お狐さま、働かない。

きー子

五十七話/三百年越しの

 ある日のこと。
 アルバート・ウェルシュはいつもの通り、閉ざされた部屋の床に座ったままじっと目を瞑っていた。

 最初期は身体が鈍らないようにと躍起になっていたが、近ごろはせいぜい柔軟程度。それと筋力の維持に止め、激しい運動などはしない。その分だけ瞑想の時間が長くなった――瞑想、というほど大層なものでもないが。

 斬られた左腕の繋がりは相変わらず。他人の腕のような感覚が拭えず、指先の感覚もおぼつかない。リハビリは継続しているが、これはこういうものなのだと本心ではすでに受け入れていた。

 ――考えるのは、今後どうすべきかということ。

 そもそも現在のアルバートは捕虜である。解放なくしてはどうにもならない身の上だ。
 さらに元を言えば、ウェルシュ家が解放交渉に応じるという保証はない。いや、むしろその目は薄いのではないかとアルバートは考える。

 先の事件によってアルバートの名は少なからず毀損しただろう。その噂がウェルシュ家に飛び火しないとも限らない。トカゲの尻尾切りに出る可能性は十分にある。
 いずれにせよ、交渉の一回目や二回目はまず物別れに終わる。交渉事でそう簡単に本心を見せる領主は政治家失格である。

 いよいよ解放されないと決まったら、どうなるか。断頭台に処されて生首を晒すことになるか。
 キリエ・カルディナはその手の野蛮を好まないだろう。しかし他に万民が納得する案があるともあまり思えない。

 もしそうなるとしたら、エルフィリアだけは助命を願いたいところだが――

「ん……?」

 ――と、思考が堂々巡りに入りかけたころ。
 アルバートはふと奇妙な音を耳にする。超高速の物体が外の空気を掻き切るかのような――――

 ズドォンッ!!!

 瞬間、突如としてアルバートを囚えた部屋の壁が盛大に吹き飛んだ。
 轟音とともに散乱する瓦礫。コンクリートの山。粉々に吹き散らされた破片。

「……な……!?」

 アルバートは泡を食いながらもうもうと立つ砂埃の向こう側を見る。
 見えにくいが、そこにはちいさな人影があった。彼は砂煙を掻き分けながらぶち抜いた壁面の縁に降り立ち、悠然とアルバートを見下ろす。

 彼は――少年だった。
 ほんの160suにも満たないような小柄な姿。透き通るような水色の髪で、肩には清潔な白衣を羽織っている。

「……誰だ、あなたは」

 アルバートはすっくと立ち、視線を向ける。
 対する少年ははげたげたと笑い、まさに見下すようにアルバートを睥睨した。

「おいおい、ずいぶんな負け犬ぶりだねぇ。手酷くやられたとは聞いたけどさ。一人で反省会でもしてたのかな? ん?」
「そんなところだ。……で、誰です。あんまり時間をかけていたらすぐに人が来ますよ。あんな音を立てて放置されるほどここの警備はぬるくない」

 というか、部屋に思いきり大穴を開けている。それだけでもう大問題だ。
 遠くから砲弾でも撃ち込んだのか。あるいは魔術か。魔術の線が濃厚に思えるが、目の前の少年がそれをやったとはにわかには信じがたい。

「んんん? なんだ、思ったよりマシな面してるじゃない。せっかく馬鹿にしてやろうと思って来たってのにねぇ」
「――あなたは」
「あーあーそうだったね。手短に行こう。僕はクレラント。〈賢者〉クレラント、といえばわかるかい? いや、君がわからないわけないよねぇ?」
「な……!?」

 アルバートは思わず唖然とする。
 知らないはずもない。三百年前、彼の祖先アルバート・ウェルシュとともに魔王を封印した魔術師――〈賢者〉クレラント。
 そう。三百年前のことである。
 あり得ない、とアルバートは思わず呟く。

