お狐さま、働かない。

きー子

四十四話/死に没む

 この男に武器を持つ手はいらない。
 リーネは真っ先に熱線の魔術を放ち、ヨハンの両肘から先を焼き切った。

「あ、ぎ……ぎゃああああああッッ!!!!」

 聞き苦しい悲鳴が響きわたる。それを耳にしながらリーネは微笑する。
 これだけで殺してしまうようなヘマはしない。傷口を弱火で炙るように焼き、消毒とともに止血を行う。神経を直接抉るような痛みであろうが関係ない。

「な……あ、が……あ、あの時の……い、生き残り……?」
「他に何がいると思う? 当ててみたらいいと思うよ」

 腕が無ければ反撃を受ける心配もない。
 が、念には念を入れて片足も焼き切る。またぞろ聞くに堪えない絶叫が響き渡り、成人男性の脚が薄暗い通路に転がり落ちた。

「私の両親は……どうだったんだろうね? きみたちに殴り殺されたのかもしれないし、火事で焼け死んだのかもしれない。わからないんだ。でも、私はきみを見た覚えがある。だから、きっと殴り殺したんじゃないかな。まかり間違っても生き延びたりしないようにね」
「ゆ……う、ぐ……ッ!! ゆ、ゆるし、ゆるしてくれッ……!!」
「許してほしい? その格好で? きみはもう自分では立てないし、自分で物を持つこともできないんだよ」

 リーネは淡々と告げる。男の表情が絶望の色に染まる。
 過去のことはまだしも、今回の件でここまでされるいわれはないだろう。それはリーネも分かっている。分かりきったうえで、やっているのだ。

「次はどうしようか。目? 眼はまだ早いかな。ちゃんと私のことを思い出してもらわないと――思い知ってもらわないと」

 リーネは聞こえるか聞こえないかくらいの声で淡々と詠唱を紡ぐ。
 そのか細い声にすらヨハンは脅え、震え上がった。

「や……やめ、やめろ、やめてくれッ!! これ以上されたら、私はもう、死んでしまう……!!」
「大丈夫だよ。死なないよ。死なせないよ。絶対に死なないようにしてあげる。今すぐにでも殺したいけど、いつまでも死なないように加減してあげる」
「……ひッ……!!」

 リーネは喜色とともに告げる。果たしてヨハンの心境やいかばかりか。
 さっさと死んでいればいっそ楽になれただろう。これほどの恐怖を味わわされる羽目にはならなかった。

「うん、よし、目から行こう。私の目も焼けちゃったからね。きみの目も焼かれないと私が気に食わないものね」

 リーネが短い術式を詠ずるやいなや、彼女の青白い掌が赤熱する。それは自らの肉身を焼くことなく一点から大熱量を発する術であり。人体に十分な損傷を負わせることができる。ごく少量の魔素から引き出したエネルギーのため、致命傷を与えることはない。

「……や、やめたまえッ!! これは、これはなにかのまちが――――あぁぁぁぁッ!!!!」
「今さら、遅すぎるよ」

 リーネは微笑み、掌をヨハンの顔半分に押し付ける。じゅうううう、と肉の焼ける音がする。不快な臭気が蔓延する。だが、リーネの昂揚は不快感をはるかに上回った。

 何のためにこんなことをする? こんな無為なことを?
 そう問われれば、リーネは迷いなくこう答えるだろう。

 ――――楽しいから。
 ――――私の気分がすっきりするから。
 ――――きっと私はこうするために生まれてきたに違いないから。

 しばらく掌を押し当てたままでいると、男はいつしか動かなくなった。
 なにせ四肢はもう脚一本しか残っていないのだ。足掻くにも限度があるというもの。

 リーネがゆっくりと手を離す。と、そこにはすっかり焼けただれたヨハンの無惨な顔があった。

「……ふふっ。火加減を間違えたかな。すぐに起こしてあげるからね。ああ、でも脳を壊しちゃいけないんだったかな?」

 ことり、と意識を落としたヨハンを睥睨する。
 今は実に良い気分だった。先ほどまでの荒れ狂うような殺意が去り、心の中に穏やかなが風が吹いている。
 このままヨハンを嬲り殺しにするのもきっと楽しいだろう。でも、いよいよ彼に手をかけた瞬間には及ばないような気もする。図らずしも絶頂してしまいそうなほどの快楽を覚えたのだから!

「もう、いいかな」

 ふっとそんなことを考える。
 思い返すだに、過去を覆い隠すために生きてきたような人生だった。過去に縛られてきた、とも言えようか。
 そして今、リーネを縛り付けていた鎖は消え去った。彼女をがんじがらめにする戒めは去った。それは途方もない解放感と快感をもたらし――もういいかな、と思わせた。

「もう、死んじゃってもいいかな」

 今、ここで。
 実際にそうしても何ら問題はないように思えた。私がいなくたって御主人様ユエラはきっと困らない。優秀な後進アリアンナだっている。
 リーネを戒める術式――籠鳥檻猿カゴノトリは今も健在だ。しかし、自殺ならばできるかもしれない。それならばユエラを害するには当たらない。リーネはそう考えた。

「うん、そうしよう。――――今日はきっと、死ぬにはとても良い日だから」

 懐から短剣を取り出し、流れるように喉首へ突き刺そうとする。
 だがこれはダメだった。突き立てようとした瞬間にリーネの手が痺れ、あえなく短剣を取り落とす。どうやら自害はユエラに許されていないようだった。

