お狐さま、働かない。

きー子

六十三話/悪徳の教え

〈封印の迷宮〉九十二層。
 黒い外套に身を包む長身の女――リグは現地で複数の小隊を指揮していた。

 率いるは四人の信徒で構成された小隊が計六部隊。
 彼らは人目につかないよう一般の探索者に偽装し、前もって迷宮内に潜り込んだ者たちだ。

〈封印の大神殿〉内の大魔石を用いれば、探索者は誰でも〈攻略拠点〉に転移できる。
 そしてどの階層に転移したかは、当人以外に判斷することができないのだ。

 リグは六小隊にそれぞれ別の通路を進ませ、地図作成マッピングを同時進行させた。
 小隊に地図を持ち帰らせれば、情報をリグのもとに集約することで飛躍的に早く地図を完成させることができる。

 この手法を用いることにより、イブリス教団普遍主義派は破竹の速度で〈封印の迷宮〉攻略を進めていた。

「リグ戦士長」
「――む」

 と、その時。階層のある一点で待機するリグの元に、一個小隊が帰還した。
 一般的な探索者と同じように部分鎧を身に着けた二人の男。

「戻ったか」
「は。こちらをご確認下さい」

 二人のうち一人が羊皮紙を差し出す。
 彼の腹はごっそりと爪のようなもので刳り貫かれ、風穴から臓物が零れ落ちていた。
 しかし彼の表情に苦痛の色はない。疲労すらさほど感じてはいない。あるいは、死の恐怖すら微塵もうかがえなかった。

 リグは彼の重態を気にも止めず羊皮紙に目を走らせる。他の小隊から得た情報と照らし合わせるが、矛盾は今のところ見当たらなかった。

「――結構。よくやってくれた。二人はどこへ?」
「はっ。ルドルフとバーンズは勇敢に戦い、敵の足止めに成功し、殉教いたしました。必ずやイブリス卿の身元に召されたことでしょう」
「そうか。ならば冥福を祈るとしよう」

 魔薬に蝕まれた信徒たち。彼らは致命傷程度では斃れない。
 彼らさえいれば、探索に向かった先で全滅してしまうこともない。――例え致命傷を負いながらも、死に損ないの身体を引きずって帰還することが約束されていた。

 足止めに成功したというのは、つまり、魔物の餌になったのだろう。魔薬でどれほど絶大な生命力を得ようとも、肉体を貪り食われればどうしようもない。

「いかがいたしましょう。我々二人でも探索を再会させていただきますが」
「――――真に結構。そうしてくれたまえ。貴様達には必ずやイブリス卿の冥福が約束されることだろう」
「はっ。ご幸甚の限りです!」

 小隊の生き残り――否、死に損ないたちは再び死地に舞い戻る。道筋に血雫を滴らせながら。
 もはや彼らの死は決定的だった。

 これは初めから死を前提とした攻略法なのだ。もし彼らが地上に転移でもしたら、魔薬漬けの信徒を攻略に用いていることが露呈してしまう。
 露呈しても構わないといえば構わないが、用心するに越したことはなかった。

 リグは一時的に持ち場を離れ、近隣の大魔石の位置を確認する。
 果たして、信徒たちが命がけで残した情報通りの場所に大魔石はあった。
 半ばは石造りの壁に埋まっている水色の大晶石。その表面は透き通っているが、触れれば相当な硬度を秘めているとわかる。――大魔石全体が帯びている魔力のためである。

 迷宮内の魔物は大魔石を源泉にして結晶する。
 ゆえに、リグは一計を案じた――迷宮内の大魔石を破壊していけば、さらに攻略速度を早められるのではないか、と。

 実験自体は上の階で済ませた。
 結果から言えるのは、大魔石を破壊するのは難しいが可能であること――
 そして、何度破壊しようとも何日か経てば復活してしまうということである。

 同様の実験を別の階層でも試してみたが、結果には一定の傾向が見られた。
 大魔石が再結晶するまでの間隔は、深層であるほど短期間になるのだ。

「――――、」

 そこでリグは試すことにした。
 九十二層――この前人未到の領域で、大魔石が再結晶する間隔はいかほどか。

 リグの白い掌がそっと大魔石の表面に触れる。
  瞬間、彼女の華奢な肉体は流れるように駆動。
 全身が連動しているかのように挙措を作り、全身の力を掌に伝導する――腰を緩やかに落とした刹那、掌の先で弾けるような音がした。