「ありえないなんてことはないよ。あのユエラ・テウメッサがいくつだか知ってるかい? いや、もしかしたら知らなかったかな? びっくりするよ。ざっと千歳は間違いなく超えてるぜ。〈テウメシアの狐〉って言えば聞いたことあるよねぇ?」
「せっ……馬鹿な! 彼女が――ユエラが初代のテウメシアだとでも!?」
「おっ、意外といい勘してるねぇ。その通りだよ。そのことがわかってたら無謀な戦いを挑んだりはしなかったかもね?」

 アルバートは歯噛みしながらもひそかに納得する。
 ユエラの巧みな心身掌握術。それこそは〈始原の悪女〉とまで称された妖狐の業とすれば納得だ。アルバートが危険視したのもそれほど的外れではなかったのかもしれない――対処法は大失敗と言わざるをえないが。

「ま、僕が本物の〈賢者〉なのかっていうのはこの際どうでもいいんだ。肝心なのは、僕はあいつとちょっとした縁があるってことでねぇ。――――僕はあいつを封印したいんだよ」

 クレラントは瓦礫の上で座り直し、悠々と話しだす。時間があまり無いことは分かっているだろうに。

「……それを俺に話してどうする?」
「ここまで聞いたらわかるだろ? 手駒が欲しいのさ。ユエラ――テウメシアを無力化するのは本当に大仕事でねぇ。僕だけじゃとても追っつかない。魔王以上の大物さ。そこで折よく君がユエラと敵対してたって話を聞いた。だからさ、君に協力を仰げないかなーって思ってね」
「俺はここに囚われの身の上だよ。見ての通りな」
「ハハハ。馬鹿言うんじゃないよ。その有り様のどこが囚われだってんだい?」

 クレラントは散らばった瓦礫を蹴っ飛ばしながら笑う。

「こんなしょぼい城壁、君の精霊術なら簡単にぶっ飛ばせるだろ? ま、初代より弱まってるかもしんないけどさ、それでも十分だよ。君は抜け出そうとしたらいつだって抜け出せたはずだ」

 アルバートは無言のままで応じない。
 しかし、クレラントの指摘は全くの事実であった。アルバートは拘束されてすらいないのだ。精霊術どころか、魔力を注ぎこんだ徒手空拳でも壁を壊すくらいは容易いだろう。

「俺が無理を言って付き合わせた従者がいる。まさか置いていくわけには――」
「言い訳に使うなよ。そいつをさ」

 アルバートが言いかけた瞬間、クレラントはヘラヘラと笑いながら指弾する。
 どうだろうか、とアルバートは考える。これはつまらない言い訳なのか。

「よーく考えろよ、アルバート。こいつは最高のチャンスなんだぜ。汚名返上する絶好の機会ってやつさ。やり直せるんだ。しかも僕の支援付きだよ。僕よりもテウメシアについて熟知してる人間なんか、僕以外のだーれもいないと思うぜ?」

 クレラントの軽薄そうな声を聞きながらアルバートは考える。

 彼が〈賢者〉かは定かではないが、相当な実力であることは確かだろう。破壊の痕跡を見るに、砲撃があったとは考えがたい。先ほどの崩壊は、まず間違いなく少年の魔術によるものだ。
 つまるところ、彼は――〈賢者〉を名乗っても不思議ではないほど優秀な魔術師だ。そのことだけは疑いようがない。

「……控えめに言っても怪しすぎる。俺をどうする気だ?」
「疑り深いねぇ。ま、有り体に言わせてもらえば――砲台さ。本当ならあいつに砲撃をバンバンぶち込んでやりたいんだけど、マトが小さくって当たりゃしない。そこで君の精霊術の出番ってわけ。範囲は広いうえに威力は砲撃もかくや、こりゃもう使わせてもらうしかないと思わないかい?」

 その点では従者ちゃんも悪くないね、とクレラントは言う。彼はどこからかエルフィリアの情報を得ていたようだ。

 体よく利用されるということ。しかしクレラントとアルバートの利害関係は一致する。何より、汚名返上という響きは実に魅力的だ。以前のアルバートなら一も二もなく飛びついたろう。

「知ってるかい、アルバート。君の妹ちゃんはね、当主の座なんて別に欲しがっちゃいないんだ。君がちゃーんとしたデカい成果を上げてきたらさ、君にだって領主の座を得る目が出てくるんだぜ」
「……、な……」

