お狐さま、働かない。

きー子

六十一話/市街地探索

 迷宮街、外縁部――建物の間に挟まれた裏通り。
 昼でもどこか薄暗いこの路地を、全身をすっぽりとローブに包んだ人影が歩いていた。

 身の丈は170su弱といったところ。一見して細身とわかるが、その外見はようとしてうかがえない。顔立ちはフードの影ではっきりせず、くすんだ金髪と白い肌が見え隠れする。――この近辺ではあまり見られない姿であった。

 狭い肩幅を見るに女であろう。
 裏路地に巣食う人々は、通りすがる彼女を無遠慮にじろじろと見る。
 盗人、無宿人、あるいはヤクザもの。交易の拠点として人が多く集まる迷宮街で、この手の輩は決して珍しくもない。

 彼らはひとえに縄張りを荒らされることを嫌う。本来この場所は誰のものでもないが、いつからか自然と悪弊や悪徳が集うようになった。
 ゆえに彼らは余所者の存在に敏感だ。まちなかの治安維持に励む自警団もこの辺りには手を付けようとしない。放っておけば騒動を起こすこともないため、あえて放置されているのである。

「そこのあんた、そんなに急いでどこに行くってんだ?」

 見るからにごろつきの風貌を隠しもしない男が一人。彼はフードの女に後ろから声をかけ、呼び止める。
 彼女はくぐもった声で端的に応じる。

「薬」
「……あ?」
「薬を、買いに来た」

 女がそう言うと、男は舌打ちして去っていく。「薬中ジャンキーかよ」と吐き捨てながら。
 それっきり、他の者たちも女に近づこうとはしない。彼女はそのまま路地を進み、ある男が座りこんでいるところで足を止めた。

「おい、あんた」

 ぼさぼさの髪に痩せこけた身体。黒いボロ布に身を包んだ一人の男。
 彼は若い女の声を聞き、いかにも億劫げに顔を上げた。

「なんだ。俺は客にはならねぇぜ」

 あからさまに嘲るような声。彼女を売女と決めてかかるような言葉。
 しかし女は意に介さず言葉を続けた。

「薬を売ってくれないかい。魔薬だ。あるんだろう?」
「ああ? ……あいにくだが、一見さんに売る薬はねぇな。帰ってくんな」
「あんたなら誰にでも売ってくれる。そう聞いてきたんだよ」
「そぉーかい。だがなぁ、あんたが自警団の連中だとしたらこっちが参っちまうんだ。そう簡単には――」

 男はへらへらと笑いながら、しっし、と追い払うように手を振る。
 瞬間、女の腕が突如として男の首を掴み上げた。

「あ……がッ!?」

 突然のことに目を見開く売人の男。
 女は掌にギチギチと力を込めながらドスの効いた声を上げる。

「売ってくれ、と言ったろう!! 金ならあるんだよ!! それとも、今すぐここでぶち殺されたいかい!?」
「あ、が……ま、まて、まてッ……」

 男は女の腕を叩き、必死にもがいて振り払おうとする。
 だが、女の手はびくともしなかった。凄まじい膂力なのだ。魔薬で壊れた女の筋力とはとても思えまい。

「殺してやる。あんたが売らないってんなら、殺してやる。あんたを叩ッ殺して奪ってやる――」

 そう言いながら女はローブの裾をまくりあげる。
 ローブの下――腰に吊るされた鞘から長剣を抜き払い、切っ先を男の首に突きつける。
 血走った眼で男を睨めつけながら刃を近づけ、

「ま、まて、待ってくれぇッ!! ない、本当はないんだ、今は手持ちがないんだよッ!!」

 ――男の必死の叫びを聞き、彼女はふっと剣を下ろした。

「……そうかい」

 手を離す。男は地面にくずおれ、突っ伏しながらゲホゲホと咳きこむ。
 女はそれを見下ろしながら、長剣をするりと鞘に納めた。――その手さばきは震えてもいない。

「どうして、無いんだい」

 剣は引いたが、女の鋭い眼光は全く緩んでいない。
 その目付きに恐れをなし、男はぺらぺらと事情を話し始めた。

「か、買い占められたんだよ。こっちとしてはありがたい話だけどさ。おかげで一気に手持ちの分が無くなっちまった。他の売人にあたっても同じだと思うぜ」
「買い占めたのは誰だい」
「そ、そんなこと知って、どうする気だ?」
「決まってんだろう? ぶっ殺して奪うんだよ」

 男はぞくりと震え、言葉もない。

「ほら、早く答えな。別に私はあんたに聞かなくっていい。あんたを殺して、また別のやつに聞くだけだ」
「わ、わかった、答える、答えるから助けてくれ!! 教団だ、教団の連中だよ!!」
「……へぇ?」

