お狐さま、働かない。

きー子

五十八話/思わぬ先駆者

 ――〈封印の迷宮〉地下八十二層。

「前方! デュラハンですッ!」
「――任せな!」

 クラリスの灯火に照らしだされた暗闇の中。
 フィセルは放たれた矢のように飛び出し、動く全身鎧のような魔物との距離を詰める。
 片手には長剣、片手には生首。見るものの嫌悪感を煽る異形だが、フィセルは物怖じせず、鎧の関節部に刃先をねじ込んだ。

 並大抵の使い手ならばそこで剣が折れる。
 だが、フィセルに限ってそれはない。魔力を帯びて強化された長剣は、多少の圧力に晒されようとも無事に役目を果たす。
 てこの原理で腰部分の関節を外し、鎧を上下に解体。
 魔素に鎧われた装甲は極めて頑丈だが、中身はしょせん空っぽだ。弱点を突けば切り崩すことはそう難しくもなかった。

「……後ろだリーネ殿。迎え撃つぞ」
「は、はいッ!」

 と、その時。レイリィは咄嗟に回り込み、リーネの前に立ちふさがる。
 リーネは彼女の影に隠れ、詠唱を開始。直線上に見えるのは、四つの眼球が結合した手のひら大の肉塊に無数の触手が接着してあるかのような奇妙な魔物。

「な、なんなのあれ。めちゃくちゃ気持ち悪いよ」
「以前文献で読んだことがあります。あれは無数の魔物が一体に寄り集まった姿で、確か名前を……イビルアイと」
「対策は!?」
「跡形も残さず焼いて下さい!」
「やっぱりそうなるんだ……!!」

 リーネは悪態を吐きながらも数工程からなる詠唱を完結。周囲に偏在する魔素を収束させ、結合――必要量の魔力をもって術式を行使する。

「『焼き尽くせ焔霊――悍ましき群れを』!!」

 ――――炎魔術・収束コロナ――――

 魔物――イビルアイが伸ばした触手をレイリィの大盾がカバーする。
 瞬間、ゆらゆらと揺れるようにイブルアイへ隣接した火の玉は突如として収束――極近距離への灼熱を撒き散らし、触肢を根本から焼き尽くす。
 だが。

「くっ……ごめん、本体に届かなかったッ!」
「私がやろう!」

 レイリィは盾を構えたまま堂々と踏み出し、狭い地下通路で扱うのに適した獲物――棘付き棍棒モーニングスターを振りかざす。
 同時に彼女は――否、彼女らは同時に詠唱を完了させた。

『主よ、我は汝の剣なり』
『主よ、彼の者は汝の剣なり』

 クラリスとレイリィ。二重の祝福による強化。
 瞬間、レイリィはメイスの先端でイブルアイを思いっ切りぶん殴った。

「みぎィッ!?」

 聞くに堪えない悲鳴を上げ、形容しがたい血色を撒き散らしながら砕け散るイブルアイ。
 魔石が飛散したのを確認し、レイリィは向き直った。

「フィセル殿、そちらは」
「あぁ、問題ないよ。もう来てない」

 フィセルはそう言いつつも手際よく鎧を解体し、核となる魔石を摘出していた。中層でも滅多に見られないような大きさ。相当な売値であることは間違いない。

 再び四人揃って暗い通路を進んでいく。と、開けた空間の隅から下りの階段が伸びていた。

「やーっとこの階も終いかい」
「……大変だったね。いや、本当に大変だったよ。ちょっと、これは、無いんじゃないかな……」
「だが、これでめでたく最深記録を超えたということになるわけだ。それも、四人とも無事なままで、だ」
「そうですね。では、ここで一旦休憩といたしましょうか。周囲に魔物も確認できませんし」

 地下八十層に転移してからおよそ二時間。
 今に至るまで、四人はほとんどずっと戦い続けていた。
 連戦に次ぐ連戦。無数の魔物の屍を踏み越え、回収しきれない魔石を置き去りに、ひたすら階層を探索する。
 その苦しい時間の果てに、ようやく間隙の時が訪れたのだ。これで少しは気が抜けるというもの。

「わかった。じゃあ、私が見張りに立っとくよ。一番元気が有り余ってるだろうしね」
「……大丈夫なのですか、フィセル。あなた、ずっと剣を振るい通しでしょう。魔力探知は続けますから、少しは休まれたほうがよろしいかと」
「良いっての。リーネはもやしだし、レイリィは装備が馬鹿に重いし、あんたは余力の管理に気ぃ回しっぱなしだろう? 危なっかしいったらないよ」