 ウェルシュ家当主の座。それは何度となくアルバートの心を悩ませてきたものだ。
 アルバートのそれよりも遥かに強い精霊の力を得たアルフィーナ。彼女が当主の座に着くことは全く道理であり、父のアルバーグは合理的な判断を下した。

 そう理解していながらも、アルバートは心の奥底で納得できなかった。どうして、という気持ちを決して拭いきれなかった。

「知ってるかい、アルバート。君の妹ちゃんはね、こうも言ったぜ――『お兄さまが羨ましいです』ってね。狭い屋敷に閉じこめられたお姫様はさ、広い世界を見て回りたくて仕方ないのさ。君が代わって領主の座についたら、どうだ? 君の妹ちゃんは自由になるんだぜ?」
「――――、」

 アルバートは言葉もなく考え込む。
 そしてふと、不審なものを覚えた。
 クレラントは嘘をついている――というと正確ではないだろう。

 彼は、おそらく、意図的に話していないことがある。
 そして、それが不自然でないことを装うために、あえて騒ぎを起こしたような節があった。
 代わりに、"アルフィーナの気持ち"という真意定かならざるものを述べ、言葉巧みにアルバートを誘い込もうとする。彼は、あまりにも――アルバートの急所を心得すぎている。

「――アルバート殿! なにか御座いましたか!」

 と、その時。誰かが駆けつけてきたのだろう、廊下のほうから声がした。

「――ここまでか、しょうがないな。また来るかもしんないからさ、その時に返事がほしいねぇ」
「……場所は移されると思うが」
「あーそっか。それじゃあさ、決行するときはどうにかして合図送るから、その時は直接来なよ。君なら脱走くらい簡単だろうしねぇ」

 クレラントはあっけらかんと言い、アルバートに背を向けて地を蹴った。
 瞬間、彼は空に向かって飛び上がる。まるで飛ぶ鳥のような疾さで風を切り、みるみる空の高みへ浮上していった。

「……どうしたものか」

 まだ心身の整理も付かないというのに。
 アルバートがぽつりとつぶやいたその瞬間――バタァンと勢いよく扉が開かれた。

「アルバート殿、何事かありましたか――うわっなんだこれ!」

 駆けつけてきたのはアルマ・トール。キリエ枢機卿の傍仕えで、何でも屋のようにあちこちへ走り回らされている祓魔師だ。
 彼は部屋に入るなり愕然として目を見開く。

「……アルマ君か」
「アルマ君か、じゃないですよ! 何事ですか! まさかアルバート殿がやったんじゃないでしょうね!?」

 見事なまでに信用がないアルバートだが、仕出かしたことを振り返れば無理からぬ。
 事情を説明しようとしてふと気づく。――とてもまともに説明できる自信がないのだ。

 三百年前に魔王を封印した〈賢者〉がやってきて、彼が言うにユエラ・テウメッサの正体はお伽話にも語られる〈テウメシアの狐〉で、そして――その討伐に力を貸せ、だと?

 狂っている。
 狐に化かされたか、そうでなければ本当に狂っていると考えたほうが良いだろう。
 アルバートは深く息を吸い、つぶやいた。

「アルマ君。どうも俺は本気で頭がイカれてしまったらしい」
「十分あなたの仕出かしたことはイカれてます。――が、そういう意味では無さそうですね」

 アルバートは部屋にぶち開けられた風穴を見る。
 やろうとすれば、ここから出ていくこともできたろう。なんなら、エルフィリアを連れて脱出することも決して不可能ではないはずだ。

「俺がやったわけじゃない。俺はそう思っているが、今の俺にはそう言い切る自信がない。良ければだが、俺を地下牢にでもぶち込んでおいてくれないか」
「……構いませんが、話くらいは聞きますよ?」
「話はする。でも、信じてもらえるとは思えないんだ」

