お狐さま、働かない。

きー子

四十六話/災いの後始末

 ティノーブルが日常を取り戻すまでには幾ばくかの時間を必要とした――公教会が果たしていた役割は決して小さくはなかった、という証左でもあろう。

 この時、迷宮街でも名の知れた有力者は軒並み壊滅済み。公教会が逆賊の手から奪還されたのと同時、なぜか死人が蘇り、逆賊に与した有力者を襲撃したのだ。
 噂では死霊術師ネクロマンサーの仕業とも謳われるが詳細は不明。死人は有力者らが倒れたあと、自然にただの死体に戻ったという。

 結果として、スヴェン・ランドルートは相対的に地元有力者の最有力株に躍り出た。彼が公教会の奪還に協力した、という点も非常に大きい。
 ユエラ・テウメッサという不安要素こそあるが、勝者はいつでも尊重されるもの。臨時に開かれた会議において、各国のティノーブル駐留大使のほとんどはスヴェンの行動を大々的に支持した。

 だが、強硬にスヴェン・ランドルートを非難するものもいた――アズラ聖王国の大使である。

「スヴェン殿。アルバート・ウェルシュ殿が捕虜の身にあるとは事実なのかね?」
「そのようにうかがっている。私の部下が彼を捕縛したとのことだ」
「何の権限があって彼を捕虜とするのかね? 確かに……アルバート殿が、いささか……急進的な行動に出たことは、事実であろうが……それも、貴公の管理不行き届きではあるまいか?」

 聖王国大使はいささか言葉を濁しながらもスヴェンを糾弾する。このような状況で憤りの声が聞こえないのはむしろ利点だった。
 女従者――フランによる手話通訳というワンクッションを置くことで、あくまで冷静な対応が可能になる。

「彼を拘束したのは私の部下の独自の判断に寄るものだ。しかし、彼を捕虜とすることについてはキリエ枢機卿猊下の意向を尊重させて頂いている。枢機卿猊下は現在療養中のため、確認などは面会が許可されてからでも宜しかろう」
「……捕虜の扱いについて問題は無いのかね?」
「捕虜ではあるが、貴族に対するものとして最低限の敬意を保った待遇であるとうかがっている。むしろ、枢機卿猊下がどのように扱われたかが問題視されるところだが……これについても猊下の回復を待つべきだろう」

 聖王国大使としては牽制するつもりが逆に刺されてしまったような格好。彼は苦々しい表情を浮かべながらも不承不承頷いて着席した。

 そして、懸念事項はもう一つ。他の有力者が諸共に壊滅させられた、まさにそのことだ。
 この状況下において疑わしいのはユエラ・テウメッサだが、まさか死体を操れるほどの力を持つとは誰しも思わない。
 いずれにせよ、壊滅した者たちは公教会に牙を剥いた責任を問われる立場だったのだ。むしろ説明を求める面倒などが無くなって助かる、というのが会議に集まった人々の統一見解だった。

「この程度でよろしかろう、スヴェン殿。現在は聖堂騎士団の長が臨時に公教会代表を任じておられるのでしたな?」
「間違いなく、そのように。緊急の窓口を求められる際にはそちらを当たられれば宜しいかと」
「結構。では、公教会が機能を取り戻すまでの間、街中の警備を強化する……といったところで、本日は宜しいかな?」

 いつもは公教会ティノーブル支部長が会議を牽引するのが恒例だったが、今回はロジュア帝国大使が代わって確認を取る。
 迷宮街の一有力者に過ぎないスヴェンが会議の主導権を握るのはあまり得策とはいえない。そういった画策の結果、スヴェンはかつての祖国に主導権を譲ることにしたのだ。その場に異議を唱えるものはおらず、これをもって臨時会議は閉会となった。

 ◆

「……全く、変われば変わるものだな」

 帰宅後――スヴェン・ランドルートの自邸。
 家主は居間のソファに背をもたせかかり、天井を仰ぎながら誰にともなく呟く。
 声を聞くのは自らの女従者一人。あるいは自らの身辺を偏執的に警護する一人の〈影〉ばかり。

 フランは彼の隣に――あくまで少しの距離を置いて――座り、そっとワインボトルを傾ける。
 透明のグラスに半ばほど注ぎこまれる朱い酒精。「ありがとう。いつも済まないな」スヴェンがそう言うと女従者は声もなく微笑み、頷く。口なしの彼女は言葉を持たない。だが、それだけでも十分に気持ちは通ずる。