「なら、こっちかな」

 一説によれば、酸欠で死に至る時にはある種の快感をともなうという。
 リーネは大きめの灯火を熾し、周辺の酸素を燃焼させる。先ほど、ヨハンを追いこんだのと同じ要領で。
 瞬間。わずかな苦痛のあと、心地よく意識が遠のきかけ――――

 ◆

「起きぃや、阿呆」
「えン゛ッ!?」

 リーネは脇腹に蹴りを叩き込まれて目が覚めた。
 悲鳴をあげて飛び上がるリーネ。瞬間、違和感を覚えずにはいられない――どうして私は生きているのか。

 彼女が周囲を見渡せば、ヨハンは相変わらず気絶したままだった。隣にはユエラ、そして常のごとくテオが付き添っている。そう長い時間が経っていないのは確からしい。

「何をさっさと死のうとしておる。許さんぞ私は」
「全く同感です。どうしてあなたはそうも上手にユエラ様に構ってもらえるのですか? 許しがたい僭越行為です」
「ぜんぜん別の理由で怒られてる気がする……」

 死のうとしたことを咎められているのに違いはないのだが。
 リーネはしゅんと細い肩を落としてヨハンを一瞥する。まるで散々に弄ばれ、壊れてしまった人形のような有り様。

「……とにかく、そいつは無力化したよ。死んでもいない。だから、私も死んでいいんじゃないかな」
「なに一人で気持ちよぅなってさっさと死のうとしておる。こちとら死ぬこともできんのだぞ? 許せるわけがなかろう。せいぜい私を死ぬまで愉しませてから逝くが良い」
「理不尽すぎるよ……」

 ユエラ・テウメッサは死を知らない。肉体が朽ちても魂となって時空をさまようだけ。となれば、彼女の言葉も彼女なりの道理なのだろうが……。
 リーネはため息をつき、「どうしてここに……?」と遠慮がちに問う。

「おまえ、一回死のうとしたろう。それで警報が来た」
「……ああ、そっか」

 リーネは足元に視線を落とす。先ほど取り落とした短剣。
 それでリーネは合点がいった。

「あなたはユエラ様の所有物ものなのです。……という自覚がまた足りておられないようですね」
「……も、申し開きのしようもないよ……」

 理不尽なことを言われているとは思うが、すでに死ぬ気は失せていた。先ほど死ねていたら最高だったのに、とは思うが――そのタイミングはもう過ぎた。精々ユエラに尽くして生きる、という方針が思い起こされてしまった。

 また深いため息をつくリーネ。その様子を見てユエラはぽつりと言う。

「おまえ、アリアンナにずいぶん心配されておったのだぞ」
「……え、あ、あの子に……?」

 アリアンナ。まだほんの子どもにも見えそうな若い魔術師見習いの少女。
 リーネは何度か直々に教鞭をとり、今回の任務ではアリアンナを部下に持つ立場ともなった。無関係ではないが、さほど深い関係があるわけでもない――と、リーネは思っていたのだが。

「突入しても構いませんか、と何度も尋ねてきおってな――うるさくてしょうがないわえ。ちゃんと無事に戻って安心させてやりや。さもなくば私がここで殺してやる」
「そ、それはやめてほしいな……」
「うむ、ならば良い」

 ユエラはにっこりと愉快げに微笑する。――ハメられた、とリーネは思った。まんまと「死にたくない」という言質を取られてしまった格好だ。
 だが、彼女を――まだ若い少女を悲しませたくないと思ったのも事実だった。死ぬのは彼女に無事を伝えてからでも遅くはない。そう、思ってしまった。

「さぁて、片付けるかの」

 ユエラは悠然とヨハンに歩み寄り、その額に手を当てる。
 しばらくして――それだけで全てが終わったように、彼女はさっと手を離した。

「よし。それじゃあリーネ、きれいさっぱり骨も残さず焼いてしまっておくれ」
「……良いの? 御主人様。殺したっていう証拠は?」
「いらんいらん。ぜーんぶきれいさっぱり焼いてしまえ。こやつには墓も要らん」

 一体なにを読み取ったのやら。
 ユエラのあまりに素気ない反応に、リーネも昂揚が冷めてしまった。こんな男と最期を共にすることはない、という気持ちが湧いてくる。

「わかったよ」

 リーネはそっと前髪を撫で下ろし、素直に頷く。
 そして速やかに詠唱を開始した。

「『薙ぎ払え燎原の火群』」

 瞬間、ごう、と吹き荒れる直線の砲火。
 炎はヨハンを瞬く間に死体へと変え、その身を喰らい尽くすように取り巻く。言葉通り骨をも残さず焼き尽くす。
 リーネはついでに腕を拾い、一瞥し――それも火中にくべてしまう。

「うむ。それで良い」
「ユエラ様、尾っぽが湿ってきております。そろそろ上へ」
「む……道理で。熱くてかなわんな。ほれ、リーネ、おまえも来やれ。酸欠で倒れてしもうたらあまりに締まらんぞ?」
「う、うん」

 そう言ってリーネは足早に踵を返す。
 不思議と足取りは軽い。煮えたぎるような殺意の波はいずこかへ消え、心にのしかかるような重石も失せた。
 ――首輪となるユエラの術式はかかったままなのに。

「……眼帯、買おうかな」

 目元を押さえながらぽつりとつぶやき、リーネはユエラとテオの背を追った。

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