お狐さま、働かない。

きー子

四十八話/賢者の行進

 アズライト聖王国ウェルシュ領。
 聖王国北方の辺境に位置するこの土地は、他国と隣接する微妙な情勢にありながら、領民からも評判の良い土地として知られていた。

 土地は肥沃で税は少なく、他領との交流も盛ん。さらに辺境でありながら攻撃を受けることは滅多にない。他の土地から流入した匪賊が暴れることはしばしばあるが、それらはウェルシュ家お抱えの騎士団によって鎮圧されるのが常だった。治安は他領と比べても極めて良く、大変に住み良い領地と言えた。

 もっとも、最初から上手く行っていたわけではない。
 ロジュア帝国と北辺で接する土地柄なのだ。小競り合いが引っ切り無しに起こるため軍費が膨れ上がり、税率を上げざるをえない。結果として民は餓え、税収は減少の一途を辿り、防衛戦は少しずつ押しこまれる。
 そんなジリ貧がずっと続いていた土地だったのだ――ほんの三百年前までは。

「いやあ、変わったもんだねぇ」
「いつの話をしているのだね、君は」

 ウェルシュ家の屋敷にて。
〈賢者〉クレラントはウェルシュ家当主――アルバーグ・ウェルシュと会談の機会を得た。
 顔合わせはこれが初めてのことである。なにせクレラントはおよそ三百年前から〈魔の森〉に引きこもっているのだから。

「三百年前さ。冥府か何かみたいだったあの土地が、こーんなことになってるなんてねぇ。案内してもらって驚いたよ」
「……解せぬ御仁ですな、クレラント殿。あなたがあの〈賢者〉と聞かされた時には泡を食ったような気持ちでしたが……正味、私は今もあなたを判断しかねております」
「だろうね」

 どこからどう見ても小綺麗な少年にしか見えないクレラント。対するアルバーグは土地を収める領主に相応しい風格と威厳を備えた壮年の男であった。年は四十かそこらとまだ若いが、後進への引き継ぎを考えなければならない頃でもある。

「……あなたこそが、三百年前、我が祖先と肩を並べて魔王に抗した〈賢者〉クレラント――彼本人だ、と言うのですか。彼の名を襲名した、というわけでもなく?」
「正真正銘、僕が本物のクレラントさ。〈賢者〉なんてのは他の奴らが勝手につけた名前だろうけどねぇ」
「……失礼ですが、確かな証拠などはあるのですかな? 今のあなたの姿では、あまりに……伝え聞いた〈賢者〉殿とは、あまりにかけ離れている」

 疑わしげに眉をひそめるアルバーグ。

「……ああ、そんなことかい」

 クレラントは何気なくつぶやき、自らの顔をさっと撫でた。
 瞬間、整った少年の顔が突如、老いさらばえた皺くちゃの顔に変貌する。

「……なっ……!?」
「三百年前はこの顔だったかな。顔は他にもあるよ。見てみるかい?」

 クレラントが自らの顔を撫でるたびに相貌が一変する。背格好は全く変わらないまま、皮膚を貼り替えたように切り替わる面差し。まるで悪い夢でも見ているような光景だった。

「いや、結構だ。もう良い。わかった。……あなたは、一体いくつの顔を持っているのだね?」
「さぁ、いちいち覚えてないね。でも名前はこれひとつっきりだから安心していいよ。……それじゃ、本題に入ろうか」

 クレラントがウェルシュ領を訪れたのには理由がある。現時点で噂の狐人テウメッサに関する情報を最も多く有しているのはウェルシュ家である、と目されたからだ。

「……聖王家からの紹介もありますからな。可能な限りはお答えいたしましょう。ですが、クレラント殿――かの狐人を排除なさるおつもりですかな?」
「さてねぇ。それは聖王家の意向次第だよ。聖王様がやれと言う限りはやる。それだけさ」

 クレラントは顔を再び少年のものに戻しながら言う。
 だが、アルバーグはなおも疑わしげにクレラントを見つめる。その口調があまりに軽薄だったからだ。とても聖王家からの勅命を仰せ付かっているとは思いがたいほど。

「……結構。ですが、いたずらに刺激するような真似はお控えを。……お恥ずかしい話ですがな、我が子息は彼の者にしてやられたそうです。いまだ未熟ではありましたが、決してやわな鍛え方をしてきたつもりはありません。実際、迷宮街でも腕を鳴らしていた……それが、かの狐人に、してやられたのです」
「……へぇぇ」

 クレラントはすぅっと目を細め、続きをうながす。
 アルバーグは自らの子を通じて知りえた情報全てを伝えた。

 彼の者はユエラ・テウメッサを名乗っていること。
 彼の者は複数の有力な配下を率い、自らを守らせていること。
 彼の者は迷宮街の有力商家に庇護されていること。
 彼の者は現地公教会の信頼をも得ており、政治的に切り崩すのは至難であること。

 ――彼の者は極めて強力な幻術を操り、また、人々を惹きつける独特の気質を有していること。

「なるほどねぇ」

 状況は極めて深刻だ。しかし、ユエラ・テウメッサの強大さを知るほどにクレラントの笑みは深まっていく。
 彼女がテウメシアであるという証拠はない。だが、それにも匹敵する能力とカリスマを持ち合わせていることは間違いがなさそうだ。なんと、〈勇者〉の血族を打ち破ったのは彼女本人でなく、彼女の配下でしかないというのだから!