 そっとグラスを傾けながら、スヴェンは情勢の変化を思う。
 まさかこんなことになるとは思いもしなかった。自分は街のしがない名士として骸を埋めることになるだろうと思っていた。――およそ二ヶ月ほど前、彼女と初めて相まみえるまでは。

 二ヶ月。たった二ヶ月ほどでスヴェンは街でも有数の有力者、という立場にのし上がった。他が没落した結果、つまりは相対的な躍進に過ぎないとしても、だ。
 ユエラ・テウメッサを支援する格好で行われた先の公教会奪還。このことは確実にスヴェンと公教会の結びつきを密にするだろう。ユエラが公教会に対してどう出るかは問題だが、そう無茶な提案をすることもあるまい。

 公教会という強大な権力。ユエラ・テウメッサとその配下という極めて実効的な武力。この二つの背景は極めて強力であり、そして極めて危険でもある。どちらにも背いてはならないし、出る杭はいつでも打たれるもの。

 結論としては――今までどおり、慎重に、そして少しずつやっていくべきだろう。有力な事業への出資と販路の提供、それがスヴェンの財貨をなさしめた唯一の方法だ。焦ることはない。あくまで拡大する余地が増えた、とだけ考えておけば良い。

「……どうした? フラン」

 ふと視線を感じ、隣のフランを一瞥する。薄褐色の肌、白髪に近い銀の髪に片目を隠した女従者。彼女はどこか不安げにスヴェンを見つめていた。

「……案ずることはないとも。何も焦ったりはしない。今まで以上に気をつけるだけのことよ」

 彼女を安心させるようにぽんと頭を軽く叩く。まるで娘にそうするような――否、スヴェンにとっては娘も同然に思っている女従者。

 あの口さがない雌狐は「おまえ、あれと出来ておるのか?」などと言ったものだが、それこそまさかである。娘と契るような父親がいるはずもない。

 築き上げた富も、財も、人脈も。
 全ては自らに尽くしてくれた彼女に譲り渡す。
 ――――それこそがスヴェンの望みであった。

 口にする言葉を持たなければ武力もない。
 そんなフランにとってこの世はあまりに生きづらかろう。これはいささか思い上がりにもなるが、スヴェンの庇護下になければフランはどのような人生を送っていたか。
 ひょっとしたら今より良い生活を送っていたかもしれないし、あるいは今よりも遥かに悲惨な生活を送るはめになっていたか。

 いずれにせよ、スヴェンが彼女に全てを遺そうと思ったのはそのためだ。
 自分がいなくなっても、彼女が天涯孤独になっても、その上で生きていけるような力。スヴェンはそれを、なんとしてでもフランに遺したかったのだ。

 そのためならば、そう――――あの悪魔のような雌狐と協力することも決してやぶさかではなかった。

「……?」

 フランはちいさく首を傾げる。そっと髪を撫でられながら、その表情に不安の色はもはや無い。
 華奢な指先が踊るようにして彼女の意志を伝える――『お夜食の用意でもいたしましょうか』。
 スヴェンは口元からちいさく笑みを漏らし、瞑目した。

「いや、良い。傍らにいてくれたまえ。……明日からもまた忙しくなるだろうからな、疲れが来たならば戻ってくれて構わない」

 スヴェンが言うと、フランはこくりと頷いて傍に寄り添う。近づこうとも、あるいは立ち上がろうともしない。ただ、スヴェンの傍にいるだけ。
 だが、その存在感こそが奇妙な心地よさを与えてくれる。――まるで彼女が、掛け替えのない自らの身体の一部であるかのようだった。

 ◆

 キリエ枢機卿が快方に向かうに連れ、街は少しずつ以前の様相を取り戻し始めた。
 なにせ元々が治安の良い街というわけでもない。多少の荒事は日常茶飯事のようなもの。そのことはユエラの周辺についても変わりなかった。

 フィセルは相も変わらず迷宮攻略に精を出していた。アリアンナが追いつくには程遠く、むしろフィセルの攻略速度のほうが優っているような有り様だ。「つまらない憂い事も無くなったからね」とは本人の談である。

 特筆するほどのことでもないが、フィセルの指揮した有力者への襲撃は見事に成功した。というより、成功しすぎた。家に仕える使用人を除く一族郎党が――彼女の物騒な二つ名通り――皆殺しの憂き目にあったのだ。
 その奮戦ぶりはフィセル隊の面々が声を大きくして誇張たっぷりに語ってくれた。彼らの語るフィセルはまさに冥府の鬼もかくやである。「あまり誇張に聞こえないのですが」という説もあるが、ユエラは気にしていない。気にしないことにしている。