 ――どうやら見抜かれていたらしい。あれだけ前線で切った張ったしていたのに、観察などする余裕がどこにあったのやら。

 リーネとレイリィは思い思いに座りこんで休憩を取る。二人とも怪我はないが、精神的な疲労はやはり大きいようだった。
 フィセルは軽く柔軟したあと部屋の壁にもたれかかり、唯一の通路に目を光らせる。彼女の掌は片時足りとも脇差しの柄頭から離れなかった。

「……それにしても、案外すんなり行くんだね。意外だったよ」

 その時、リーネが誰にともなく呟きを零した。

「そうですね。正直なところ、急ごしらえの人員にも関わらず、非常に良く機能している部隊だと思います」

 クラリスが応じる。それはお世辞などでなく、彼女の偽らざる本心だった。
 初日にして七十層から七十五層を踏破できたという事実。いくら個人の能力が高いといっても寄せ集めの部隊では困難極まる。下手をすればお互いに足を引っ張り合うことにもなりかねない。

 その点、彼女ら四人は各々の役割を熟知していた。それぞれが自らの役割を果たすことによって、彼女らは一個の部隊として機能した。さながら四人で一個の生き物であるかのように。

 ゆえに、七十五層から八十層までは苦もなかった。強大な魔物が多いことは確かだが、すでに既知のものばかり。階層構造などはとうにマッピングされており、迷ってしまうようなこともない。

「だが……この辺りはさすがに数が多いな。今までは大丈夫だったが、これがずっと続くか、激しくなるとすれば……相当に骨を折ることになる」

 身体を休めながら冷静に懸念を述べるレイリィ。
 現れる魔物は定かでなく、階層構造も判然としない。おまけに魔物が大挙して押し寄せるという状況は、確かに彼女らの心身を削っていた。

「この辺りで一度引き返すのも手でしょうね。八十五層に達するまでは、〈攻略拠点〉の設置も致しかねますから」
「……私はよく知らないんだけど、五階ごとじゃないといけない理由ってあるのかな」
「はい。〈攻略拠点〉には大魔石を用いていることはご存知ですよね?」
「うん。今まで使ったこともなかったけど……」

 一人で上層を踏破したこともあるリーネだが、〈攻略拠点〉が設置されているのは中層以降。彼女はそこにまで足を伸ばしたことがなかった。

「でも、大魔石って結構見かけるよ。特にこの辺りだと、ひとつの階層に一個は絶対あるって言って良いくらい」
「はい。その通り、なのですが……それらは転移装置には使えません。〈攻略拠点〉の間にある程度の距離がないと、大魔石が干渉し合って危険なんです。そのおおよその距離が五階ごと、というわけなんですね」
「……なるほどなあ」

 汗ばむ眼帯の下を拭きつつ、リーネは得心したように頷く。
 彼女も魔術師には違いないが、転移魔術というのは一般の魔術師には縁遠い概念だ。〈封印の迷宮〉という特殊な場所でなければ今後とも成立しない、とさえ言われている。

「……ということは、五階ごとの距離が一定なんだね」
「そういうことに、なります。……いささか奇妙ではありますが」

 その点は探索者の間でもよく議論の種になる。
〈封印の迷宮〉は人工物ではない。封印されている魔王の影響からか、地の底から生じた魔力ゆえか――いずれにせよ、自然発生した地形であると言われている。

 だが。
 その構造はあまりに、あまりにも人工的なのだ。
 道は整然とした石造り。真っすぐな通路が無数に入り組んでできており、その基本はどの階層で合っても変わらない。

 深くなるほど階層全体が広くなる、という傾向はある。
 だが、基本構造はほとんど変わらない。リーネが指摘する通り、縦軸の距離はほとんど常に一定だ。

 ――これを自然発生と呼ぶには、何者かの意図があまりに介在しすぎている。

「確かに、迷宮と言うほど迷わされる印象はほとんど無い。先人が攻略の基本を築き上げたおかげ、でもあるのだろうが……」

 問題は、その基本がどこまで通じるかということ。
 この先は本当に前人未踏の領域だ。今まで通じていた考えがまた次も通じるとは限らない、のだが――

「多分、私の勘だけど。構造自体はずっと変わらないと思うよ」

 と、フィセルは不意にあっけらかんと言った。
 クラリスは思わず彼女のほうに視線を向ける。

「魔王が封印されてるすぐ近くなんかは違うかもね。でもそれだけだ。多分、基本的な構造はずっと同じさ。コインを八十回投げて八十回とも裏なら、そいつはもう偶然なんかじゃない――何らかの意図がある、と考えるべきなんだよ」
「……やけに自信満々ですね」
「勘だけどね。でも、多分そんなに外しちゃあいない」
「理由は、あるのですか?」
「ああ」