 バキン、という破砕音。
 濃密な魔力渦巻く深層にあって、リグは無拍子の掌打で大魔石を破壊せしめた。

 ひび割れが蜘蛛の巣のように広がり、大魔石の欠片が零れ落ちる。
 割れ砕けた破片、細片、大魔石であった残骸がばらばらと散らばる。

「――ハ」

 破片の全てを集めれば、それだけで十分な稼ぎになるだろう。
 しかしそれはもはやリグの興味の範疇外だ。教団にとってもさして重要なことではない。
 魔王イブリス卿が復活さえすれば、もはや資金源など気にする必要も無いのだから。

 このように全ての大魔石を潰してまわれば、一時的に階層の魔物を駆逐することもできるだろう。
 しかしリグにその気はない。もし魔物がいなくなれば、後追いの連中が勢いづくことにもなりかねないからだ。

 リグの考えている攻略方針は次のようなもの。
 まず、魔薬漬けの信徒を利用して網羅的な情報を得ることが前提。
 リグはその情報を手がかりに、九十層以降の大魔石を短期間で潰して回り、安全なルートを構築する。
 後は誰かがそのルートを辿り、九十層から百層まで一気に進めば良い。

 いささか悠長ではあるが、今のところは先行できている。この優位を守りさえすれば良いのである。
 重要なのは、後追い連中――公教会の探索部隊に先を越されないこと。
 ゆえにこそ、入念に用意を整えてから不意を打つような短期決戦が肝要となる。

 例え最下層が占領されようと、真っ向から突破できる自信はあるが……もし、魔王の封印に細工でもされたら目も当てられない。
 無事に魔王イブリス卿の封印を解くこと。それが何よりもの最優先事項である。

「――――あれは、どう出るか」

 公教会の狗――〈聖光の癒し手〉クラリス・ガルヴァリンを筆頭にした探索部隊。
 彼らがイブリス教団を意識しているように、当然、教団側も彼らのことを認識していた。

 そして警戒してもいる。
 彼女らの歩みは教団に比べて遅々としているが……その理由は、彼女らが犠牲を許容していないからだ。
 もし彼女らが、教団のようになりふり構わない手段に打って出たら。

 ありえない、とは決して言えない。魔王イブリスが復活するかしないか、という土壇場なのである。
 表向きは清廉な印象を保っている公教会だが、いざとなれば人柱でも何でも使うだろう。
 結局は公教会も、イブリス教団と同じ穴の狢なのである。

 ――決して小さくない程度の差こそあれど。

 リグは警戒心をつのらせながら持ち場に戻る。
 と、ちょうどその時、また別の一隊が戻ってくるところだった――たった一人の生き残りが片腕に地図を抱え、片足を引きずるように歩きながら。

 その表情には耐えがたいほどの陶酔感、恍惚とした笑みがある。

「リグ戦士長! 無事帰還いたしました!」
「結構。報告を」

 リグは淡々と応対する。
 その表情に感慨らしいものは何一つうかがえなかった。

 ◆

 リグは一日の探索を終えると、拠点に戻り、司祭長のサニエルと情報を共有する。
 この禿頭の壮年男は総主教に次ぐ実質的な二番手で、教団普遍主義派の思想的な側面を担っていた。
 鉤十字に六芒星の印を刻まれた黒衣。同様の紋章を胸元にも入れ墨として刻んでおり、まさに教団を体現するような人物である。

「……なるほど。調査は順調に進んでいるということですな。実際、あとどれだけの期間を要すると見積もっておりますかな?」
「準備が整うまでにおよそ一週間といったところだろう」

 リグは淡々と言い、そして告げる。

「これは私としての考えだが、イブリス卿を出迎えに行くのはサニエル司祭長が適任ではないかと考えている」
「……〈封印の迷宮〉探索はあなたが主導して進めておられるというのに、いかなるお考えか?」

 リグの申し出にサニエルはいぶかしむ。
 お膳立てを整えて美味しいところだけを相手に譲るような提案。彼が不安がるのも無理はない。

 リグとサニエルは表向き対立しているわけではないが、立場上、相容れない意見を発することが少なくなかった。
 魔王崇拝の旗印を元に集ってはいるが、仲睦まじいとは決して言えない関係だった。

「率直に申し上げるが、私が魔王イブリス卿の復活を願うのは、ごく個人的な願いに寄るものだ。然るに、私はイブリス卿と相対するに相応しい人物とは言えない。それならば私はむしろ、地上の異教徒共を牽制することに務めたほうが良かろう。〈封印の迷宮〉に入る危険こそ伴うが、イブリス卿との謁見という大役は司祭長にお譲り致したい。――いかがか?」