 この間、ユエラはリーネとの協同でアリアンナの教育に注力していた。以前通り週三回のペースで、魔術の授業は定期的に行われている。

「……クラリスさんは来られなくなったのですね」
「あやつも忙しいからのう。なんだ、寂しいかえ?」
「い、いえ。そんなことは」

 アリアンナは口にしては言わないが、フィセルのみならずクラリスへの羨望は明らかだ。〈勇者〉の血族であるアルバートとエルフィリアの暴動に抗ったというだけあって、クラリスの名声はますます上向く一方だった。

「なにか後ろめたいことでも?」
「い、いえ。……ですが、その……フィセルさんとクラリスさんは、あまり仲が良くないみたいですから」
「ああ。……そんなことかえ」

 それこそ案ずるほどのことでもない。
 喧嘩をするほど仲が良い、というわけでもないが。決して嫌いではないのに、立場として相容れないからこそ、余計に腹立たしいのだろう。

「ま、そう見えても不思議では無いがのう。別にいがみおってあるわけでもなし。おまえが誰を慕っておろうが気にはせんさ。そんな器のちいさいものであるものかえ――それよりアリアンナ、そろそろ杖無しでもなんとかならんのか?」
「い、いきなりは無理ですよう!!」

 と、このようにアリアンナへの教育は実に順調だった。
 いささかスパルタ気味ではあったが。

 そして、公教会の奪還から十日後。
 日常をのんべんだらりと過ごすユエラとテオの元にある連絡が届いた。
 それは聖堂騎士団からのもの――キリエ枢機卿との面会が許された、という報せである。

 連絡が届くやいなや、ユエラは早速テオを連れて公教会へ出発した。
 服装は普段よりも正装を意識した黒のドレス。背中が大きく開いていたが裾は膝下までもあり、決していやらしさを感じさせない――むしろ清楚さすらをも感じさせる。
 というのが、衣装を選んだテオの評である。

「間違いありません。ユエラ様のいたいけな美貌を生かすたには儚げな少女性とかもし出すようにかすかな色香、一方では人を小馬鹿にしたような振る舞いが奇妙な妖艶さを感じさせ、これこそはユエラ様の魅力をもっとも引き立てる衣装のひとつであることには異論を待ちません」
「……当初の目的から外れておらぬかえ?」

 なにも男漁りに行くわけではないのだが、テオが良いというなら文句はない。従者の働きぶりを認めるのも主の務めであろう。
 誰に引き止められることもなく公教会の建物へと踏み入り、最上階の支部長室前へと至る。内部で行われた戦闘の痕跡はすでにほとんど残ってはいなかった。

「ご無沙汰しています、ユエラ殿」

 と、支部長室前でユエラを出迎えたのは若い長身の青年。
 ユエラは彼を目にしてすぐにピンと来た。

「おお、アルマか。こんなところにおったのだな」
「元鞘というやつです。自分は元々枢機卿猊下の護衛でしたからね。――それで、本日は面会の用で?」
「そうだ。一言頼めるかえ?」

 ユエラがそう言うと、アルマは一言断って室内に入る。キリエ枢機卿に了解を取るためだろう。
 程なくして彼は部屋から出てくる。いわく、「今すぐにでも問題はありません」とのこと。

「こやつも一緒で良いのだな?」

 ユエラはテオを指して言う。

「ええ、問題なく。こちらへどうぞ」
「うむ、ご苦労」

 二人はアルマに案内されて支部長室へ踏み入る。思ったほどには大きくもない小綺麗な室内。
 その執務席に、彼女がひっそりと座していた。

 紅き衣の枢機卿――ティノーブル支部長キリエ・カルディナ。
 直接目にしたのは査問会以来のことか。
 ユエラたちの足音を聞きつけてか、彼女は椅子ごとゆっくり振り返る。

「いらっしゃってくださったのですね、お二方。どうぞ、お掛けください」

 キリエ枢機卿は机の上に置いてあった眼鏡をかけ、机前のソファを案内する。
 ユエラは遠慮なく座らせてもらうことにした。革張りとふわふわの羽毛の感触が実に心地好い。「この椅子欲しいのう……」などと脳裏に過ぎるほどである。