 それは、あまりに――あまりにも荒唐無稽過ぎた。頭の中で整理するにも時間が必要だ。
 アルマは近くにいた信徒を連絡に向かわせ、率直にアルバートに問う。

「何があったんですか。何を見たんですか。それが正しいかは聞いたものが――いえ、キリエ枢機卿が判断されます。ですから、お聞かせ下さい」
「わかった」

 アルバートは頷き、とつとつと話し始める。
 見たものを、聞いたことを、ありのままに。


 ――アルバートが地下の独房に入ったのは、それから数時間後のこと。
「……私が、私自身の決定を曲げることになろうとは思いもしませんでした」キリエ枢機卿は苦虫を噛み潰したような顔でそう語ったという。

 ◆

「……参りましたね」

 公教会ティノーブル支部、支部長室。
 アルバートの身に降りかかった出来事を知ったキリエは、ひとまず彼を地下の独房に入らせた。

「枢機卿猊下。……アルバート殿は、とうとう狂気を発されたのでしょうか?」
「いえ」

 アルマが不審げに問うのをキリエはあっさりと否定する。
 確かに、誰もがそう考えておかしくないほど荒唐無稽な話ではあるが。

「そうなんですか。……根拠はあるのですか?」
「あまり公言できる類のことではありませんが……私が知る限りの情報と、彼が〈賢者〉から聞いた話の内容は大部分で符合しています」

 例えば――〈賢者〉クレラントが千年前、ユエラ・テウメッサの魂を現世から追放した張本人であること。
 彼は三百年前と言わず、千年の昔から生き長らえていること。
 そして――ユエラ・テウメッサこそ〈災厄の神狐〉とあだ名された原初の化け狐であること。

 キリエはこの三点をユエラから聞き知った。そしてアルバートは、全く同様のことを〈賢者〉クレラントから聞き知った。
 とても偶然と片付けられる話ではない。つまり、アルバートは実際に〈賢者〉クレラント――あるいはそれに近しい人物と出会ったのだ。

「――かしこまりました。では、先の件はアルバート殿の暴走ではなく、れっきとした外部の襲撃者に寄るものとして周知いたしましょう」
「お任せいたします。壊れた壁は修理の手配を。また、空中に警戒網を張り巡らせてください。彼――暫定的に〈賢者〉と呼びますが、〈賢者〉は空を翔んできたようですから」
「……無茶苦茶ですね」
「驚くには値しません。彼の話が全て事実であれば、彼は魔王を封じこめた張本人なのですから」

 キリエがそう言うと、アルマはすぐに部屋を出て行動を開始する。
 ばたん、と扉が閉じる音。
 その様子を見届け、キリエは不意に窓の外を見る。

「――――〈賢者〉、ですか……」

 なぜこんな時に、と思わずにはいられない。
 魔王復活の兆候が現れた矢先のこと。
 ティノーブル近辺では最大規模の魔王崇拝組織――イブリス教団普遍主義派もすでに活動を激化させているという。

 ――――こんな時だからこそ、でしょうか。
 キリエは誰にともなくひとりごちる。

 封印のほころびを感知し、それを修繕するために〈賢者〉が姿を現した。そう考えてもさほど不可解ではない。
 だが、彼の関心は魔王ではなくユエラ――テウメシアの方にあるようだ。魔王など気にしてもいないように見える。

 封印にほころびが生じ、〈賢者〉がやってきたのか。
 あるいは、〈賢者〉が動いたからこそ封印にほころびが生じたのか。

 いっそユエラ討伐を支援すれば良いのか。
〈賢者〉を信じるならばそうするべきだろう。キリエの祖先である巡礼僧ドーラ・カルディナと魔王討伐の旅を共にした〈賢者〉。

 だが、キリエはどうにも引っ掛かった。
 そうまでしてユエラを討伐する必然性がどこにあるのか。迷宮街を混沌に陥れるだけではないか。討伐が無事に成功したとして、事後処理は平穏無事に済むのか。

「――――信頼するには、足り得ませんね」

 現時点で、キリエ枢機卿はそう結論づけた。
 それは愚かな選択かもしれない。長い目で見れば、〈賢者〉の視点から人間界を見下ろせば、彼の考えこそが最善なのかもしれない。

 だが、キリエは人間社会の秩序維持を優先する。なんと言おうが、人々の平穏無事な生活ほど大切なものは無いのだから。

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