 女は眉を釣り上げ、目を細める。
 まるで蛇のような目付き。男はさしずめ射すくめられた蛙といったところか。

「何日か前な、教団の連中が来やがって……出回ってる分はほとんど買い占めていきやがった。商売繁盛だが、おかげでしばらくは品切れなんだ。頼む、だから――」
「ああ、わかった。そんだけわかりゃあ十分だよ。じゃあね」
「…………へ?」

 女は彼をあまりにあっさりと許し、踵を返して歩み出す。
 男は思わず呆気にとられ、その場で呆然と突っ伏したままだった。

 ◆

「……というわけだ。やっぱり、教団の連中が買い集めてるみたいだね」
「そうでしたか。……あの、フィセル」
「ん」
「……どうやってそれを聞き出したのですか? 私がうかがった時は全く相手にしていただけなかったので……」
「あんたはバカ丁寧すぎるんだよ」

 薬中の女――もといフィセルとクラリスは二人、表市場の休憩場で情報交換を行っていた。
 四人パーティで〈封印の迷宮〉攻略を進める傍ら、彼女らは独自にイブリス教団の調査を進めていたのである。

「――言えないようなことでもなさったのですか?」
「大っぴらに言えるようなことじゃあないね。あんたに言うくらいなら別にいいけど」
「……なら、聞かないでおきます」
「ああ。そのほうがいい」

 けらけらと笑い飛ばすフィセル。クラリスは諦めたようにちいさくため息をつく。
 ともあれ、イブリス教団普遍主義派が魔薬をかき集めていることは明らかになった。問題となるのはその用途だが――

「〈封印の迷宮〉攻略に投じられている、と考えるべきでしょうか」
「ああ。まず間違いはないだろうね。それを考慮に入れれば、あいつらの攻略速度が尋常じゃないことにも納得がいく」

 現状、クラリスを代表とした四人は八十五層に辿り着いたばかりである。つまり、教団が先日到達した階層にようやく追いついた格好だ。
 転移装置を利用して八十五層から進むこともできたが、それはあまりに博打であった。一人でも犠牲を出せば補充要員の目処が立たない状況なのだ。相手方の攻略速度を見てからでも遅くはない。

 幸い、クラリスが下した判断は功を奏していた。
 教団はいまだ地下九十層には至っていない。〈封印の大神殿〉からの転移先に登録されていないのがその証拠

「……魔薬は確かに、一個人の能力を飛躍的に向上させます。ですが、それはあくまで一時的なことに過ぎません。探索者は教団にとっても貴重な人員のはず……それを闇雲に使い潰していくというのは、少々、解せません」
「人海戦術、だろうね。薬漬けの探索者どもを送りこんで、階層内をまとめて探索させる。情報さえ持ち帰らせれば、後はその情報をまとめて正確な地図を書き上げればいい」
「一人だけだった、というのは、つまり……その情報を元にして攻略を進めた、と?」
「そう。薬漬けにしておいたらさ、致命傷を負っても生きて帰るくらいはそんなに難しくないんだよ。……薬が効いてる間だけは、ね」
「――――……」

 フィセルの言葉に、クラリスは眉をひそめて表情を険しくする。
〈聖光の癒やし手〉とも語られる彼女なら、魔薬漬けの廃人と化した患者を診たこともあるだろう。そして知っているはずだ。彼らに有効な処置は今のところ存在していない、と。

「ま、もう済んだことだよ。公教会が完璧に取り締まれなかった時点で負けてたのさ。そこを嘆いたってしょうがない」
「……その通りです。が、どうしてそのような選択に踏み切ったのやら……彼らはあくまで、組織体の維持を目的としていたはずです」
「目的が変わった、ってこったろう?」

 フィセルの端的な一言に、クラリスははたと気づく。

「……つまり、魔王を復活させられるとしたら――その後のことなど考えてもいない、と?」
「後先考えてない連中ばかりとは限らないさ――進んで犠牲になったものは魔王様の身元に召せられる、なんて吹き込んでやればね」
「――――他山の石を笑えませんね」

 クラリスは深くため息を吐く。公教会にも似たような教えは存在するからだ。
 善を成した魂は天の主の身元へ昇りつめる、という幾ばくか穏当な教義ではあるが。

「ともあれ、連中の速度が緩んだのにもこれで説明がつく。いくら人海戦術ったって、バカスカ死なせてたらあっという間に人員が底をつくからね。深層に行くほど魔物は強くなるんだから、被害もどんどん増えていく一方だ」
「あまり手放しで喜べる状況とは言えませんが……やはり、一歩ずつ攻略を進めていくことに変わりはない、ということですか」
「警戒は要るけどね。……例えばだけど、九十五層を転移先に登録したら横槍が入るかもしれない。だから、九十層から一気に百層まで進むために資源を温存してる、なんて風にも考えられるわけだ」