「アルマ、少々席を外してもらえますか」
「……よろしいので?」

 アルマはやや不安げにユエラとテオを一瞥する。
 彼女らが枢機卿救出に一役買ったのは確かだが、それだけで信用に値すると決まったわけではない、ということ。

「ええ。この期に及んで強引な手段に出ることもないでしょう」
「……わかりました。猊下がそう仰るのでしたら」

 アルマはそう言って静かに支部長室を辞す。
 だが、ユエラはむしろキリエの率直な物言いが気にかかった。強引な手段、などと誤魔化しもせず口にするとは。

「くく――言うてくれるのう、枢機卿猊下。あれではまるで、時と場所を選ばねば、私が強引な手段にでも出るようではないか?」
「はい。そう申し上げましたとも」

 ユエラが鎌をかけるように言ってみれば、なんともはや。キリエは肯定さえして頷いた。
 こいつは食わせ物だのう。ユエラは直感する。査問会で事務的な判断に専念していた時よりも、彼女は遥かに厄介だ。

「さて、ユエラ様。まずはこちらからお礼を申し上げるべきでしょう。経過がいかなものであるにせよ、私が貴女に助けられたことは疑いようのない事実です」
「直接におぬしを救うたのはあやつだと聞いておるが?」

 ユエラはちらっと部屋の扉――正確には扉の外に視線を向ける。アルマ・トールのことを示しているのは自明。
 キリエは一瞬目を丸くしたあと咳払いする。これは少々意外な反応だった。身内びいきの言葉を懸命に抑えようとしているような感じ。

「……ええ、まあ、そうですね。その通りですが、それに至るまでには貴女の暗躍を外して語ることは致しかねるでしょう」
「誤魔化されなんだか」
「……彼は私の命令に背きました。結果としては奏功したことも事実ですが、それをもって背いたという事実を無きものとするのはいささか無理があるでしょう」
「くそ真面目なやつだのう」
「そうする必要がありましたので」

 キリエは淡々と言い放つ。
 確かに、とユエラは考える。ユエラ討伐という成果を当てに公教会に牙を剥いた反乱勢力とは正反対の姿勢だった。護衛という元鞘に収めはしても、無闇な称賛には値しないということか。

「次に、率直にうかがわせていただきます。――――あなたの望むところはなんです?」

 くい、と眼鏡のブリッジを持ち上げて言うキリエ。その双眸は病み上がりとは思えぬほど鋭い。齢二十そこそこの若さであろうに、ユエラの心中を見透かさんとするかのよう。

「そうさなあ。強いて言えば……指名手配の撤回か。しかし、それはもうすでにやっておるのだろう?」
「はい。すでに手配書はほぼ全て回収が完了しているはずです。お触れも出させて頂いているはずですが、目に届きませんでしたか」
「すまぬ。ダラダラと引きこもってて見ておらなんだ」

 キリエの目付きの温度が少々下がる。
 ちょっと気まずそうにユエラはくしゃくしゃと狐耳を掻いた。

「……ともあれ、うむ、それ以外は特に無いぞ。以前通り平和に過ごせればそれで十分だ」
「引き続きクラリス司祭を監察官にあてがっても、ですか?」
「ああ。一向に構わぬ」

 ユエラはにこやかに微笑む。これはキリエにも予想外だったか、口をぽかんと開いたまま止まった。

「意外ですね。あなたは監視の類を嫌っているかと思いましたが」
「まあ、好かんよ。しかし全く野放しになっておったらおぬしらも不安だろう。で、その不安感がおぬしらの下の奴らの暴走に繋がったわけだ。違うかえ?」
「……まさに。私の力及ばず、といったところでしょう。結果として、私はあまりに多大な迷惑をもたらしてしまいました」

 キリエは重々しげに掌を組む。こつん、と掌が額に触れる。
 そこにテオが口を挟む。

「ご安心なさって下さい。ユエラ様は寛大な御心をお持ちです。一度や二度の失敗で見限ってしまうようなことはありません。ですから、これからもユエラ様の下で誠心誠意務めるがよろしいかと」
「なに当たり前のように私を上に置いとんのだおまえ」
「えっ違うんですか。彼女を助けた恩を貸し付けて好き放題なさるつもりだとてっきり」
「誰がそんな七面倒臭いことをやるものかえ……!」