 フィセルは頷き、片手でこんこんと壁を叩く。

「こいつはさ。多分、生き物なんだよ」
「……いき、もの?」

 クラリスは困惑する。迷宮の壁には生物らしさなど全く無いというのに。
 フィセルは彼女に構わず言葉を続ける。

「私もあんたもなりは多少違うが、内臓はそうでもない。中身はみーんな大体同じだ。どんなにちいさな子どもでも、大人と同じでちゃんと内臓は揃ってる。でなけりゃ、そもそも生きていけるわけがない。――だろう?」
「確かにそれはそうですが、それと何の関係が――――あ」
「……気づいたかい?」

 クラリスは言いかけながら、ふいに察する。
 フィセルが言わんとしたこと、その言葉の意味を。

 リーネやレイリィも同様に思い至ったようだ。この迷宮が似たような構造を保持している理由について。

「……つまり、フィセル、あなたは――――この迷宮が、魔王の体内だと?」
「そう。体内……厳密には、擬似肉体、とでも言ったほうが良いかい? 例えるなら、この通路は人間で言うところの血管のようなもの。で、魔物どもはその内部を行き来して全体に魔力を循環させている。……人間が血を全身に巡らせるみたいにね」

 勘だけどね、とフィセルは付け加える。
 彼女は魔術師ではないのだ。つまり、フィセルの理論を支える実証的な証拠は何一つない。

 だが。
〈封印の迷宮〉について精通しているクラリスをして、フィセルの言葉は奇妙な説得力に満ちているように思えた。

「――どうしてそんなことに、という疑問は残りますが。面白い仮説だと思います」
「他人事なら面白かったと思うけど、実際に中にいる身としてはぞっとしないよ……」
「だが、納得の行く話だ。深いほど、そして広いほど魔物が増えるのにも説明がつく。人間とて身体の末端は血流が滞りがちになるものだ」

 所帯じみたことを言うレイリィがやけにおかしい。まるで似合っていなかった。
 フィセルの言葉に照らし合わせるならば、自分たちは、すなわち――魔王の心臓部に向かっているということか。

「……そろそろ参りましょうか。やはり、ここから先は進むほどに危険度が増すと考えるべきでしょう。今日のところは八十三層の様子見をして引き上げるべきかと愚考します」
「私はそれで構わないよ。あんまり時間を食ったら帰り路がきついだろうからね」

 どれだけ魔物を殺そうと、長い時間が経てば魔石は再び結晶する。魔石を核にして魔物が生まれる。
 間隔は階層によってまちまちだが、深層ほど短くなるのは確かだろう。そこかしこの壁に大魔石が見え隠れするのだから。

「……わかったよ。それくらいなら頑張れると思う」
「了解した。では、行こう」

 休憩中だった二人も立ち上がり、頷く。
 特にリーネの疲労は看過できないところがあった――大魔術の連発を必要とされる魔術師の消耗はとりわけ深刻だ。
 大多数の魔術師はそもそも連発などできないのだが、リーネはそれをやってのけてしまうから困りものである。

 クラリスは彼女の変調を見逃さないよう注意しつつ、再び隊形を組んだ。そして、いよいよ八十三層に進行し始める。

 ◆

 大方の予想通り、八十三層に蔓延っていた魔物の抵抗はまさに熾烈としか言いようもない。四人は四人ともが獅子奮迅の働きを見せたが、階層の半分ほどを残して一旦引き上げることにした。

 八十層から八十二層のマッピングは完了済み。明日になれば魔物が復活している可能性は高いが、探索は今日より遥かに順調に進むだろう。魔物が特に多い大魔石付近を避け、最短ルートを選ぶことができるからだ。

 ――八十層に設置された〈攻略拠点〉から転移し、地上。
〈封印の大神殿〉に帰還したところで、クラリスはふと違和感を覚えた。

「なにか、変です」
「なにか――って、あ……?」

 フィセルもすぐに気づく。日常的に〈封印の迷宮〉に通う探索者ならばすぐに気づくような差異。

「……何があったの?」
「特におかしい点はないように思えるが」

 レイリィとリーネは本職の探索者でないからやむを得ないが。
〈封印の大神殿〉にて、転移装置としての役目を果たす大魔石。その周囲にはそれぞれ、〈攻略拠点〉の在り処を示す魔石が置かれている。