 フィセルはそう述べたあと、「……すまないね。そう怖い顔すんじゃないよ」と、クラリスをなだめるように言う。
 異教徒とはいえ、物の例えとはいえ――人間のことを資源と言うのは聞き捨てならなかったらしい。

「大丈夫です。気にしていません。事実、そういった攻略方針を取るという可能性は鑑みるべきでしょうから」
「八十五層から一気に、っていうのは一層の広さからして無理がある。だから……九十層が開通したら、警戒ラインだね。できればそれまでに私らが追いつきたい」

  クラリスはこくりと頷いて同感を示す。
  それでも、彼女は決して無理に急がせるようなことはしないだろう。魔王が復活するか、しないかという一大事。多少の犠牲は惜しまない、という方針を取ってもおかしくはなかろうが――

「しっかし、本当に復活させる手段なんてあるのかね。地の底の魔王とやら、今は特に動いちゃいないんだろう?」
「ええ。……ですが、復活させる方法については、まず存在するという確証があるそうです。少なくとも楽観視できる状況ではないと」
「……深くは聞かないけどさ。あまり抱えこむんじゃないよ」

 クラリスは探索中にもまれに思いつめるような表情を垣間見せた。
 思えば彼女は先日の公教会襲撃事件から苦労しっぱなしである。魔物を相手に斃れるより早く過労で倒れられでもしたら困るのだ。

「大丈夫――――では、ないかもしれませんね」
「自覚があるなら結構。で、なんか悩みでも吐いてみるかい?」

 フィセルは気遣うような姿勢を見せるが、できることはそう多くない。司祭に告解を勧める探索者など笑い話にもならなかった。

「……実のところ、ですが」
「ああ」

 クラリスは不意に声を潜める。
 雑踏の音に紛れ、そのちいさな声は誰にも聞こえない。

「魔王復活の兆候には、魔王を封印したその人が――かの〈賢者〉様が関わっている、と」
「……へぇ?」

 と、フィセルはそれを聞いて眉を吊り上げる。
 同時になるほどと納得した。封印した張本人がいるならば、それを解除する手段を持っていてもおかしくはない。
 違和感があることはといえば、なぜ彼がイブリス教団に与するか、ということだが――

「そして、〈賢者〉様の目的は――ユエラさんを討ち果たすこと、だそうです」
「……あぁ?」

 困惑げに眉をひそめるフィセル。そんな彼女に、クラリスは自らが知る情報を滔々と語る。
 公教会が襲撃を受けたこと。それは〈賢者〉クレラントを名乗る少年に寄るものであったこと。彼はアルバートに対し、ユエラ討伐の協力を持ちかけたこと。
 フィセルにとっては何もかもが寝耳に水だった。この件にユエラが関わってくるとは思いも寄らなかったのだ。

「――わっけわかんないことになってるねえ。いっそ教団に殴り込んだ方が速いんじゃあないかい?」
「……今さら拠点を崩しても、各地に離散した教徒たちは活動を止めないでしょう。いたちごっこになるだけです」
「結局、正攻法で行くしかないってわけだね。……あんまり細かい所に気ぃ回してもしょうがないだろうさ、私らは。言ったろう?」
「あまり気分は晴れませんが。――きっと、その通りなのでしょうね」

 できないことなんていくらでもある。
 フィセルがクラリスにそう言ったとおり。何を気に病もうとも、気を回そうとも、情報収集に手を伸ばそうと――クラリスは手遅れだった。
 結局のところは当座の任務、迷宮攻略へ集中する他に突破口は無いのだ。

「それより。私にはひとつ気がかりなことがあるんだけど」
「……どうかなさいましたか?」
「いやさ、その〈賢者〉とやら。アルバートに誘いをかけたんだろう。また妙なことを考えちゃいないだろうね?」

 フィセルのアルバートに対する失望は著しい。彼の持つ力は確かだが、それゆえに危うくもあるのだ。

「あ――――」

 クラリスは不意にはっとする。アルバートはそれ以来、地下独房に入ったとは聞いたが――

「……ちょ、ちょっと様子をうかがって参ります! フィセル、今日はご協力ありがとうございます!」
「……ああ。行ってきなよ。仲間なんだろう」

 フィセルからすれば、不相応な力に振り回された阿呆な男、でしかないが。
 クラリスにとってはやはり仲間に違いないのだ。
 少なくとも、ただ一度の失態で見放すほどクラリスは薄情ではなかった。

 深々とフィセルに礼をし、クラリスは走り去る。
 司祭服の裾がひらひらとはためくように揺れている。

 ――――あいつ、いつから私を呼び捨てするようになったんだっけね……?

 フィセルはふとそのことに気づいたが、いつからかも、あるいはなぜかもさっぱり分からなかった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品