 好き放題、というのは存外に面倒なのだ。周りの人間が自分に都合のいいように斟酌してくれるとも限らない――相手に警戒心や反抗心を与えてしまうのもまた良くない。

「……そうですか。私もそう考えていたのですが」
「私そんなに日頃の行い悪かったかえ?」
「報告の中身だけで判断するような真似は致しかねますとも」

 クラリスの報告に記されたユエラ・テウメッサは比較的穏健で、そして人間に友好的だ。一度敵と決めてかかれば容赦がなく、力が強いことも確かだが……決して制御不能な怪物などではない。
 そう報告する一方、ユエラの狡猾さについて記すことも忘れてはいない。その点を鑑みれば、ユエラの知られざる本性を想像してしまっても決しておかしくはなかった。

「私の望みはただひとつ。平穏無事に、末永く、明るく楽しく自堕落に過ごすこと。それ以外は何も望まんよ」
「それを贅沢と言うのではないかと思います」
「……まあ、そうとも言うかの」

 テオの突っ込みに不承不承頷く。我がままであることは認めざるを得ない。

「かしこまりました。では、クラリス司祭が引き続き監察官に当たるものと致しましょう」
「……本人は良いのかえ? あやつ、元々は〈勇者〉の末裔やらの仲間であろう。国に戻らんで良いのか?」
「その件については、捕虜解放の交渉がまとまるまでこの街に留まることが決定しています。短く見積もっても三ヶ月程はまとまらないでしょう。それ以降は別の監察官が担当する、という可能性もあり得ましょう」
「ふむ。……まあ、それくらいならやむを得んな。好きにしておくれ。代わりに聞きたいことがあるのだが、良いか?」
「私に答えられる範疇でしたら」

 彼女に答えられない質問なら、この街の誰もが答えかねるだろう。
 ユエラは端的に問いかける。

「アルバート。……と、エルフィリアといったか。あれをそのままにしておいて良いのか?」
「……どういう意味でしょう」
「おぬしはあやつらにこっ酷くやられたろう。数日の静養を必要とする程度にな。……腹には据えかねんのかえ?」

 答えが気になったわけではない。ユエラとしてはどうでもいい。公教会に身柄を引き渡した時点で"恩を売る"という目的は達成した。

 それはただ、キリエ・カルディナという人物の内心を測るためだけの問い。ことさらに動揺を誘うための言葉。
 だが、キリエは間髪入れずに即答した。

「現実問題、我々公教会はこの街で人民を裁く権利を持ちません。また、我々はこの街の正当な統治者でもありません」
「まぁ、建前上はのう」

 前提として、ティノーブルはどの国にも属さない街である。。各国大使や公教会が治安を担っているものの、それは言うなれば大規模な自治組織でしかない。
 ユエラに対して行われた査問会も、彼らの自治を脅かす危険性があると見做されたからだ。

「それに、彼らはすでに罰を与えられています」
「……ふ、む?」

 レイリィの伝えるところによれば、二人は一貫して貴族としての待遇を受けているはず。不遇ではあるが、しでかしたことに比べれば少々頼りない罰だろう。
 解せぬな、とユエラがつぶやくのにキリエは言う。

「彼の考えることはおよそ想像が付きます。――――罪悪感を抱くものを罰すること、痛めつけることは救いにしかなり得ない。罰を与えんとするならば、彼の望まぬ処遇を与えることです。それが彼にとっては最大の罰にもなりましょう」

 あくまで、淡々と。
 人智を逸する論理を口にしながら、キリエはついでにとばかりに言う。

「……先日、あなたがなさったこと。咎め立ては致しませんが……覚えておいてください。苦しみを与えることが救いにもなる、そのような人間は決して少なくもないのです」
「被虐嗜好ですか」
「テオのようなやつだな」
「ち、ちが……わなくはないですが……」
「自罰的、と言うべきでしょう」

 キリエは淡々と訂正する。
 冗談の通じない女だった。

「まあ、政治的な理由もあるのですが」
「身も蓋もないこと言うなおぬし……」

 ――あるいは、それが冗談のつもりだったのか。
 後ろ盾がないごろつきと有名な貴族なら、当たり前に後者の命のほうが重い。交渉相手からの譲歩も引き出しやすいというものである。

「……では、私からも一つ質問を。構いませんか」
「内容によっては。……個人的な話かえ?」
「個人的に発された質問ですが、お答え下さるなら、その答え次第によっては貴女の締め付けを緩めることにも繋がるでしょう」

 キリエはあくまで淡々と言う。そこに好奇心などは特にうかがえない。
 ともあれ話は聞いてからである。ユエラが促すと、キリエはちいさく咳払いして言った。

「――――あなたの、本当の目的は、なんですか?」

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