 もっとも、リグには裏の考えなど何もない。
 彼女の言葉は全くの本音であり、自らの手で復活をなし遂げたいというこだわりも無かった。
 リグの考えた方法なら戦闘能力は必要としない。〈封印の迷宮〉九十層から百層を駆け抜けるだけの体力さえあれば良いのだ。

 結果として、サニエル司祭長はこの提案を容れた。
 彼はリグほど優れた戦士ではないが、イブリス教団の幹部格である以上、それなりに荒事の心得はある。

 これでリグは、お膳立てを整えたあとは自由に動ける。
 クレラントと協働して動くも、公教会の探索部隊を襲撃するも思いのまま。

 交渉と雑用を済ませたあと、リグは総主教室がある大邸へ向かう。
 その途上、ふと彼女を呼び止める声があった。

「おーっと、ちょうどいいところにいたねぇ、リグ。ちょっと付き合いなよ」

 夜闇の向こう側から聞こえる快活な声。
 計らずしも、ちょうど探していた人物に呼び止められた格好である。

「――――何をしている?」
「魔術さ。実験相手が欲しいんだけど、信徒を材料にして探索を滞らせてもいけないからね。君なら死なないだろ?」

 訓練。リグはわずかにいぶかしむ。
 賢者とあだ名されるほどの魔術師が訓練とは。軽薄な態度とは裏腹に真面目なものである。

 水色髪の少年――クレラントはへらへらと笑い、リグの答えも聞かずに背を向けて歩き出す。
 リグはため息を吐きつつも、教団敷地内の訓練場を案内する。

 死なないというのは大いなる語弊だが、クレラントとまともに向き合える戦士はリグを置いて他にいないだろう。
 それは街中、否、大陸全土を探し回ってもなお珍しい才能に違いない。

 訓練場の広々とした囲いの中、リグはクレラントと真正面から相対する。
 クレラントが片腕を一振りすると、瞬間、空中に光が浮かび上がって周囲をまばゆく照らし出した。

「――――貴様の魔術は、あの雌狐を殺すためのものと言ったな?」
「ああ。殺せるかどうかは別にしてね。殺すつもりでやってはいるんだよ。殺せなかった時の保険も用意してあるから、まぁ、本気じゃないのかもしれないけどね」

 クレラントはまるで他人事のように言う。

「私にはそうは見えなかったが――あれが人並み外れて頑丈というなら、私の肉体は飽くまで人間並みでしかないぞ」
「その点は大丈夫さ。ちゃんと生き残れるくらいに加減はするからね。君がちゃんと受ければ、だけど」
「――――ハ」

 リグはかすかに鼻白む。
 クレラントとは一度、ほんの一瞬だけ刃を交えたが、彼の実力はその片鱗さえ伺えなかった。
 正直なところ、一介の戦士として興味深くはある。

「あいつが僕を殺せないなら、僕があいつをぶち殺さないとね。あいつもそれを望んでるに決まってるんだからさ。ああ、あいつが僕を殺してくれるのかな? それも実に悪くないねぇ」
「貴様の感傷は良い」
「おっと。そうだったねぇ」

 クレラントはけらけらと薄笑いを発して頷く。
 彼は時にこのような意味をなさない言葉を繰り返すことがあった。

 彼は一種の狂人なのだろう、とリグは思っている。数百年という経年に、人間の脳は耐えられないのではないか。クレラントを見ていると、しばしばそう考えることがあった。

「ところで、リグ。一応説明しておくから、よーく聞いておいてほしい。うっかり死にでもしたら困るからね。僕の魔術が何をどうするのかって話だ――いったいなんだと思う?」
「不得意なものは無かった、と聞いたことがある」

 それは魔王イブリス卿を封印せしめた、三百年前の〈賢者〉クレラントにまつわる評。
 しかし、彼自身が口にした言葉は、違った。

「合ってるけど違う。――僕にとって魔術ってのはね、支配だ。何かを支配するってことだ。テウメシアが人間の心を支配するようにね。そこで、僕はどこにでもあるものを支配することにした。そいつが一番強くなれる、それも手っ取り早く。……なんだと思う?」
「――どこにでも?」

 ピンと来ないように首をかしげるリグ。
 クレラントは勿体ぶることなく、流れるように言葉を続けた。

 右手は天を。
 左手は地を指差しながら。

「僕らが拠って立つ大地、遥か遠くのカミサマが坐す天、世界のどこにでも偏在するもの――――天地あめつちさ」

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