〈攻略拠点〉――転移ポイントの所在地は三十層から五層刻みで八十層まで。つまり、魔石は十一個あるはずだ。少なくとも、今朝見た時は十一個あったはずである。

 だが。

「……増えてやがる」

 十一個ではなく、十二個。
 フィセルの端的なつぶやきが、驚愕の事実を知ろしめす。

 クラリスは改めて数え直すが、やはり間違いではなかった。
 三十層より下はありえない。転移装置として機能するのに十分な大魔石が生まれないからだ。

「……いたずら、じゃあないだろうね?」
「まさかそれを見逃すはずもありません。――聞いてみましょう」

 クラリスは表情をこわばらせ、堂内にいる見張りの衛兵に声をかける。クラリスとは何度か言葉を交わしたこともある顔ぶれだった。

「おや、クラリスさん。どうかなさいましたか?」
「〈攻略拠点〉が増えているようなのですが。何か伺っておりますか?」
「……ああ。それがねえ……」

 衛兵は少し口ごもるも、クラリスが催促すると言葉を選びながら話し始める。
 いわく、その魔石は確かに八十五層の大魔石と繋がっていること。実際に転移可能であること。また、その〈攻略拠点〉を設置したのは三十路頃に見える一人の女だったということ。

「……一人。間違いはないのですか?」
「ええ。少し怪しいものでしてね、教団の連中かと思われるのですが……その中でも、随分異様でしたよ」

 彼らが教団という場合、それは十中八九イブリス教団のことを指す。
 その構成員の誰か、にしてもあまりに異常すぎる。クラリスたち四人をして苦戦を余儀なくされた階層を、一人で駆け抜けていったとは。

「……先を越された、ってわけだ。気に食わないね」
「〈攻略拠点〉は共有財産ですから、私たちも利用はできます、が……」

 フィセルは苦虫を噛み潰したように言う。
 無理もない。単身で迷宮に潜り続けた彼女を鼻先であしらうように先を行ったのだ。それほどの才能がどうして表に出てこなかったのか、疑問は尽きることがない。

「どういう方だったか、覚えておられますか?」
「先ほど申し上げたとおり、まだ若いように見える女性でしたが……確か、黒い髪を一つ結びにしておられました。武器などは特に持っておられませんでしたね。教団のローブを着ていましたから、内側に隠していたのかもしれませんが」
「……わざわざお答えいただきありがとうございます。助かりました」

 クラリスは唇に笑みを浮かべ、礼を言って背を向ける。その横をフィセルが並んで歩む。

「こいつは――まともに挑むんじゃなくて、やり方を変える必要があるかもしれないよ」
「……すでに一刻の猶予もない、ということは確かです。彼らが復活する鍵を持っているとも限りませんが」
「探索も進めつつ、情報も集める――ってとこかい。正直、希望的観測が許される話じゃあ無いからね」

 クラリスはこくりと頷き、四人揃ったところで本日の解散を告げる。念のために情報共有も行うと、レイリィは深刻そうに「……いっそ教団のほうを潰しにかかるか?」と真顔で物騒なことを言う。
「枢機卿猊下が許されることはないだあろうが……」と、続きもするのだが。

「この際、魔王が復活する前提で動くってのはどうかな。御主人様に出張ってきてもらって」
「街にどれだけ被害を出すつもりですか。それもかなりの博打ですし」
「でも、それくらいの被害を覚悟したほうが良いとも思うよ。私は」

 身も蓋もないリーネの発言だが、それは一抹の理を含んでいる。確かに、クラリスたちがどう足掻こうが魔王は復活する、という可能性も無いではない。

 めいめい去っていく様子を見送ったあと、クラリスは深いため息を吐く。
 その様子を見て、フィセルはちいさく肩をすくめた。

「あんたはいつも損な役回りばっかりだね、クラリス」
「その通りという自覚はありますが、あまり言われたくはありませんね……」
「胃は大丈夫なのかい……?」
「ご心配なく。服薬しているのはまだ二種類だけです」
「てんでダメじゃないかい」

 フィセルは思いっ切り呆れた。クラリスは冗談のつもりだったが、あまり冗談にならなかったようだ。

「……あんまり背負ってばかりいるんじゃないよ。あんたにできないことなんか、いくらでもあるんだから」

 ぽん、と肩を叩いてフィセルも歩み去っていく。
 ぶっきらぼうな物言いだが、彼女なりの慰めのつもりだったのだろう。――不思議と、クラリスはその言葉に救われた気がした。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品