「笑い事ではありませぬ。今こうしている間にも彼の者は勢力を広げている可能性がある。……あいにく、我々は領地を動けませぬ。アルバートの解放交渉も進めねばなりませんし……アルフィーナを動かすなどもってのほか」
「噂の次期当主かい」
「……ご存知で?」
「案内ついでにちょっと調べたのさ。いやはや、凄いねぇ。十歳も年上の兄をさしおいて次期当主が決まっているなんて、そう滅多にあることじゃあないよ!」

 クレラントは褒めそやすように言い放つが、その口調はあまりに皮肉げだ。
 アルバーグも苦々しげに表情を歪める――彼とて、異例の決定であることは重々承知しているのだ。

「……ご理解くだされ、〈賢者〉殿。アルフィーナの力は我が領地にもはや欠かざるもの。この土地に縛り付けるためにも、骨を埋めさせるためにも……アルフィーナこそ当主に相応しい。そう考えざるを得なかったのです」
「いやいや、非難しているわけじゃないよ、アルバーグ。むしろ君の考えは英断だ。中々選べるものじゃない。君はつまらない因習を振りきって最も正しい選択をしたんだ。そのことは僕もよーく分かっている」

 クレラントはニヤニヤと笑いながら言う。アルバーグの内心の葛藤を見透かしたかのように。

 アルフィーナ・ウェルシュ。
 またの名を〈星に愛された娘〉。
 かつての〈勇者〉アルベイン・ウェルシュにも匹敵すると語られるほどの力を有し、彼女一人がいれば領地防衛は事足りるほど。クレラントが少し調べ回っただけでも彼女の英雄譚には事欠かなかった。

 五歳のころにはすでに頭角を現し、領内に忍びこんだ野党の一団を虐殺。七歳のころ国境での小競り合いに巻きこまれ、ロジュア帝国辺境軍の一個大隊を全滅に追い込む。それから現在に至るまでの七年間、ウェルシュ領は一度も攻めこまれたことがない――アルフィーナ・ウェルシュが常に目を光らせているからだ。

 なるほど、彼女こそウェルシュ領を預かるウェルシュ家当主に相応しい。聖王が『彼女を決して国外に出すべからず』と豪語するのも頷ける。それほどの才能の持ち主だ。
 ――彼女と比較されるアルバートなどは堪ったものではないだろうが。これほど面白いこともない。クレラントはくつくつと底意地の悪い笑みを漏らしてしまう。

「……言いたいことははっきりと仰っしゃればどうか。批難を受ける覚悟はすでに出来ておりますれば」
「いいや。僕から言うことはなにもないよ。――でもね、因習にもそれなりにそれらしい理由ってものがあるんだぜ?」

 アルバーグの選択は正しい。割りを食ったアルバートですら正しいと言うだろう。だが、その正しさは時に残酷である。

「……既存の秩序を守ることは、新しい時代の豊かさをなげうつほどのものではありませぬ。……以上で、よろしいかな。私の知る限りの情報は伝えさせてもらったつもりだ」
「ああ。とっても役に立ったよ、ありがとう。君のご厚意は無駄にはしないよ」

 クレラントはニッと笑みを浮かべて立ち上がる。感謝の言葉すら疑わしいほどの軽薄さ。〈賢者〉と呼ばれた男の振るまいとは思えない――どちらかといえば〈魔王〉のほうがまだ相応しかろう。

「……クレラント殿がお帰りだ。お見送り差し上げたまえ」

 アルバーグは苦い顔を隠せないまま女従者に命じる。
 クレラントは彼女に付き添われながら応接間を辞した。

 ◆

「別に送ってくれなくってもいいよ。僕はあれだ。歓迎されざる客ってやつだからね」

 クレラントは後ろを振り返りもせずにさっさと廊下を歩く。後ろから女従者の足音が続く。
 と、その時クレラントは不意に足を止める。突然に足音の主が変わったように思えたのだ。

「誰だい」
「……すごいですね。気づかれたのは初めて」

 鈴鳴りのように麗しい声音。
 クレラントが後ろを振り返れば、そこには一人の少女がいた。

 女性用のお仕着せ服を身に着けているが、とても従者には見えない。炎のように朱い髪は光を照り返して艶めき、ダークブラウンの瞳は意志の強さと確かな気品を感じさせる。幼さを残した美貌は思わず眼を見張るほどで、あと三年もしないうちに絶世の美女へと羽化することだろう。

