!?」
不可視の巨人に捕まったように宙吊りにされるスヴェン。
かたわらのフランはなすすべがない。
「てめえ、楽には殺してやらねえぞ、そこの女も同罪だ、じわじわと痛めつけて嬲り殺しに――――」
「させるかえ阿呆が」
ガゴンッ!! と。
まるで鋼鉄を思いっきり殴り付けたような音がして、クレラントは横に吹き飛び、勢いよく壁に叩きつけられた。
瞬間、〈影〉とスヴェンの拘束が解けて解放される。
床に叩きつけられたスヴェンへ気遣わしげにフランが寄りそう。
「ほれ、スヴェン。フラン。おまえらは早う退くが良い。邪魔になるでな」
クレラントはすぐに身を起こしながら、声がしたほうにぐるりと首を回した。
そこには、彼女がいた。
艶やかな灰色の長やかなる髪、吊り目がちの青い瞳。灰色の毛並みの狐耳と二つのしっぽ――狐人の少女。
ユエラ・テウメッサ。
「――遅かったじゃないかい、テウメシア。うっかり殺してしまうところだったろう?」
「殺す気満々でおったくせに。何を抜かしておる」
立ちどころに殺意を漲らせるクレラントに応じ、彼女は飄々として相対した。
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