 彼女は、おそらく。
 クレラントは脳裏に浮かんだ名前をそのまま口にする。

「君がアルフィーナちゃんか。意外といたずらなんだね」
「こうでもしないと、あまりに退屈なものですから。ごめんあそばせ?」

 再び歩を進め始めるクレラント。アルフィーナはその後ろを素知らぬ顔でついていく。

「まあ、君みたいな子がこんな屋敷に閉じこめられてたら退屈だろうねぇ」
「賢者さん、あなたも似たようなものではなくて?」
「僕は好きで引きこもってるのさ」

 クレラントはあっけらかんと言い、アルフィーナを一瞥する。
 才気に満ち溢れ、力を持て余した少女。彼女を当主の座に据えようというのは実に合理的だ。ウェルシュ領は少なくともあと五十年は安泰だろう。
 だがクレラントに言わせてもらえれば、人智を逸脱した存在を人間社会に押し込めようとするのがそもそもの間違いだ。

 アルバートはまだ人間の範疇だろう。だが、アルフィーナの才覚ははっきり言って人間を逸脱している。
 アルベイン・ウェルシュはまだ良かった。彼には魔王討伐という使命があり、彼の力はそのための手段として機能していたからだ。

 だが、アルフィーナの力に目的はない。精霊から授けられるという使命もない。だから、アルバーグは力を生かすための使命を創出した。しかしそれは結局のところ、アルフィーナにとっては押し付けられた目的でしかない。

「私にも教えていただきたいものです。どうすれば退屈せずに済むか」
「外に出なよ。それが一番手っ取り早い」
「……皆、私が少し外に出るだけで大騒ぎするのです。いい加減うんざりしました」
「だろうねぇ」

 見たところアルフィーナにも相応の責任感はあろう。十四歳の娘にしては分別もある。だが、それで気が紛れるかといえば話は別だ。
 アルフィーナはこつこつを歩を進めながら、はぁ、と深いため息をついた。

「私はお兄さまが羨ましいです。彼処かしこの国々を飛び回れるのですから」

 ――その言葉を聞き、クレラントはまた思わず笑ってしまった。

 なんと皮肉なことか。
 外交役として迷宮街に駐留するアルバートは、いずれ領主の座を得る妹を妬み――
 次期当主として領地に縛られたアルフィーナは、各国を飛び回る兄を羨むのだ。

「何かおかしいですか?」
「……いいや。気持ちはよくわかるさ」

 クレラントはくつくつと喉を鳴らして笑う。
 こんなにおかしいことはない。隣の芝は青く見える、と言ってしまえばそれまでだが――見事なまでの擦れ違いと言わざるをえまい。

「そうだねぇ、アルフィーナちゃん。もしものことだけれど――君がお兄さんの代わりに外に出られるとしたらどうだい? 君は、次期当主の立場をお兄さんに渡しても良いと思うかい?」
「私は一向に構いません。だって、本来はきっとそうあるべきだったんでしょう? ……でも、そうはならなかった。何かの間違いか、過ぎた力は私に宿ってしまった。だから、私とお兄さまが立場を替えることはできない。――もう、決まったことですから」

 アルフィーナは眉をひそめ、淡々と応じる。
 言葉に感情の色はないが、私情を殺しているのがありありと見て取れる。立場を弁えてはいるが、やはり、彼女はまだ年頃の少女だった。

「そうだね。その通りだ。まだ、今はね」
「……? どういうことです」
「なんでもないし、なんにもならないよ。まだ、今はね」

 クレラントはまるで謎かけのような言葉を吐く。アルフィーナは諦めたように肩をすくめた。
 実際、今の会話に大した意味はない。だが、言質を取っておくこと――彼女の内心を確かめておくことには意味がある。

 そうこうしているうちに屋敷の出入り口はもう目の前だった。

「それじゃあね、ここでお別れだ。多分もう会うことは無いんじゃあないかな?」
「……唐突ですね。ずいぶん永く生きておられるんでしょう?」
「そうだね。でも、永く生きているだけだ」

 クレラントは笑って背を向け、重い扉を押し開く。
 情報は得た。手がかりは得た。実際にどうやりあうか、具体的な作戦も決まった。後はただ、どちらかが死ぬまで殺し合うだけだ。

「そうそう。運が悪かったらお兄さん死んじゃうかもしれないから。それだけは謝っておくよ。じゃ」
「――――な、なにを仰ってッ!?」

 慌てふためきながら手を伸ばすアルフィーナ。その手はクレラントには届かない。
 少年の後ろで鈍い音を立てて扉が閉じる。

 ウェルシュ領の繁栄を約束するかのような晴天の下、クレラントは気持ちよく伸びをしながら歩み出した。

「さぁて、狐退治と行こうかねぇ」

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